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「浮舟」GO!GO!7188

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動画はこちら
https://youtu.be/nF3f1InjcvI



 あなたの顔はもう忘れてしまったのだけれど。離れて3日もすれば思い出せなくなってしまったのだけれど。煙草の匂いが染み付いてしまっていて。同じ銘柄の煙草を吸う人はそこかしこにいて。あなたはいないというのに。わたしの元には来ないというのに。どの風景も物音もあなたを伴いはしないのに。目を閉じても耳を塞いでも煙草の匂いが鼻から入ってくるものですから、鼻から息をしなければ生きていけないものですから、付きまとって離れないその匂いごと、空気ごと、わたしはあなたを恨むのです。恨みながらも、待つのです。

 来る。来ない。来てください。来なかった。来るはずがない。来たらいいのに。来てはいけない。来るな。繰り返される「来」という文字がもう意味をなさなくなってきています。来来来。来来来来。来来来。

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 川端康成を読んでいる。これまでほとんど触れてこなかった作家である。アンソロジーなどに収められた短編数編くらいしか読んだ事がなかった。印象としては、「いつも冒頭付近にはっと目が覚めるような一文があるのだけれど、全体としてはよく覚えていない。好きな系譜の作家のはずであるのだけれども、意識して読み漁ろう、という気分にはなれない」作家であった。
 引っ越しとそれに伴う読書三昧の日々が始まった高校一年の夏、「純文学というものを読んでみようか。ノーベル賞作家というのはどういうものを書くのだろう」という好奇心と共に手に取ったのは、大江健三郎の作品であった。あの時に川端康成を選んでいれば、その後の読書傾向も、または人生までも、今とは違ったものになっていたかもしれない。

 子供二人を連れての二週間に一度の図書館通いの日に、上の子が自転車で転んでしたたかに膝を打った。傷は浅いが血の滲むタオルを押さえる上の子を子供用自転車から降ろし、私の自転車の後部座席に載せた。下の子は家にあるミニカーと同じ山崎パンのトラックを見つけて興奮していた。
 上の子がもう一度借りたがる本、新しく選ぶ本、私が読みたい本、を選ぶといつもだいたい15冊にもなる。私は以前好んで読んでいた作家達の、読書空白期間中に発表された単行本を3冊借りるのを常としていた。今の読書ペースではそれが限界である。しかし今回は少しでも荷物を軽くするために、単行本コーナーではなく文庫本コーナーを練り歩いた。川上弘美「ぼくの死体をよろしく頼む」は文庫本ではないが、読みきれなかったのでもう一度借りた。本谷有希子、川上弘美と女性作家が続いたので、綿矢りさ「憤死」を選ぶ。ついで何気なく川端康成「非常 寒風 雪国抄」を。講談社文芸文庫である。私の大変好んだレーベルである。先に書いた、幾つか読んだことのある川端康成の短編というのも、講談社文芸文庫の「戦後短篇小説再発見」シリーズのものであったと思う。

 
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 わたしへと向かう道のりの途中で、あなたの足音は突然途切れ、跡地には不協和音だけが鳴り響いています。雪が降り積もり、付かなかった足跡までも白くかき消していきます。雪を溶かしても、氷を踏み砕いても、あなたは姿を現しません。落ち葉の下にも、桜舞う花びらの中にも、あなたが吸ったのと同じ銘柄の煙草の煙の中にも。

 わたしはあなたにまた触れてみたい。抱きついたり泣き付いたり、時には怒鳴り付けて平手でぶつこともあるかもしれない。だけど会えるものならば、他に何も望まない。ただ会って、触れて、泣き付いて、ぶん殴って、いや、何も望まないなんて言いながらたくさんの事を望み始めてしまっている。わたしの元から消えた理由を聞きたい。わたしの中に鳴り響く不協和音をあなたにも聞かせたい。あなたが居なかった日々をわたしがどう過ごしてきたか、全て語り尽くしたい。

 それもこれもあなたが来ればの話。いつ来るのだろう。もう来ているのだろうか。玄関の前にやって来ているのはガスの検針ではなくあなたではないのだろうか。パッキンがゆるくなって洗面所の水道がぽたぽたと漏れている。その水はあなただろうか。台風も、地震も、巡り来る毎日の全ても、あなたではないだろうか。

 部屋の物全てにあなたの名前を付けてみた。わたしはあなたたちに囲まれて暮らしている。ちっとも幸せではない。


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 川端康成の短編集を読んでいる最中に、川端康成文学館に行ってきた。近所にあるのは知ってはいたが、特別行こうとはしなかった場所だ。同じ建物内にある体育館でのイベントに上の子を連れて行き、暑い中下の子を連れて一度家に戻るのも億劫なので、建物内をぶらついていたら、文学館が併設されているのに気が付いたのだ。作品に明るくないのと同様に、作者の生涯にも疎い私は、そこで初めて、川端康成が物心付く前に両親と死別している事を知った。保護者となった祖父も川端康成15歳の時に亡くなり、天涯孤独となっている。
 私の息子は現在1歳9ヶ月。私がこの世から消えたらこの子はどう思うのか。小学1年生の娘は。作者年表を自身ではなく、子供の身の上に重ねて見るのもおかしな話ではある。現在の私の年齢のところを見てみると、「雪国」発表の歳であった。川端康成が幼少年期を過ごした家の模型の前にあるベンチの上を、下の子は裸足で行ったり来たりする。今この子はただ体を動かすだけでも楽しいのだ。恐竜の絵本を見ても「わんわん」と言うのだ。

 川端康成自筆の原稿用紙には、原型を留めないくらいの書き直しの跡が残っていた。


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 雨粒一つ一つにあなたを想います。切りがないので早くやんで下さいね。水溜まりとなったあなたを踏んで蹴散らします。洪水となったあなたの中で浮かびます。ひらひらと揺れ動いて浮舟となって漂います。あなたの煙草の火は消えてしまうでしょう。わたしはあなたを求めながら、同時に早くあなたなんて干からびてなくなってしまえばいいのにとも思うのです。
 水面を叩くと、あなたが飛び散ります。
 早く来なさい。

(了)
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