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「Bob Dylan」Fall Out Boy


動画はこちら
https://youtu.be/DVJExMd5pRU


 秀俊は齢七歳にして酒の味を覚えた。秀俊の叔父は国で一番の権力者であったが、彼には子がなく、秀俊が後継者の有力候補と目されていた。叔父に取り入る連中が秀俊に何もかもを貢いだ。その中で秀俊は酒に溺れた。世の中の事もろくに知らない七歳の少年が、「酔っ払う」という言葉を覚える前に酔っ払った。酔っ払い続けた。何が正気かなんて知らないまま正気を失い、それがいつしか常体となった。

 年老いた叔父に子供が出来た。諦めていた正統な世継ぎが誕生した。秀俊は養子に出された。養父は地方の大変な有力者であった。国で一番の権力者の後継ぎ候補は、政治の道具になり下がっていた。十二歳の秀俊は既にアルコール依存症に陥っていた。最も彼にはそれの何が問題であるか理解していたとは思えないが。

 四年後、養父が亡くなり、秀俊は名前を秀秋と改めた。その頃彼は海外派兵の一団に居た。今の時代では少年と呼ばれる年齢であろうと、当時は一軍を率いる将として持ち上げられた。その事を幸か不幸かなどと思い悩む為の脳味噌は既にアルコールで浸されていた。

 配下の兵士達から酒以外の楽しみも教わった。博奕、女遊び、そして音楽。故郷でバンドを組んでいる兵士が居た。「戦争が終わったらCDデビューするんです」と彼は言っていたが、味方の誤射により戦死した。秀俊改め秀秋はすぐに彼の事は忘れたが、彼が教えてくれたある一曲だけは秀秋の心を揺り動かした。Fall Out Boy「Bob Dylan」である。その曲はこう歌っていた。
「ボブ・ディランのように僕を愛してくれ」
「ジョニー・キャッシュの横に僕を埋葬してくれ」
 秀秋はボブ・ディランに叔父を投影した。ジョニー・キャッシュに亡くなった養父を重ねた。

 海外派兵の任を終え帰国したのと同じ年に叔父が亡くなった。秀秋より遥かに幼い叔父の息子はまだ国を統べる事は出来なかった。一代で成り上がった権力者が持ち得た物は彼以外の一族には荷が重すぎた。国が二つに割れた。秀秋の叔父の息子や配下を中心とする者達と、亡くなった叔父に次ぐ実力者であった者に従う者達と。
 秀秋は亡き叔父の一族であったから、当然叔父の息子達の側に付くはずであった。

 戦いは一日で終わった。
 秀秋の裏切りがきっかけで終わったのだった。
 秀秋が友軍であるはずの陣に向かって出撃の号令を掛けた際に「Bob Dylan」を口ずさんでいた事が、当時の信頼出来る資料にも記してある。その裏切り行為は、叔父よりも養父よりもボブ・ディランよりもジョニー・キャッシュよりも、俺を愛してくれという、秀秋の魂の叫びであった。
 こう歌ったのだという。
「豊臣秀吉のように僕を愛してくれ」
「小早川隆景の横に僕を埋葬してくれ」

 関ヶ原の合戦と呼ばれる戦の二年後、秀秋は死んだ。長年のアルコール依存症により体はボロボロになっていた。全国に広まった裏切り者の悪評を少しでも和らげる為に、名前を秀詮と改めていた。しかしその名は定着せず、今に至るまで語り継がれている悪名は「小早川秀秋」である。
 晩年の彼はもう「Bob Dylan」を歌うような事はなかった。酒を知る前の、七歳以前の事ばかり話していたという。

(了)

参考
wikipediaー小早川秀秋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%97%A9%E5%B7%9D%E7%A7%80%E7%A7%8B
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