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https://youtu.be/PnEXMebTdG4
コーラを投げて寄越した彼女は笑って言った。
「まだ生きてるの」
僕が取れなかったコーラの缶を、彼女が拾ってプルタブを起こす。溢れ出る中身が僕の手首を濡らす。「ごめんね」と言いながら彼女は僕の手首を舐めてくれた。
「ずっと前にもこんな事があった気がする」
「私も」と彼女も言ってくれた。
「何度も何度も舐めて、かじった」
遠い空で巨大な灰色の爆撃機が気だるそうに飛んでいる。破壊しがいのある建物もほとんど崩れ落ちてしまった後だから、爆撃機は自らの存在理由を見失って上昇する。雲に隠れて見えなくなってしばらくして、空から轟音が響き、さっきまで爆撃機だったものの残骸が地表に降り注ぐ。発射し損ねた爆弾を撒き散らしながら。
「もしもここを」僕の口は物語を読むように動いた。
「もしもここを生き残れたら、僕のほんとの名前をあげよう」
彼女は少し焼け焦げた口で笑った。それからまた僕の手首を舐めた。弾け飛んでしまった手首から先が今も残っていたら、僕は彼女の頬を撫でる事が出来たのに。
僕らがけものでなくなってしまって随分経った。脱ぎ捨てた毛皮は虫にまみれたので捨ててしまった。けものの頃のように僕らは互いを求めて体をくっつけた。お互い自由にまだ動かせる体の部分が限られているので、うまく交わる事は出来なかったけれど、その昂りで幾らか命を延ばした。
けものである事を捨て、人であった事も忘れた誰かが、鬼となってふらふらとさ迷っている。人の血やら肉やら、それよりも美味い愛する誰かの微笑みやらを求めて。
「彼らはあれからどうなるのだろう」
息を潜めたら僕らは人とも認識されなくなるらしい。それくらい僕らは死に近くなってきていた。
「神様にでもなるんじゃない」と彼女は言った。
それからいつの間にか僕らは眠った。
夢の中で彼女の名前を聞いた。焼け焦げた顔をほころばせて、「ガジェット」と彼女は言った。「多分ずっと、ずっと前の名前」目が覚めると彼女は息絶えていた。僕は今はもうない手のひらで、彼女のまぶたに触れた。それから鼻と。それから唇と。幻の指はどこにでも触れる事が出来た。僕はそのまま自分の頭の中を幻の指先で探り、昔の自分の名前を思い出した。
「アゾルカ」と僕は言った。彼女の唇が少し震えた気がした。僕らの上空を爆撃機がやけくそ気味に通り過ぎて行く。けものだった頃の僕らの幻影が爆撃機を追い掛けていく。僕はキリンで、彼女はハイエナだった。幻の僕らが揺らした地面の上で、彼女の屍も笑うように揺れていた。
それから僕はキリンになった夢を見て。そのまま夢から戻らなかった。
(了)
参考:童話「首がもげたキリン」(2006年ネットで発表した自作童話)