トップに戻る

<< 前 次 >>

「Go Go Round This World!」フィッシュマンズ

単ページ   最大化   

動画はこちら
https://youtu.be/jJABBGTTXsU



 先日誕生日を迎え、四十歳になった。
 ……。
 間違えた。
 1980年生まれだから……。
 四十歳になった。
 ?
 年号で数えよう。昭和55年生まれなので……。
 四十歳?
 いやいや三十歳になったのがついニ、三年前の感覚だから、おかしい。同世代で活躍している人達を見てみよう。
 プロ野球界では藤川球児が今年引退で。
 モンゴル界隈でドルジ(朝青龍)は暴れてるだろうし。
 壇蜜界では壇蜜が壇蜜している。
 彼らの年齢を改めて調べると……。
 今年四十歳だ。


いったいいくつの時を
過ごしてきたの
60年70年80年前の感じ
本当に確かだったのは一体何でしょうねえ
時の流れは本当もウソもつくから


 フィッシュマンズを初めて聴いたのは、友人宅で観た何かのフェスの映像だった。高校卒業と同時にパソコンを購入した私は、高校時代からパソコンを使いこなしていた友人宅に何かを教わりにだとか借りにとか行っていた。ゆらゆら揺れながら歌う独特の雰囲気、歌詞、楽曲に目を奪われた。
 フィッシュマンズのボーカル、佐藤伸治の訃報は、東風荘というオンラインネット麻雀のチャット欄で知った。知ったばかりのアーティストの死を、始めたばかりのインターネットで知る。本格的にフィッシュマンズの曲を聴くようになるのは少し後になるが、忘れられない出会いと別れ方で、一際印象に残り続けている。

 
 高校卒業後の私はどこに進学するでもなく働くでもなく、ブラブラしていた。日雇い派遣アルバイトはこの頃から始めていた。ニ年浪人して大学に行った兄がいた。私的には兄の浪人期間プラス在学年数と同じ「六年間」の猶予期間中に、小説、漫画、映画を取り込んだ後、小説を書いて作家になろう、というぼんやりとした目論見があった。
 初めて書いた小説は、前述の友人から借りた小説「バトルロワイヤル」を、高校二年生時代の私のクラスメイトバージョンで書いた物だった。共通の思い出を持つ友人に読んでもらっていた。しかして何せ人がどんどん死ぬ話である。特に思い入れのないクラスメイトならあまり気にならなかったが、創作の中とはいえ、親しい人達にまで手をかける段になって筆は止まり、未完のままだ。

 私がネットを始めた1999年に、匿名型掲示板「あめぞう」が話題になり始め、そこから分岐した「2ちゃんねる」が大きくなってゆく。当時「テレホーダイ」という制度があり、夜23時から朝の7時まで、ネットは定額使い放題であった。それ以外の時間帯は時間外の通信料がかかった。真夜中の2ちゃんねるの「ロビー」という雑談板で私は同じく真夜中の住人達とだべっていた。文学板、漫画板、映画板、創作文芸板なども覗きはしたが、文学板の「文体模写」スレッド以外は積極的に参加しなかった。匿名掲示板だからといって悪意を撒き散らしたりする人が出るとそこから離れた。それぞれ真っ当な進路を進んでいる友人達から次第に離れていった私は他愛もない雑談をネットに求めていた。

 音楽の話や漫画や映画の話もロビーでした。そこで勧められた物に手を出していったりした。フィッシュマンズの話題も出た。
 結局「六年間」なんて枷はなかった事になり、私はそこで真夜中に即興小説を書き始める。デフォルトネーム「名無しさん」と区別する為に「名無しさ」と名乗り、タイトルと書き出し数行を書いてスレッドを立て、後の展開は書きながら考える。一時間程度で仕上げていったと思う。今パッと思い出せるのは、家族の朝の目覚めから始まる一家殺し合いのラストに、ナイキのCMだったと明かされる「ザ・朝飯」。島本和彦「燃えよペン」から着想を得た、小説を書く速度に機器が追い付かず火の手が上がる「炎上キーボード」など。手段を講じれば今でも拾い上げられるかもしれない。
 
 昔のネットの事を思い出しているのは、「鮫島事件」というネット上の都市伝説が映画化されるという記事を読んだからだ。そのスレッドが話題になっていた当時を思い出した。調べると2001年の事だという。19年前だ。私がネットを始めたのと、フィッシュマンズを知った年が1999年、21年前だ。ネット前の人生より、ネット後の人生の方が長くなっている。人によれば、鮫島事件当時から今まで環境が変わらない人もいるだろう。自分だってひょっとしたらそうだったかもしれない。 


歩き出そうよ
こんなに強い日差しは今もふりそそぐ
この景色の中をずっと
二人でまわろうぜ
この景色の中をずっと
この景色の中をずっと
二人で歩こうぜ
このゆううつな顔もきっと
笑顔に変えようぜ


 今回この文章を書くにあたり、歌詞を読んでいた所、大きな勘違いに気が付いた。「世界中を旅して回ろうぜ」みたいな曲だと思い込んでいた。ところが、「同じ景色の中の世界をずっとぐるぐる回ろうぜ」みたいな歌詞である。どちらかと言うと反語と取れるが、あの頃の私があのまま永遠のモラトリアム人間であったなら、それこそ同じ景色の中で過ごし続けていたかもしれない。今の私が、あの頃の私が書いている即興小説の中の登場人物ではないという証拠は、どこにもない。

 佐藤伸治はもう歳を取ることはないので、同じ歌声で歌い続けている。誕生日に娘のココがハッピーバースデーを歌ってくれた。チョコレートケーキは息子の健三郎に大半食べられた。セルフプレゼントとして購入した、SDスタンダードタイプ「ガンダムデスティニー」は、色々なポージングをさせようとすると腕がもげる。

 終わりのきっかけが見えないので、書いている間ずっとリピート再生していた「Go Go Round This World!」のリピートを止める。次に流れ出したのは、ブラック・サバスの「サバス・ブラッディ・サバス」をアンスラックスがカヴァーしたバージョンだった。
「乱暴過ぎる曲だねえ」と娘にたしなめられた曲だった。娘は小学校、妻はパート、息子は保育園。自分の休日に私は一人家でこれを書いている。強すぎる秋の日差しが、カーテンを突き破って家の中に入り込んで来た。

(了)
82, 81

泥辺五郎 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る