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「Cosmic Dancer」T-REX

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動画はこちら
https://youtu.be/IO1DCE_43mY
歌詞和訳
https://ringingabell.wordpress.com/2017/04/27/cosmic-dancer/


 今回の話は「ネイティブダンサー」と同じ内容を書いている。「ネイティブダンサー」は息子の代筆であった。二歳の頃に、十七歳くらいの自分を想定して書いてもらった。今回の「コズミックダンサー」は、もうすぐ三歳の息子が、千二百歳くらいだった頃の事を思い出して書いてもらった。
「ネイティブダンサー」サカナクション
http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=21721&story=48



 生まれ落ちる前から踊っていた。そこが母の子宮の中で、限られた空間だとは知らずに。胎内に響き渡る母の鼓動に合わせて、手足を、もっと前には手足になる以前の組織を、ばたつかせ、踊っていた。
 外の世界に引きずり出された私は、鼓動のビートを忘れられず、長い間母にすがりついていた。ミルクよりも愛情よりも、私の全身はリズムを求めた。羊水の中でかなりの踊り手になっていたはずの私の手足は、空気に絡め取られてジタバタするばかりだった。

 ある日見知らぬビートが聴こえてきた。まだろくに見えない目より、少しばかり早く成長していた私の耳が捉えたのは、父が流している音楽というものだった。私が初めて笑ったのはこの時だ、と父は度々言っていた。
 後に知った事だが、金も時間もなかった私の父は、罪滅ぼしのように子供達に音楽を与えた。自らの歌声も添えながら。成長した姉と私には口を塞がれながら。洋楽、邦楽、新旧入り乱れて、私達の反応を窺いながら、様々な曲を与えてくれた。

 私は物心付いても踊り続けた。死ぬまで私は踊り続けた。墓に入ってからも私は踊る事を止められなかった。土の中では虫や死霊達の声が止む事なく響いていた。私は小さな骨だけになりながらも、他の連中の嘆きや恨みに合わせて、ありもしない手足を動かし続けた。

 人は成長するにつれて踊らなくなる。幼い頃に、何を聴いても踊り出し、音楽がなければ自前で歌いながら踊っていた少年少女達はどんどん行方不明になる。自分達が生まれながらのダンサーだった事など忘れて、机にしがみつき椅子に座り込み、踊ってはいけません、と常に誰かに怒られてでもいるかのように、大人しくなる。つまらなくなる。
 公園のあちこち、通学路のあらゆる道端、家の中の全ての空間において、かつてのダンサー達の残影が揺れ踊る。何千世代も受け継がれてきた、リトル・ダンサー、ネイティブ・ダンサー、コズミック・ダンサー達の影が消える事なく残り続ける。新たなダンサー達は、先人の見本に新たな振り付けを加えて、踊りは日々進化していく。

 私は生まれる前から踊っていた。
 私は生まれてすぐに踊り始めた。
 私は三歳の頃も八歳の頃も五十歳の頃も百二十歳の頃も踊っていた。
 私は墓に入るまで踊り続けた。
 私は墓に入ってからも踊り続けた。
 私は生まれ変わる前から踊っていた。
 私は生まれ変わった後も踊り続けた。

 炎が揺れる。煙が上がる。雲が流れる。雨が降る。全ての動詞は「踊る」に置き換え可能である。眠りながら息絶える。踊りながら踊る。意味は一つも変わりはしない。
 全ての生き物が死に絶えた後の渇いた大地の上で私は踊る。かつて私だったものは踊る。私達は、踊る。ゆらゆらと、だらだらと、くねくねと、ふにゃふにゃと、溶けながら、かき消されながら、泣きながら。
 
 ふと、現在に戻る。私は父の流す音楽に合わせて体を動かしている。やがて消えてなくなる全てのものに向けて、その眼の奥底に忘れられない思い出を焼き付ける為に、踊る。眠そうだった父の眼が輝き始める。
 踊りながら全てを忘れる。誰のためでもなく、過去も未来も関係なく、流れてくる音楽と体が一体になり、他の全てが消失する。その感覚は、羊水の中で踊った記憶と重なる。
 私は生まれる。私は踊る。

(了)

著者近影
85, 84

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