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「Zombie」The Cranberrys

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動画はこちら
https://youtu.be/6Ejga4kJUts

歌詞・和訳はこちら
https://hgkmsn.hatenablog.com/entry/2018/03/31/153311

エミネム「In Your Head」
https://youtu.be/YssN7CDCD54


 五、六年前だったか、うちの会社で働くシルバーさん(65歳以上、地元の住人限定で、定年となる65歳以上でも、特定の職務だけ就労可能)の一人が亡くなった。仕事中の事ではなかった。私は後から訃報を聞いたのだが、亡くなったとされる日の朝、彼とすれ違っていたような気がしてならない。同じ部署で働いていた訳ではないから、顔と名前が一致しておらず、ただの勘違いであろうが、「自分が既に死んでいる事に気付かず、いつも通り出勤しようとしていたのではないか」という考えはしばらく私の中に居残った。

 前日から降り続いた雨が上がり、打って変わって晴れすぎた空からの陽光が地上の水分を過剰に蒸散させていく。そんな霧の立ち込めた朝に私は「死人とでもすれ違いそうだ」と思って、シルバーさんの事を思い出したのだ。Spotifyの自作プレイリストから「Zombie」を呼び出す。クランベリーズの原曲、様々なライブバージョン、バッド・ウルブズによるカヴァー、「Zombie」を取り込んだエミネムの「In Your Head」が並ぶ。

 1993年3月20日、イングランドのウォリントンという街でIRAによる爆弾テロが発生し、負傷者56名、死者2名、亡くなったのは3歳と12歳の子供であった。「Zombie」はこの事件にインスパイアされて作られた曲で、古くから続く民族闘争に絡めて歌われる。巻き込まれて失われる幼き命達、他人事だからと実感の湧かない多くの人達、半分死んでいる心のないゾンビのような人達……。

 人間爆弾としてテロの道具に使われて、泣き叫びながら爆死した少女達。
 学校への恨みを持った男により、無関係なのに殺された子供達。
 交通ルールを無視した車に巻き込まれて死亡した親子連れ。
 親に捨てられあるいは殺された子供達。

 そのようなニュースに触れた時に沸き起こる怒り、悲しみ、憤り、と共に「うちの子供が巻き込まれなくて良かった」という想い。テロでなくとも、日常に危険は潜む。子供達に大きな怪我も事故もなくこれまで来れたのは奇跡に近いと言っていい。それを今後も維持し続けるのは簡単な事ではないと分かっている。
 ゴミ箱に仕掛けられた爆弾は避けられないだろうし、通り魔は「私は通り魔ですよ。お気を付け下さい」なんて言いながら歩いてはいない。こちらが交通ルールを守っていても、突っ込んで来る車はある。
 何でもない日常を過ごすのにも必死で、遠くの国の狂信者から少女達を守る為に出来る事が、ない。誰も殺さなくても、自ら死を選ぶ人達を救えるような言葉も吐けない。

 ドローレス・オリオーダンの歌声が繰り返し「Zombie」を歌う。濃くなる霧の中から別の死者が顔を出す。
「明日から復帰予定でしたけど、まだ具合が良くならなくて、お医者さんからも止められまして」
 電話を受けた私は「お大事に。無理はしないで」と言って電話を切った。数ヶ月前に尋常ではない赤黒い顔色で体調不良を訴えながら現場入りしようとし、半ば強制的に帰らせた従業員の男性からの連絡だった。会社で彼の姿を最後に見たのも、声を聞いたのも、私となった。あっという間に進行したガンで彼は亡くなった。彼のロッカーに置きっぱなしだった私物は、遺族から引き取りを拒否され処分された。我々が愛した、抜けた所の多数あるものの、扱い切れない巨体で不器用に狭い工場内を「ごめんよ、ごめんよ」と申し訳なさそうに言いながら歩く彼は、家族からは愛されてはいなかったようだ。
 夜勤が廃止されて誰もいない夜の工場内に、今はいない誰彼が働いている気配が時々する。

 生きている者と死んだ者との区別がつかなくなる霧の中を歩いていても、会社には辿り着く。私自身だって、長く連絡を取っていない旧友達の中では死人の仲間入りをしている事だろう。Zombie、Zombie、Zombie。
 
 今日も人が死んでいく。罪なき人も罪深き人も。歌詞は読んでないから意味はよく分からないがエミネムのライムは怒りに満ちている。爆弾で死んでいく。刃物で刺し殺される。手にかけてはいけない者を手にかけてしまう人達がいる。この手はどうだ。スマホでこの文章を打つこの指はどうだ。誰も殺さない代わりに誰も守れないかもしれない。この指が腐り落ちていく前に。せめて救える命をこの手で。なんて書くだけだ。

 霧などとうに晴れた帰り道、苔むした交番の中で赤ん坊を抱く母親が何かを警官に訴えているのを見た。驚き目を見張る赤ん坊は泣いてはいなかった。イヤホンから流れ続ける「Zombie」に耳を塞がれて聞こえなかっただけで、そこら中に悲鳴が溢れていたのかもしれない。
 私は会社の自販機で買ったBOSSのカフェオレの空き缶を手の中で持て余しながら歩く。爆弾が仕掛けられているようなゴミ箱は見当たらないから捨てられない。駅まで歩く。まだ腐り落ちていない指先から空き缶は離さずに。足掻きながらもがきながら何でもない日常を必死で続ける為に、電車に乗って帰途に着く。

(了)
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