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「No Shelter」Rage Against The Machine

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https://youtu.be/ufsJLRfVKaM

和訳・解説はこちら
https://kawasaki5600.blog.fc2.com/blog-entry-355.html



 夜遅くに灯油を買いに近くのガソリンスタンドまで歩いた。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンを共にして。聴き慣れた「ノウ・ユア・エネミー」やら「ゲリラ・レディオ」「キリング・イン・ザ・ネーム」が流れる中、これまであまり聴いた事のなかった「ノー・シェルター」が耳に残った。人の瞳のような赤い下弦の月がこちらをにらみつけていた。

 アルバイト面接の担当をする機会が増えた。派遣従業員の契約更新するしないの判断をする機会も。雇うメリット、雇わないメリット、首を切る事によるマイナス、それ以上のプラス効果、などを考える。各部署に必要な人員か投げかける以前に、面接態度、履歴書の内容、勤務可能時間などにより、私の判断で不採用にする人もいる。
 私だってアルバイト面接で落ちた事なんて何度かある。落ち込みはしたが、恨みに思ったりその後引きずり続けたという事はない。
 だがある考えが頭をよぎる。
 彼らはこの後に行き場があるのだろうか。
 この後も次々と面接を受け続けるのか。
 もしくは行き着いた果てがここだったりするのか。
 どこへ行くのか。
 どこにも行かないのか。

 「年間自殺者数」で検索すると、警察庁公式サイトで詳細が分かる。今年の十月の自殺者数が二千人を上回り、新型コロナによる死者数を上回っているという。
 年間自殺者数三十万人の時代を書いた自作「僕らはみんな死んでいく」
http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=7784
を読み返す。第二章に入った所で途切れているこの物語は、一章だけで充分だった。思っていたより完成されているなと感じた。十年前の作品だった。登場人物の名前は当時のプロ野球で活躍していた捕手から取っている。もう誰も現役ではない。
 行き場をなくした人達の全てが死を選ぶわけではないだろうが。

 もうどこも安全ではない。常時あらゆる所が最前線である。地球というシェルターも機能せず、生活と死が日常的に隣り合わせに在り、疑問に思う人も加速度的に減っていく。

 ここからは、取り上げる作品のネタバレを含むので注意。
 
 平野啓一郎の小説「マチネの終わりに」を読みながら、途中からずっとレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンを聴いていた。映画化されたのでサウンドトラックもあるし、小説のイメージアルバムもあるのだが、主人公の奏でるクラシック・ギターの音色は私にはもどかしく響いた。その代わりに、主人公のギタリストがスランプに陥りギターを弾けなくなると同時に、文章を書けなくなった。「音楽+読書」は、より物語を堪能出来ると同時に、物語に入り込み過ぎる危険も孕んでいるようだ。
 読書ペースが格段に落ちた就職後、少しずつ読み進めたからこそ印象強い作品が、平野啓一郎の小説群だった。「ドーン」「決壊」そして「空白を満たしなさい」。私より五歳年長の作者の作品を、どれもちょうど発表から五年後ぐらいに読んだので、当時の私の年齢にフィットしていた。今回読んだ「マチネの終わりに」の主人公も四十歳である。
 
 生き残ってしまっている。

「空白を満たしなさい」ではある日死者達が蘇る。家族の元に戻った主人公は、自分が自殺した事になっているのに疑問を抱き、自分は殺されたのだという事を証明する為に駆けずり回る。愛する妻と幼い子供を残して死ぬはずがない、と。
 だがその結果辿り着いたのは、防犯カメラに映っていた、自ら身を投げる映像だった。

 退職した上役の持っていた業務のいくつかを何となく引き継いでいる。担当が変わったためか、今は利用していない派遣会社の一つが挨拶に来る。
「年末年始にかけてお忙しくなる頃合いかと思いまして」
「今うちは日雇い派遣を使う予定はありません」
 うちは日雇いだけではなく定番派遣もやっております。他の派遣会社と比べて単価を下げたら食い込ませてくれますか? といった話を聞き流しながら時間を気にする振りをする。
 見送った後で思い出した。十年前の自分は、たった今話をしていた派遣会社の日雇い労働者の一員だったではないか。様々な職場で働き、多くの物を見てきた。追い返すような仕打ちをする前に、感謝の一言くらいかけても良さそうな関係だったのに。
 そんな事すら忘れてしまっていた。

 休憩中に本を読んでいると、気にしてくる人が出てきた。私にすれば、これまでの読書空白期間を埋めているだけなのだが。上述した日雇い時代の休憩時間に読書していた私の姿を知っている古株の人間も随分と少なくなった。別に著者やタイトルを隠す事もしていないが、詳しく突っ込んでくる人もいない。「本を読んでいる人」に興味はあっても、本そのものにはあまり興味がないという風に。

 会社で行われる健康診断と休日が重なったので、健康診断だけ受けに会社に出た日、同じように出社していた「読書する側」の男女二人と、健康診断後駅まで歩いた。子供時代に絵本の読み聞かせなどしてもらったか、とか。山田風太郎は忍法帖シリーズだけではなく明治物も面白くて、私は明治物は読んでないけれど、ダンテの「神曲」をなぞった「神曲崩壊」が好きだったとか。「鬼滅の刃」劇場版の話とか。

 駅前で別れてまた思い出す。
 山田風太郎の話をした彼とは、かつては掴み合いだの怒鳴り散らしだの散々やりあった仲なのにな、と。ほぼ私が一方的な暴力に晒されていた側だが。こちらは忘れてはいないが、もうそんなに気にしてもいない。
 
 これまでは生き残ってこれた。
 これからは?

 かつて私は「サバイバルゲーム途中経過」というシリーズの掌編を書いていた。未完のままだが、結論は作中で既に言及してある。「全員、脱落」。
 シェルターは、もうない。

(了)
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