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「魔術の授業」(6/29 0:40)

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「ほぉん、箒か。いかにも魔女っ子だなぁ」

 未知の大陸ミシュガルドの、その地に踏み入れる者なら、誰もが通るであろう港。その灯台の影に二つの人の姿があった。
とんがり帽子を被った、薄い金髪の幼いエルフの少女が、そこへ持ち出したものを見て、人間の子供らしき姿をした者は、その幼さには似合わぬ笑みを見せた。
 エルフの少女は、名をレダと言った。孤児であったのを拾われ、そこで世話になった姉貴分のヴィヴィア(ビビとも呼ばれている)と共に、このミシュガルドへと行き着いたのだった。
彼女には魔術の才はあったが、師事する者が居らず(と言うよりも、戦争の時代であったため、ビビが巻き込ませまいと誰の師事も許さなかったのだが)、今までそれを腐らせていたのだった。
 そのレダの目の前で、いやらしい笑みを浮かべている者は、ハナバと呼ばれていた。
その名の通りの髪と目の色をしており、一応は女性らしいが、今の格好よりも幾分と男性に近い服装をする時もあれば、女性らしからぬ言動や過激な“ちょっかい”をかけてくる事も多々あり、男と間違われる事が殆どであった。
しかし、それを本人は気にするどころか、そんな周りの反応を見て、楽しんでいるようにも見えた。
 そんなハナバに、今回レダが二人だけで会う事になったのは、このハナバが“|道化の魔術師《ナル・ウィザード》”と呼ばれる所以にあった。
戦争時代を経て、魔術というものは戦う者を癒し、守り、その相手を排する為に使用するものとされてきたが、彼女はそういった用途には一切魔術を使わなかった。
泣く子をあやし、迷う者を憩わせ、緊張した者を解し、他者を笑顔にする為に魔術を使うのだった。
その様は正しく道化。彼女が師事するのであれば、ビビも何も文句は言えまいとレダは踏んだのだった。

「そんじゃあ、早速始めるかね。授業料はレダたんの身体で良かったんだっけ?」

 またいやらしい笑みを浮かべてハナバはそう言うと、レダは怯える様子もなくキッとハナバを睨みつけた。
真剣に魔術を教わりたい身としては、そこでふざけられるのは面白くない。その上授業料については、前もって話はついていたのだ。

「そう怖い顔すんなって。わぁってるよ。一週間ビビたそに奢らなくていい、だしょ?」

するとハナバは観念したらしく、実際に話し合われた方の報酬を確認した。レダはただ頷く。
 己の魔術を駆使して、様々なクエストを簡単にこなすハナバには、それでも多すぎる程の金を握っていた。
その理由は分からないが、そのお金でビビや自分の食事代を担ってもらう時がある。有難いことではあるのだが、ビビの惰性が強まる事を、レダは危惧していたのだった。
無論、散財とは言えハナバも好意でそれを行っているため、渋々ではあるが少女の志を壊す訳にはいかないと、その条件を呑んだのだった。

「ほいじゃあ、前に話した通り、今日は翼を使わずに空を飛ぶ“浮遊魔術”を教えるぞい?」

 漸く本題に入ったところで、レダは真剣な表情でハナバの言葉に頷いた。
レダは魔術を唱える際には、杖を使用するのだが、今はそれを出さずに、手に持っている箒で空を飛ぼうとしているようだ。
本来、杖は魔術師の魔力を増幅させる為のものだが、そんなものが無くても使えるとハナバに言われたため、今日は出さない事に決めたらしい。
だが、それだとあまりにも味気ない上に、“魔術で空を飛ぶ少女”と言えば箒に跨っているイメージがどうしても強くなる。その為箒を持ち出したのだった。

「浮遊魔術ってのぁ、魔力の消費が少ない代わりに、結構ややこしい所があってね。実は使える人ってそう居ないんだ。何なら鳥に変身するなり、翼を生やして飛んだ方がずっと簡単」

 語り始めたハナバの言葉に、レダは瞠目した。どうにも信じられなかった。
しかし思い返してみれば、確かに浮遊魔術を使う魔術師を見た記憶が無い。目の前に居るハナバくらいである。
何故なのか。それもきっと教えてくれる筈だ。そう考えてレダは、改めてハナバの方に向き直った。

「そもそも魔術が発動するまでの経緯は、自分の思念と魔力に、精霊の力が合わさって、それで初めて発動されるんだ。それはレダたんも知ってんね?」

レダは静かに頷いた。魔術を心得るには、魔力だけではなく、精霊に愛される必要もあるという事は、魔術師となる者が、まず最初に知っておかなければならない事であった。
しかし、ハナバが突然その話を持ち出したのは、ただの復習の為ではなかった。

「そこでレダたんに問題。空を飛びたいと思ってる翼の無い輩は、一体どれだけ居ると思う?」

 ハナバの唐突な出題に、レダは戸惑った。空を飛びたい者の数が、計り知れないからだ。
全員、とまではいかないだろうが、殆どの者が一度はそれを願った事があるのではないか。しかし、そう答えるには、少し安直な気もした。

「正解」

 途端、いつの間にか自分の死角に立っていたハナバが、耳元でそう囁いた。
レダは思わず飛び上がったが、彼女が読心魔術と転移魔術を使ったのだとすぐに分かった。
またキッとハナバを睨みつけるが、彼女はニヤニヤと笑ったままだった。

「だとしたらよ、この浮世の翼の無い輩の数はざっと50億、その半数が魔術を使うと仮定して……」

そしてまたハナバはレダの死角に現れたが、目の前のハナバもそこに居る。分身魔術だ。
レダは身を引かせつつ、ハナバの言葉に耳を傾け続けた。

「その25億ほぼ全員の魔術に、精霊達が力を貸せると思う?」

 二人のハナバが同時にそう問うと、レダは迂闊にも目と口を大きく開けてしまった。目から鱗だったのだ。

「いくらそこら中に居るとしても、精霊の数にも限りがあんだからさー。精霊だって生きてっかんねー。無理に全員にその力を貸しゃ、過労死まっしぐらー」
「炎を出すとか誰かを癒すとか、属性の違う魔術ならそれぞれ担当の精霊が力を貸してくれっけど、浮遊魔術一つに限られちまやぁ、ねぇ?」

そうなれば、流石の精霊も手が回らないらしく、それを理由にただ『空を飛ぶ』と想像するだけでは、精霊は力を貸してくれないらしい。
ならばどうすれば良いのか、レダの表情が不安の色を表し始めた。

「だぁーいじょぉーうぶ、イメージのし方を変えりゃ良い。それなら精霊達も協力してくれる。ま、それが出来ない人が多いから、この魔術はあんまり使われない訳だけど」

 レダは心した。発動させる事が、極めて困難な魔術。教えて欲しいと頼んだ身としては、何としても習得したいものだった。
ハナバは分身を止めて一人に戻ると、風で飛ばされてきた小さな布切れを手に取り、またレダに問題を出した。

「そもそも、何で自分達は空を飛べないと思う? 翼が無いって理由だけかい?」

またレダは戸惑った。今度は単純に、答えが分からなかったからだ。
レダの表情を察して、ハナバは分からないのが普通だと言いたげに苦笑し、手に取った布切れに口をつけると、思い切り息を吹きかけた。
するとその布切れは、みるみる膨れ上がり、やがて二人の顔程の大きさの風船に変貌した。その風船の紐を掴み、ハナバはそれを見せつけるようにレダの方へ顔を向ける。

「この風船が空へ飛べないのは、この紐を自分が掴んで引っ張ってるからだ」

 突然何の話かと、レダは困惑しながらその風船を眺めていたが、その内にハナバの言葉の真意に気付き、大きく見開いた目を輝かせた。

「そう、引力だ。これの所為で自分達は飛べないでいる。だからそんな引力は、こうしてやるんだ!」

レダが理解した事に気付いたハナバは、嬉しそうに声を上げて、何処からともなく鋏を召喚すると、風船の紐をブツリと切ってしまった。
自由になった風船は、ふわりと空高く舞い上がり、風に揺られて海の向こうへと飛んで行った。

「でも頭で分かってても、なかなかイメージが出来ない。皆生まれた時から、引力に縛られ続けてっからさ。」

 飛んで行った風船を眺めながら、ハナバは付け足した。
詰まる所、空を飛ぶ事を想像するのではなく、自分達も元々空を飛ぶ事が出来、引力の所為で妨げられている為、それを断つ事を想像をするのが正解らしい。それ故、鳥や翼のある生き物を連想するのは、はっきり言って論外なのだそうだ。
しかし、元々は飛べないのが当たり前だという思考が邪魔をする為、なかなか他の者では、浮遊魔術の発動が成功しないようだ。

「魔術師って、頭でっかちな勉強家が多いっしょ? だからその常識ってのに縛られがちで、使うのがムズいんだとさ。だからこーいうのは、魔術の知識じゃなくて。精霊と仲良く出来るか否かがミソな訳」

 そこまで話して、ハナバは早速やってみるようレダに言った。
あるのが当たり前の引力を、その糸を、ぷつりと絶つ事を想像する。レダは気を引き締めて、箒に跨った。

「さぁて、お利口のレダたんは、どうかな?」

ふと、突然煽り始めたハナバに、レダは珍しく感情的になってしまった。
 絶対に、成功させてみせる。自分の魔術ではない、ハナバの魔術に目を輝かせていたビビの顔が、脳裏を過った。
自分が同じ魔術を使えるようになれば、またビビが褒めてくれる。またビビがこっちを向いて笑ってくれる。
目の前で不敵な笑みを見せる、この人間の形をした得体の知れない女などに、絶対に負けるものか。
瞼を閉じ、意識を集中させて、レダは深く息を吸った。そして、ハナバが先程風船にやったように、ピンと張りつめた心の糸を、プツンと切った。

「おぉっ……!」

 次の瞬間、足元の感覚が無くなって、ハナバの歓心の声が下から聞こえてきた。
何が起こったか分からず、ゆっくりと目を開けると、身体が灯台の天辺と同じ高さにまで浮いていた。
自分の見えている光景を、レダは暫く信じられなかった。だが確かにレダは、浮いているのだ。
歓喜の気が上昇し、レダは海の上へと箒の持ち手を向けた。あの風船を、追いかけようと思ったのだ。
しかし、加速させてようやく見えてきた風船は、辺りを飛び回っていた鳩にぶつかり、大きな音を立てて破裂しまった。

「いやぁー、凄いよレダたん! まさか本当に出来ちゃうなんてさ!」

 ふと、後ろから大きな木の葉に乗ったハナバが、嬉しそうな声でレダを追いかけてきた。
まるで自分の事のように、丸くした目を煌めかせていた。先程自分が、彼女に向けたほんの一瞬の嫉妬になど、気付いてもいないようだった。
 ハナバは知っているのだろうか。自分の作った風船が、空しく割れてしまった事を。道化などと言われているが、自分が嫉妬する程に、力を持った魔術師であるという事を。
否、きっと知らないのだろう。自分自身も、彼女が少なくとも人間ではないと分かるぐらいで、彼女の正体すら知らないのだから。何処から来て、何の目的でこの大陸へ来たのかすら、知らないのだから。

「よぉーし、このままいっちょ、水平線まで競争しようぜ!」

 そう叫んで、海の向こうへ飛んでいくハナバを、レダは慌てて追いかけた。
 いつの事だったか、初めて会った時の事を思い返す。いつものように持ち金が底をついて、ビビと二人で困っていた時に、彼女が現れた。
大陸が現れた時から来ていたらしい彼女は、その為交易所に詳しく、色々とミシュガルドの事について教えてくれた。
元はと言えば、あの時に彼女との関係は決まっていたのかも知れない。戦争で親代わりを亡くしたと言った時、彼女はほんの一瞬だけ、その表情を悲哀で歪めた。
ただの同情とは、到底思えなかった。何処か自分自身を責め立てているような、そんな表情だったのを、レダは今でも鮮明に覚えている。
そんな時の記憶と、今の楽しそうな表情を見ていると、何処かあの大好きなビビに、似ているような気さえした――。

「そんじゃ、今日の授業はここまで!」

 ――海が太陽の色を映し始めた頃に、二人は灯台へと舞い戻った。
レダは行儀良くハナバに一礼すると、ハナバは照れ臭そうに笑った。

「そんな大した事してないってぇ。それよか、早くその魔術ビビたそに見してやんなよ。絶対喜ぶからさ」

嬉しそうに頷いて、レダは帰路に就こうとしたが、数歩歩いたところで、ピタリと立ち止まった。

「ん? どった?」

それから足早にハナバに近寄ったかと思うと、ハナバの左の頬に、自分の唇を軽く押しあてたのだ。
流石に、あれだけでは授業料にならないと、レダ自身も思っていたらしい。それからレダは顔も合わせず、駆け足で帰っていった。
ナンパをよくするハナバも、まさかレダからこんな報酬を貰えるとは思わなかったらしい。暫く左の頬を擦りながら、呆然とレダの背中を見送っていると、不意に口角が吊り上がった。

「あの子……、エルフじゃなくて小悪魔だろ」
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