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第6章 ナルヴィア河畔遭遇戦

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 ここアルフヘイム大陸には舗装された幹線道路が少ない。戦時中も甲皇国が少しでも奥地入り込めば、とたんに補給が滞った。北部では密林に阻まれ、南部では積雪にのまれる。必然アリューザ港やナルヴィア大河の川港に積み残された糧食はビン詰め以外腐ってしまった。
 甲皇国の輜重部隊は兵站とはただ軍需物資のことだという認識である。兵站とは物流のことであると理解してたのはスズカ・バーンブリッツをおいて他にいない。本来第一軍の幕僚の一人でしかなかった彼女だが、陸軍大臣ホロヴィズから大抜擢されて特命を受ける。アルフヘイム大陸を縦断する補給路を建設せよと。
 何しろ北部戦線から南部戦線まで貫ぬく大動脈作るのである。スズカは北部ではアンカーマン将軍と、南部ではゲル大佐と協力してついに補給路を開通させた。補給路は戦後も亜人たちによって破壊されことなく、バーンブリッツ街道の名で親しまれている。
 そのバーンブリッツ街道が自分の役目を思い出したのか、十列の縦隊になって行軍する巡視隊に埋め尽くされていた。
 北上する伸び切った隊列は左側からの警戒だけ怠らなかった。右側は無の世界だからである。
 バーンブリッツ街道より東側は大戦末期に放たれた禁断魔法の影響で汚染されてしまった。およそ生物の棲めない呪われた土地と言われ、汚染を食い止めるためにバーンブリッツ街道と途中の補給基地群を利用した鉄のカーテンと呼ばれる結界が張られている。
 補給基地群の中でもひときわ広大なオスカーゼロという基地跡までたどり着いて、アンネ副隊長は巡視隊に野営の準備を命じた。
 ナルヴィア大河は依然流量が微減し続けているが、5952人の乾きを潤すには十分だろう。
 補給倉庫跡には簡易の病室を造り未だ応急処置だけのダーク隊長を横たえる。
「本当は町のお医者にかかれれば良かったのですが……」
 アンネの声は消え入りそうなくらい小さい。
「ここで十分さ。君は良くやっていると思うよ」
 ダークが励ましても、返ってアンネは申し訳なさそうにするばかりだった。
「いえ、私なんて……」
「オスカーゼロはナルヴィア大河とバーンブリッツ街道の結節点だ。良い場所を野営地に選んだね。近くにはラギブルグ・アン・デア・ナルヴィアの町もあるけど、大戦中わが軍の絨毯爆撃の標的になった町だから避けたのだろう。君らしい気配りだ。君がいてくれて良かった」
 こんなに褒められてしまうとのどまで出かかっていた弱音は引っ込んでしまう。アンネは押しつぶされそうな弱い自分を律して「おまかせあれ。隊長はゆっくり休んでいてください」と空元気で応じた。
 今にも折れそうなアンネの心を、ハゲタカの目でのぞいている者がいる。
 補給倉庫を出たアンネが後ろ髪引かれる思いでちらりと振り返ると、そこにいたのはダークではなく闇夜よりも深い漆黒の鎧の男だった。
「誰ですか! いつからそこに!!」
「そう身構えなさるな。俺はアルフヘイム人外部隊隊長十万石マンジ。以後お見知りおきを」
 アルフヘイムはエルフを頂点としたピラミッド型の身分社会である。エルフ以外の半人半獣の人種を亜人と呼び底辺として蔑む風習があった。そのアルフヘイムにおいて正規軍を超える強さをもってして、亜人の社会的地位の向上に寄与したのが人外部隊とその隊長十万石マンジである。
 アンネもそのことは知っていたが、近侍する人外の兵はひとりもいない。ただマンジが手首をひっつかんでいる黒い肌の幼女がいるだけだった。
 怪しい。ただの変質者か。
 幼女の服装は緑色のドレスに王冠、イアリング、蛇が巻き付いたような装飾のチョーカー、ブレスレット、指輪、アンクレット。これはエルフの伝統的な花嫁衣裳である。やはりペドフィリアかも知れない。
「そちらの少女は? 戦災孤児ですか?」
 アンネは職務質問のような威圧的な口調で尋ねた。
「こちらはアルフヘイムと甲皇国、両国和平の証。甲家皇室へ嫁がれる精霊樹の巫女、ヒャッカ様です。これで甲皇国とわれらアルフヘイムは親戚同然というわけです。巡視隊と人外部隊も初の共同作業として、レンヌ一揆の民衆と東コースニャの剣闘士たちが合流するのを阻止しようじゃありませんか」
「それは杞憂ではありませんか? ふたつの反乱が示し合わせているようには思えませんが……」
「ノンノン、ふたつの反乱には共通点があります。それはアルフヘイムの英雄クラウス・サンティの足跡をなぞっているという点です。クラウスの出身地はコースニャ村。そして剣闘士の一斉蜂起は東コースニャ村で起こった」
「それはちょっと強引すぎるかと。名前こそ似ていますがコースニャと東コースニャではまったく別の村です」
 アンネがアルフヘイムの地理を知らないだろうと思って、丸め込むつもりが早くも失敗した。しかしマンジはしつこい。
「だがクラウスがレンヌ近郊に囚われ、一斉蜂起したのはあまりにも有名な話。奇しくもそのレンヌで(俺が扇動して)一揆が起きました。奴らは第二のクラウス・サンティになろうとしているのだそうに違いない」
 アンネはこんな怪しい言説に引っかかるわけにいかない。いったんは共同戦線を固辞した。
「われわれはこれ以上市民と対立するつもりはありません。アリューザに急ぎますので失礼します」
「それは良い。奇遇にも私もヒャッカ様をアリューザへと送り届ける途中なのです。私は近道を知っています。ご同行しましょう」
 マンジはなおも食い下がり、とうとう自分の意見を押し通してしまった。


 さて件のレンヌ市民は一揆を起こした手前、市内にいられなくなり剣闘士たちを頼るべく北上していた。マンジの予想もあながち間違いではなかったのである。
 その市民たちの間をちょこまかと、ジテンが黒い肌の女の子を見ていないか聞いて回っていた。
 聞き取り調査が重複しないように、聞いた相手には白いマントに署名してもらっている。別に名簿を作っているわけじゃないのに、誰の名前を一番上に書くかで市民たちがもめ始めた。
「お前は新参のくせに上に書こうとするな。わしは三代前からレンヌ市民の家系。わしこそ一番上にふさわしい」
「だったら名前は知らないが僕たちを率いていた黒い鎧の人でいいよ」
「煽るだけ煽ってどっか行ったヤツなんかやめろよ」
「今われわれを率いているマルクスさんの名前を一番上にしよう」
 どうでもいいことが一向に決まらないのでジテンは一計を案じ、寄せ書きのように上下のない書き方で署名してもらうことにした。
 毛むくじゃらのクマの亜人がマントの真ん中のぽっかり空いたスペースにクラウスの名前を書いたらどうかと提案する。
「俺たちには旗頭が必要だ。これを見た甲皇国の奴らがクラウスが生きてると勘違いしたらもうけもんだしな」
 死んだ英雄すら駆り出すのかと思ったが、またもめるよりかはマシだ。ジテンは最後にクラウスの名前を大書してマントを羽織った。
 あらかたの市民の名前が書き込まれている。つまり聞き込みはひと通り終ったということだ。これだけの人数がいるのに目撃者はゼロ。誰もヒャッカを見ていないと言う。
 手がかりを得られず、ジテンには疲れだけが残った。
 ジテンだけではない。市民たちは何の準備もなくレンヌの町を飛び出したのである。食料や野営するノウハウを持っているはずもない。腹を空かせさまよう姿はまるでゾンビのようだ。そもそもこんなに長い距離を歩いたことも初めてだっただろう。
 そんな疲れ切った市民の前に雄大なナルヴィア大河が見えてきた。
 市民たちはひざまで河に入り、牛になったように直接口をつけて夢中で水を飲む。
 ジテンも河に入ろうとしたその時だった。
 マンジに手引きされた巡視隊が後ろから迫ってきたのである。
 北をナルヴィア大河に阻まれ、南から巡視隊に挟み込まれる格好になり市民は大混乱に陥った。
 市民は丸腰である。巡視隊が専守防衛を遵守するならば戦闘は避けられたはずだった。
 しかし再び不幸は繰り返される。
 武器を持っていなかったはずの毛むくじゃらの亜人が、自らの血液から斧を生成した。血の色をした斧を一振りすると、行軍隊形のまままごついていた兵士の一人がはじけ飛ぶ。兵士の血を吸う斧を見て、恐怖に支配された巡視隊員たちは市民を河へと追い落とした。対岸へと泳ぐ者も最期には力尽きて溺れていく。溺れるくらいなら槍を浴びる方がましと毛むくじゃらの亜人が前に出て吠えた。
「まさか巡視隊と人外部隊が手を組むとはな!! 甲皇国も敵! アルフヘイムも敵! 俺たちに味方はいないのか!!」
 その言葉に呼応するように、川下のほうから喊声が上がる。甲皇国兵の声でも、アルフヘイム兵の声でもない。剣闘士たちがレンヌ市民を救うべくなだれ込んだ。
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