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第15章 中央高地の戦い

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 丙武の一万の軍勢は、死亡約百名、重傷約九百名で戦える者はまだ九千も残っていた。とは言え前衛千四百が壊走して後衛四千六百になだれ込んでしまったため、攻撃の手は止まる。戦場は不気味に静まり返り、エアポケットのようなささやかな平和が訪れた。
 ジテンを乗せた賢い馬アークは城門をくぐると、自分から厩舎の中に入ってお座りをしている。降りやすいようにそうしているのだろう。ジテンは降りて自分の足で歩けるほどには回復していた。
 アークの前にある飼い葉おけに、お礼としてジテンは山盛りの干草とたっぷりの水を用意した。
 アークは口を付けない。まるで喪に服しているみたいに。食べてくれないか、ひざを抱えてずっとジテンは見ている。
 フィリップとジュードを埋葬後にウォルトたちが厩舎にやってきた。ジュードの兄のアンドレイは「あまり落ち込まないようにな」と労わる。本当はアンドレイこそ落ち込んでいるはずなのに。皆それよりもジテンの体を心配してくれた、たった一人を除いては。
「お前が一人飛び出さなきゃ、ジュードもフィリップも死にはしなかった。あの時あのままマンジと交渉しようとせずに、ダラダラ時を稼いでいればウォルトたちが間に合っていたはずだ」
 無理も無い。止めていたフィリップを振り切って、ジテンが飛び出していく一部始終をトマは見ていた。
 トマがあまりにも残酷に真実を告げるので、ウォルトは大人の対応で止めに入る。
「それは結果論だ。俺たちが間に合うかどうかなんて、誰にもわからなかった。怪我人を興奮させるようなことを言うんじゃない!」
「怪我人だとか、子供だとか、関係あるか! ジテン、お前確かマンジにガールフレンドをさらわれたんだったよな。あの時お前はマンジの人質解放を進めれば、ひょっとして上手くすればヒャッカを取り返せるかも知れないと思って飛び出したんじゃないか?」
 黙ってうなずくだけだったジテンが、涙目でトマを見据えて口を開いた。
「それは違います」
「信じよう。だが勝手をして仲間を巻き込むな。自分の身くらい自分で守れ」
 そう言ってトマは去り際に自作の短剣を手渡した。
 言うだけ言ってトマはヴェルトロを誘って飛行機の修理へと向かう。
 ウォルトたちは兵舎の中に簡易の救護所を作って、ジテンを寝かせた。
「勝手をして仲間を巻き込むな」という言葉が耳から離れない。
 それでも昨日からろくに寝ていなかったジテンはすぐに深い眠りに落ちる。
 昨晩から夜明けにかけてフィリップとアークと共に砦まで駆け抜け、休む間もなくつまずきの石を埋め続けた。昼にはバリスタで飛行機を迎撃し、夕方からは丙武の攻城。あわただしかった一日が終わる。
 轟音と閃光でジテンは目を覚ました。ずいぶんと寝ていた気がしたが、外はまだ暗い。
 銃眼から外をのぞき見ると、丙武の後衛四千六百の軍勢が攻城砲で砲弾の雨を降らせている。ジテンが寝ている間に砦は夜襲を受けていた。
 ウォルト率いる剣闘士たちが逆に丙武の前衛千四百を追い散らしている。暴力のサーカス団で見世物として闘い、鍛え続けてきたことは無駄ではなかった。
 剣闘士の多くが亜人であったこともまた、快進撃につながったのだろう。亜人一人分の戦力は人間十人分に匹敵するという説もあるくらいだ。
 特にオークのアンドレイが大活躍している。
 オーク族には悪名高い者も多いが、アンドレイのように武勇伝を持つ者も少なくない。
 ジュード、サンチャゴが存命のころに三人力を合わせて、甲皇国がアルフヘイムに持ち込んだ骨狼を退治したことで名を上げた。
 その二人の弟を失ったアンドレイの戦い方は鬼気迫るものがある。単身敵中に斬り込み、三方を敵に囲まれていた。右手の両刃剣で右側の敵を力任せに叩き潰す。左手の刀で左の敵のみぞおちを突き、肩口まで斬り上げた。返す刀で三人目の敵の頭をかち割り、一瞬で三人殺し囲みを解く。
 死に急ぐアンドレイを見ていられない。ジテンはベッドからよろよろと立ち上がると、トマから貰った短剣を鞘から引き抜いた。よく磨かれた短剣の刃にジテンの顔が映る。短くなった右耳に目が留まった。
 今すぐにでもアンドレイを助けに行きたい。
 だが、言ってどうなる。また足を引っ張るだけだ。
 ジテンは短くなった右耳を戒めるように触り、駆け出したくなる心をこらえる。
 仲間を助けられるほどの力があれば。
 自分にはどうして力がないのだろう。
 年端のあまり変わらないケーゴはちゃんと戦えるのに。
 ケーゴは宝剣を上手に使って、炎で遠くからちくちく攻撃をしている。
 戦線が膠着していることにイラだっていた丙武は、残りの後詰三千の兵をすべて前衛に投入した。
 合わせて四千四百の兵が逆巻く怒涛となって押し寄せた。
 ジテンにはどうすることもできない。心を押し殺し、右耳を触ることしか。
 丙武の戦力の内およそ半数が砦の西側の狭い場所に殺到してくる。
 ちまちました攻撃ではダメだ。意を決したケーゴは三日月の背中の包帯を斬り、最期の封印を解く。
 赤い光が包帯の間から漏れ出し、背を割って竜の翼が飛び出した。さながらさなぎから羽化する蝶のように。
 抜け殻になった包帯を脱ぎ捨て、黒衣の竜人が黒髪をなびかせている。胸元の赤い宝玉の光が次第に落ち着くにつれて、竜人の戦闘衝動は高まっていく。ぐっと伸びをして、ちょんと跳躍すると百メートルは飛び上がった。右手を下に向けると、すぐに魔素が手のひらに集まってくる。右手からおびただしい数の緑色の閃光が繰り出された。密集していた丙武軍団に魔法弾が降り注ぐ。
 死屍累々を見下ろしながら、竜人は右肩を回している。まだ本調子ではないのだろう。
 このままでは戦線が崩壊すると、丙武の参謀マンジは誰か竜人を止められそうな人材がいないか丙武軍団の面々を見渡す。誰も目を合わさず、うつむいていた。三日月の竜人の強さを痛いほど知っているハリー・ハリーなどは脱兎の如く逃げ去った後だった。
 自分が出るしかない。しかたなくマンジは一人、竜人の前に立った。
「ほう、一騎打ちか。面白い」
 うろこのまぶたの中の鋭い目がマンジを射すくめる。
 耐えかねたマンジは大剣を振りかぶり飛びかかった。
 ガラ空きになった胴めがけて緑色の閃光が放たれる。マンジは大剣を右手一本で軽々と持ち、左手のひらの手甲で閃光を受け止める。握りつぶすように手を結ぶと、光球は雲散霧消してしまった。再び両手に持ち直し大剣を袈裟切りに振るう。
 竜人はかわしもしない。重武装でもないのに金属のぶつかり合う音がなり、火花が散る。体そのものが岩肌のように強靭なのだ。
 まともに戦っても勝てそうにない。これは離間の計にかぎると、マンジは竜人に話しかけた。
「おい、竜人。これだけの力を持ちながら、なぜ小僧の言いなりに反乱軍なぞやっている!」
「俺は反乱軍ではない。この千年竜アイギュリー・ディロゴール、誰にも与しない。言われてみれば封印が解かれた今、小僧に従う義理もないか。むしろ宝剣を持つ聖戦士は俺を封印した憎き仇」
 ディロゴールはケーゴをギョロリと返り見る。
「ちょっと待って! 別に俺は聖戦士じゃないって」
 すさまじい殺気に当てられたケーゴは縮み上がって弁明したが、ディロゴールは問答無用で襲いかかった。
 いとも容易く接近され、爪を立てられる。たまたま宝剣に当たったため重傷こそ負わなかったが、その余波だけでケーゴの体は20メートル後方に吹き飛ばされ泥の堀に落ちた。
 ディロゴールは心底がっかりした顔をして、背を向ける。
「本当に聖戦士じゃないのか。興が冷めた」
 それだけ言い残すと、つむじ風を巻き起こしながら千年竜は飛び去っていった。
 泥だらけのケーゴの顔を涙が洗う。災害規模の強さの千年竜を野に放ってしまった。もう取り返しがつかない。
 慢心があった。
 自分は弱いのに。
 宝剣を持ち、ディロゴールを一時使役したケーゴをジテンは眺望のまなざしで見ていた。でもそうじゃない。実際はケーゴも自分と同じ悩みを持っている。
 強くなりたい。
 結局、ディロゴールによって二千二百まで減らされた丙武軍前衛は敗走を始めた。
 ジテンたちは本当に勝ったんだろうか。
 後に中央高地の戦いと呼ばれたこの戦闘は、すべての歴史学者が異口同音に言うように反乱軍の辛勝であった。
 当事者だけが勝ったとは言わない。犠牲と課題の多い戦いだったと。



 人形劇の上演が終わって、ぱらぱらと子供たちが帰っていく。
「これでわかっただろ。俺は何も悪くない」
「どの口が言うのか十万石マンジ!! お前が元凶であること、隠しきれていないぞ!」
 ジテンは鞘をから抜き払った短剣をマンジにつきつけて言い放った。
 子供たちはもういない。チャンスだ。今度こそここで決着をつける。
 殺意の高いジテンにたまりかねて、マンジは人形劇の音響を担当していた詩司を呼んだ。
「ナナヤ来てくれ! お前を解放してやる。ああ、目が見えず耳も聞こえなかったな。シーナ、ナナヤを連れて来い。二人とも開放してやるから」
 シーナと呼ばれた少女が吟遊詩人のような風体の男の手を引いて連れてくる。
「仲間を呼んだところで絶対に逃がさないぞ!!」
「仲間ではない。娘のほうのシーナはヒャッカの侍女として甲皇国に渡らせ、父のほうのナナヤは甲皇国アルフヘイム間の連絡員をやらせていた。二人はヒャッカが甲皇国でどういう目に遭ったかすべて知っている。聞きたいだろ、な、代わりに俺を見逃せ」
 ジテンは短剣を突きつけたまま動けず、とうとうマンジを見逃してしまった。
「卑怯な……」
 どれだけ強くなったって、まだ足りない。心は弱いままだ。もっと強くならねば。
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