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第21章 中庭のパトの木と迷わずの短剣

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 水車小屋からは今日も石臼で小麦がひかれる音が聞こえてきた。
 向かい風が風車を回し、花畑の百合の花を揺すっている。
 フローリアは元来、水と風の多い低湿地であった。
 何事も過ぎれば良くないものである。農業に必要な水と風も多すぎれば害でしかない。
 古来より姫騎士と呼ばれし者たちが、嵐を防ぎ、干拓して、固有魔法による灌漑農業を生み出した。
「他国は神と精霊が与えたもうた土地なれど、フローリアはフローリア人が創った」と言われるゆえんである。
 その誇り高きフローリアの姫騎士が、いまや敗戦の恥辱にまみれていた。親甲皇国派のシェリル・カーゾン以外の姫騎士は遠い僻地の閑職にしか就けない。改装したばかりの居城、百合の館から姫騎士を追い払って、丙武が玉座にあぐらをかいている。
 しかし、お山の大将でいられるのも今日限りだ。反乱軍掃討総司令官というたいそうな肩書きの男が、第一巡視隊と第二巡視隊を引き連れて到着している。軍議を開くためだ。
 丙武は直前まで座っていた玉座をあっさりと明け渡し、反乱軍総司令官ネクル子爵に勧める。おどおどしながらネクルは玉座に座るが、なんら一言も発しない。
 ネクルに代わり、後ろに立って近侍している総司令部付き参謀ダイ中尉が軍議を仕切り始めた。
 丙武はネクルの右隣に立って、値踏みするように注意深く観察する。ネクルは置物のようにただ座っているだけで何もしゃべらない。この男はただのお飾りだ。邪魔にはならないだろう。問題はネクルの威を借りて、好き放題仕切っているダイ中尉という男のほうだ。
「まぬけな反乱軍めは砦に残る者とホタル谷を目指す者に分裂したという情報を得ている。我々は主力をもって、これを各個撃破すべきだ。まずは敵の主力である砦の攻略に……」
 ダイ中尉の専断を遮り、丙武は異を唱える。
「各個撃破はもちろんだ。だが敵主力はホタル谷のほうだろ。ホタル谷方面を先に撃破すべきだ」
「いいや、砦が主力だ。剣闘士の中でも飛びぬけて強いアンドレイという男が砦にいる。砦を攻めるのが先だ」
 丙武とダイ中尉の言い合いに、アルフヘイムの兵を率いている十万石マンジが割って入った。
「では俺がそのアンドレイとやらを暗殺してくれば、ホタル谷攻めに決定でいいな」
 すでに丙武の一の子分になっているマンジは、言うだけ言って百合の館から出て行ってしまった。軍議で時間をロスするよりも、全員を出し抜いて手柄を独占するほうがいい。



 深い色の空の下、子供たちが古砦から中庭に飛び出す。こんな天気の良い日に外に出ないなんてもったいない。
 ウォルトたちの会議がやっと終わったので、さっそくジテンは盲人の手を引っ張って連れ出した。
「さあ、教えてください、バルフォロメイさん」
 ジテンとケーゴが期待の眼差しで急かす。
「フォッフォッフォッ、今日は投擲を教えようかの」
「えーっ。こういうのじゃないんですか」
 ジテンが短剣を我流に構えてケーゴとチャンバラして見せた。
 よく考えたら盲人なのだから見えるはずはない。それなのにバルフォロメイは不満げな顔をした。見るまでもないのだろう。
「二人とも強くなりたいのか、それとも格好をつけたいのか、どちらなんじゃ」
「ごめんなさい。強くなりたいです、投擲を教えてください。できればカッコいいのがいいけど」
 バルフォロメイは中庭の中央あたりまで歩いて行き、広葉樹の幹に手をはわす。
「パトの木じゃな」
「分かるんですか!」
「見えなくても自然と精霊が導いてくれる。幹の感触、芳香、風が葉を揺する音。実がいくつなっているかは分からんがの」
「ひいふうみいの六つ、いや六房です」
「それではそのうち一つの房を指差すのじゃ」
 ジテンとケーゴがそろって指を差す。一番高いところになっている実だ。
 バルフォロメイが戻ってきて、ジテンの指を握った。続いてケーゴの指も握る。
「まだ動いてはならんぞ。フムフム、そこじゃな」
 そう言って手を離すと、木の方に振り向きざまローブの下から一本だけナイフを抜き放った。
 小気味良い音が鳴る。あっと気付いたときにはもう房は五つに減っていた。一番高いところの房がない。根元を見ると枝葉の付いた房ごと落ちて、鈴なりの実がいくつもこぼれ落ちていた。
 使ったナイフを拾って、砦の中に戻ろうとするバルフォロメイをジテンが引き止める。
「確かにすごいけど、これで終わり? もう一回お手本を見せて下さいよ。早業すぎて何が何だか……」
「もう一度見ても同じじゃよ。見よう見まねをすればいいってものでもなくての。何度も繰り返し挑戦してみなさい。房を落とせるようになるころにはきっと強くなっているはずじゃ」
 ジテンたちそれ以上何も教えてもらえなかった。
 さっさと残り五つの房をすべて落として、もっと戦い方を教えてもらおう。ジテンは一番下の房に狙いを定めて、短剣を投げた。
 短剣が根元の土に突き刺さる。房に当てるどころか幹にすら届かない。
 刃が中ほどまで刺さっていた短剣が、何かに押し返されて空中に浮き上がる。そして、ブーメランのようにジテンの手の内に戻ってきた。
 短剣をくれたトマは魔道具を作る職人でもある。この短剣は投げたとき、当たろうが当たるまいが必ず手元に戻ってくるという効果を持つ魔道具なのだろう。短剣ひとつで何回も投げられるのだから、とても便利だ。
「次俺に貸して」
 ケーゴが新しいおもちゃを見る目でねだる。
「ケーゴには折れた宝剣があるでしょ」
「一回だけ一回だけ。宝剣貸すからさ」
 ジテンは宝剣に目がくらんで了承した。
「一回だけだからね!」
 ケーゴは短剣を一度鞘に収めて、なぜか木に背中を向けた。
「確かこうやって、こうだったよな」
 そう言って木のほうに振り向きざま短剣を抜き放つ。
 短剣はあさっての方向に飛んでいって、ぼうぼうに伸びきった芝生の中につっこんでいった。
「ひえええええ」
 という声がして、芝生の中から褐色の女体が起き上がる。どうやらメン=ボゥが昼寝でもしていたようだ。
 芝生から飛び出した短剣がケーゴの手に帰ってくる。
「やっば」
「犯人はお前か、ケーゴ! 当たったら危ないでしょうがー。ちょっとちびったぞ」
 メン=ボゥに怒られながら、ケーゴはいきさつを話した。
「よーし、そういうことならお姉さんが手本を見せてあげよう」
 手本を見せてくれるとメン=ボゥが言うので、ケーゴが又貸しして短剣を手渡す。
 メン=ボゥは切っ先を突きつけるように房に向けて腕を伸ばし、ひじを曲げて短剣を天に向けた。ひじから下だけを動かして振り下ろす。短剣は銃弾のように直進して一番下の房のなっている太い枝に刺さった。房は落ちず、短剣だけがメン=ボゥの手元に戻ってくる。
「だめだめですね」
「もっかいやらせて」
「なんか、もうお姉さんの練習になってるじゃん」
 ジテンは魔道具の短剣がケーゴにもメン=ボゥにも誰でも扱えることにがっかりした。自分だけにしか使えない伝説の武器などではなく、汎用の魔道具でしかない。
 折れた宝剣を借りてみたが、ジテンには扱うことができなかった。ケーゴには扱えたのに。折れてはいるが宝剣は伝説の武器ということだろう。
 誰にでも使えるこの短剣にジテンは命名する。迷わずの短剣。せめて最後には自分の手元に戻ってくるようにと。
 気が済むまで練習してみたが、今日は一房も落とすことはできなかった。
 また明日にしようとジテンが砦の中に戻ると、ウォルトが血相変えて飛んでくる。
「よかった。無事か」
「投擲の練習してただけですよ。どうしたんですか?」
「アンドレイが何者かに殺された。まだ下手人はこの砦にひそんでいるかも知れない。全員固まって行動するんだ」
 この日は皆で広間に集まり、不安な一夜を過ごした。



「砦にこもるのは約九千人。ホタル谷に向かったのはわずか百人程度にすぎない。どう考えても砦が主力だ」
「砦の九千人はほぼレンヌ市民。ホタル谷の百人はただの百人ではない。百戦錬磨の剣闘士だ。どう見てもホタル谷が主力だろ」
 ダイ中尉と丙武はどちらも一歩も譲らず、軍議は長引くばかりだった。
 舌戦を繰り広げる二人の間に兜が投げ入れられる。均衡は破られた。
 投げ込んだのはいつの間にやら帰ってきたマンジである。
 ダイ中尉は兜を見て青ざめた。それはただの兜ではない。兜をかぶったオークの生首だった。
「敵将アンドレイは討ち取った。砦の様子も探ってきたが、ろくな戦力はなかった。後顧の憂いはない。残すはホタル谷ただひとつ」
 マンジの宣言に軍議にくたびれていた将校たちがわっとざわめきたった。
 流れが変わったことを機敏に察知したダイ中尉は、即座に転向する。
「議論を深めるためにあえて砦が主力であると主張していたがもう十分だろう。俺もホタル谷が主力であると思っていた」
 こうして丙武ら残党六千とダーク・ジリノフスキー率いる第一巡視隊六千のあわせて一万二千の兵力を中核とするホタル谷への遠征部隊が結成されることとなる。
 主導権を取り損ねたダイ中尉は遠征先で丙武を監視するため、自ら遠征部隊の参謀に名乗りを上げた。
 丙武、マンジ、ダイ中尉といった圧政者たちがいなくなると、百合の館に残った最後の姫騎士が行動に移る。シェリル・カーゾンは親甲皇国派ではあったが甲皇国のしもべではない。すぐさま館の尖塔に駆け上ると、手動の歯車をゆっくり回して風車の角度を右に10度回転させた。すると館のすぐ北にある風車も右に10度回転する。さらにその北の風車も動きは同じ。伝言ゲームの要領で僻地まで風車の動きが届く。例えば10度ならA、20度ならBのようにあらかじめ文字を割り振って暗号文を送る方法だ。
 シェリルは各地に散り散りとなった姫騎士に、百合の館に再結集するように檄を飛ばす。
 姫騎士だ才媛だと呼ばれても、シェリルは7歳の童女にすぎない。不安が口をついてこぼれ出てしまった。
「私にも守れるものがあるだろうか……」
 甲皇国軍の主力は出払っているが、第二巡視隊六千がまだ駐屯している。姫騎士の数は減らされているし、兵力も少ない。行動を起こすには心もとなかった。仲間は多ければ多いほどいい。今こそ反乱軍の難民を受け入れる時ではないだろうか。
 シェリルは反乱軍総司令官ネクル子爵に難民の受け入れを進言した。
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