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第22章 第二次ホタル谷の戦い

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 砦の広間に結党以来の最古参の幹部たちが集まっていた。ウォルトが晴れやかな顔で報告する。
「今まで本当によくついて来てくれた。皆の頑張りが実を結び、流浪の旅はついに終わる。フローリアが正式に我々難民の受け入れを受諾した。まったく、レビたちももう少しここに残っていればな」
 ホタル谷に向かったレビたちを追って、丙武らがフローリアを出る。その隙に姫騎士が復権して、難民を受け入れた。とどのつまり、難民の受け入れは降ってわいたのではなくレビたちのおかげである。ウォルトはまだそのことを知らない。
 九千人の大所帯の引越しが始まり、忙しさで皆余計なことは考えられなかった。
 私物のほとんどないジテンはそうそうに身支度をすませて中庭へ向かう。今日こそあのパトの実を落とそうと。
 ほんの短い間の仮住まいだったが、この古砦で多くの学びを得た。それを形にしたい。
 ジテンは短剣を構える。ひじを軽く曲げて振り上げ、パトの房めがけて投げ放った。


 一方、フローリアが勝手に難民を受け入れていることを知らない丙武ら反乱掃討軍主力は、古砦の横を素通りして禁呪汚染地帯に侵入していた。
 枯れ木に宿る色鮮やかな果物、白骨で舗装されたかのような間道。干上がりつつある川を渡ると、まばらだった木々は鬱蒼とした森になる。そのどれもが奇妙な植物で見たこともない。
 丙武は臆せず分け入っていく。
 目指す先から小さな光が見えた。この謎の光も禁断魔法の影響だろうか。丙武は光に近づきながら思案を巡らした。敵の武器の類かとも考えたが、金属光沢にしては光りすぎている。宝石、ガラス、いやレンズか。
 丙武は光の原因がスコープのようなものではないかとにらんだが、その場に伏せることはしない。いつでも狙撃できるのにそれをしてこないのは、何か理由があるはずだ。
 例えば反乱掃討軍主力には丙武ら残党六千の他にダーク・ジリノフスキーの第一巡視隊六千と十万石マンジ率いるアルフヘイム人外部隊千余名がいる。指揮系統が分散していて、狙撃者も誰を狙撃すべきか物色中なのかも知れない。
 丙武は狙撃から友軍を守ることよりも、自分だけがつかんだこの情報に使い道がないか考えた。
 そしてお目付役として派遣されて来たデスデッド・ダイ中尉という邪魔者を、一切自分の手を汚さず葬り去る妙案を実行する。
 丙武は狙撃者の方に背を向け、すぐ後から追従して来たダイ中尉と顔を合わせた。二人はしばらくにらみ合う。ダイ中尉はがっしりとした体格で上背があり、筋肉質で大柄な丙武と遜色がない。
 本来は階級の低いダイ中尉の方から先に敬礼すべきだったが、丙武が折れて先に敬礼する。
 自分は反乱軍掃討総司令官直属の参謀だ。ダイ中尉は当然という顔で敬礼を返す。
 丙武の耳と肩の間を風が通り抜けていった。
 ダイ中尉ののどぼとけの下に飛び込んだ矢じりが脊髄を割って反対側から飛び出している。
 ニタリと笑ったままの顔でダイ中尉は絶命。
 丙武は今更のように地面をほふくしながら「伏せろ! 敵の狙撃だ」とようやく友軍に呼びかけた。
「やったか?」
 と言いながらも手ごたえはあった。森に潜みながら狙撃手の竜人、シメオンはすでに弓をしまっている。
 両手がふさがるシメオンの目となり、望遠鏡をのぞいていたレビが哀れにはいつくばる敵を見て笑う。
「ははは。思ったとおり敵は大将さえいなけりゃ烏合の衆だ。丙武を失って混乱しきっている」
 レビののぞいている望遠鏡はトマが甲皇国の望遠鏡を参考に、見よう見まねで自作したものである。
 トマがここにいればきっとこう言うだろうとシメオンは言った。
「本当に死んだのは丙武だったのか? レビは中央高地の戦いに遅参して、丙武の顔を見てないじゃないか。なぜ丙武が死んだと言いきれる」
「元皇国兵のウォルトから聞いたことがあるんだよ。甲皇国では階級の低い者から先に敬礼するってな。あのいばってたヤツは後から敬礼してた。階級の高い丙武に違いない。それにもし丙武が生きていたとしても、十分足止めになるだろ。その間にトマたちはホタル谷にたどり着ける」
 レビの言う通りにはならなかった。狙撃を免れた丙武はすぐに部下たちの混乱を鎮め、レビとシメオンの潜む森に対して迎撃の態勢をとらせる。
 丙武暗殺は失敗に終わった。もう一度狙撃するのは、敵に警戒されている今は無理だろう。それどころか早くこの場を離れなければ、立て直した丙武らに殺されかねない。
 レビたちは森の中をすばやく移動し始めた。
 地の利は我々にあり。かつて英雄クラウス・サンティとともに戦ったシメオンは、敵に見つかりにくいホタル谷までの最短ルートを知っていた。
 が、気がかりなこともある。
 森の木々はこんなに小ぶりだっただろうか。一、二年で環境が変わることはあるかも知れない。しかし木は伸びることはあっても縮むことはないはずだ。これも禁断魔法の影響だろうか。
 その灌木もまばらになっていき、ヤブの中をふたりは進んだ。ヤブすらぷっつりと切れてなくなる。
 朝露でぬれた服を朝日が乾かした。高い山も森もなく、日の出を遮るものは何もない。ただ一面の荒野。
 禁断魔法というものがどれだけの生贄を必要としたか、まざまざと見せつけられた。
 ここまで地形が変わっていては、とても地の利は得られそうにない。この何もないただ広いだけの地平の向こうに、ホタル谷はある。その途上、ふたりが身を隠せそうな遮蔽物は何一つない。丙武らに追いつかれればすぐさま発見されてしまうだろう。
 それでもレビたちは進む。この先には難攻不落の地ホタル谷があって、剣闘士の仲間たちが待っているのだ。
 歩けども歩けども代わり映えのしない景色。どこまでも続いている荒野と開けた空に感覚がおかしくなりそうだ。
 敵が追いついてきていないか時折振り返るが、人影はおろか何も見えない。とうとう前後左右どちらを向いても地平線しか見えなくなる。
 だから空から航空機が近づいてくるのに、音が聞こえるほどの距離になるまで気付かなかった。
「なんだ、あの飛行機。敵か?」
 航空機の方もふたりに気付いて、着陸態勢に入った。
 遮るものが何もない荒野を滑走路にして、車輪が地面をこする。
 整地も舗装もされてないのに、航空機は無事着陸した。
 その航空機がトマが直していたヴェルトロの練習機とわかってから、ふたりは駆け寄る。はたして運転席にはヴェルトロが座っていたが、後の副座には誰も乗っていなかった。
「トマの奴仲が良いからといって、ヴェルトロひとりを遣わすなんて迂闊だ。元捕虜なんだから逃げる心配があるだろうに」
 シメオンはヴェルトロをまったく信用していない。
 レビは楽天的で救助が来たことを素直に喜んだ。
「俺たちふたりを乗せるために副座をからにしてきただけだ。なあ、そうだろ、ヴェルトロ」
「そんなことを言っている場合ではない。早く来てくれ。みんな困っている」
 ヴェルトロの話によると、トマたちはすでにホタル谷に到着した。到着はしたが、そこには何もない荒野が広がっていたという。
「そんな馬鹿な。ホタル谷もここと同じ荒野だっていうのか」
 ひざをついて崩れるレビに、ヴェルトロの厳しい言葉が突き刺さる。
「何が難攻不落の地だ。そんなものは無かった。どうするんだ?」
 何も答えられない。
 精鋭の剣闘士とはいえ、その数は百に満たない。何とか戦ってこれたのは砦にこもって防衛に徹していたからだ。寄るべない平板な土地で野戦をすれば、数で劣る剣闘士たちはたちまち皆殺しにされてしまうだろう。
 まだシメオンはあきらめず、トマたちと合流するため副座に座った。
 いまだショックから立ち直れないレビをヴェルトロが急かす。
「早く乗れ。副座にもうひとりくらいなら乗れる」
「俺は伝説の剣をひきずっているから、乗らない」
 レビの物言いに今度はシメオンが怒りをあらわにした。
「まだそんなことを言っているのか。お前は伝説の剣に振り回されている。仲間が待っているのは伝説の剣なんかじゃ断じてない。剣闘士たちを率いてくれるお前自身だ。剣なんて捨ててさっさと乗れ」
「俺はいい。みんなのところに戻って南に避難させろ」
「お前が戻って、みんなにそう言ってやれ」
「俺はここに残る」
「バカヤロウ!」
 シメオンはレビの説得をあきらめざるを得なかった。時間がない。ヴェルトロはシメオンだけを乗せて飛び立った。
 ただひとり残ったレビはすぐさま元来た道を戻って行く。なるべく時間をかせがなくてはならない。
 ホタル谷の昔日の姿は荒野の中に消えてしまった。要害にはならないし、食料になりそうなものもない。三ヶ月はおろか一日だってもたないだろう。ウォルトとケンカ別れまでしてたどりついたのがこれか。
 レビは自分のわがままに他の連中をつき合わせてしまったことを悔いた。せめて皆が逃げ切れるまで、敵をひきつけよう。
 ヤブのあるところまでたどりついたが、隠れることはしない。潅木のまばらに生えたあたりで、丙武ら反乱掃討軍主力を発見した。
 レビは伝説の剣を引きずりながら突進する。
「丙武! どこだ、勝負しろ」


 アルフヘイム人外部隊を抑えに残し、反乱掃討軍主力は荒野を前進してきていた。丸一日かけてホタル谷北部まで侵出し、日が落ちたため野営している。合流した剣闘士たちはシメオンの言に従いホタル谷の南部まで逃げていたが、明日には追いつかれてしまうだろう。
 今夜が最期のチャンスだった。
 シメオンは望遠鏡を副座に固定した三脚に備え付けている。これで両手を使って弓を引くことができるだろう。
 今度こそ丙武を狙撃する。航空機からの狙撃などやったことはないが一発勝負、絶対に外せない。
 ヴェルトロが運転席に座り、離陸させる。
 夜空に赤い練習機が飛び出した。
 一気に上昇し、左旋回しながらゆっくりと敵の野営地に近づいていく。
 シメオンはヴェルトロのことをいまいち信用できなかったが、ヴェルトロのもたらした情報と運転技能だけが頼りだった。
 その情報とは、丙武は灯火規制を部下たちに厳守させているが、自分ひとりは天幕の外でこっそりタバコを吸っているというものである。
 これが本当ならば、タバコの火を狙って確実に丙武をしとめることができるだろう。
「皮肉なもんだな。竜人の俺が竜狩と供に丙武を暗殺しようとしてるなんて」
 竜狩とは戦中ヴェルトロについた二つ名である。自分の同胞を何人も落としてきた凄腕のパイロットであるから、シメオンはつい悪態をついてしまった。
「あんた、竜人だったのか」
「俺は人間の血が濃いほうの竜人だからな。顔を見て気がつかないのも無理はない。ウロコだって薄いし、ブレスもできねえ。だから弓の腕を磨き、炎の魔法だって習得した。それもこれも甲皇国人をブッ殺すためだ。お前は甲皇国人なのになんで丙武殺しなんかに付き合う?」
「あんたらの捕虜になって、最初は成り行きだった。行動を供にして驚くことばかりだった。アルフヘイム人の反乱だとばかり思っていたが違った。元甲皇国の剣闘士もいればSHW出身の難民もいる。そして甲皇国からもアルフヘイムからも追われていた。世界を敵に回すあんたらに、甲皇国人があとひとりくらい味方になったっていいだろ」
 ヴェルトロの言葉がシメオンに心地よく響く。夜に吹く涼やかな風みたいに。
 まっくら闇の野営地に小さな赤い火が灯る。来るべき時が来てしまった。
 赤い点に向かって、練習機は急降下する。
 煙まで見えた。タバコの火に間違いない。
 するとまたぽつりと赤い火が灯った。緑の火や青い火、黄色い火、橙の火。色とりどりの小さな光が、まっくら闇の野営地を星空に変える。
 禁断魔法によって死滅したかに見えた精霊ホタルたちが帰ってきた。
 シメオンは一度は困惑したがすぐに弓をひきしぼる。最初に着いた火が間違いなくタバコの火だった。他の光には目もくれず、シメオンが赤い火を射抜く。
 外した。
 望遠鏡をのぞくシメオンにだけ見えている。タバコを射落とされた丙武がこちらに拳銃を向けていた。このままでは前の座席に座っているヴェルトロが危ない。
 シメオンは副座から身を乗り出して運転席に覆いかぶさった。
 遠くで銃声が鳴り、近くで破裂音が鳴る。
 ヴェルトロは残る燃料の限り飛び続けたが、仲間たちのもとへは帰れそうもなかった。
 なるべく南に飛び続け着陸する。
 シメオンのかすかな息遣いが聞こえた。
 暗闇の中でヴェルトロが助け起こすと、シメオンの体は血に濡れて薄いウロコを銃弾が貫通している。もう助からない。
「どうしてこんなことを」
「これでいいんだ。運転手が死んでたら、どの道俺も死んでたさ。それに……竜狩を守る竜人がひとりくらいいたっていいだろ」
 そう言い残してシメオンは息を引き取った。
 翌日、丙武ら反乱掃討軍主力は剣闘士たちに圧勝。後に第二次ホタル谷の戦いと呼ばれた戦闘はわずか一日で終わった。
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