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第5章 レンヌ一揆

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「暴力のサーカス団をやっつけた私たちの名声は、いやがおうにも高まった。なりゆきだったんだよ、最初はね」
 ショーコは当時のことを思い出しながら楽しそうに話していたが、しだいに言葉につまって困り顔をしている。
 それもいたしかたない。僕たちの旅路は楽しいことばかりではなかったのだから。
 表通りからちょっと入った通り。安酒横丁と呼ばれる道だ。往来の両脇をうらびれた酒場が軒を連ねている。大人の町も昼間は子供たちの縄張りで、それを当て込んで流しの見世物屋が人形劇を上演していた。封印されていた竜人と対峙する小さな英雄。その二体の人形を操る黒い鎧の男に、僕たちは見覚えがあった。鎧で全身を覆っているので顔は見えない。黒いフルプレートアーマーのほうに見覚えがあったというべきだろう。
「なぜ貴様がここにいる! マンジ!!」
 ショーコの怒気をはらんだ声に後押しされて、僕はマンジにつかみかかる。
 観客の子供たちにハチミツを売っていたピンク髪ツインテの人魚が慌てて止めに入った。
「この人はマンジなんて人じゃないよ」
「その黒い鎧は忘れもしない宿敵、十万石マンジ!」
「い、いやだなあ、お客さん。アルフヘイムには各地方ごとにご当地黒騎士がいるんですよ。きっと別の黒騎士と勘違いしてますって。子供たちがおびえてしまうので、人形劇を見ないなら出ていってくれ」
 おどけながらマンジはいなす。
「子供を盾にするのか!」
 僕は声を荒らげたが純粋に人形劇を楽しんでいる子供たちの手前、矛を収めるしかなかった。
「君たちは誤解をしているようだね。人形劇を見れば俺への疑いも氷解することだろう」
 これはいつものマンジの手口だ。奴のペースに引き込まれてはいけない。僕は騙されないように注意深く人形劇を見ることにした。
「タダ見はダメだからね。観劇するならハチミツを買ってね」
「うん僕わかった。ハチミツください」
 黒いガントレットがエミリオ・ゴールドウィンの人形を操り始める。


 アルフヘイム首都セントヴェリア、ゴールドウィン屋敷の寝室。最も古株の奴隷が来客を知らせる。
「十万石マンジ様がお見えになりました」
 エミリオはおびえきってベッドにもぐりこみ「わ、私は不在だと言って帰ってもらってくれ」と告げるなり耳も目も塞ぐ。
 来るべき時が来てしまった。
 十万石マンジとは亜骨大聖戦という大戦の中で敵味方を渡り歩き三度主を変えた、歴史家による評価の毀誉褒貶甚だしい人物である。
 出身はエドマチ近郊にあるコエドという町で、最初甲皇国丙武軍団の参謀を務めていた。敵方の英雄クラウスに惚れて出奔し、クラウス親衛隊に強引に入隊する。歴史上の名将の戦い方を模倣するのを得意とし、特に好んでクラウスの戦法を真似た。そのため後の歴史家によってクラウスとマンジを混同する誤記が多く、クラーケン新聞のクラウス批判記事はほとんどマンジの悪事をクラウスのものと勘違いしたフェイクニュースである。
 その後裏切ってミハイル3世の下についたときにはクラウス暗殺の実行犯ではと嫌疑をかけられた。クラウス暗殺についてはいまだ解明されておらず、クラウス生存説の根拠になっている。
 さて、話がそれたがとにかく十万石マンジは胡散臭い男だ。エミリオの部下に収まっている今現在も黒騎士の中の人ではないかなどの憶測が飛び交っている。
 その恐ろしい部下が迎えに来てしまった。今日がヒャッカの輿入れの日なのに、新婦はどこにもいない。
 ヒャッカは甲皇国の皇族と政略結婚させるためだけに造られた人工的な精霊樹の巫女である。
 今更自分の奴隷といっしょに逃げ出しましたではすまされない。
 すると計ったようなタイミングで最古参の奴隷の後ろからマンジが寝室に入ってきた。
「居留守を使うなんてヒドいじゃないですか。ヒャッカを逃がしたことがバレてないとでも思っていたんですか?」
 マンジにはなんでもお見通しのようだ。エミリオはただただ驚愕して、質問を質問で返した。
「どうやってここへ!?」
「小間使いが取り次いだ時点で、いるのはわかってました。おうかがいを立てるだろうと思って、小間使いの後をつけて侵入したまでです。さて、今度は俺の質問にも答えていただきましょう。このままではせっかく政略結婚でまとまった精霊国家アルフヘイムとダウ統一甲皇国との和平は破談です、すべてあなたのせいで。どうするおつもりですか?」
 この男は優秀ではあるがなんと恐ろしいことだろう。エミリオは冷静さを欠いて言ってはならぬ一言を言ってしまった。
「助けて欲しい。何でもするから」
「んっ? 今何でもするって言ったよね?」
「えっ、それは……」
 マンジはエミリオの言葉に満足し、揺さぶるのをやめて救いの手を差し伸べた。
「なあに、簡単なことです。俺がこれからする暴動の扇動に目をつぶっていればよろしい。あなたは俺の指示のみ従い、都合の悪いことはすべて民衆のせいになさい。さすれば輿入れどころではなくなり、婚儀はしばらく延期になります。その間に俺はたやすくヒャッカを取り戻してみせましょう」
 エミリオはマンジにすがるしかなかった。この時から主従の関係は逆転したといってよい。
 最初の指示は未回収のアルフヘイムの獲得だった。具体的には鉱山都市レンヌに駐屯している甲皇国兵を追い払って解放すると言う。
「レンヌ占領軍司令ダーク・ジリノフスキー隊長はおおむね善政を敷いていると評判です。邪知暴虐なるフローリア占領軍司令丙武大佐のほうを先に解放すべきでは……」
 マンジはエミリオの意見を最後まで聞かず、一方的にまくしたてた。
「ダークは善政を敷いているから問題なのです。早くもレンヌは戦災からの復興を果たしました。これではまるでダークのほうが解放者だ。人心とは移ろいやすいものです。このまま放置すればレンヌはアルフヘイムから離脱して、遠からず甲皇国の支配を受け入れることでしょう。俺に良い考えがあります」
 鉱山都市レンヌ。大陸南部の安定陸塊に位置し、アルフヘイム随一のミスリル銀の産出量を誇る銀の都である。
 工業化の立ち遅れるアルフヘイムにおいて発展の要になるはずだったが、甲皇国軍に占領されて以来戦後も五年間の租借で駐屯が続いていた。
 駐屯は今までの甲皇国軍と一線を画し軽武装、専守防衛をむねとする巡視隊が担う。巡視隊は軍隊と民間警備会社の中間的な性格で、ハト派の乙家家臣でもあるダークが隊長をつとめることもあって住民との関係は良好であった。
 ところが、ダウ暦458年3月24日レンヌ市庁前に詰めかけた民衆によって暴動が起きる。
 火のないところに煙はたたない。しかし、いくら善政を敷いても占領軍である事実は変えようがなかった。扇動者が「外国人がわがもの顔で居座っている」と民衆を煽れば火のないところも炎上する。マンジに裏で手引きされた一万人の住民たちが市庁舎を仮の本営とする六千人の巡視隊に殺到したのだった。
 民衆とは本来おとなしいもので、銃を構えた巡視隊につかみかかるわけもなく遠巻きから悪態をつくだけ。マンジは業を煮やして後ろからせっつく。
「巡視隊は専守防衛だ。こちらは丸腰だから絶対に撃てやしない。ジャガイモ野郎をレンヌから叩き出せ!」
 民衆は多頭の怪物のようにダンゴになって巡視隊の隊列になだれ込んだ。
 隊長のダークはたまらず、双方に冷静になるように訴える。
「発砲は許可しない、繰り返す発砲は許可しない! レンヌ市民に告ぐ! こちらにはそちらの代表者と話し合う用意がある。代表者を出してすみやかに解散しなさい!」
 目が隠れるほどのボサボサ頭に無精ひげ、兵より頭一つ分でかい大男のダークが、市庁舎二階バルコニーでなるべく威圧しないよう縮こまっている。
 暴動の騒音にまぎれて、乾いた音が鳴った。
 腹部から血を流しバランスを崩してダークの巨体がバルコニーから落ちる。
 兵士たちは恐慌に飲まれた。
 兵士たちは聞き慣れた乾いた音が銃声であることに気づき、民衆が丸腰でないと知る。隊長が撃たれたため歯止めが効かない。銃を持った一万人と接敵したと錯覚し、正当防衛のため発砲した。
 至近距離から巡視隊に撃たれ、丸腰の市民たちはバタバタと倒れていく。腰が抜けてうずくまる者、我先にと逃げまどう者、怒って巡視隊の銃を奪う者。市庁舎前は大混乱に陥った。
 騒乱の民衆を隠れみのにしながら、マンジは我関せずと人探しをしていた。隠し持っていた黄金の銃から一筋の硝煙が立ち昇っている。
 レンヌまでの足取りはすでに調べがついていた。必ず騒動が起こればそれにまぎれこんで逃げようとするはず。子供の考えそうなことだ。
 マンジはハイエナのように舌なめずりする。
 いた。
 人に押されてヒャッカが右往左往している。ジテンが手を伸ばすが届かず、人の波に流されていくようだ。
 ヒャッカの手首をごつごつとした手がつかむ。ジテンの手ではない。
「探しましたよプリンセス。こんなボロはもういらない、これからはドレスを着るのだから」
 マンジはローブのように来ていた白いマントを剥ぐと、強引にヒャッカを引きずっていく。
「ジテンーッ!! ジテンーーッ!!!」
 ヒャッカは叫んだ。ジテンがまだ近くにいることを願って。
 バルコニーから落ちたダークが意識を取り戻し、赤い道を作りながら這って巡視隊と市民の間に割って入る。
「私なら無事だ。やめろ! やめてくれ」
 ヒュンヒュンと銃弾が耳元をかすめていく。誰も聞く耳をもたない。
 たった一人金髪ポニテの副官がかけつけダークを助け起こした。
「我々がレンヌに留まるかぎり収拾はつかないだろう。アンネ・イーストローズ、君は私の代わりに指揮をとって巡視隊をアリューザへ連れていけ」
 ダークから指揮権を委譲されたアンネと巡視隊が去って、ようやくレンヌは平穏を取り戻した。民衆もいずこかに逃げ散ってもういない。
 一人取り残されたジテンの他は遺棄された死体やけが人ばかり。乱暴狼藉の無残な跡、散らばった銃の中に白い何かがはためいている。ジテンはその白い自分のマントを拾い上げて抱きしめた。わずかにヒャッカの体温が残っている。
 まるで最初からいなっかたように、マントだけを残してヒャッカは消えてしまった。
「ヒャッカーッ!! ヒャッカーーッ!!!」
 ジテンは叫んだ。ヒャッカがまだ近くにいることを願って。
9, 8

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