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外の世界で

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 退院直後、翌日以降とかからもけっこう一人で外出していた。
体のしびれが残っていて力が入りにくいが、動かせないことはない。傍目には体の動かしにくさは分からないようだった。

顔の方はケガがまだ治りきっていなかったので、「どうしたの?」と、よく訊かれていた。
変に隠すと家庭内暴力とか夫からのDVみたいなことを疑われそうなので、
閉鎖病棟に入れられて、気がついたら怪我をしていた。殴られた記憶はない・・・と皆にそのままを話していた。
旦那さんにやられたのかと思った〜、と言われた。やっぱり・・・
 おかしな妄想にとらわれていない時は至ってまともなので、「私、キチガイになっちゃって…・」とよその人に話しても「何を、言ってるのぉ〜 そんなことないよー」と、遮られて説明が続かないし、信じてもらえない。
キチガイ行動を見られちゃっても恥ずかしくて嫌だけど…。
記憶を失くしている間に外で変なことしてなければいいけど…・・・
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 記憶の欠落は続いた。
立ってる状態で意識が戻るので気絶でもないらしいしー・・・
座った状態で戻るときは、寝てしまって起きただけかもしれないー…。
そういうのもあったんだろうけど、やっぱり記憶にないだけで活動していることも多そうだ。

知らない間に物が無くなったり、知らないものが増えていたり・・・・・。
物がなくなった!と思っていたのは、自分でしまう場所を変えていたのを忘れていただけだったりした事もあったけど、どうしても思い出せないヤツもある。
なくなったっきり出てこないものが・・・

増えているものは新品なので、記憶をなくした状態で買い物とかもしているようだった。
家に真新しい雑貨とかが増えていると、「お前、どっかの店から持ってきてしまってないだろうな〜」と旦那が言うので、レシートをとっておくようにした。
憶えている部分も、記憶の残り方がどうも薄いように感じたので、ノートに日記のように書き留めておくことにした。
買い物のレシートは、このノートに貼り付けていった。

 当時、このノートは記憶をつなぎ留めておくための重要な物のように思い込んでいて、ノートの表紙には、“見てもいいが、誰も何も書き込まないでください”というようなことをマジックで書いていた。
キチっていた当時の私は、真実ではないことを他人に勝手に書かれて記憶を操作されるのではないか…と、とても不安だったのだ。
「誰が書くんだ〜 見ねぇしー」と、旦那は笑っていたが、私は真剣だった。

自分が何をやっていたのか、何で物がなくなっているのか、増えているのか、解からないのはスゴく怖い。
記憶の欠落が起こるとすごく不安で、
  ーーー覚えている一番最後の記憶はどこかな…・・・
というところからいつも探り始めるのだった。
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多治見リョー 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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