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第一話



 パソコンの前に座って早三時間。
 池田亮は小説を一文字も書けずにぼんやりとしていた。
 池田亮というのは俺のことだ。要するに、俺は三時間もパソコンをつけていながら、小説を一文字も書けずにいたのだ。
 小説を書かずに何をしていたかというと、自分を慰めていた……わけでもなく、新作の小説のために資料集めをしていたわけでもない。もちろん、エロ動画サイトを巡回して今日のおかずは何にしようかと考えていたわけでもない。Youtubeで動画を視聴していたわけでもない。
 では、何をしていたのか? 何もしていないのである。
 小説を書くという作業は、思いのほか難しい。日記を書くために文章をタイピングすることは簡単でも、小説を書くために文字を打とうとすると、途端に指が止まる。
 何も思いつかないのだ。だから指が止まる。いや、何も思いつかないというのは正確な言い回しではない。面白い物語になりそうなアイディアを頭の中に思い浮かべてはいるが、それらのアイディアを「いや、それは面白くないよね」と却下しているもうひとりの自分がいるのだ。


 どんなに良いアイディアを出しても、「いや、それ面白くないよね」と、もうひとりの自分が次々とアイディアを却下していく。
 じゃあこれはどうだと、渾身のアイディアをもうひとりの自分にぶつけてみることもある。すると、たまに「これ、良いアイディアだよね」ともうひとりの自分に言われることがある。俺は安堵する。
 そしてもうひとりの自分に太鼓判を押された渾身のアイディアを元に、小説を書き始める。


 しかしそうすると、大抵の場合、良くないことが起きるのだ。
 もうひとりの自分のお墨付きをもらったアイディアを元に書いた小説は、面白くないのである。もう本当に面白くないのである。桃太郎の昔話が神レベルに思えるくらい面白くないのである。アフィリエイトブログの「○○でした、いかかでしたか?」という文章の方が遥かに面白いと思えるくらいに面白くないのである。


 俺は面白い物語というものを書くことができない。俺にはセンスもなければ、教養もない。面白い物語の元ネタになりそうな面白い人生経験もない。
 それでは、小説を書くのをやめればいいのではないのか。
 俺にそう言い放つ人も世の中にはたくさんいる。しかし不幸なことに、俺は、「面白い小説を書きたい!」と心から願っている人間であったのだ。
 だから俺は面白い小説を書くために日夜奮闘しなければならない。
 しかし、俺は面白い小説はおろか、小説を書くことすらままならないでいたのであった。


「くそぉ……、どうすれば」
 俺は天井を見上げた。小説書きの神様が空からやってきて、誰が読んでも面白いと思えるような天才的なアイディアを俺に授けてくれることを期待した。しかしどうやらそんな奇跡は起こりそうにもないらしい。
「はぁ。がんばるしかないにゃあ……」
 俺は溜息を吐いた。溜息を吐いたからといって、1時間で1万字を執筆できる能力を手に入れることができるわけでもない。だけど溜息を吐けば、「このアイディアってさ、面白くないよね」と自分の意見を否定してくるもうひとりの自分を、頭の中からちょっぴり追い払えるような気がしたのだ。


「はぁ……はぁ……。はぁ……、はぁーっ………………」
 俺は長い溜息を吐いた。これだけ溜息を吐けば、きっともうひとりの自分はいなくなってしまうはずだ。そう思うと、途端にやる気が出てきた。
 何も思い浮かばなかったが、とりあえずキーボードを叩いてみることした。
 そうすると、不思議なことが起こった。なんと、すらすら小説が書けるようになったのだ。


 物語の展開が次々と思いつく。頭の中に思い浮かんだものを文字に起こすと、それらの文字の羅列は物の見事に面白い物語になっていく。
「いける……! いけるぞ……!」
 俺は目にも止まらないスピードでキーボードを打ち続けた。
 画面上に生成されていく文字達が、「面白い物語」を紡いでいる様子がわかる。今書いているこの物語は、きっと「面白い物語」だ。
 言葉にできないような、幸せな気持ちに包まれていた。
「……ようやく小説の神様が俺の目の前にも舞い降りたんだ! 書ける! 書けるぞ! こんなに面白い物語なら、新人賞は間違い無しだ! 大ヒット間違いなしだ! アニメ化も間違い無しだ!」
 俺は叫んだ。小説の神様は、確かに存在したのだ。
 現在執筆しているこの物語を完成させた先に待っている、数多の輝かしい未来を想像した。すると、来たるべきサイン会に向けてサイン練習をしなければならないことに気付いた。


 俺は机の引き出しから黒色のサインペンを取り出した。
 パソコンの右隣りにあった小さいメモ用紙を手に取り、サインの練習をしようとした、その時だった。
「あのー、ちょっとうるさいんですけど」
 振り返ると、赤髪のツインテ―ル美少女が立っていた。
「……どちらさまですか」
 俺はツインテ―ルの美少女に向かってそう言った。
「どちらさまですか、って……? 私はあなたが今書いている作品のヒロインよ」
「えっ」
 ついに自分の頭がおかしくなってしまい、幻覚を見るようになってしまったのかと思った。
 自分の頭をグーで殴ってみる。痛い。
 何度頭を殴っても、痛覚が正常に働いていることは確かなようだ。
 しかし幻覚が見えていることも確かだ。
「どうしたの?」
 赤髪ツインテ―ルの美少女、もとい俺の今書いている作品のヒロイン、星野光(ほしのひかり)が俺に話しかける。
 これは幻聴というやつなのかもしれない。
「ついに俺も頭がおかしくなったのかぁ……」
 俺はそう呟いた。


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