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第二話

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「あのー、ちょっとうるさいんですけど。静かにしてもらえますか」
 後ろを振り返ると、星野光が立っていた。
 星野光は俺が書いている小説のヒロインだ。赤髪のツインテ―ルで、主人公の幼馴染。主人公と同じ高校に通っており、寝坊しがちな主人公を起こすために、毎朝主人公の家にやって来るというテンプレ設定だった。
 テンプレ設定の通り、当然のことながら星野光は小さい頃から主人公に恋心を抱いており、主人公は星野光の好意に気付いていない。


 ――そんな星野光が俺の目の前に立っている。
 星野光は俺が書いている小説のヒロインだ。もちろん現実世界に存在するわけがない。
 しかし、星野光は実際に俺の目の前に立っているのだ。どう考えてもおかしい。
 執筆活動のストレスから、幻覚を見てしまったのかもしれない。自分の頭をグーで殴ってみる。痛い。なるほど、痛覚は正常に働いているらしい。


 それでは、幻覚が見えている理由は何なのか。考察してみることにした。
 面白い小説を書くことができているというこの状況そのものが夢である可能性を疑った。現実離れしているからだ。
 小説を書けないと毎日苦悶し、たまに作品を書き上げたと思えばひどいくらいにつまらない話しか書くことのできない俺が、面白い小説など書くことができるわけがない。
 つまりこれはどう考えても夢である。
 星野光が目の前に立っている件については、恐らく幻覚ということで説明がつくだろう。


「あのー、私の話、聞いてる?」
 星野光が俺に詰め寄ってきた。ほのかにシャンプーの香りがする。
「私に見覚えないの? 星野光、あなたの作品のヒロインだよ? まさか、忘れちゃった?」
 星野光が俺の顔を覗き込むようにしてそう言った。
「……星野光か。もちろん、君の存在は知っているけど……。どうして君がここにいるんだ。君は俺の作品のヒロインじゃないか。現実世界に存在するなんて、おかしいじゃないか」
「あっ、それについてだけどね、あなたに言いたいことがあってこの世界に来たの」
「言いたいこと?」
 俺がそう聞き返すと、星野光は腰に手をあてながらこう言った。
「私が出てくる作品……、つまりあなたが今書いている作品、すっごくつまらないから、なんとかしてって言いに来たの」
「えっ」
 俺はたじろいだ。
「だけど今日のあなたは、なんだか集中モードに入ってるみたいだから、パソコン越しに何度話しかけても、全然話を聞いてくれないんだもん。だから私、この世界にやってきたの」
 星野光は腰に手を当てながらそう言った。


 状況を上手く飲み込めないが、どうやら星野光は俺に文句を言うために現実世界にやって来たらしい。
「はぁ……そうかい。じゃあ今日はどういうご用件で?」
「どういうご用件で、って……? あなた、人の話ちゃんと聞いてた? あなたの作品はなんていうか面白くないから、もっと面白くしてよねって言いにきたの。面白くないんだってば。まだわかんないの?」
「いや、そう言われても……ねぇ……?」
 俺は首を傾げてみせた。こうすればこの場を上手く乗り切れるかもしれないと思ったからだ。
「ふざけるのもいい加減にしてちょうだい」
 星野光が俺の頬をつかんでくる。どうやら俺の口をタコのような口にさせたいらしい。
「わかった……! わかったからそういうのはやめてくれ!」
 俺がそう言うと、たゆんでいた頬が元の形に戻っていく。
 どうやら俺をタコの口にさせるのはやめてくれたらしい。


「まったく、あなたって人は……」
 星野光はふてくされた顔で俺を見つめている。
「というか君って暴力系ヒロインだったっけ……?
「私は誰かに暴力を振るうようなタイプなんかじゃないわよ。でも、あなたが全く話を聞いてくれないから、仕方がなかったのよ。そういうことにしてちょうだい!」
 星野光は声を荒げながらそう言った。星野光のキャラ設定資料に暴力属性を追加した覚えはないのだが、もしかしたらあらゆる設定が相互に作用しあった結果、星野光に暴力属性が付与されてしまったのかもしれない。
「ま、そんなことはどうでもいいのよ。どうでもいいの。本題はそこじゃないの。もっと作品を面白くしてちょうだいって言いにきたの。ほんと、あんたの作品、もうちょっとどうにかならないの?」
「どうにかならないの、って言われてもなぁ……」
 俺は目線を下に落とした。
 星野光の短いスカートからは、細い足がすらりと伸びていた。
「今、スカート見てたでしょ?」
「あっ、ごめんなさい。見てました」
「まったくもう……。ほんと、あんたって人は……。これだから男子は嫌なのよねぇ。男子は24時間エッチなことしか考えられないのかしら」
 星野光は腕を組みながらそう言った。
「いや、わりとそうだぞ。男ってやつは24時間……、いや、精通したその日から24時間エッチなことしか考えられない生き物なんだ」
「はぁ? そんなわけないでしょ。だって私が応援してる髭●ンのさとしくんは、エッチなことばかり考えている不潔な人間なんかじゃないもん」
「いや、そんなことないから。さとしくんだって毎日抜いてるよ」
「ぬ、抜いてる……ですって?! そ、そんな言葉を女の子の目の前で使うんじゃありません! 不潔!」
「あっ、急にお嬢様言葉になったよね。どうして?」
「あ、あなたには関係ないですわよ!」
 ああ、思い出した。星野光はエッチな話を想像するとお嬢様言葉になるという設定があるのだった。……我ながら意味不明な設定である。
 しかしそのことを気付いたと同時に、あることを思いついた。
 もちろん良からぬことである。


「な、何ですの!」
「ひとつ質問してもいいかな」
「へ、変なことじゃないなら言いですわよ。さぁ話しなさいな」
「よしじゃあ質問するね。健全な男子は毎日抜くと言われているのは知ってるよね。
じゃあ抜くというのはどういう意味なのかな? 説明してくれるかな」
「ばっ……ばっかじゃないの! そ、そ、そ、そんなエッチなこと、説明できるわけないじゃないですのー! いい加減にしないと、セクハラで訴えますわよーっっ!」
 星野光の顔はとても赤くなっていく。
 ばたん、と星野光が床に倒れる音がした。
 星野光は顔を赤らめ、鼻血を出して倒れている。
 どうやら、エロ耐性が全くないらしい。よし、これも設定通りだ。
 エッチなことには人並みに興味はあるけれど、エロ耐性はゼロ。人前で少しでもエッチな話になってしまうと顔を赤くして倒れてしまう。
 それが星野光の設定だった。
 星野光には本来そのような設定を付与させるつもりはなかった。しかし、物語を書き進めるにつれ、更に人気を高めるためにはいくつかのエロシーンを挿入せざるをえないと判断を下した。そして、エロシーンから元のストーリーにお話を良い感じに無理矢理戻すために、星野光にはそういう設定が付与されていたのであった。
 具体的には、エロシーンを目にした星野光が倒れ、それを見た主人公やサブキャラクターが星野光を保健室に運び、そこでエロシーンが一旦打ち止めになり、元のお話に戻っていく、という具合である。


 さて。これで上手く話を誤魔化せたかもしれない。星野光もとい幻覚には早めにお帰りいただきたい。
 そして、三十分が経った。どうも様子がおかしい。星野光はずっと倒れたままである。
「お、おいおい……まさか死んじゃったとか……そんなんじゃないよな?」
 星野光の顔に耳を近付けてみる。どうやら呼吸はあるようだ。
「ま、いっか」
 俺は執筆作業に戻った。タイピングするのと同じくらいのスピードで次に書くべき文章を思いついていく。一体何が起きたのだろう……。こんな感覚は生まれて初めてだ。


 それから一時間が経った。星野光は倒れたままだった。目を覚ます気配はない。
 ちゃんと呼吸があるとはいえ、流石に不安になってくる。
「あ、あの星野光さん……? 大丈夫ですか」
 返答はない。死んではいないのだろうけど、まさかこんなにずっと倒れたままだとは思わなかった。
 星野光にエッチな話を聞くと卒倒してしまうという設定を追加したせいでこんなことになるとは思わなかった。
 何だかいても立ってもいられなくなった。こんなんじゃあんまりだ。かわいそうだ。
 とはいえ、どうすることもできなかった。俺にできることはせいぜい倒れた星野光を少しだけ優しくいたわってあげるくらいだ。
 鼻血で赤く汚れた顔をティッシュで軽く拭いた後、毛布をかけた。


 気が付くと俺は、部屋の隅で体を丸くしていた。深い溜め息をついていた。
 天井を見上げた。
 心の中は、お話の都合のために星野光をこんなことにしてしまったことへの申し訳なさでいっぱいだった。


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