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1. Morning suicide

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簡素な住宅街。無人の観覧車。
漠然と人が歩く、スクランブル交差点。

その様な景色は、人の息を詰まらせるには十分であった。 

春の最初期であった。小さな県営住宅。
リビングの中には、炊事をする母親と、退屈そうに小学生男子が、スマホを弄っていた。
「学校行くの、面倒くさいなぁ」
男子はスマホを上下にスクロールしながら、ため息混じりに呟く。母親がそれを眺めた。
「あら、今日は面倒な日?」
「死にたいなぁ」

男子がポツリ、と呟く。
「今日は自殺したい日なの?」
「うん。今日死ぬことにする。じゃあね、お母さん」
「はーい。バイバイ」

母親は手を振った。
男子はベランダに出ると、靴を丁寧に揃えて、柵の上へ登った。
曇天だった。小雨が降り出していた。
「死のう」
飛び降りた。四階程の高さがある住宅から、男子は地面へと落ちていった。数秒の後、コンクリートの地面に叩きつけられた。ドン、という頭蓋骨が割れる音がした。潰れた頭からは熟れたトマトの中身の様な、赤い脳味噌がグニャリ、とはみ出していた。辺り一面、血飛沫が飛び散った。

「今晩のご飯、何にしようかな」
リビングに残った母親が戯言の様に呟く。別室から眠たそうに、父親と思われる男性が目蓋を擦りながら起きてきた。
「おはよう。コーヒー入れてくれ」
「おはようあなた。俊哉が自殺したわよ」
「ああ、そうなのか」

父親は椅子に座り、新聞を広げる。
「自殺申請はしたのか?」
「ええ。さっきスマホ触ってたから、申請してくれてたと思う。コーヒー作るわね」
母親は電気ケトルのお湯をカップに注ぎ、父親の座る席の前に、それを置いた。
「最近肌寒いね。温泉旅行でも行かない?」
「温泉か、いいな。二人で東北地方でも行ってみようか」

母親と父親は楽しそうに喋っている。

「今度の土日に泊まりがけで行きましょうよ。秋保温泉って知ってる?行ってみたかったの。一泊二日で」
「いいな。高速乗れば二、三時間ぐらいか。仕事の帰りにガソリン入れとくよ」
夫婦は仲睦まじく旅行の予定について語っていた。

夜になった。
廃ビルの屋上に、ニット帽を被った不良風の男と、スキンヘッドの男が二人座っていた。
「パチンコ負けたわ」
「いくら」
「六万」
ニット帽の男はビールの空き缶に煙草を押し付ける、灰を捨てて口に戻す。フーと、白い煙を吐いた。
「どうすんのこれから」
「面倒くせえよ。死ぬわ。バイトもかったるいし」
スマホをニット帽の男は取り出した。タップする。『自殺申請ホーム』というホームページに画面が切り替わった。氏名年齢、現住所、マイナンバーなど、事細かに自分の身分を証明する為の入力欄があった。
怠そうな目で項目に書き込みを続ける男は、缶の中に煙草を押し込むと、気力のないダル、とした仕草で立ち上がった。

「申請終わった。自殺しよう」
「あ、ちょっと待って。俺も今日死ぬわ。申請する」
スキンヘッドの男もスマホに項目を書き込むと、二人はビルの屋上から、目眩がするほど眩い、人の群れが散乱する繁華街を見下ろした。
「靴揃えなきゃな。道徳の時間で習ったね」
「あー、うん。習ったね」

二人は柵を乗り越えた。
「はいご苦労さん。来世でも元気で」
「はい。お疲れ様」
二人はビルの屋上から、飛び降りた。

『人間の生死に関する尊厳。自らの人生が幸福でないと感じた場合、国民は自殺することを国が認める。その際は、国への通達が必須である。自らの尊厳に依って自由に生死を選択せることができ、それらの事象を政府及び外部者が干渉する権力と権利を持たない。』

『感情的、自己勝手な理由で他人の自殺を妨害した場合、その者に懲役刑を下す。』

朝が来た。
小鳥が囀る。小さな一軒家があった。
何の変哲もない、至って普通な内装である。炊事場と大きめのソファー。敷かれた茶色い絨毯。ソファーの前には木造の年季の入ったテーブルが置かれており、テレビがニュースを伝えている。
『本日は昨日とうって変わり晴天となりますが、そろそろ花粉が飛び交う季節です。外出の際にはマスクを忘れずに着用することをお勧めします...』

40代前半近い女性が、ソファーに座りながら、温かい紅茶カップを片手に持ち、肘をつけながら、ニュースを眺めていた。
『では自殺される方も生きられる方もお元気で。以上、セブンモーニングでした』

その女性は高橋頼子と言う名前だった。髪の色は焦げ茶色。セミロング。一児の母である。特筆するべき様な事は何もない、至って平凡な、また、その平凡をありがたがっている、どこにでもいる様な普通の母親であった。
「母さん」
奥の一人部屋から少年が出てきた。黒髪の襟足の長い少年。学生服を着ている。高校生の様である。
「学校行ってくる」
「昌弘、朝ご飯は?」
「途中で食う」
少し慌てた様子で、昌弘と呼ばれた高校生は登校の準備を進めている。
「車に気をつけなさいよ。いってらっしゃい」
「うん」

昌弘はリビングから玄関に向かった。パタンと扉の閉まる音がする。頼子はまた目線をテレビに戻し、チャンネルを切り替え、眺めていた。少し時間が経つと、また一人の男性が、髪の毛を撫でながら、気怠そうにリビングに歩いてきた。スーツ姿にネクタイの男だ。
「おはよう頼子」
「おはよう誠治さん。朝ご飯テーブルに置いてますよ」
誠治と呼ばれるこの五十代の男性は、頼子の旦那であり、昌弘の父親であった。一家の大黒柱らしく、勤勉に働くサラリーマンである。
ソファーに座った誠治は、皿に盛り付けられたトーストパンと目玉焼き、キャベツの千切りを、黙々と食べ始めた。
「最近仕事はどう?」
「ん?仕事?...ああ、地方で中学校のコピー機を全部新品にする契約を進めててな。今日も忙しくて仕方ない」
「大変ね」
「まあ、部下が一生懸命動いてくれてるからな。...そうだ頼子、今日友達と食事会があるんだろ?」
「覚えててくれた?」
頼子は微笑む。
「ほら一万。楽しんできてな」
誠治は財布から一万円札を取り出して頼子に渡した。頼子は嬉しそうに受け取る。
「ありがとう」
「今日は帰り遅くなるからな。先に寝といていいぞ」
「帰ってくるまで起きてるわよ。頑張ってきてね」
それから数分の後に誠治は家を出た。
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