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「パソコンルーム」(2020/09/16)

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 矍鑠な老人は、骨と皮と筋張った手で僕の手を強く握り、「あの子が大人になるまで見守ってやってくれんか」と言う。
 見守るというのは険のない穏やかな言い回しで、春の日の白詰草の戴冠ごっこを思わせるような優しさをまとっているように思えるが、その実は『自分の意思で死なないよう(自殺しないよう)見張っておけ』、ということだった。
 
 パソコンルーム。
 学校の中では一際異質感を放つ教室の一角。エアコンの無い教室が未だある中で、黒いカーテンに閉ざされたここだけはひもすがらパソコン達のビオトープが形成されているため、体温と同じ気温の灼熱の中を彷徨ってきた達は誰しもここに辿り着くと相好を崩して言う、「天国」。
 そして僕の右隣の席に座る藤ノ木奈多。彼女はその天国を地獄に変えてしまう天才。
 にたぁ~と笑って、「柚須くん、ここの操作どうすればいいか分かる?」
 パワーポイントを使って自分の好きなものを紹介する授業。なにか悪巧みでも考えてるんじゃないだろうな、と恐る恐る使っていたマウスを握って操作を教える。
 「ありがとう」
 彼女の作っているのは女の子らしく洋菓子の作り方のようだ。礼を言われ、何事もなかったとほっと胸を撫で下ろして四人座りの円卓の自分のパソコンに戻って作業に戻った。
 授業の終わりも近づいて、「次回も続きをするから作ったものを各自の共有フォルダに入れるように」。そう痩せぎすに眼鏡の技術教科の先生が言うので、出席番号順に並べられた最後にあたる30番目に格納。六時間目、今日も大過なく一日が終了……、と思っていたら、背を後ろにしている小竹が耳打ちしてきた。
 「柚須のファイルに『柚須くん大好き』ってタイトルのテキストファイルが入ってるぜ」
 それを耳にして青ざめ血が引いていく感覚。すぐにパソコンに向かい自分のフォルダにアクセスする。たしかに自分が作品を保存した後にそれが作られたことを更新時間が物語っている。
 クリック――、削除。
 『削除できません。ほかの人またはプログラムによって使用されています。』
 エラーコード。
 そう来たかー……。
 視線を横に逸らす。パソコンのディスプレイで顔が隠れているものの、抱腹絶頂の笑みをした藤ノ木の顔がそこにはあるはずだ。
 「誰だー。こんなことしたやつは」
 呆れ声で教師が言うので、クラスの全員に知れ渡ったということなのだろう。
 クラスのお調子者の内田が走り回りながら女子のパソコンを確認していくから、背がずずずと冷えていく。
 「藤ノ木さん、一応、画面見せてよ」
 「いいよ」
 誰にでも受け入れられるという一種の才能を持ち、どんな扱いを受けても怒るでもない、一見するとこの世の中に調和しているように思えるのに、彼女の中身はどす黒い破滅主義者だ。
 「うわっ」
 内田がそんな声を上げるからなになにと、藤ノ木さんの周りをクラスメイトが取り囲む。
 終わっちゃったかー、と目を瞑って首を振り観念する自分。
 「この、『柚須くん大好き』ってテキストファイルがさ、三つになってんだよ……」
 「は?」
 左隣に座っている東犀川が申し訳無さそうに横から口を挟んできた。
 「いやごめんごめん、俺も参加したくなちゃって」
 東犀川と会話をしたのは先週あったかどうか、それも授業の一場面で能動とは関係のないところだったのに、ワックスで髪をツンツンにした野球部の男はどういうつもりなのだろうか。だが、とりあえず助かったことには変わりない。
 「ちぇー、つまんねえ。じゃあもうひとつは二鳥さんか」
 私してないけど……と、目の前に座る二鳥さんは消え入りそうな声で言ったが、もうすでに他の人は関心を失っているようだった。
 予鈴が鳴り、各々が何事もなく教室の外へ向かっていく。
 最後に藤ノ木と僕と、先生が出た。
 「いちゃいちゃするのは結構だが、ああいう揉め事はよしてくれよ」
と言いながら、教室の鍵を閉めて間を通り過ぎる。
 「そうだぞ」
 とりあえず責めてみる。
 「じゃあ罰してみる?」
 「どうしてそうなるんだよ……」
 彼女が手を差し出すから、僕はそれを握るしかない。離すことは許されないんだ。
2, 1

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