トップに戻る

<< 前 次 >>

5月

星の煌めきみたいな朝が僕の目に飛び込んで歌を唄う。こんな朝焼けは久しぶりに見たような気がするし、実の所はそうでもないかもしれない。でも、今の僕の心を砕くには十分だ。子供の頃に手に取ったリンゴの、猩々緋と黄丹をぐちゃりと混ぜたような色の雲がメロディを奏でて、僕を知らない土地へ追いやる。「そこは端だから」と。

いつの間にか5月になっていた。4月は嘔吐と胃痛で七転び八起きだったから、今月は無条件で楽しい日々にしたい。街がそれを許すかどうかは知らないけれども。最近の僕は内省的で、日記というよりも詩を書いている気分で、どうもパっとしない。散歩をしようにも雨立屋が仕事をしすぎで外に出ようがない。春は修羅の日々で、夏の魔女が恋しい。

どこどこまでも行けるのなら、できれば近くにして欲しい。帰る手間が省けるから。遠くに行くっていうのはとどのつまりそういうことで、色々と不便。そこで腰を据えて、世界に立ち向かうなら別だけれども。
今日も外は雨。朝食にジンを飲んで、ただただボーっとする。天井や外を眺めてるだけでは暇なので音楽をかける。ムラヴィンスキーが指揮するショスタコーヴィッチが好きだ。彼の解釈は身に寄っている。カラヤンは音そのものに寄っている。と思うけれども僕がああだこうだ言ったって本質は変わらない。そして嘔吐。嘔吐が僕の仕事だから。
この世は絶望するには美しすぎる、とか誰かが言ったけれども、絶望するには僕が薄汚すぎてその価値がなくて困る。君のその深き企みによって僕を頭上の彼方の鳥から覆い隠せば世界は美しく存り美しくなく存り価値判断の基準をどこに置けばいいのかと、街角の蟻さんに話しながら困ったふりをする。ここが底なら全てが天辺で何も言うことはないのだけれども。
71, 70
軌道衛星上にある景色が僕に静かにしていろと語る。朝餉のウイスキーと、昼餉のウォッカが効いている。胃の底から外に出せと喚いている。つまりは吐き気で。僕は「そうはさせないぞ」と迎え酒をする。こうすれば彼らはちょっとの間落ち着くわけだ。
数日ぶりに外を散歩する。雨で街の光景はまた変わったらしい。知らない道を歩くのは楽しいし、いつもの道をフラフラとうろつくのも楽しい。晴れ渡る空は僕のためで、道ゆく彼らのためでもあるだろう。太陽自身はそう思っていないだろうけど。
ちょっと歩いたら晴れだからか雨乞い屋が泣いていた。お前のせいで僕の部屋にはカビが生えるんだと喚いてから、小銭を渡した。彼は「ありがとうございます。明後日は雨ですぜ」とか言ったけど余計なお世話だ。
酒場のカウンターでウイスキーを何杯か飲んでいると、横の奴らが煩い。話は聞いていなかったけれど、とにかく雑音。イライラして「表に出ろテメエら!」と言うと、4人出てきた。全員素手なのは嬉しいことで、1人目の胸ぐらを掴んで思い切り頭突きをして膝を見舞う。2人目のスネを蹴り上げる。そして喉にパンチ。3人目に胴タックルをして持ち上げて、後ろの奴ごと壁に挟んでから耳を摘んで降ろしてやる。そのままそいつを人質に取って壁にもたれた4人目にまだやる気かいとカッコよく決める。
運動をしたら胃の中のものがせり上がってきた。喧嘩なんてのは健康に良くない。アルコールが身体中に巡るし、負けたらボコボコにされる。まあ、僕は負けないけど。嘔吐と共に夜明けを待とう。
また今日も酔っ払っていた気がする。記憶がないのはいいことだ。人生は物ごとを覚えていると余計なしがらみが大きくなりすぎる。貧乏ゆすりは止まらなくなるし、お酒の量もどんどん増えてしまう。
死ぬのであればゆったりと死にたい。死をその瞬間に自覚するほどに。ハイデガーが死は生の範疇の外がわにある、とか偉そうに言ってたけれども、ゆっくりと沈んでいけばそのときは一瞬だけ訪れるんじゃないだろうか。眠りに落ちるあわいの、その曖昧な部分をぎゅっと掴むように。
南の星の煌めきで正気に戻って、何かを今か今かと待ち望む。どこかの水面はいつの間にか土になっていて、水は流れないそうだ。それはとても悲しいことだろ思う。でもいつかは何もかもが風化して、洪水が起こるんだろう。全てを巻き込んで。
「燃えないと、輝くことはできない」。敬愛するあるミュージシャンが、この言葉を枕元に書き残して心臓発作で亡くなった。僕は燃えれないし、輝くこともないんだろうと思う。柔らかな機械や、夢博士がケラケラ笑って皮肉を言う。
音楽はとてつもなく美しい。言葉にできないほどだ。ウィトゲンシュタインなら、「彼らのスタイルがある」とか言うだろうけど、音楽は語り尽くせない。僕は生きてる間それを追求するだろう。
73, 72
最近は内職が忙しくて言葉を紡ぐ時間がなかなか取れない。前は夜を紡いでいたけれども、最近やっているのは今流行りの皮肉屋で、飲み屋とかで調子に乗ってる人がそれ以上調子に乗らないように小言を言うお仕事だ。これはなかなか微妙なポイントで、言葉が過ぎると相手はへそを曲げるし、婉曲過ぎると相手は皮肉に気付かずさらに調子に乗ってしまう。ほどほどのコミュニケーションってものは言葉や身振り素振りだけじゃなく、その裏まで見る必要がある。

仕事を終えて薄ら寒い暗がりの中をゆっくりと歩いていると時折、変なモノが見えることがある。いつも僕の後ろをつけている獣なんかじゃないし、よく部屋に現れる幽霊なんかでもない。何かはわからないけれども、そこにあるモノ。僕の中にだけあるのかもしれないし、僕の中にも存在すらしないのかもしれない。ただ、そこで現象する以上僕の方からそれに話しかけているわけで、結局は在るんだろう。有ることと在ることの違いは、ちょっぴりだけど大いな隔たりがあって難しい。

以前も書いた記憶があるけれど、こうして文字を書いたり、横になったりできるだけでも世界への大きな勝利だ。僕は善人じゃないし、たぶん悪人でもない。中庸ってのは極端より遥かに難しい。少なくとも大酒を毎日煽って、朝酒で宥めるのは普通じゃないと思う。ほどほどの生き方にこれからも苦労していこう。本当に普通な人なんてどこにもいないんだから。
僕がいなくても世界は巡るわけだけど、一方で僕がいないと世界は存在せず現象しない。量子力学とかそういうよくわからない分野では観測者っていうのが重要らしいけど、現象学や知り合いがやってる魔術でも同じことで、見ることと見られることの共犯関係が必要だ。例えば、見られない絵画や聴かれない音楽がただ世界に存在しても意味が与えられず、見たり聴いたりする存在者が必要ってところだろうか。間違えてるかもしれない。存在者には時間と空間があるから、それが世界の厚みや色彩で、意味を重ねていくと言ってもいいのかもしれない。これも間違えてるかもしれない。
こんな風に、真面目に考えても意味のないことをたまに考える。世界には真実はなくて、解釈だけが存在するって言ったのはプロイセンだったかの偏屈だ。個々の解釈しかないなら、全ての人が自分なりの真実を握っている。そして真実と真実同士がぶつかり合う。全てが真実だから妥協はできない。生き死にを賭ける以上の闘争だ。こうして人々は永遠を求めて永遠にそっぽを向く。世の中は難しい。
僕は僕なりの基準を持っていて、色眼鏡で世の中を見ている。あるいは薄ぼんやりと酔っ払った頭で。これも一つの真実で、そう俯瞰して言うことも、これを書くことも色眼鏡のひとつで、僕は僕を越えられないけれどそう考えて自覚するだけでも何かへの一つの挑戦だ。
ああ、まわりくどい。哲学者はこんなことをもっともっと捻じ曲げて考えているんだから大変だろう。
75, 74
ある試作品の僕の肌に花々が咲いて彼は食卓の間を通る。
いわゆる強かな法則は可憐に証拠を消し去る。
また3日ほどシラフでいる。やっぱりお酒を飲まないと調子が悪くて、どうも頭に薄ぼんやり膜か何かがかけられた気分。アルコールがある状態に順応しすぎて脳みそがエラーを吐いているんだろう。ただ体の方はとっても調子が良くなるからどちらを選ぶかは考えものだ。
あるいはいつも酩酊しててマトモに物が考えられなくなっていて、たまに頭がスッキリすると世の中の情報量を処理しきれていないのかもしれない。

結局眠れないし夜明けの布地をゆっくり紡いでいると、夜と朝が交差して自分自身が分からなくなる。夜の布地の裏側は朝で、糸が交差する場所は黄昏だったり東雲だったりする。綴織のように、この間に僕は存りたい。誰かと何かとが交差する中間点の、さらに間に。

5月の朝はどこまでも透き通って、そこに在るってことを感じさせないほど。世界の隅々までを季節が照らしている。ぬるりとした風が頬に触れて、霞がかった空からは梯子が降りる。世はすべてこともなし。
77, 76
乳白色の空が西を向いて僕の気分をどんよりとさせる。
藍色の空ならその日は舞い上がるような気分で、外へ外へと心が前に向かう。
雨が絹糸のようにしとしとと降れば僕の気分も地に落ちて。
そして、彼らのことはよくわからないけれども月明かりは疲れてしまう。
僕の数少ない友人のルーシーはいつも空に浮かんでいる。時には近くで、時には遥か遠くで。たまに話しかけて「今日の気分はどう?」なんて言うと、「まあ、こんな感じ」とか言ってすぐにフヨフヨと飛んでいってしまう。箒も使わないから何かの術式なんだろうけれど、空を飛べるのは素直に羨ましい。僕もどこかへ飛んでいきたい。
僕の髭は伸びきって、だんだんと生きるのに支障が出てくるほど。髪の毛はもっと長いしボサボサだ。もうじき切ったりしなければとは思うけれど、思ってるうちは行動に移さない。
ふらふらと歩いて言葉が生まれない街角で何かを探す。探すことが目的だから何も見つからなくてもいいけれども、何かが落ちていたら尚のこといい。何だっていいけれど、できれば価値あるものがいい。そんな何かがあればの話だけど。
79, 78
海の水は全て魚たちが流した涙らしい。最初の魚は陸から延々と涙を流して、自分の領地を作ったという。大粒の涙が川に、海に、雨になり、そして世界を覆い尽くす。こうして世界が出来上がったっていうのが最近の学説で、僕らは魚たちに感謝しなければいけないのかもしれない。
今日は快晴だったけど、僕の周辺だけ雨で。これは誰かに呪われたのかもしれない。ただ晴々とした日差しの中で雨に濡れるのは想像以上に楽しい気分。そうして雨に唄いながら歩いて一日が終わっていく。
ひたすら回廊を歩けば手すりの下は拓けた海で吸い込まれそうになる。魚たちの海へ。晶魚か、死魚が生み出した水たまりへ。
こんな風に今日もまた散歩。アクセントはウォッカで、上等な蒸留所のものだから錆味もしない。今日を象徴するような透明なお酒で一日を消していけば、単純な日々が彩られる気がする。
80

わこう 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る