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異香の瓶

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 何かから逃げるように、人の気配のしない静かな図書室へ入ると、すぐに本のにおいに包まれます。
司書のいないカウンターの横を通り過ぎて、濃いブラウンのぎっしり並べられた本棚の合間を
縫うように進み、
窓のそばでゆっくりと本が読めるように用意された、長方形のシンプルなテーブルと
ガブリオールレッグの椅子が置いてあるほうに向かいます。
 窓と向かい合うように真ん中の席にどすんと座ってうなだれ、3人の共通点を探してみたり、
人違いであることを証明するヒントがないか思い出しても、混乱しているのか何も思いつきません。
ぱたぱたと窓に雨粒が当たって薄暗い図書館に響いています。

「どうして…」
「おい」
「ひっ!あいた!」

 奥から聞こえてきた声に、驚いて手をテーブルにぶつけます。
顔を上げて声の主を探すと、部屋の奥のほうに行儀悪く脚をテーブルに乗せて
膝の上に本を広げながら、こちらを見ているイグジクトがいました。
そばには、4冊も分厚い本が積んであります。

「ぜ、全然気づかなかった…」
「私は全くこっちに気付かないからびっくりした。」
「すみません…」

ゼルはぶつけた手をさすりながら椅子に座りなおして、イグジクトのほうに身体を向けます。

「随分と切羽詰まった顔をして珍しいな。どうした。」
「あの…今日、同じ質問が、3人もしてくる人が…いて、あれ」
「文法を忘れるくらい混乱しているのもわかったし、なんとなく伝わった。」

 ふん、と鼻で笑って本にしおりを挟むと、ぱたんと閉じて積んである本の上に重ね、
どうぞ、とでもいうように手を差し出します。
ゼルは少し迷いましたが、イグジクトをみて話し始めます。

「”帝国に行かなくていいのか”と今日街やお城で3人に言われたんです。
 そう聞いたからとか、緑の目だから、とか、言わなきゃならないと思ったとか…
 偶然にしてはちょっと変な質問だと思って。」
「ほぉう?」

 イグジクトが珍しく目をまん丸にすると、そのまま顎に手をあてて思考をめぐらせはじめます。
雨の音がだけがこの図書室をつつみます。
少しして、ふむ、と納得したように小さくうなずくと、

「しばらく色々な人から聞かれると思うが、気にしなくていい。」

と一言言い切って、また積み上げられている一番上の本を手に取って読み始めてしまいました。
ゼルは豆鉄砲をくらった鳩のような顔をしましたが、なんとなく安心した顔に変わります。

「そうですか」
「別に襲い掛かってくるわけじゃないのならいい。でもしばらく夜は出歩くなよ。
 …いや、もともとお前は出ないか。」
「…わかりました。」
「ディナーまで部屋でビクビクしていればいい。」


こちらに見向きもせずに、口の端だけあげて笑いながらそういうと、
すぐに本に没頭し始め、ぺらりとページをめくっています。

「…ええ。」

 小さく返事をすると、ゼルは無言で目を伏せて黙ってしまいます。
 ふと、脚がふやけたような感覚で、靴がひどく濡れてしまっていることを思い出します。
靴を変えに行こうと気持ち悪さを抱えながら立ち上がって、椅子をテーブルに差し込み、
こちらを見もしない相手の邪魔をしないよう、小さく会釈をして背中を向けます。
もちろん特に反応はありません。
歩くたびにぐしゃぐしゃと音がして、なんだかちょっと気恥ずかしくなります。

 図書室を出ると、お城中がしっとりした空気でいっぱいで、
曇りのぼんやりとした明るさに包まれながら自分の部屋に向かいます。
雨は、お城に戻ってきた時よりも少し、強くなったようです。

 自分の部屋のドアをあけると、すっかり薄暗くなっていました。
パチリと机の上のランプを付けてチェアに腰掛けると、
雨をたっぷりと含んだ靴と靴下引っ張るように脱ぎ、
裸足の足にひんやりとした空気を感じながら、湿気を振り払うようにパタパタさせて、
ふとランプの横にならべた本を見ます。
 昔お城に来た時に、マージュからはミステリー、
イグジクトからは天体についての本をもらいました。
ミステリーは楽しく読めたのですが、天体の本は専門的で難しく、
途中までしか読めていなかったことを思い出します。
なんとなく”惑星と恒星”と書かれた本を手に取って開いてみます。

  星は大きく、惑星と恒星に分かれています。この二つの大きな違いはなんでしょうか。
 恒星は自ら光を放ちます。また、位置が変わらないのも特徴です。
 代表的なものは太陽ですが、ほとんどの星は恒星といえます。
 この本では、星について、面白く解説しています。
 …そこからゼルは、宇宙でふわふわと漂う自分を見ている夢を見ました。
すっかり、本を開いたまま机に突っ伏して眠ってしまい、
なかなかディナーに現れず心配したオルガが、部屋に呼びに来るまで目が覚めませんでした。























40, 39

  

「す、すみません、遅れました…」

数日ぶりに円卓の全員集まったグレートホールに、息を切らしながら登場したゼルは、
これでもかというほどに冷や汗をかいています。
 
「かまわないよ、珍しいねゼル。さあ、座って食事を始めよう。」

 相変わらずディルトレイは微笑んで出迎えてくれ、
ぎくしゃくしながら本を読むマージュの隣に座ります。
キシェはもう食べ始めていますが、他のメンバーの食事はまだのようです。
粛々と食事が運ばれてきて、いつものようにお祈りの言葉があって、それぞれ食べ始めます。

「元気?ゼル。」

 王の隣に座っている外交のシーシアが、穏やかな笑顔でこちらを見ます。

「はい、シーシア様…あ、マージュ様とお土産のお茶、頂きました。」
「ああ、グリーンティね。さっきマージュからも聞いたよ。おいしかった?」
「もちろんです。」
「そう、それはよかったわ。」

 嬉しそうににこにことしています。
パンツスタイルで国やラボを歩き回るマージュやカヨと違って、
シーシアはパリッとしたローブ・ア・ラングレーズのドレスとハイヒールで国々を渡り歩く、
赤毛の華やかな桑年の上品な女性です。
王の次に長く円卓として就いており、国民たちにとってはあまりなじみがない立ち位置では
ありましたが、国交を司っていることもあり、ディルトレイもかなり頼りにしている様子でした。

シーシアとゼルの会話を穏やかに見守っていた王が、
一呼吸おいて口を開きます。

「さて、諸君食事をしながらでもいいので聞いてほしい。
 我が国に忍び込んだ少年にもかかわる話だ。」

 側近は思わず、食べるのをやめて固まります。
外交と男騎士も食べるのを一度中断しましたが、
他の3人はペースを変えずに食事を続けていました。

「結論を先に伝えると、少年は薬を飲んでいて、
 この薬は帝国の兵士に使われているものと同じであることもわかった。」
「兵に薬?」

 男騎士は思わず質問すると、王は静かに頷きます。

「薬はどのようなものかな?キシェ。」
「あのね!むぐ!」

 博士が食べながら喋ろうとしたところ、隣の外交がぐいぐいと口を拭いてきます。
綺麗に拭き終わると、いいわよ、と小さく声がしました。

「んとね、薬、薬はね、ちょっと麻薬みたいな感じで中毒性があって、
 あとは傾眠作用を確認したかな、傾眠ってね、頭をぼーんやりさせるってこと。」

 大きな身振り手振りで、一生懸命に伝える姿を、全員、一言も発さずに見ています。

「多分だけど、まだ検証しきれてないけど、けど、ぼくが知らない成分も入ってて、
 類似成分を調べてみたら、蜂毒みたいな、有毒性があるみたいだった。
 きっとこれが少年の血液中に混じって、
 イーギルに即時型のアナフィラキシーショックを起こさ…
 あ!ソルベが黄色だ!レモンかな!」

 博士の元に口直しのソルベが運ばれてきて、夢中で食べ始めてしまいます。
それを見た王は困ったように笑い、そのまま続けました。

「イグジクト、午前中にシーシアと私と一緒に出した結論を、
 薬についての仮定も含めて説明してもらっていいかな。」

 静かに食事をしていた王子は、びくりと肩を跳ねさせます。
持っていたシルバーを置くと、口をナプキンで拭いて、
飲み込みきれなかった魚で頬を膨らませながら、

「キシェの実験で、薬を摂取した後のマウスが翌日動かなかったり呼吸困難を起こした。
 あえて正しい処置ではなく、再度同じ薬を飲ませると、症状は快復したようだった。
 だがまた時間が経つと苦しみ始める。
 これによりその薬が”体調不良に効く薬”であり、
 ”体調不良を引き起こす原因”でもあると考えられる。」

 まだ口の中に残った料理をゆっくり咀嚼して少し考えるような間があきます。
そばにあった水で流し込み、軽く咳ばらいをします。

「麻薬のような成分と傾眠作用があることから、
 洗脳やマインドコントロールが可能であると仮定する。
 操りたい相手に薬を飲ませて実行させたいこと
 …例えば、兵士に皇帝の命令は絶対だとか、緑の目を探せとかを刷り込み、
 頭痛や呼吸困難を起こした際に、再度薬を服用させる。
 繰り返すことにより自動的に依存させ、なおかつ薬の効果を継続させることができる。」
「帝国兵を統率できる理由は、薬…。」

信じられないというように男騎士が眉をひそめ、少し前のめりになります。

「しかしそんなものを、どうやって手に入れたのです?」
「目の前で倒れた帝国兵に薬を飲ませようとしたときに口からこぼれたものを、
 たまたま私がハンカチで拭いたの。
 …薬は当たり前のようにポケットから出していたから、ちょっと変だと思って、
 王への報告の手紙と一緒に送っていたのよ。
 …すぐに取り出せるように持ち歩いているということは、きっと普段から常用しているのね。」

外交が優しい顔のまま答えると、男騎士が険しい顔でぽつりとつぶやきました。

「依存させ、操作できる薬か…」

 きっと彼には、”薬で操っている”という印象が非人道的に感じたのでしょう。
王はその表情を見て続けます。

「非常に甘い香りのする薬で、先般の少年からも同じような甘い香りがしていた。
 成分解析からみても初めにもいったように、この二つは同じ薬だ。」

 側近は、あの少年もそうして洗脳され、誰かのために甘い香りをさせながら
ボロボロになって野垂れ死んでいったのだと思いました。
沈痛な面持ちの側近を見ながら、外交は静かに話し始めます。

「私が帝国へ訪問している限りは、皇帝の様子に特に変わった様子は無かった。
 風車を登った少年、唐突な第一貴族の訪問。
 何かを企んでいるのは貴族側、という可能性もあるわ。」
42, 41

  

 しん、と静まって、キシェが食事をする音だけが響いたかと思うと、
王子が伏し目のままぽつりと言います。

「ゼル、夕方図書館で会った時、街で3度も”帝国へ行かないのか”と言われたと言っていたな。」
「…はい。街の人、検問所のカウンター、メイドの3人に。」

 王の深い緑と暗い灰色の瞳にわしづかみをされるように見つめられ、
側近は蛇に睨まれた蛙のように身をすくませます。

「ほほう、緑の目を探す少年、帝国に行かなくて良いのかという問い。
 誰かがゼルをロストールに呼び寄せたいようだね。
 …何に巻き込まれている?」
「ゼルが万が一、帝国に我が国を売っているというのであれば」

と、良く通る声が王の疑いを断ち切るように響きます。

「私が首を撥ねます。」

 女騎士が料理の肉にナイフを滑らせながら、
薄い唇には微笑みをたたえて王の目を射貫くように見つめ、抑揚なく言い切りました。
王は女騎士に目をそらさずに微笑んだままです。

「いや、ふふ、ゼルが私たちを裏切るような人間でないことはわかっているよ。
 さあ、こんな話をしてしまっては食事が進まない、みんな召し上がれ。」

ゼルは、自分でも情けないと思いつつ、手の震えが止まりません。
それを見て、マージュが思い切り背中を叩いてきます。

「うっ!」

お腹にも鈍痛が響いて、つい背中を丸めます。

「そんな顔をするな。私が首を撥ねれば一瞬だぞ、苦しむことがない。
 それとも私じゃなくてイーギルに殺されたいのか?」
「僕がゼルを処刑しなければならなくなったら、悲しくて手元が狂いそうだな。」
「ゼルの虹彩、緑は珍しいから、目は傷つけないでね。ね、ね、ぼく大事にするから。」
「おい、気分の悪い話しをしてないで食べろ!」

 流れるようにその場をイグジクトがまとめると、
笑い声とともに食器があたる音がなり始めます。
 側近だけは、まるで大嫌いな料理を食べなければならない子供のように、
どうしても食事を進めることができません。
それを見かねたのか、シーシアが微笑みながら声を掛けます。

「ゼル、ディルトレイがすぐに人を疑うなんて昔からのことよ、だから王になれたのだから。
 誰も貴方を裏切り者だなんて思っていないのよ。
 でも何かが貴方を狙っているのは確かなのだから、お城の中でも用心なさい。」
「は、はい。」
「ああ、そうだわ、ゼルにはまだ渡せていなかったチョコレートのお土産があるのよ。
 あとで部屋にもっていくわね。」
「い、いえ、自分が伺います」

 にこやかな笑顔と穏やかで優しい声に、思わずぎくしゃくしてしまいます。
マージュがぴたりと動きを止めて、シーシアを上目遣いでじっと見ます。

「シーシア様、私には?」
「あら、マージュあなたキッチンからお菓子を盗み出してはオルガを困らせているでしょう?
 かわいい顔をしてもだめよ、反省なさい。」
「ちぇー。」

 お菓子をもらえなくて拗ねるマージュを見てシーシアが笑うと、
イグジクトが思い出したようにハッとします。

「おい、誓約書を読んだが私はお前に”キッチンに入らない”と書けといったんだ。
 ”基本はキッチンに入らない”という文章は認めんぞ、どうせお前に基本などないんだからな」
「ちぇっ、やっぱりばれたか。」

 さらに拗ねる子供のようなマージュを見て、思わずディルトレイが吹き出し、
イーギルも声を出して笑います。
先ほどの空気が嘘のような和やかな空気に、ゼルは少しだけ救われます。
 それでも胃の中に重たい岩があるような不安は取り除かれません。
得体のしれない恐怖をごまかすように、口に入れた料理を飲み込むのでした。

44, 43

  




















「ハーミッズ卿」

 豪華な燭台の並ぶ、白地に薄いベージュの柄が入った壁の薄暗い広間の真ん中、
円テーブルに背もたれの高い椅子が7つ並び、それに座る人型が見えます。
 入り口から一番遠い席に座る、長い灰色の髪の男がテーブルに斜めに頬杖をついて、
抑揚のない低い声で、斜め向かいに座る小太りの男を呼びます。

「はい、なんですかな。」
「俺の知らないところでイースに連絡した上、訪問したそうだな」
「おお、皇帝陛下に申し上げておりませんでしたかな!」
「勝手に動かれては困る」

 全く困った様子もなく、どちらかというと余裕のある冷たい表情で静かに喋ります。
呼ばれた方はというと、ほほほ、と上品そうに笑って、

「まあ、万が一何かがあっても我がロストールなら十分対抗できるでしょう。
 円卓だとかいう国を動かしている連中も、王の実子でもない生意気な王子に障害児、
 顔だけがいい失礼な金髪の女兵士、将軍の男は負傷中で側近はただの一般人、
 外交に来る女は魔女と、見世物小屋のような集まりです。」
「あの国の王の人選を侮るな。
 魔女はおそらく、すでにお前たち貴族を疑っているだろう。
 牽制するために俺を味方につけるように動くのは目に見えている。
 色ボケで身を滅ぼすのは卿だぞ」
「はて、特に下心などもなく訪問したのですが…
 皇帝陛下からのありがたい忠告としてお受けいたしますぞ。」

 一点の曇りもないハーミッズ卿の笑顔に、皇帝は鼻で笑うと背もたれに寄りかかって、
出ていけと手を払うようなジェスチャーをすると、
それを見た貴族たちはぞろぞろと部屋から出ていきました。
 全員の足音が遠ざかると静かに皇帝も立ち上がり、シンプルな濃紺のバニヤンが
椅子とこすれる音だけが響きます。

「貴様もやりすぎると絶望のまま死ぬことになるぞ。」

 どこへか声を掛けますが、特に返事も待たず、そちらを見もせずに広い部屋から出ていきます。
柱の影では、何かがふふ、と小さく笑うのでした。
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