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第二話「大交易所が危ない!光るゴキブリの恐怖」

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チャッカマンとモンスターダンジョンの戦いからはや三日。
ミシュガルドから逃げる人間でごったがえした昨日までとは打って変わり三日目の交易所は活気を取り戻していた。
未知の大陸ミシュガルドに上陸した人々は、巨大なモンスターと巨人の脅威にすら順応したのである。
むしろ冒険者は巨大な者達に繋がる物を求め、開拓者は早くも対抗策を模索し始め、多くの人が激しく動き、以前よりも活気が増してすらいた。

「すごいな…この人達は、アレだけすごい怪物がこの大陸にいる事を知って逆に活気づくなんて」

活気にあふれ、人や馬車が行き交う交易所の大通りを合同調査報告所へ向かって歩いていたコウラクエンは感心する。

「そりゃそうですよ、皆覚悟をもってこの大陸に来てるんですから」

横を歩いていたズゥが、何を今更と言った調子でそれに応じた。
ミシュガルドにいるのは元々住んでいた場所が無くなったり、なんとしても新大陸で成功しなければいけない追い詰められた人々が主だ。
今更強力なモンスターが出たからと言って帰るという選択肢は無いのである。
それに、こういった脅威は何も今始まった事でも無いらしい。

「でもこんな風に賑やかなのはすごいですって」

以前の世界ならばああいった強大な脅威に直面したら人々は必要以上に不安に駆り立てられ、その不安を悪戯に周囲にぶつけて暴動やパニックが起きていた。
だが、この世界の人達はそれを逆に糧にしようとしている。
その姿に、コウラクエンは今の世界の人達の強さを感じずにはいられない。

「コウラクエンさんって、何か私達と違う所から来たような…そんな雰囲気がありますよね」

そんなコウラクエンを不思議な物を見る様な眼で見るズゥ。
コウラクエンはいやそんな事はと手を振るが、再びズゥの好奇心スイッチが入った。

「やっぱりミシュガルドについて何か知ってる不思議な土地の出身の人なんですよね!」
「だから違いますって、僕はスーパーハローワークのしがない勇者です」
「今時勇者なんていませんよ、ねえ知ってるんでしょ?内緒にしますからー」

そんな事を言いながら距離を詰めてくるズゥ。
肌が触れそうだ、いい匂いがする。

「だーーから違いますって」

照れくさくなって距離を取るコウラクエンに、えー正直に言ってくださいよとぐいぐい近づくズゥ。
若者達に生暖かい視線を向ける街の人々。
そんな大交易所の大通りの平穏は、突然響き渡った女性の悲鳴によって終わりを告げた。
何事かと声のした方を人々が見ると、準備中のバーから物が壊れる音が聞こえてくる。
強盗か、はたまたモンスターかとあたりは騒がしくなり、何人かの男が武器を取った。
ズゥもコウラクエンに詰め寄るのをやめて、緊張した面持ちになる。

「何事でしょう?」
「行ってみます」

剣の柄に手をかけながら、悲鳴がしたバーへと向かうコウラクエン。
その後ろからズゥや、街の男達が武器を持って続いてくる。
この大交易所には自警団や保安ギルド等が存在しているが、人口が膨大な事や連絡手段が限られている事等からそう言った組織が迅速に駆けつけて来るのは難しい。
なのでこうして事件が起きた時は隣近所の者や通りかかった腕の立つ者が協力してまずは解決にあたるのだ。
命に係わる一大事が頻繁に起こるこのミシュガルド大陸で、助け合わない事は死を意味すると言っても過言ではない。
勿論、そそくさと逃げる者や我関せずを決め込む者もいるが、基本的には皆が積極的に物事に関心を持ち、協力して取り組むのである。
そうしてきたからこそ、ミシュガルドという厳しい環境下で知的生命がこれだけ繁栄できているのだ。

(僕の時代では考えられなかったな)

他人や周囲に対して無関心である事が普通だった時代の事が頭をよぎり、逞しい今の人々を頼もしく感じるコウラクエン。
その手がバーの扉を開けると、店の中は薄暗く、棚から落ちたらしい割れたガラス瓶の破片が床に散乱しており、その近くには腰を抜かした女性がガタガタと震えている。

「大丈夫ですか?」
「あ…あれ、マスターが…」

すぐに駆け寄るコウラクエンに、震える手でバーカウンターの奥にある厨房を指さす女性。
見ると、そこには白い水たまりの様な物と、そこに浮かぶバーテンの衣装があった。

「なんでえこりゃ」

コウラクエンに続いて店に入ってきた男の一人がその水たまりに近づき、衣装を拾い上げようとする。

「危ない!」

それを見たズゥが叫び、雪駄に男の手を止めた。

「どんな呪物や細菌がついているかわからないんですよ、迂闊に触ったら危険です!」

ズゥの指摘に、慌てふためいて数歩後ずさる男。
その間にもコウラクエンは女性に手を貸して立たせ、落ち着かせようとしていた。
しかし、女性は半ばパニックになり、震える脚で出口へ向かおうとしている。

「大丈夫、もう大丈夫です」
「ダメ、駄目なの!ここにいたらダメ!」
「何故?何があったんですか?」
「出して!ここから出して!虫!虫が!」
「虫?」
「うぎゃあああああああああああああああああああ」

女性の声に応えるように、厨房で悲鳴が上がった。
見ると、先ほどズゥに止められていた男が体から煙を上げて悶え苦しんでいる。
その足元には発光する何かが見えた。
虫だ、マッチ箱程の大きさの虫が体を光らせながら口から紫色の霧の様な物を吹きかけて、男を襲っているのだ。

「だすげでぐれェえ…」

男は低い断末魔を上げてその場に崩れ落ち、厨房にあったのと同じ白い液体になって溶けていく。

「きゃああああああああああああああ」

手の中の女性が悲鳴を上げた。
コウラクエンはすぐに女性とその場から離れようとする。
ズゥや周りの男達も相手が小さな虫では太刀打ちできず、出口へと引き換えした。
だが、大柄の獣人を含む屈強な男達が慌てて出口へ押し寄せた為に入り口でつまり、先頭に立って店の中に突入したコウラクエンやズゥは後ろで足止めを喰らってしまう。
その間にも発光する虫は厨房の中から更に何匹も何匹もわさわさと湧き出し、コウラクエン達に迫ってきた。

「ゴ…ゴキブリ!?」

その容姿を注視したズゥが叫んだ。
よく見れば、それは確かに自分の時代にもいたあの虫である。
だが、ゴキブリは混沌が世界を覆った後ですら、その姿形を変えずに現代まで存在していた。
如何にミシュガルドでも混沌による汚染よりも生物の生態に変化を及ぼせる環境があるとは考えにくい。
ならばこの虫は…。

「っ!」

コウラクエンの前で、光るゴキブリに似た虫達が上体を起こし、霧をこちらに向けて発射する体制を取った。
こうなれば危険だが斬撃で天井を破壊するしかない。
コウラクエンが必殺の剣技を放とうとした刹那、ズゥが飛び出し、すぐそばにあった水差しをとって水を虫達にばらまいた。
水を浴びせられた光る虫達は驚いた様子を見せ、慌てて厨房の方へと逃げていく。
如何に恐るべき武器を持っていても所詮は小さな虫であり、水をかけられれば恐怖を感じたらしい。
ズゥの的確な対応にコウラクエンは感心した。

「おい!こっちだ」

そこに後ろから声がかかり、振り向くと入り口でつっかえていた男達が脱出して、早く逃げて来いとコウラクエン達を呼んでいる。
すぐに二人が店を出ると、誰かが呼んだのだろう、交易所の自警団がちょうど到着するところだった。






悪臭がする暗い大交易所の下水道の中、不気味に光る眼が浮かぶ。
人の姿をした怪物だ。
金属質に光る体にマントを纏ったその怪物の名は、ジルバエン。
その足元が発光し、光の粒子が集まって動物の形になった。
縞模様の大きな尻尾を持ち、目元が黒く、四足歩行のその動物は、しかし「厚み」を持たず、体は紙の様に平面である。
まるで立体映像のようだが、ここはこの時代の人間が作った下水道だ、立体映像を投射できるような道具は存在しない。

「機械導者荒ぶるタヌキよ、ヘルブラックローチの繁殖状態はどうなっている?」
「はっ、既に合体、巨大化可能な程に繁殖しております」

ジルバエンの質問に、流ちょうな言葉で応じる平面の動物、荒ぶるタヌキ。

「うむ、如何にチャッカマンと言えどもあの巨体では小さな虫には対抗できん。
ヘルブラックローチによる市街での殺戮を防ぐ手段はあるまい」
「人間を養分にヘルブラックローチは更に増殖、やがてこの大都市を壊滅させるでしょう」
「よし、ガラクアティアとゴビバクサの怪獣も準備が進んでいる、お前はこのままヘルブラックローチの監督を続けるのだ」
「わかりました、破金の意思の下に」
「破金の意思の下に」

そう言って、ジルバエンはその場から歩み去り、荒ぶるタヌキは来た時と逆に光の粒子となって消滅する。
やがて二体の怪物がいなくなると、下水道に静寂が戻った。

と、少しして、暗闇の中から小さな影が3つ現れる。
子供だ。
2人の少年と1人の少女がジルバエンと荒ぶるタヌキの会話を聞いていたのだ。
この少年少女達は普段から下水道を遊び場にしており、偶然この場に居合わせたのである。

「大変だ」
「化け物が下水道であんな悪だくみをしてたなんて…」
「すぐに知らせようぜ!」

そう言って駆け出そうとする子供たち。
しかし、その前に再度光の粒子が集まっていき、荒ぶるタヌキが現れる。

「おかしな気配がして戻ってみれば…、見たな、お前ら」
「あぁ…」

モンスターの脅威をよく知るが故、絶望的な声を上げる子供達。
子供であれ老人であれ、モンスター、とりわけ知性がある種が如何に残忍かつ冷酷かを知らない人間はミシュガルドにはいない。
知性があってかつ冷酷でも残忍でも無いのもいないわけではないが、そんな物は出会う方が稀だ。

「死ぬがいい」

荒ぶるタヌキが吐き捨てるように子供達にそう言うと、その周囲に発光するゴキブリがどこからか集まってきた
それを見た子供の一人、赤髪の少年が覚悟を決めて腰の短剣を抜き、荒ぶるタヌキとゴキブリへ切りかかっていく。

「リッター!ドワール!逃げろ!」
「フリオ!」

リッターと呼ばれた緑髪の少年が悲鳴のように赤髪の少年、フリオの名を呼んだ。
だが、彼もドワールと呼ばれた少女も即座に逃げる事はできなかった。
生死のかかった場面でも、即座に友人を見捨てられるほどに彼、彼女達の判断力は的確でも冷淡でも無さすぎたのだ。
そして、無情な人を溶かす霧が子供達に放たれる。






「光るゴキブリ…恐らく新種のモンスターと見て間違いないと思いますわ」

コウラクエン達への自警団の聴取はすぐに終わり、ズゥとコウラクエンは大交易所でラライラと合流していた。
ラライラは真剣な表情で二人の話を聞いて、すぐに立ち上がる。

「次の犠牲者が出る前にすぐ調査しましょう。
繁殖力が高い様ならすぐに対処しませんと、大交易所は大混乱に陥ってしまいますわ」
「そうですね、まずは現場に戻りましょう、何かわかるかもしれない」

ラライラの提案に、ズゥも同意し、ラライラの隣に座っていたマリィとコウラクエンもそれに続く。
前回いたダンディの姿はない。
雇っていたラライラによると、ダンディは冒険者パーティーの一員や傭兵として人気が高いので毎回雇えるわけでは無いとの事だ。
4人が事件の起きたバーへと戻ると、入り口に近所の男が火事場泥棒を防ぐ為に見張りをしていたので、男に事情を話、金を払って一緒にバーの中へと入る。

(科学捜査だとか事故現場の封鎖だとか、そう言った概念はまだこの世界には無いんだな)

自分の時代ではありえないずさんな事件現場の状況に、よし悪しがあるなあと考えるコウラクエン。
犯人がモンスターであるとわかっている事件なので大して事件の捜査はされず、この現場も殺されたオーナーの遺族がすぐに片付けに来てしまうらしい。
ラライラは溶けた男の傍に膝をおろすと、祈りを捧げた後に地面に広がる液体を採取して試験管に入れた。
その様子を、入り口で見張りをしていた男が不思議そうに眺めながら口を開く。

「そんなもんもっていってどうするんだ?」
「鑑定魔法にかけて成分を分析いたしますの」
「はー、大したもんだなあ」

普段触れないケミカルな雰囲気に、男は妙に感心する。
そう言えばズゥは動物園の園長という話だが、ラライラは何者なのだろうかとコウラクエンは思った。
ちょっとやそっとかじった程度の知識ではない知識と経験を彼女が持っているのは明白であり、とてもただのモンスターハンターには見えない。

「ズゥさん、ラライラさんって何者なんだ?」
「え?ああ、甲皇国でモンスター災害が頻発してた所があって、そこで騎士をしながら色々研究もしてたって話ですよ」
「なるほど」

ズゥの説明に、しかしなんだか腑に落ちないコウラクエン。
そこに少し離れたラライラの傍らにいたマリィがとてとてとこちらへ歩いてきた。

「ラライラさんはいい人ですよ、信頼できる人です」

小声で話していたつもりだったが、兎人のマリィにはしっかりと聞こえていたらしい。
余程ラライラを信頼しているのだろう、上目遣いで訴えかけてくるマリィに、コウラクエンは参ったなぁと後頭部をかく。

「いや、なんだか気になっただけなんだ、いい人なのはわかってるよ」

コウラクエンの返答に、マリィは顔を赤くして小さくなってしまう。

「す、すみません、私、出過ぎた事を」
「いや、そんな謝らないでよ」

謝るマリィを宥めているとラライラが戻ってきたので、4人は合同調査報告所へ戻る事にした。
道中、何度か遠くから悲鳴が聞こえ、武装した自警団とすれ違う。

(またあのゴキブリの被害が出ているのか?新種の発生にしては唐突だし規模が大きすぎる)

やがて4人が合同調査報告所に到着すると、受付に小さな子供が三人取りついていた。
皆ひどく汚れ、受付の女性に口々に何かを必死に訴えている様子である。
女性の方は一応話を聞いてはいるが、子供の言っている事を真面目に聞いてはいない。
時間があるのならば話を聞いてもいいかもしれないが、今は子供の言う事よりも液体の鑑定が先だ。

「だから光るゴキブリを操ってる化け物がいるんだよ!」
「あーはいはい、どんな怪物だったの?」
「タヌキなんです!光るタヌキの、絵みたいなタヌキの怪物が!」

歩み去ろうとしたコウラクエンの足が止まる。
絵みたいなタヌキの怪物…それは自分達の時代に存在した凶悪な電子生命体の特徴と一致していた。

「荒ぶるタヌキ…」
「そう、そういう風に呼ばれてた!」
「灰色の金属の化け物とそいつが一緒にいたんだ!…え?」

呟きに気づいて、振り返る子供達。
コウラクエンはその中の、一番活発そうな赤髪の少年の前に屈んで視線を合わせる。

「詳しくその話を聞かせてくれ、それは俺が知っているモンスターかもしれない」
合同調査報告所の隅のテーブルにコウラクエンとズゥの二人と、フリオ、ドワール、リッター、三人の子供達が向かい合って座っている。
ラライラとマリィに液体の鑑定を任せ、コウラクエンが子供達から荒ぶるタヌキの話を聞こうとした所、興味を持ったズゥも一緒に聞く事にしたのだ。

「…の下水でいつもみたいにアルフヘイム解放戦争ごっこしてたら変な灰色の人みたいなモンスターがやってきたんだ」
「そう、そしたらそのモンスターの足元にこう、ぼんやり光が集まって絵みたいな怪物が出てきたんです」
「ヘルなんとかローチはどうとか、お前は監督を続けろって灰色の方が絵みたいな怪物に命令してました」
「じるばえんと荒ぶるタヌキって呼び合ってた」

フリオ、ドワール、リッターの三人は拙いながらも一生懸命にコウラクエンにあった事を伝え、コウラクエンも真剣にそれを聞く。
コウラクエンには3人が嘘を言っていないのがわかるし、何よりも敵の手の内を知るとても重要な情報で、聞き逃す手はない。

「機械導者だ…なんで蘇ったんだ?」

子供達の説明を一通り聞いたコウラクエンはぼそりと呟く。

「え?それってなんですか?」

耳ざとくそれを聞いた横のズゥが目を光らせて聞いてくるが、コウラクエンはそれに応えず、真剣に考えこむ。
機械導者、自分達の時代で文明を荒らしまわった暴走機械達。
最新鋭の科学兵器で武装した軍隊でも歯が立たず、殲滅にあたった自分達や獣神将からも犠牲者を出した忌まわしい強敵。
完全に解体されて封印されているはずのそれらが自然に蘇る事はあり得ない。
仮に今の時代の人々が見つけたとしても、それらを蘇らせる為の技術も設備も持ち合わせてはいないはずだ。
だとしたら一体、何者があの恐るべき怪物達を蘇らせたのか…。

「まさか…侵略宇宙人が」
「コウラクエンさん!」

横からはっきりとした声で呼ばれ、コウラクエンは我に返った。
見れば、ズゥがムッとしている。
何度か呼ばれていたようだが、気が付かなかったらしい。

「どうしたんですか?きかいどうしゃとかしんりゃくうちゅうじんとかボソボソ言ってましたけども」
「それは…」

ズゥには、いや、現代の人々にこの話はするべきではない。
現代人に対処できそうにない脅威の存在が変に広がると、世の中は大混乱に陥いってしまう。
それらに対抗できるのは勇者である自分だけだ。

「ズゥさん、すみません、俺、行かなきゃ」
「え?ちょっと、調査は?」
「このモンスターは俺に任せてください、皆さんは危険だから関わらないで!」

コウラクエンはそう言うと、ズゥに雇われた際にもらった金銭をその胸に押し付ける。

「ちょ、コウラクエンさん!?」

驚いたズゥが引き留めるより先に、コウラクエンは疾風の様にその場から駆け去ってしまった。

「行っちゃった…」

コウラクエンが余りにもあっという間に去ってしまったので、残されたズゥはぽかんとしてしまう。
子供達もしばらくあっけに取られていたが、ふと、リッターが口を開いた。

「あのお兄さん、一人で大丈夫かな?」

その言葉を受けて、ズゥはうーんと腕を組む。
コウラクエンが敵の詳細を知っているのは間違いないし、彼は腕っぷしも強い。
以前の冒険の前に実力を知る為にダンディが軽く手合わせしたのを見たが、かなりいい動きをしていた。

「大丈夫ですよ、あの人強いから。でも一人で行く事ないのになぁ…」

新種のゴキブリは虫なので正直あまり興味がわかず、ラライラに付き合っているズゥだったが、子供達の話題に出ていた平面のたぬきというのにはとても興味がわいている。
子供達の説明だけでは見た目があまり想像できなかったが、初めて見るだろう姿をしているのは間違いない。
是非見て見たいし、あわよくば自分の動物園に連れていこうと彼女は考えていた。

「でも…あの狸の怪物は光るゴキブリが守ってるんですよ」
「あの兄ちゃんが剣の達人でも小さなゴキブリが相手じゃやられちまうぜ」

ドワールとフリオの言葉に、何か答えようとして、ズゥはある事に気が付く。

「あれ?そう言えば皆はどうやって助かったの?」

あの光るゴキブリに襲われて、子供達が無事で済むとは思えない。
しかし、現に子供達はこうして無傷であり、かと言って嘘をついている様にも見えなかった。

「それは…」






「見られた子供を逃がした、だと?」

大交易所の外、人目につかない森の中で、ジルバエンが荒ぶるたぬきから報告を受けていた。
ギロリとジルバエンに睨まれ、荒ぶるたぬきの身体にノイズが走る。
荒ぶるたぬきの平面の表情に変化はないが、体がノイズで不安定になり、声質にも怯えが伺えた。

「も…申し訳ありません」
「何があった?たかが子供、仕留められぬお前ではあるまい」

機械らしからぬ苛立ちを含んだ調子で、ジルバエンは荒ぶるたぬきに質問する。

「獣神将による妨害を受けたのです」
「何!?」

だが、次に荒ぶるたぬきが発した言葉に、ジルバエンは激しく動揺する。
確かにかつて自分達は獣神将とは敵対していた、が、現時代では…少なくとも「今しばらく」は獣神将は自分達と積極的に敵対しないだろうとジルバエンは考えていた。
何故なら…。

「奴等は現人類とは敵対しているはず…」

と、突如荒ぶるたぬきの身体からアラームが鳴り、空間に「警告」の文字が浮かぶ。
荒ぶるたぬきは下水に己の力の一部を配置し、有力な侵入者を察知できるようにしていたのだ。

「何者かが我々の計画を妨害しようとしているようです」
「叩き潰せ、怪獣の数が揃っていない現状で邪魔されるわけにはいかん」

ジルバエンの指示で、荒ぶるたぬきはテレポーテーションしていく。



ズゥ達と別れたコウラクエンは道行く人に場所を聞き、子供達から聞いたマンホールから下水道へと入って中を進んでいた。
下水の中はところどころ地上から光が入り真っ暗闇では無かったが、それでも薄暗く、コウラクエンは持ってきたランタンに火をつける。
ゴキブリの襲撃を警戒しつつコウラクエンが下水の奥へ進んで行くと、程なくして暗闇の中に燐光が集まり、荒ぶるたぬきが現れた。

「現れたなチャッカマン」
「荒ぶるタヌキ!光るゴキブリは貴様ら機械導者の仕業か!」
「その通り、破金の意思に従い、この世界に蔓延る有機生命体を淘汰する」

コウラクエンの問いかけを素直に肯定する荒ぶるたぬき。
機械導者にとって破金の意思に則って行う行為は絶対的な正義であり、共感や理解を得られるべき物だ。
問われれば我々がやっていると応え、何故やっているのか尋ねられればそれは破金の意思の為、この世界の永遠の為だと応えるのである。
勿論だからと言って作戦の内容をべらべらと一から十まで話すわけでは無く、情報をあえて伏せもする、だが、機械導者は嘘はつかない。

「そんな事はさせない、俺が相手だ」

コウラクエンは腰の剣を引き抜き、荒ぶるたぬきに向かって構えた。
電子生命体である荒ぶるタヌキの身体はどこかにある本体が空間に漂う霊的な物質に干渉して形作っている物であり、物理的な攻撃は通用しない。
だが、コウラクエンは剣に水の魔力を籠めて霊的な物質も切り裂く技を持っている。
過去にコウラクエン達と対峙した事がある荒ぶるたぬきとてそれは知っている、故に、無策にコウラクエンの前に現れたわけではない。
姿を現したのは、直接指揮を執る為に必要だからだ。

「かかれ」

荒ぶるたぬきの号令で、周辺の隙間や暗がりが一斉に発光し、無数の光るゴキブリが姿を現す。
まるで煙か洪水の様にあふれ出したゴキブリは、一斉にコウラクエン目掛けて霧を噴射してきた。

「くっそ!!」

コウラクエンが剣を振ると、剣の軌道にそって水の膜ができて、それがゴキブリの霧からコウラクエンを守った。
だが、ゴキブリは波の様に押し寄せ、コウラクエンはそれを何度も剣を振って水の膜を出し防ぐが防御一辺倒になり、更に後退を余儀なくされてしまう。
光るゴキブリが襲撃してくる事は想定していたが、その数はコウラクエンの想像を圧倒的に上回っていた。
コウラクエンが剣を振って作り出す水の膜が間に合わず、霧が少しずつコウラクエンの身体にかかり始めてしまう。
最早荒ぶるたぬきの姿も見えず、このままではジリ貧だ。

「っ!」

バックステップして距離を取り、ランタンを投げつけるコウラクエン。
光るゴキブリ達を炎が包んで怯んだ隙に、コウラクエンは一目散にその場から逃げ出した。
一瞬怯んだゴキブリ達だったが、すぐにその後を追っていく。
コウラクエンの進路からもゴキブリが湧き出し、コウラクエンは出口へ向かう為の道を塞がれてしまった。

「まずい」

やむなく進路を変更し、迂回するコウラクエン。
余りにも迂闊だった。
コウラクエンはこの時代のモンスターや一般的な悪人を一方的に倒せる力を持っている。
長い長い年月、己と渡り合える存在と出会わなかった事が、自分だけの力でなんでもできるとコウラクエンを慢心させていたのだ。
かつて機械導者と戦った時、獣神将や仲間達、多くの人間の力を借りて、それでも犠牲や被害が出ていた。
そんな古代の怪物に、無策で一人立ち向かう等、思い返してみれば何と愚かしい判断だろう。
深く後悔しながら、コウラクエンは必死に下水を走る。
光源を失った為何度も躓き、時に壁に体をぶつけ、ゴキブリの出す霧をかわし、防ぎ、それでもわずかに浴びせられるそれに傷つきながら、必死に逃げた。
久しく忘れていた死の恐怖が蘇り、コウラクエンは懐のボルトチャッカ―に手をかける。

「……駄目だ!」

しかし、コウラクエンはそれを使う事を思いとどまった。
こんな街の下で変身すれば、巨大化した際に上の町に多大な犠牲が出てしまう。
勇者は他人を犠牲にしていいわけがない、犠牲を出さない術をギリギリまで模索すべきと考えたのだ。
しかしここで思いとどまった事が、コウラクエンに致命的な失敗をもたらした。

「あ!」

暗がりで足元の障害物に気づけず、コウラクエンは足を取られて思いっきり転倒する。
そしてよりにもよって手にしたインパクトチャッカ―も取り落としてしまった。

「しまった!」

暗闇の中に落としたインパクトチャッカ―はもうどこにあるのかわからない、探せばゴキブリに取り囲まれ、やられてしまう。
やむ終えずインパクトチャッカ―を諦めて必死に逃げるコウラクエン。
これでもう完全に打つ手が無くなってしまった。
死神の足音が聞こえてくる。

「こっちよ!」

その時、暗闇の中から女の声がした。
それと共に何かが大量にコウラクエンの足元の暗闇の中を通り過ぎ、後ろから迫る光るゴキブリと戦い始める。

「何してるの!早く来なさい!」

突然の事に唖然とするコウラクエンを、声が苛立った口調で急かす。
子どもの様に甲高く、舌ったらずな声である。
我に返り、声に従ってわき目もふらずに走りだすコウラクエン。
途中何度も声が注意を促し、コウラクエンは躓く事も転倒する事もなく走る事ができた。
やがて目の前に梯子が現れ、無我夢中でそれを登ってマンホールを開けると、太陽の光が刺す人気のない路地に出る。
すぐにマンホールの蓋を閉じて周囲に見回すも、ゴキブリが追ってくる様子はない。

「助かった…のか?」

安ど感から、体の力が抜けるコウラクエン。

「何やってのよ、マヌケねえ」

と、すぐ横からまた女の声が聞こえてきた。
だが、コウラクエンの隣には誰もいない。
コウラクエンはこの声に聞き覚えがあった。
視線を落とすと、そこには予想通り、眼鏡をつけ、耳に飾りをつけた小さなネズミがちょんと立っている。

「ありがとう、ペペムム、おかげで助かったよ」
「久しぶりにあったと思ったら何やってるのよ、まったくもう」

苛立った口調でそう言って、小さな体で怒るネズミ。
彼女はペペムム、遠い昔、共に戦った勇敢な戦士達、獣神将の一人である。
コウラクエンは一息つくと、ペペムムに微笑んだ。

「また会えて嬉しいよ」

真っ直ぐな言葉を受けて、ペペムムははにかみ、顔を背ける。

「…馬鹿、何戻ってきてるのよ」

コウラクエンの目を見ない様にしながら、文句を言うペペムム。
可愛い彼女を抱きしめたり撫でたい衝動に駆られたが、プライドの高い彼女はそんな事をされたら喜ぶよりも怒ってしまうので、控える事にした。
少しの間再会を喜び合う穏やかで暖かな空気が流れたが、すぐにペペムムは顔を引き締め、コウラクエンの方を向く。

「あんた、なんで人類に味方してるのさ」

ペペムムの言葉に、再会の喜びに緩んでいたコウラクエンの顔が悲しみに歪む。
予想していた言葉だったし、その応えも用意していた。
だが、いざ長い年月を経て再会した時…すぐにそれが言えるほど、コウラクエンはペペムムとの…獣神将との絆を軽んじていない。

「………ニコラウスは」
「質問してるのはこっちよ!」

思わず話を変えようとしたコウラクエンに、ペペムムが怒りの声を上げる。
舌ったらずな口調と少女の様な声だが、ペペムムは自分と同じ位の歳だ。
真剣な彼女の言葉にコウラクエンは言葉を返す事ができず、俯いてしまう。

ペペムム達獣神将が、現人類と敵対している事を、コウラクエンは知っていた。
既に幾度も獣神将によるテロが発生し、多くの犠牲が出ていると、大交易所で聞いている。
彼女達はコウラクエンと違い、現人類によるミシュガルド大陸の開拓を容認できないのだろう。
…当たり前だ。
彼女達が長い間維持、管理し、自分の物としていたこの大陸を勝手に開拓されることなど、我慢ならないのは無理はない。
しかもそれが、彼女達にとって忌まわしい存在によるものであるのならば、なおさらである。
だが…獣神将が…自分達が星を支配したのではどうしても駄目なのだ。
如何なる形、存在であれ、新たな文明が現れたのだから、それに星の支配を譲るべきなのである。
それにはコウラクエンも抵抗がないわけでは無い。
だが、長い間実際に接してみて現人類は自分達には無い物を幾つも持っいて、素晴らしい心や考え方も持っており、明るい未来を作り上げる可能性を秘めている事を知った。
だから、現人類を過去や外の脅威から守ろうとコウラクエンは思ったのだ。
しかし、現人類は邪悪で自分勝手で、物事を正しく認識できない部分も持っていて、この星を滅ぼしてしまう可能性も持っている。
一概に獣神将が完全に間違っていているとも言えない。

「ペペムム…俺は…」

コウラクエンは素直にペペムムに自分の想いを話した。
現人類と実際に接して、現人類にこの星を任せても大丈夫だと感じた事。
獣神将、かつての仲間と心から戦いたくないと思っている事。
獣神将にも、現人類と何とか和解してほしい事。
コウラクエンの言葉を最初はムッとした顔をしていたペペムムだったが、コウラクエンの切な願いに、徐々に表情が曇り、最終的には俯いてしまう。

「あんたの言いたい事はわかったわ…、でも、今の人類と私達が仲良くなるのは無理よ」

最後までコウラクエンの話を聞いたペペムムは悲し気にそう言った。
獣神将だって相応の覚悟をもって現人類と敵対したのだから、そういう答えが返ってくるだろうと予想していたコウラクエンは、何も言えず、ただ落ち込んでしまう。

「でも、あんたと敵対したくないのは私も一緒よ」

そんなコウラクエンに、ペペムムは初めて優しい口調でそう言った。
ペペムムの言葉に、コウラクエンの顔がぱっと明るくなる。

「ペペムム…」
「とりあえず、あいつら機械どもとあんたが戦う分にはいいわ。あなたとの今後についてはニコちゃんと話してみる」
「俺も一度、ニコラウスと話したい」

獣神将と現人類の関係もどこかに落としどころがあるかもしれないし、それは獣神将達の長であるニコラウスと直接会談しなければ見つからないだろう。
コウラクエンだって人類の絶対の味方ではない。
悪魔で彼が防ぐ脅威は過去や外の脅威だけで、人類が滅びの道を行くのであれば、それを止める事はしないのである。

「…じゃあ、これ」

ペペムムはそういうと、黒いネズミの様な物達に、コウラクエンのインパクトチャッカ―を運ばせてきた。
しっかりと拾ってくれていたらしい。

「何からなにまでありがとう」

そう言って、コウラクエンは黒い物達からインパクトチャッカ―を受け取る。
よく見ると、それは魔力でできた使い魔達だ。
あの時コウラクエンの足元を通過してゴキブリと戦っていたのは、これだったのだろう。

「気をつけるのね…と」

ペペムムがコウラクエンに応じたその時、誰かが路地に入ってくる気配がした。

「近いうちにまた会いましょう」

そう言い残し、ペペムムは素早くその場を去って行く。
それと入れ替わりに、聞いた事のある声が聞こえてきた。

「あれ?コウラクエンさんじゃないですか!」

ズゥだ。
ズゥがラライラとマリィ、そして自警団や魔導士ギルドの人間を複数引き連れている。

「ズゥさん」
「何してるんですかこんな所で?」
「ああ、ゴキブリと怪物の退治に行ったんですが…」
「返り討ちにあったんですね」

痛い所を突かれた。
うっとなって目をそらすコウラクエン、そんな彼をズゥはジト目で見つめている。

「あんだけ恰好つけて出発して返り討ちにあうとか…」
「うぐぅ」

唸るコウラクエン。

「たった一人で小型モンスターの群れに策も無く立ち向かうなんて自殺行為以外の何物でもありませんわ、もっとご自愛なさい」
「はい…すみません」
「今怪我の治療をします。気をつけてくださいね」
「ありがとうございます、すみません」

そしてラライラに叱られ、マリィに手当してもらい、コウラクエンは小さくなってしまう。
俺に任せてくださいと豪語しておきながらこの様なのだから、相当に情けない。

「それで、皆さんは何を」

これ以上自分について言及されると辛いので、コウラクエンは話を逸らす事にした。
それに対し、ふふーんとズゥが胸を張る。

「勿論、ゴキブリをやっつけに来たんです、ちゃんと作戦を立てて、ね」






『こちらA地点、準備できました』
『B地点、準備完了』
『C地点も完了』
「了解、ズゥさん、各隊配置につきました」

大交易所各所に散会した魔導士達からの念話を受け、マリィがズゥに報告する。
ズゥはそれに頷くと、作戦開始を合図した。

「わかりました、作戦開始」
「作戦開始」
『了解』

大交易所各所のマンホールや下水道の入り口に展開した自警団やギルドの魔導士達が下水の中目掛けて一斉に冷却魔法を放つ。
相手を凍り付かせるような強力な物ではなく、気温を冷やす程度の威力の代わりに、広範囲に冷気がいきわたる物だ。
魔導士達の出す冷気は下水道全体に瞬く間に広がっていく。

『こちらA地点、順調に冷却中』
『B地点も順調』
『C同じく』
「了解」

念話を受けたマリィは意識を集中し、下水の中に感知魔法を張り巡らせた。
3か所から送られてくる冷気に反応して、何か小さな物が大量に移動しているのを感じる。

「動き出しました」
「やった!」

マリィの報告に、横で作戦の進捗を聞いていたズゥが喜びの声をあげた。
この作戦はズゥが立案したからだ。
ズゥの建てた作戦はこうである。
水をかけられて怯んだ事から、あの光るゴキブリは感覚が鋭敏であるというゴキブリの性質を間違いなく引き継いでいた。
で、あるならば、ゴキブリの苦手とする冷気を下水道に流せば、ゴキブリは自然と暖かい所へと避難していく。

「皆さん、準備をお願いします」
「わかりました」

ズゥが立ち上がり、横のマンホールの中に向かって叫ぶと、中で待機しているコウラクエン達から返事が返ってきた。
コウラクエンとラライラ、数名の自警団の男達がズゥの合図に下水道に設置していた大量の枯れ木や石炭に火を放つ。
メラメラとそれらが燃え始めたのを確認すると、一同はすぐに梯子を上ってマンホールから外に出る。

マンホールから離れたズゥやコウラクエン達は感知魔法を下水に向けているマリィに視線を集めていた。
目を瞑って下水道から送られてくる感知魔法の魔力に集中するマリィの兎耳がピクり、ピクりと反応する。

「ゴキブリが炎に集まっています」

マリィの言葉に、真剣に頷く一同。

「問題はここからです」
「人事は尽くしましたわ、後は結果を信じましょう」

作戦も大詰めになり緊張するズゥ、その肩にラライラが優しく手をかけた。




マリィの言う通り、先ほどまでコウラクエン達がいた所に大交易所の下水道中のゴキブリが集まり、暖をとっていた。
そこにゴキブリ達が急に集まり始めた異常事態を察知し、荒ぶるたぬきが現れる。
荒ぶるたぬきは下水道の中が燃えているのを見て、それが人為的な物であると察して鼻で笑った。

「馬鹿め、こんな炎でヘルブラックローチを倒せると人間は思っているのか?」

ゴキブリは熱に強く、更に荒ぶるたぬきが改造を加えた光るゴキブリ、ヘルブラックローチは普通のゴキブリよりも熱や衝撃に強くなっている。
この程度の火であぶられた程度では平気だし、何よりいくら集まったとはいえ自分から火に飛び込むわけでもない。
所詮は下等な文明の浅知恵かと荒ぶるたぬきが思った、その時、突如としてたぬきの傍にいたヘルブラックローチがパンと音を立てて爆裂した。

「な!?なんだ!?」

驚く荒ぶるたぬきの前で、連鎖的に次々とゴキブリは爆裂していく。
そこで荒ぶるたぬきは煙に交じって奇妙な白い光が周囲に蔓延している事に気が付いた。

「これは一体」

ヘルブラックローチが吐き出す霧は科学物質ではない、呪いが霧の様な形になって放たれているのである。
溶かされた人間の白い液体を鑑定魔法で調べその事実を知ったラライラ達はその呪いに反応して滅する聖なる属性の魔力を薪や石炭に込めたのだ。
燃やされ、煙にのって下水に充満した聖なる魔力がゴキブリの体内の呪いに反応し、聖なる力と呪いの邪悪がぶつかり合ってエネルギーを発し、ゴキブリを次々と爆発させているのである。

「ま、まずい…」

雪駄に荒ぶるたぬきはゴキブリ達を逃がそうとするが、ゴキブリは逃げるどころかかえって聖なる力が充満する炎の燃えるこの場所に集まってきていた。
聖なる属性の力は回復魔法等に用いられ、本来生命にプラスに作用する力だ、そしてゴキブリ達は自分達が改造されているという自覚がない。
仲間が次々爆裂する危険な状況でゴキブリ達はパニックになり、荒ぶるたぬきの命令よりも本能で安全と判断した聖なる力のほうへと集まっているのである。

「えええいこうなれば、ヘルブラックローチ!結集しろ!!」

このままでは全滅すると判断した荒ぶるたぬきは最後の手段に出た。
荒ぶるたぬきの号令に、ゴキブリ達の光っている部分がより強い光を放ち、それに伴ってゴキブリは自分の意思に関係なく一か所に吸い寄せられていく。
生きているゴキブリだけではなく、バラバラになったゴキブリの死骸も磁石で引っ張られるように集まりだし、巨大な黒い塊が下水の中に誕生した。
更にゴキブリやゴキブリの死骸が黒い液体の様な物に変異して増殖し、塊は見る見るうちに巨大化して、下水の中いっぱいに広がって天井につっかえる。
塊の一部が燃え盛る炎に接触するが、聖なる力も炎も全くその増殖を止める事はできず吹き飛ばされてしまった。
天上にひびを入れ、どんどん巨大化していく黒い塊。



地上から感知魔法で地下の様子を見ていたマリィは突如ゴキブリ達が集結して巨大化していくのを察知していた。
その余りの巨大化速度にマリィは焦り、震える。

「ゴキブリが…ゴキブリが突然集まって大きくなりはじめました」
「え?」
「合体能力を持っていましたのね!」

マリィから報告を受けたズゥは状況が呑み込めず困惑したが、モンスターに詳しいラライラはすぐに状況を察した。
モンスターには危機的状況になるとお互いの身体を結合させて巨大化する者もいる、その事例がラライラを素早く行動させる。

「ゴキブリは合体して大きく、強力になろうとしていますわ、どれだけ大きくなるかわかりません!一旦離れましょう!」

ラライラの呼びかけに、しかし周囲にいた自警団や冒険者ギルドの人間はかえって闘志を燃やしてしまう。

「一塊になるならやっつけるチャンスじゃないか」
「そうだ!これだけ人数がいるんだ、討伐できないわけがない」

そう言うと男達は武器を手にマンホール目掛けて走りだそうとする。
しかし、すぐにそれをマリィが止めた。

「皆さんダメです!ゴキブリが…これ、大きすぎます!」
「あ、おい見ろ!」

マリィの叫びに呼応するようにマンホールがある場所にひびが入り、地面が盛り上がり始めた。
敷かれたレンガが砕けていき、ゆっくりと地面が割れて、もうもうと立ち込める粉塵の中から大木程の大きさの触覚が現れる。
更に地面は砕けていき、巨大化したゴキブリが徐々にその全貌を現し始めた。

「う…嘘だろ」
「でけえ…」
「逃げろ!」
「周辺住民を避難させろ!」
「軍に応援を要請するんだ!」

先ほどまでゴキブリを討伐しようと息巻いていた男達は頭だけで家ほどもあるゴキブリのあまりの大きさに戦意を喪失して逃げ出し始める。
ズゥ達もすぐにそれに続き、振り返らず一目散にその場から逃げ出した。
一番後ろでコウラクエンは全員がその場から逃げたのを確認し、一同とは反対方向、煙の中へ走っていく。
現代の人達は、その知恵と勇気で怪物を追い詰めた。
ここからは勇者の仕事だ。
コウラクエンはインパクトチャッカ―を取り出し、天に掲げる。



地面を割り、煙の中から現れた合体した巨大な光るゴキブリ、ヘルブラックローチ。
直立し、後肢は人間の脚の様に、前肢は長く鞭の様になった巨大ヘルブラックローチはその巨大な前肢を振り、周囲の建物を叩いた。
レンガ造りの丈夫な建物はその一撃でガラガラと倒壊してしまう。
非常事態を告げる鐘の音がどこから鳴り響き、そこかしろから悲鳴が上がる。

「ギュアアアアアアアアオオオオオオオオウ」

建物を破壊し、虫らしからぬ雄たけびを上げるヘルブラックローチ。
と、破壊した建物の粉塵の中が光り輝き、中から巨大な金属の拳が飛び出してヘルブラックローチを吹っ飛ばした。
青く燃える頭、胸に輝く安全の文字、巨大な勇者、チャッカマンの登場だ。



ヘルブラックローチから逃げていたズゥ達は新たな巨大な地響きに振り返り、そこで燃える巨人を見た。

「ま、またあの巨人!?」
「一体どこから現れてますの?」

思わず巨人を見上げて立ち止まるズゥとラライラ、そんな二人の袖をマリィが引く。

「今は逃げましょう、私達じゃどうにもできません」
「っ、そうですわね」

圧倒的な力の差になす術が無く、歯噛みしつつ再び走り出すラライラ。
自警団やギルドの男達はわき目もふらずに逃げている為、既に三人からかなり離れた位置まで逃げていた。



爆発の様な凄まじい衝撃音と共に、ヘルブラックローチの頭部にチャッカマンの金属の拳が勢いよくさく裂する。
よろめくボディに更にもう一発、粉塵を吹き飛ばす勢いで拳が命中して、ヘルブラックローチは後ろの建物を倒壊させてその場に崩れ落ちた。
更に追い打ちをかけんとするチャッカマンに、ヘルブラックローチは口からあの霧を発射する。
雪駄にそれを両手で防ぐも、身体から大量の煙と激しい火花が上がって、その場で見悶えてしまうチャッカマン。
そこにヘルブラックローチの前肢が鞭の様に叩き込まれ、チャッカマンはその場に地響きをあげて崩れ落ちてしまった。

「いいぞ、ヘルブラックローチ、そのままチャッカマンを溶かしてしまえ!」

ヘルブラックローチの肩に出現し、命令を下す荒ぶるたぬき。
それに応えてヘルブラックローチの口から黒い霧が再びチャッカマン目掛けて発射される。

「ウォオオオター・セェエエエエエフ!!」

しかし、チャッカマンが雄たけびを上げると彼の胸の安全の文字が光り輝き、彼の前に分厚い水の膜が出現した。
黒い霧は水の膜に防がれ、無力化される。

「あ、お、おのれ」

狼狽える荒ぶるたぬきの前で水の膜が消滅し、チャッカマンの金属の拳が再びヘルブラックローチに叩きこまれた。
霧を吐いていた口を叩き潰され、もんどりうって転倒するヘルブラックローチ。

「憶えていろ!チャッカマン!」

肩から投げ出され、捨て台詞を吐いて消滅する荒ぶるたぬき。
残されたヘルブラックローチは顔面を潰されて満身創痍であり、ぴくぴくと痙攣するばかりだ。
それ目掛け、チャッカマンは金属の指を向ける。

「ウォータージェット・ブレェェエエエエエエエエエエエド」

チャッカマンの巨体、その両手の先から凄まじい量の水のエレメントが滝の様に噴射され、それが勢いよくヘルブラックローチに突き刺さった。
泥が水で溶ける様にヘルブラックローチの身体はボロボロと崩れ去り、消滅する。



「お、おお…」
「なんて奴だ」

圧倒的な力で巨大なヘルブラックローチを一蹴したチャッカマンに狼狽える自警団やギルドの男達。
次は我が身かと警戒する彼らの前で、チャッカマンは再び霞の様に消えてしまった。

「あれはチャッカマンですわ」

茫然とする男達に、ラライラが後ろから声をかける。

「チャッカマン?」
「以前にも私達を助けてくださいましたの、その時、そう名乗ったとか」
「あの巨人が名乗ったのかい?」
「私が聞いたわけではありませんが、コウラクエンさんが…コウラクエンさんは?」

そこで一同は周囲にコウラクエンがいない事に気が付いた。
一心不乱に逃げていた故にはぐれる事は致し方ない、もしかしたら建物の崩落に巻き込まれてしまったか…。

「おーーーい」

そんな心配を吹き飛ばす様に、土煙の中からコウラクエンが手を振って走ってきた。

「すぐにいなくなりますねあの人」

呆れた様にそういうズゥ。

「皆さん無事ですね?よかった」
「コウラクエンさんも怪我が無くてよかったです」

皆の無事を喜ぶコウラクエンを、笑顔で迎えるマリーと一同。

「本当に、無事でよかった」

そう言って、一同の顔を見渡すコウラクエン。
今回、自分一人の力が如何に矮小な物であるかをコウラクエンは思い知った。
そして自分の力では及ばなかった脅威にこの時代の人々が有効な策を講じている。
その事実のなんと頼もしい事だろう。

「ありがとうございます!」

満面の笑みで、一同にコウラクエンはお礼を言った。

「それで…シンリャクウチュウジンとかキカイドーシャってなんですか?」
「あ…」

そこから始まったズゥの質問攻め。
それを誤魔化すのに、チャッカマンは長い年月生きて来たすべてのテクニックを駆使する事となった。




大交易所に近い森の中、フード姿の人物が中空に手をかざすと、そこにヘルブラックローチだった黒い粒子が集まり、ヘルブラックローチの姿が描かれた札に変わる。
その後ろにはニコラウス、ペペムム、そして大柄な馬の獣人と長い髪の女の鳥人の姿があった。

「これで三匹目、機械導者どもも私達の手の中で踊らされているとは思わないでしょうね」

札がフードの人物に回収されたのを見届け、不敵な笑みを浮かべて満足そうに女の鳥人が言った。
それを聞いたニコラウスは優しい笑みを浮かべて女の鳥人の髪を撫でる。

「そうだねエルナティ、現人類を蹴散らし、この世界を統制するのは奴等じゃない、我々だ」

女の鳥人、エルナティは撫でられ、少し幼さ気な顔一杯に満足の笑みを浮かべた。
そこに、ペペムムが言いにくそうに声をかける。

「ニコ…ラウス様、チャッカマンの件ですが」

呼ばれたニコラウスは不機嫌な顔になり、エルナティを撫でるのをやめた。
邪魔をされ、エルナティは忌々し気にペペムムを睨む。

「話し合いたい…か、グレンといいチャッカマンといい……」

何を今更、と吐き捨てる様に言うニコラウス。
苛立たし気にそういうニコラウスの拳はきつく握られ、その体はぶるぶると震えている。

「断る」
「でも…」
「奴が人類を守って機械と戦うのは黙認しよう、だが、我々は我々で奴に干渉される筋合いはない!」

怒気をあらわにするニコラウスを見たエルナティが、すっとニコラウスの前に歩み出た。

「ニコラウス様!このエルナティが邪魔者であるチャッカマンを討ち取ってご覧にいれます!出撃のご命令をください!」

力強く懇願するエルナティに、ニコラウスは一瞬面食らった様な表情になった後、すぐに首を振る。

「その必要はない」
「何故です?チャッカマンは人類に味方しています、我々の…」
「五月蠅いぞエルナティ!!」

食い下がるエルナティを、馬の獣人が一喝した。
怒鳴られ、エルナティの顔にも怒気が浮かぶ。

「お前とは話していないぞロスマルト!」
「ニコラウス様はその必要はないとおっしゃったんだ!貴様がこれ以上口を挟むんじゃない!」
「何を偉そうに!いつもなら真っ先に出ていく奴が、あの巨人に臆したの?」

挑発された馬面の獣人、ロスマルトは手にした巨大な斧を持ち上げ、鼻息を荒くする。

「誰が臆するか!口の利き方に気をつけろ!!」
「じゃあ何故倒しにいかないの?チャッカマンだけじゃない、グレンとか言うあの目障りな虎も…」
「黙りなさい」

背筋を氷が伝う様な感覚がして、ロスマルトとエルナティは黙り、固まった。
視線を向けると、ニコラウスが目を細め、こちらを見据えている。
次の瞬間にはその背に背負った剣が自分に飛んでくる気がして、エルナティは思わず身震いした。
ロスマルトもかつて味わった力の差を思い出し、息を呑む。

「私は必要ないと言った、二人には従う義務があるし、私は質問を許してはいない」

逆らえば殺されるとエルナティは直感で察し、慌ててその場に跪く。

「申し訳ございませんでした!ニコラウス様!どうか!どうかお許しを!」

眼に涙を浮かべ、体を震わせて必死に謝るエルナティに、ロスマルトも罰が悪そうにニコラウスに頭を下げた。

「失礼いたしました」

二人が落ち着いたのを確認すると、ニコラウスはフードの人物の肩を叩く。

「ウルコー、あと何体だ?」

話しかけられたフードの人物、ウルコーはフードを降ろした。
角を生やした皺だらけの羊の獣人が中から現れる。

「3体でございます」
「うむ、エルナティ、ペペムム、我々も怪獣を用意したい、ジョンの所に話をつけに向かってくれ」
「はい」
「…わかりました」

自分をチャッカマンと離れた場所に送った、これ以上関わらなくする為だとペペムムは察した。
ニコラウスの言ったこれから怪獣調達に向かう相手、ジョン…ジョン・クロッコは自分達の味方であるが、一筋縄でいく相手ではない、怪獣を用意するには時間がかかるだろう。
先ほどはああ言ったが、もしかするとその間にニコラウスはチャッカマンを始末してしまおうとするのではないか、とペペムムは思った。

(本当は二人に戦ってほしくないわ、でも…)

だが、ペペムムは長く苦楽を共にし、尊敬しているニコラウスへの忠義に揺らぎはない。
ニコラウスがチャッカマンを倒すというのなら、それを支持するだけである。

「ドブ人類のどこに価値があるのよ…馬鹿」

避けられない戦いの予感を感じて、ペペムムはつぶやいた。
6, 5

  

7

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