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創作の強い影響関係について

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創作の強い影響関係について


創作界では、よくパクリやオマージュが問題になりますが、パクリやオマージュには、もっと深い心理学的な意味があると思うのです。そしてただの「パクリ」や「オマージュ」という一言で片づけるべきでない、もっと別種の「まねごと」が存在するのです。
 私はそれを影響関係、特に強い影響は「強い影響関係」と呼ぶのがふさわしいのではないかと思うのです。

まず影響というものについて考えてみましょう。すべての創作者は、実は何かから影響を受けています。高度に発展して分化した多彩な創作活動が広く行われている21世紀現在、誰が誰の影響をどれだけ受けているかというのを完全に把握するのはとても難しく、無理にも等しいかもしれません。しかし、漫画、小説、映画、アート、ゲームにおいても、かならず影響関係というのが見いだせます。
時折、全く新しい、誰も経験したことがないようなオリジナリティを持つ作品が世に出ることもありますが、それらすらも、実はすでにあるものの新しい組み合わせである場合が多いです。何の影響も受けていない作品を見つけることはほぼないと思われます。
考えてみてください。日本文化と一切接点がない絶海の孤島に住んでいる人がいるとして、そこに住んでいる人に紙とペンを渡せば、漫画を描き始めるでしょうか?もしかしたら、広い意味での漫画、つまりデフォルメされた絵を描くことはありえるかもしれません。しかし、現在の日本で好まれる絵柄で、現在の日本で漫画と呼ばれるテンプレートに沿うものが出来上がることはまず無いでしょう。なぜなら、「漫画」を描くには、漫画文化そのものからの強い影響を受けてなければいけないからです。
 日本で創作に励む人は、仮に自分はオリジナリティが高いと思っていても、「何からも全く影響を受けない」ことは理論的に不可能なのです。我々は日本の過去の創作の流れの過程としての作品たちに幼少期から触れて吸収し、精神の内に取り込んでいきます。
我々は文化的背景から完全に自由になることは出来ません。古い日本画をみると、人の書き方がほぼ一定なのはご存じかと思います。女性は細い目で書かれました。あの日本古来の画風は何だったのでしょう?多数の画家がいたにも関わらず、全く新しいことをしようとした人はいなかったのでしょうか?ですが彼ら、中世の画家たちは、自分にはオリジナリティがないな、なんて事は考えたことすら無かったでしょう。
 

 影響関係を考え始めると、ある流れが見えてきます。影響関係は大きな川のようで、小さな川が多彩な方向に延びていき、それらはまた別れたり合流したりします。流れをたどって戻っていくと、最終的にはどこまで戻れるのでしょうか?
 心理学者ジョーダンピーターソンは、文学はほぼすべて影響関係にあると言いました。そして、ある作品を理解することで、それに関連した作品への道が開けてくると言うのです。 西洋人にとって、最初に読むべき本は聖書なのです。聖書は西洋文学の川を上っていった先に必ずあります。聖書を読むことで、ダンテへの道が開け、またシェイクスピアへの道が開けたりする。
 歴史上、ある本がどれだけ優れていたかは、その本が持つ「影響力」で決まったと言えます。影響力がない本は、すなわち、流れを作り出すことがなく、そこで川の流れが途絶えてしまうのです。影響力が大きい本は、そこから発展していくのです。
 中世ヨーロッパでは、存在する本の多くは聖書の注釈書でした。聖書がどれだけ影響を持っていたのかが伺えます。古代ギリシアでは、なんと存在する本の多くが「イリアス」の注釈書だったと言います。イリアスはそれだけ重要視されていました。

 では現代のファンタジー文学の源泉はどこにあるのでしょう?ひとつ、ものすごく重要だといえるのはJRRトールキンのロードオブザリング(指輪物語)です。
 50年代に書かれた小説ですが、これは日本のファンタジーにも大きな影響を与えています。今でこそ、ゲームやラノベ系ファンタジーなどでまるで当たり前のように使われているテンプレートであるエルフや、ドワーフ、ゴブリンなどの概念を最初につくったのはトールキンです。
 もともと、エルフは妖精であり、今我々がエルフだと思っているものは、トールキン以前の本来のエルフとは別物です。サンタの手伝いをする緑色の服を着た小人も、実はエルフです。
トールキンは、神話や伝承の世界を、現代文学の世界に融合させ、精密な世界観を作り上げました。人と、人以外の種族が登場し、様々な架空の生き物、善と悪の戦いが書かれる。トールキンは過剰評価されている、と言う人もいますが、実際は、トールキンはこれ以上ないというくらい「過小評価」されているのではないか?と思うのです。
 トールキンを最初に「輸入」した日本の創作はロードス島戦記です。ロードスは、ライトノベルという言葉が存在しない頃の古いラノベですが(当時はゲーム小説と呼ばれていた!)、はじめてエルフを使用し、耳を過剰に長くしたデザインがここから日本で定着しました。


 漫画に話を戻しますが、少年漫画というのも、ひとつの大きい流れであり、最近の人気少年漫画が、過去の人気少年漫画と似通っていたりするのは、パクリでもオマージュでもなく、ただの自然な現象なのではないでしょうか?―影響関係という名の。
 トールキン以後、多くのファンタジー文学者の目標は、「第二のトールキン」になることでした。世界はトールキンのまねごとを多数作り出し、その多くは売れずに陰に埋もれていきました。
 ファンタジー読者も、実は、トールキンの「再体験」、または「アップグレード」を望んでいたのかもしれません。一度得た興奮と感動をもう一度得たい、または、もっといいものが欲しい。そういう心理が常に人の中にあり、作家たちを突き動かします。作家たちは、自分の脳みその奥からストーリーを編み出しているつもりでいても、それは既に知っている感動の再体験を目指した、すでに知っている事の再整理なのです
 少年漫画、―特にジャンプ系少年漫画―も、過去の名作の「再整理」的な側面が大きく伺えます。
 より発展して、新しい要素は世代ごとに追加されて、また時代に合わせた傾向も作品に影響します。しかし、原点はドラゴンボール、北斗の拳、ジョジョなどにあるでしょう。
 無からの創造など存在しないのです。創造とは、すでにあるものの再整理なのです。


 さて最後にですが、もっと深いところまでダイブしてみましょう。「一番最初の創作はなにか?」
川をたどって、上がって上がって、聖書よりも前の時代へ、最終的には何があるのか?

 洞窟の壁画?土偶?石器?
そもそも芸術活動とはなんなのか?
これは深いトピックなのでまた別の日に話しましょう。
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