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僕の名前は暇人。ハンドルネームじゃない。本名だ。

ところで僕は小説を書きたいんだが全く書けない。だけど小説を書かなければならないと思って先日からずっと文書ソフトで色々と書いている。だけど駄目だった。だからここで駄目だった事を取り合えず表現する事にした。

この日記が段々と小説になっていかないだろうかと思っている。

僕は過去いじめられた経験がある。急に語り出すなと思うかもしれないが我慢をしてほしい。読者に我慢を強いるのは創作者として如何なものかと思うが、読者がゼロだと思えば何とでもなるものだ。とにかく私はいじめられた経験があり、いじめというものは幸せな経験ではない。これは確かだ。だけど、僕の思考はいじめられる中で鍛えられたと今は思う。もちろん、物を書くにしても人並み以上の特別な才能があるわけではないから、食っていけるようなレベルではない。だが自分で楽しむ程度は出来る。そして本当はそれで充分なんだ。

もしいじめられなかったら、僕はこうやって文章を書いていないだろう。逃避として始まった妄想癖が趣味になった。似たような人間はきっと多くいるだろう。才があって仕事になっている人もいるだろう。いいなと思う。またいじめられてもいない、人生が楽しくて仕方がない人間の中に、すごい才能を持った人もいる。これは本当に羨ましくて僕が神様はいないんだろうと信じる理由の一つになっている。しかし僕は、もし不幸を背負わなかったら物を書く人間にはならなかった。いじめられて孤立して初めて創作を始めた。沸き起こる衝動が創作へと突き動かしたのであるとかいう純粋な創作者ではない。もっと逃避的で創作者としては不純な存在だろう。だけど僕はそうなれたことを少しだけ幸せに思う。

いじめられなかったらどんなに良かっただろうとは思う。いじめられた過去を肯定はできない。いじめた人間を今でも殴り殺したい程に憎む日ももちろんある。殴り殺しても良いと法定すべきだとも思う。だけど僕はイジメた人間の今の生活を見て羨ましさと嫉妬で狂いそうになりながらも、負け惜しみが9割だが1割は本気でその幸せな彼らの人生に退屈を感じてしまう。家庭を持ち、子供を持ち、旅行へ行き、友達とワイワイとやる。その生活、酷く憧れる。酷く嫉妬する。ああ、羨ましい。俺もそんな人生を送りたかった。俺をいじめた連中が何でそんなに幸せに生きていけるんだ。悔しい悔しい腹立たしい。そう思う一方で、どこかで本気でそういう生活に退屈を見ている自分がいる。人生が一度しかない事を考えた時に、それは大多数の人生で、大量生産品で、言うなら彼らはバーコードなんだ。(もちろん、僕もいじめられたという経験を持つ大量生産品の一つなのだろうが)

だから、よくも僕をイジメてくれたなあのクソったれ共と思う一方で、あの下等な生き物たちは僕の人生の中に適切に配置されていたようにも思うんだ。

そして僕は書く中で色々な人に、助けられてきたことにも最近思い至る事が出来た。くそったれな世界で僕を助けてくれた人たちがいた。「こいつは助けなくてもいい」と判断された人間を助けようとしてくれた稀有な存在を思い出せた。

僕は出会うべき人に出会ってきたと今は思っている。

だからその物語を今から書こう。
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