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1. Paranoia

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アダルバート・ウェインは最低な人生を送ってきた。

彼はイギリスのボーンマス、という海辺の場所で産まれた。
 彼の母親は売春婦だった。父親はその客で、アダルバートとは一度も会わず、放蕩し、麻薬に溺れて死んでいる。
 親子の住むボロ小屋は、夜になると度々客が訪れる。全身刺青のチンピラ。歯の欠けた、焦点の会わない爺。彼らの共通点は、体臭が変なことである。これは後に覚醒剤の副作用だと知った。
 幼少期のアダルバートは、常に商売中の喘ぎ声を聞きながら育った。
 暴力的な性行為もある。母親は顔面を殴られ、奇声を発すると、客もまた奇声を発しながら射精するのである。
 実に奇怪な、淫靡な、よくわからないが、ひたすらに罪悪感と恐怖を感じる声を、アダルバートは行為の横で、布団に潜り込みながら育った。

 アダルバートのご飯は塩水だった。
 アダルバートにとって、これは幸いだった。固形物であれば、一々中身をほじくり返して、中に釘や虫が入っていないか確認しなければならないからである。
 食事には優劣があり、彼は決して椅子に腰かけてはならない。母親が悠然と飯を食べている間、彼は一口ごとに「お母さん、ありがとうございます」と呟く義務がある。
 この言葉を忘れると、恩知らずと罵られ、蹴られ、塩水にガソリンを注がれる。ガソリンが足されると、当然飲めない。
 飲めなくなるよりは、感謝を表し、塩水を飲むほうが利口である。それを知ってか知らずか、もしくは本当に感謝すべきだと考えていたのか、アダルバートは常に言葉を忘れなかった。
 足りないタンパク質は、バッタを食べて補った。アダルバートはバッタを食べるのが唯一の楽しみだった。
 最もこれも「あいつはバッタを食べるキチガイだ」と母親に罵られる原因だったのだが。

 母親は嬉しそうにアダルバートの醜態を語るのを好んだ。
 客と酒を煽りながら「奴は出来損ないの知恵遅れだ」だの、「股が小さい。ロクな付き合いは出来ないだろう」だの「脳味噌に異常があるんじゃないか?」だの、笑いながら話した。
 アダルバートはその声を別室で聞きながら、自分の出番を待つ。
「アダルバート!」と呼ばれると、地べたに這いつくばりながら、客と母親の前で「ごめんなさい」と言うのである。

「オカマ野郎。お前はなにが悪い?」と聞かれると理由を懸命に探しだし「食べ物を啜る音が汚い」「顔が醜い」「性根が腐ってる」云々、問いに答えるのである。
 最終的には「産まれてきたのが」と答えるのが正解で、母親はそれを聞くと満足そうに「ならお前は地獄に堕ちなきゃならないね」と実に嬉しそうに答えるのだった。
「私から逃げられると思うなよ。お前は一生苦しんで、惨めに死ぬんだ」
アダルバートは抵抗する手段を持たない。ただ頭を下げて、「はい」と頷くしかなかった。
 アダルバートが退席すると、母親と客の話は多いに盛り上がる。アダルバートの悪口で、酒は進み、談笑は続く。

 アダルバートが8歳の頃、自宅の枯葉剤を飲み自殺を試みたが、母親は反抗期だよと呟き、特に関心もなく、放置していた。

 ある日、アダルバートは犬を買ってもらった。母親が客にもらい、渋々受けとったそうである。
 アダルバートは本当に喜んだ。汚らわしい自分に、唯一と言っていい友達が出来た。
 アダルバートは犬に「ダービー」と名前をつけた。犬にしては、馬のように足が速かったのだ。

 ダービーと時々散歩に出掛けた。ボーンマスは前述通り、海沿いに近い街で、ダービーとアダルバートは海で遊んだ。
 遊び道具はなかったが、二人は心底楽しそうに遊んだ。波打ち際でぼうっとするのも、二人の楽しみだった。海と太陽が交わる地平線を、座って眺めた。
 ダービーは遠い目をして、地平線の向こうの太陽を眺めた。ダービーの体には、虐待で受けたような、細かい傷跡がある。
 その目は複雑で、悲観的で、ダービーにもなにか、辛い過去があるのてはないかしら、とアダルバートは考えていた。

 答えを考えている間に、ダービーは母親に猟銃で撃たれ死んだ。
「犬に愛着は湧いた?」と聞かれると、アダルバートは「うん」と答えた。その時、母親はダービーを撃ち殺したのだ。

 アダルバートはダービーの死骸と一緒に、物置小屋に閉じ込められた。
 途方もない日時が経った。数週間は暗闇の中で、飢えて過ごした。
 空腹に耐えられないアダルバートは、蛆虫だらけのダービーの死骸を食った。嗚咽を堪え、餓鬼のように貪った。
 ダービーの内臓は柔らかかった。弾力があり、腐臭に満ちた臓物は、アダルバートの神経を犯すに相応しいものだった。

 アダルバートは三週間後、物置小屋から出された。
 母親と客は嬉しそうに「奴は自分の犬を食う狂人だ。キチガイなんだ」と罵った。

 アダルバートは街を歩いた。
 親と楽しそうに歩く少女を見つめた。
 少女は幸せそうに親達と喋っている。 
 少女の手にはパンケーキと風船が握られている。買ってもらったのだ。

 強烈な憎しみと嫉妬が湧きあがった。
 自身、戦慄するほどに凶悪な負の感情が湧いた。殺したい、とさえ思った。

 事実、殺しにかかった。
 近くの鉄パイプを使い、少女の頭を乱打した。
 アダルバートは冷静に、確実に仕留めるよう、頭のこめかみだけを強打した。
 自身が本当にキチガイだった、と自覚することになる。少女は失明した。

 アダルバートは警察に捕まえられた。
 母親は泣いていた。
「無理にレイプされ孕まされた子だった」「普段から動物を殺していて、心底疲弊していた」「奴は悪魔の子だった。早く牢屋に連れ込んで」と、訴えた。
 母親は警察から同情され、慰められていた。その様子を眺めながら、対照的に警官からは軽蔑の目で見られ、アダルバートはパトカーに乗り込んだ。

 後はもう、刑務所と精神病院を行ったり来たりするばかりで、楽しみや喜び、悲嘆や憔悴などは、微塵にも感じられなかった。

 しかし23歳になったアダルバートは、生きる甲斐を見つけた。
 それは、少女を強姦し、殺し、人肉を食べることだった。
 立派に親のキチガイを受け継いだのである。
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