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その4

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 目が覚めると、健二は狭い部屋にいた。見覚えのある無機質な部屋だった。
「なんや、もう起きたんか」
 澤田はそう言うと、健二に目隠しをした。
 健二は必死に抵抗しようとしたが、体に全く力が入らなかった。
 目隠しをされたあと、健二は後ろに手を組まされ、その状態で手錠をかけられた。
「っ……ぁ……ぁぁっ……!」
 大声を出そうとしたのだが、声を上手く出せない。おかしい。
 その時、健二は悟った。澤田という男に薬を盛られたのだ。
 あの男は、親切を装って近づいてきたが、最初から俺を騙すつもりだったのだ。


「それでは、これより安楽死を執り行います。良いですね?」
 精神科医は健二にそう問うた。
「ぁ……! っ…! ぁ……!」
 健二は安楽死を取りやめて欲しいと叫んでいたが、上手く言葉にできなかった。
「言い残したことは何もないようですね。それでは、これから安楽死を執り行います。執行員の指示に従って前に進んでください」
 言葉にならない叫びを何度も発しながら、黒ずくめの男達に拘束された健二は、一歩、また一歩と歩を進めた。
 その途中、澤田の気配を感じた。健二はそこにいるであろう澤田に向かって怒りを投げかけた。
「ぁ……! ぁ……! ぁ……!}
 この野郎、俺を騙しやがって。ふざけんなよ。そう言ったつもりだったが、言葉になっていなかった。
「なんや、この子何言うてるんや?」
 とぼけた声で澤田はそう言った。
 そして、健二が澤田の前を通り過ぎようとした瞬間、澤田は健二にささやくようにこう言った。
「悪いな、兄ちゃん。これもワシらの『仕事』なんや」
 それを聞いた健二は、うめき声を発しながら体を大きく揺らした。
「……ぁ! ぁぁっ……! ぁ……!」
「えっ、何言うてるん? おっちゃん聞き取れへんなぁ。意味わからんなぁ。これも若者言葉ってやつか? ははっ」
 澤田はふんぞり返りながらそう言った。健二は激怒し、さらにうめき声をあげた。


 その一連のやりとりの意味を察した精神科医は、澤田の方を向き、こほん、と咳ばらいをした。
「えーっと、お静かに。それと澤田さん、安楽死対象者をあまり刺激しないようにお願いできますか。彼は今からここで最期を迎えるのですよ。もう少しちゃんとしてください」
「ははっ、すまん、すまん。次から気を付けますわー」
 はつらつとした声で澤田はそう言った。反省の色もかけらもないような声色だった。
 精神科医は、一切反省の色をみせない澤田を心底侮蔑するかのようににらみつけた。それを見た澤田は、にやりと顔を歪ませた。


 遂に、健二が最期の時を迎えるまであと一歩になった。
 あと一歩踏み出せば死んでしまうのだ。健二は震えが止まらなかった。
 死を目前にすると、もはや悲しいだとかそんな感情は一切わいてこなかった。ただただ死への恐怖が健二の頭の中を支配していた。
 死にたくない。お願いだから、もう止めてくれ。
 健二はそう言おうとしたが、それを言葉にすることができなかった。


 健二は、ずっとこうしていようと思った。安楽死はあくまで『許可』なのだ。自分がその権利を行使しなければ、きっと死ぬことはないだろう。
 しかし、その企みは見透かされていた。最期の一歩を踏み出さないことに見かねた黒ずくめの男達のひとりが、健二の背中を両手で強く押した。
 たまらず健二は体勢を崩してしまった。倒れまいと反射的に体を前のめりしてしまったが、それが最期の一歩の引き金となった。


 健二は最期の一歩を踏み出してしまった。
 次の瞬間、ストン、と床を踏み外した音が聞こえた。
 縄上の物体で首を締め上げられるのがわかった。
 苦しいと叫ぶ間もなく健二は意識を失った。


 部屋の真ん中で、太い縄で首を吊らされた健二がふらふらと体を左右に揺らしていた。
 別の部屋から数人の黒ずくめの男達が部屋の中に入ってきた。健二が意識を失っているのを確認すると、黒ずくめの男達は精神科医に目配せした。
 精神科医は部屋にかけられた時計に視線を移した。


 ――午後二時四十三分。
 それが健二が永遠の眠りに就いた時刻だった。

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