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第十一話 出発

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【8日目:朝 東第一校舎一階 ボイラー室】

 暁陽日輝と安藤凜々花は、一時間ずつの休憩を四回取った。
 睡眠の効果をより得るためには、連続睡眠時間をもっと伸ばしたほうがいいのは間違いなかったが、起きている側は襲撃者に備えて気を張り続けておく必要がある以上、集中力を保てるのは一時間が限界だと考えての判断だ。
 陽日輝が四度目の仮眠から目を覚ましたとき、凜々花は木箱に腰かけて、陽日輝が深夜に手渡した校内見取り図を見つめていた。
 陽日輝が冷たい床から上体を起こしたのを見て、凜々花は微笑んだ。
「陽日輝さん、おはようございます。よく眠れましたか?」
「まあ、熟睡とはいかなかったけど、確実に楽にはなったな。凜々花ちゃんこそ、もう一回くらい寝てもいいんだぜ?」
「嬉しいお言葉ですが、もう八時過ぎですしね。普段だったら、完全に遅刻です」
 遅刻。
 それが何やら、ファンタジーの世界の専門用語のようですらあった。
 ほんの一週間ほど前まで、自分たちは普通に学校に通う高校生だったというのに、いつの間にかこの殺伐とした状況のほうこそが日常に変わりつつある。
 人間というのは、環境の変化に適応する生き物だとはよく言うが、それにしたって、こんな状況に適応しなければ生き残ることができないというのは、なんだか虚しい話ではあった。
「まあ、休んでばかりもいられないのは確かだな。なんせここには水も食料もないし、寝れるって言っても地べたに雑魚寝だ。正直床は固いし冷たいしで、あまり快適じゃなかったろ?」
「……あはは。まあ、それは否定できませんね。ちょっと節々が痛いかもしれません」
 凜々花は、肩の辺りを気にするような素振りをしながら言う。
 ……それにしても、久し振りに眠れたからか、一緒に行動する相手ができたからか、凜々花が笑顔をよく見せてくれるようになってきた気がする。
 少しは心を開いてくれた――と、思っていいのだろうか。
 一度は殺し合いにまで発展した相手だというのに、凜々花に少しは親しみを持ってもらえているのかもと考えると、嬉しく思う自分がいる。
 つくづく甘い男だ俺は、と、陽日輝は内心苦笑しながら、話を続けた。
「俺たちの最終目標は、表紙を二百枚集めて『投票』して、この学校から生きて帰ることだ。そのために、生徒葬会を有利に進められるよう、能力説明ページも並行して集める。それは、いいよな?」
「――はい」
 凜々花が神妙に頷く。
 陽日輝が、これからの行動に関する話を切り出しているということに、すぐに気付いたようだった。
 そう――無策に動き回っても、体力と気力を無駄に消耗してしまうだけだ。
 それを、一人きりで行動していた一週間で、陽日輝は痛感していた。
 きっと凜々花も、同じだろう。
「だけど、現実問題、俺たちは水を飲んでご飯を食べなきゃならないし、昨夜凜々花ちゃんが言ってたように、いい加減体くらい洗いたい。それらすべて満たせそうなのは部室棟だけど、あそこはきっと他の生徒も集まる。それも下手したら同時に何人も。リスク覚悟で向かうのも手だろうけど、俺は、ひとまず食料を確保するのが先決だと思う」
「……そうですね。私も、自分が思っている以上に自分には体力が無いことを痛感しました。今は万全、とはいかずとも、体調を整える必要があると思います」
 凜々花がどう答えるかは少し不安だったが、幸い同意してくれた。
 陽日輝は、凜々花の手の中にある校内見取り図を指さした。
「凜々花ちゃん、ちょっとそれ、床に置いてくれ」
「はい」
 凜々花は、校内見取り図を広げた状態で、床にそっと置いた。
 陽日輝が一年生の頃から使っているので、だいぶ汚れてはいるが、まだ文字や線の判別はできる。陽日輝は左胸のポケットからボールペンを取り出すと、見取り図上の一点を示した。
「ここが、今俺たちがいる東第一校舎一階の、ボイラー室。で」
 ボールペンを斜めに動かし、別の場所に描かれたとある施設を、陽日輝は示した。
「俺が行きたいのは、ここだ」
「……? 旧校舎の裏山ですか?」
 凜々花が、怪訝そうに聞いてきた。
 無理もない。
 確かに陽日輝は、旧校舎の裏にある裏山を指し示したが、一年生である凜々花には、いや、たとえ二年生以上であっても、多くの生徒には、その場所に何かがあるなんて、到底思えないだろうからだ。
 旧校舎の裏山は手入れもされておらず、木や草は伸び放題で、昼間でも薄暗い。その先には、敷地内外を分けるフェンスがあるだけの、本当にただ、学校の敷地の中、という以上の意味を持たない、無用な場所。
 それが、ほとんどの生徒のイメージする、裏山という場所だろう。
 しかし陽日輝は、そうではないことを知っている。
 そのため、凜々花の疑念に満ちた問いかけにも、
「ああ、その裏山だ」
と不敵に笑い、コンコンと、ボールペンの頭で見取り図を叩いた。
「裏山の奥には、旧校舎が現役だった頃に建てられた小屋があるんだよ」
「小屋? あんな放置された山の奥にですか……?」
「放置されたのは、旧校舎が旧校舎になったからだ。この辺の街の人口が多かった時代に、この学校が一大プロジェクトとして本校舎と東西南北の十二校舎を新設したことで、旧校舎ともども用済みになったってわけだよ。――ま、俺もその棚にあった古い校史を読んで知ったんだけどな」
 陽日輝は、バリケード代わりにしているガラス棚の一点を指さした。
 薄茶色に変色したザラ紙をステープルした、いたって簡易な造りの書類が、そこには数十冊、並べられている。
 その中に、この学校の歴史を綴った資料があったのを、陽日輝は授業をサボってこの場所で時間を潰していたときに、偶然発見したのだ。
 裏山の奥に、小屋がある。
 そのことを知った陽日輝は、好奇心から実際に確かめにも行った。
 なので、その小屋が今もまだ取り壊されず、現存していることを知っている。
 しかし、凜々花はなおも半信半疑だ。
 陽日輝が指し示したガラス棚を開けて、その中から校史の冊子を探し当てて、ぱらぱらとページをめくる。
 やがてその手は止まり、そのページにじっと見入った。
 そして、視線を左右させ、そこに書かれた内容をひとしきり読み終えた後で、言う。
「……小屋があるのは分かりました。旧校舎が現役だった頃に、宿直室代わりに使われていた小屋で、事務室と仮眠室、トイレと浴室もあると書かれてますね。確かにそれが本当なら、私たちがこの場所を目指す価値はあると思いますが――旧校舎以上に荒れ果てて、見る影もない、なんてことはありませんよね?」
「ああ、それは大丈夫だ。今年の夏にも見に行ったけど、水どころかお湯も出るし、仮眠室にあるコンロも点く。それに、そこにある冷蔵庫や棚には、俺がカップラーメンやらお菓子やらジュースやらを持ち込んでるからな。今もまだあるはずだ」
「なるほど……。しかし、このボイラー室といい、さては陽日輝さん、校内にいくつか、サボタージュするための隠れ家を作ってますね?」
 凜々花がジト目でそう言ってきたので、陽日輝は苦笑いを返した。
「まあな。俺はあまり真面目な学生じゃないんだ」
「……そのようですね。ですが、そのおかげで食料やシャワーの問題も解決しそうです。――しかし、そんな便利な場所、どうしてこの一週間、使わなかったんですか? 陽日輝さんの口ぶりからして、生徒葬会が始まってからは一度も訪れていないようですが」
「ああ……もちろん、理由はあるぜ」
 ――水は水道水でどうにかできるが、食料はそうにもいかない。
 しかし陽日輝はこの一週間、自分の通学カバンに入っていたお菓子や、その辺りに生えていた食べられそうな雑草で凌いできた。
 食料が確かに存在し、多くの生徒に認知されていない場所を知りながら、だ。
 もったいぶって、とっておきにしていたわけではない――そんな出し惜しみができるほど、今自分たちが置かれている状況は甘くない。
 ならばなぜか。
 簡単だ。
「……俺が、たびたび授業をサボってることは話したけどさ。誰とサボってたかって話は、まだしてないよな」
「……? ええ……でもそんな話、する必要は――。……!」
 凜々花は、言いながらその答えに思い至ったようだった。
 ハッと目を見開き、陽日輝を見やる。
「陽日輝さんと一緒にサボタージュをしていたメンバーは、裏山の小屋の存在を知っている……! そういうことですか、陽日輝さん……!?」
「――ああ、そういうことだ。だから、足が向かなかったんだよ。俺以外のメンツも、あの場所がこういう状況にはうってつけだって、当然考えてるだろうからな」
 陽日輝が、一年の頃からよく一緒に授業をサボったり、遊びに行ったりしていた仲間たち。親友とまでは言えないが、友人だった面々。
 現にそのうちの一人とは、旧校舎裏で遭遇している。
 昨夜、『創刃(クリエイトナイフ)』で自分を殺そうとしてきた、あいつは。
 あいつももしかしたら、裏山の小屋に行こうとしていたのかもしれない。
 だとしたら他のメンツのうちの誰かは、すでに小屋に辿り着いているかもしれない。
 それが、陽日輝の懸念事項だった。
「――。陽日輝さんは、友達を殺したくないですか?」
「……俺はもう一人殺してるよ。言い訳するなら、向こうから襲ってきたんだけど、まあ、殺したことには変わらない。だけど――あまり気分のいいもんじゃないな」
「…………すいません。無神経なことを聞きました」
「気にするなよ、凜々花ちゃんには話してなかったしな。……それに、謝るのは俺のほうだ。俺は、この期に及んでアイツらと、できればやり合いたくはないと思ってる。だから、小屋に行くことを提案するかどうかも、正直ギリギリまで迷ってた。俺の甘さで私情を挟んで、判断を誤りかけたんだ。だから、俺のほうこそすまない」
 陽日輝はそう言って、凜々花に向かって頭を下げた。
 ――そう。
 陽日輝が裏山の小屋に行かなかったのは、他にもあの場所を知る者がいるから――というのも間違いではないが、正確ではない。
 より正確に言えば、あの場所を知る者は自分の友人ばかりであるため、あの場所に向かうと、彼ら彼女らと殺し合いをすることになる可能性が高いから。
 しかし――今、自分は一人ではない。
 凜々花と一緒にいる以上、自分の私情で、彼女を不当に不利にはできない。
「顔を上げてください、陽日輝さん」
 凜々花は。
 心苦しそうに、しかし確固たる意志を感じさせる声で、そう言った。
 その声に気圧され、陽日輝は顔を上げ、凜々花をまじまじと見つめる。
 凜々花の瞳には、今、強い意志の光が宿っていた。
「甘いことを言ったのも、私情を挟んだのも、私のほうが先ですよ。私が怜子の『創傷移動(スクラッチスライド)』を欲しいと言ったのが先です。そしてそれは、今でも撤回するつもりはありません。……ですから、陽日輝さんは、謝らないでください。私も、怜子を殺されて――そのとき、楽に死なせてあげることが、できませんでしたから、だから、陽日輝さんの気持ちはわかります。なので、陽日輝さんを責めるつもりなんて、これっぽっちもありませんよ」
 そこまで言ったところで、凜々花の顔から険が落ち、微笑みが漏れた。
 陽日輝はぽかんと口を開け――それから、またも苦笑いを浮かべてしまう。
「敵わないな、凜々花ちゃんには」
 下級生の、それも女の子に、ここまで言わせてしまうとは。
 本当に甲斐性の無い男だ、俺は。
「……わかったよ。おかげで覚悟も決まった。裏庭の小屋に向かおう。そこで誰と出会おうと――俺は、迷わない」
 陽日輝がそう言い切って、立ち上がりかけた、そのとき。
 ――――ボイラー室の扉が、轟音と共に砕け散っていた。
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