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第百二十七話 依存

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【11日目:未明 北第一校舎一階 保健室】

 カーテンを閉め切り、電気も消してある保健室は、カーテンの隙間から僅かに差し込む月明かりが辛うじてあるだけで、ほぼ真っ暗闇だ。
 根岸藍実は、どこか薬品臭のする保健室のベッドに仰向けになったまま、ぼんやりと天井を見上げていた。
 脳裏に浮かぶのは、上半身と下半身を両断された挙句に燃やされた、最上環奈の遺体。
 若駒ツボミによってその遺体は、立花百花のものともども片付けられているものの、鼻につく血と肉と糞便と、それらが焼け付く臭いが、今でも鼻腔に貼り付いているかのように感じてしまう。
 ……環奈は何が何だか分からないままツボミに利用され、死んだ。
 ツボミに救われ、ツボミを慕い、ツボミに尽くしてきた彼女が。
 藍実は怒りと悲しみを感じながらも、ツボミを憎み切れない自分がいることに気付いている。
 そんな自分が浅ましく、矮小に思えて、それでも藍実は、こうしてツボミの庇護下に置かれ続けることを選んでいる。
 ……藍実は、隣のベッドに脱ぎ置いた制服と下着を見つめる。
 二人分の制服と下着。
 今、藍実は、隣に横たわるツボミ同様、一糸纏わぬ姿でいる。
 藍実は生徒葬会の中でツボミと身体を重ねた。
 異性とも身体を合わせたことの無い藍実にとって、それは初めての経験で。
 死の恐怖が常に付きまとう生徒葬会において、藍実は身も心もツボミに依存していた。
「…………」
 寝返りを打ち、こちらに背中を向けているツボミを見つめる。
 藍実が動いたことで掛け布団がずれて、ツボミの綺麗な肩と二の腕、背中が露わになる。
 ……この背中を刺すことも、選択肢の一つではあるのだろう。
 しかし、中途半端に利口で臆病な自分には、それを実行に移すことはできない。
 環奈が使い捨てられるその様を見てもなお、ツボミに付き従うことでしか、自分が生きて帰る道を見出せないからだ。
 ――立花百花は、手帳を所持していなかった。
『流石は月瀬嬢だな。最低限の保険は打っていたか』
 と、ツボミはそう言っていた。
 要するに、百花が敗死する可能性を想定して、月瀬愛巫子が百花から手帳を預かっていたのだろう。
 百花も、ツボミに復讐できればいいという考えでいただろうから、その申し出を容易く受け入れたはずだ。
 百花が使用していた『絶対必中(クリティカル)』を始めとする能力を手中に収めることは叶わなかったが、強敵の一人を排除できたことは確かだ。
 ツボミとの行為を終えたあたりで、残り人数は19人にまで減っていた。
 こうしている間にも、生徒葬会は進行し、どこかで誰かが死んでいる。
 それは暁陽日輝かもしれないし、安藤凜々花や四葉クロエかもしれない。
 あるいは、三嶋ハナや辻見一花かもしれない。
 藍実は、まだ熱の残る身体を冷まそうと、そっと布団から抜け出した。
 裸のまま廊下に出る。
 廊下の突き当たり、非常灯の緑色の灯りがぼんやりと周囲を照らしていた。
 自分の『通行禁止(ノー・ゴー)』によって、この北第一校舎の一階は何人たりとも出入りできない不可侵の領域と化している。
 そういった能力を持てたことは、自分が正気を保っていられる理由の一つだろう。
 ……果たして本当に正気なのかは、わからないけれど。
 環奈が死んでそう経たないうちに、環奈を殺した張本人であるツボミと身体を重ね、舌を絡め、股を濡らしながら嬌声を上げていた自分が、本当に正気なのかは。
 生徒葬会という異常な環境が、自分から理性のタガを外させていっているように思えてならなかった。
 あるいは、これが自分の本性なのかもしれない。
 臆病で、薄情で、卑怯な、とても矮小で淫乱な女。
 藍実は廊下をゆっくりと歩いて女子トイレまで行き、手洗い場の鏡に映る自分を見つめた。
 鏡から少し離れて立つと、全身が映る。
 傷ひとつないこの身体は、環奈に治療され、ツボミに守護されてきたから。
 こうしている間にも、陽日輝や凜々花は生きるか死ぬかの殺し合いの渦中にいるかもしれないのに。
 自分とツボミ、互いの唾液と愛液で濡れた唇が、首筋が、乳房が、指先が、下腹部が、夜の闇の中でもてかっているように見える。
 それは錯覚なのかもしれない――藍実の、ツボミとの行為に逃避するように浸り、溺れていた自分自身を責める感情が、そう見せたのかもしれない。
 藍実は、自分がいつの間にか涙ぐんでいることに気付いた。
 ――どうして、こんなことになったんだろう。
 ――どうして、こんなことをしているんだろう。
 自分がもっと強ければ、あるいは違う『いま』もあったはずだ。
 環奈は死ななかったかもしれない。
 環奈だけじゃない、立花姉弟も。
 そして、陽日輝や凜々花と一緒にいた自分もありえたかもしれない。
 だけど、現実は、本来憎むべきツボミの庇護下で、彼女に利用価値を証明することで生き永らえているに過ぎない。
 いや、それだけならまだよかった。
 自分はツボミに抱かれることに悦びを感じてしまっている。
 そうしている間だけは、血の臭いも、断末魔の悲鳴も、憎悪の眼差しも、死の恐怖も、未来への絶望も、忘れていられるから。
 藍実は手の甲で涙を拭い、保健室へと戻っていった。
 物音を立てないよう気を付けていたはずだったが、ツボミは目を覚ましていた。
 下着だけを身に付けて、ベッドの端に腰掛けている。
「藍実、少し眠るといい。その間私が見張っておく」
「……ですが……」
「『通行禁止』が解ける間不安になるのは分かる。だがこれまでも何事もなかっただろう? 私がいる限り大丈夫だ。藍実に危険は及ばない。私が及ばせない」
 ツボミはそう言って、藍実のお団子頭をぽんぽんと叩いた。
 それからその手を、そっと藍実の頬に添え、じっと見つめる。
 ……あなたは環奈にも、同じようなことを言っていたじゃないですか。
 その言葉をぐっと飲み込み、藍実は微笑みながら頷いた。
「はい――ツボミさん。お言葉に甘えて、少し休みます」
「それでいい。それじゃあおやすみ、藍実」
 ツボミが薄く微笑んで、そして保健室から出て行くのを、藍実は見送った。
 それから、再びベッドに潜り込み、天井を見上げる。
 掛け布団には、二人の身体から移った人肌の温もりが。
 敷き布団には、二人の身体から零れた体液の冷たさが残っている。
 ……それを心地よく感じてしまう自分が少し嫌で。
 少ししか嫌じゃない自分が、たまらなく嫌だった。
「……本当は、あなたが一番正しかったんでしょうか」
 藍実は、この北第一校舎で叛乱を起こし、そして死んだ星川芽衣のことを思った。
 陽日輝やツボミを敵に回してまで、一か八かの抵抗に打って出た彼女。
 それが絶望ゆえの行動だとしても、自分には到底できないことだ。
 藍実は布団の中に潜り込み、そして目を閉じた。
 程なくして睡魔がやってきて、自分を睡眠という安寧へと沈ませる。
 疲労だけじゃない、ツボミに依存してしまっているからこそ、こうして簡単に眠りに落ちることができる。できてしまう。
 そんな自分にほとほと嫌気が差しながらも、藍実は深い眠りへと落ちていった。
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