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第二十一話 二階

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【8日目:昼 北第一校舎二階 廊下】

 暁陽日輝は、北第一校舎の二階に辿り着いた。
 若駒ツボミに『依頼』された、東城要殺害。
 それは決して、楽な仕事ではないだろう。
 あのとき、凜々花と自分の傷の手当を急ぐあまり、焔と水夏の手帳を回収できなかったことを、今さらのように後悔する。
『あの……暁さん』
 思い出すのは、階段を登り始める直前、自分に付き添ってくれたお団子ヘアの女子生徒――根岸藍実に伝えられた言葉だ。
『私は若駒さんに恩があります。生徒葬会が始まってすぐ、殺されかけたところを助けられたんです。屋外だと、私の『通行禁止(ノー・ゴー)』は使えませんから。……ですが、それでも言わずにはいられません。――若駒さんは、あなたが死んでも構わないと思っています』
 藍実は、二人で歩いてきた廊下の向こう――保健室のほうを見やり、苦い表情を浮かべた。
『東城を倒すだけなら、凜々花が目を覚ますのを待った上で、若駒さんも加わるべきですが――若駒さんは、そこまでのリスクは冒したくないんです。凜々花を残しているのも、あなたに逃げられたり寝返ったりされないようにという保険です。……あの人は悪人ではないでしょうが、善人でもありません。私も、偉そうに言えた立場ではありませんけど』
『……まあ、そうだろうな。したたかな人だと思ったよ』
 ツボミが、東城要の非道に義憤の念を抱いているのは事実だろう。
 しかしそれはそれとして、正義感のために死地に飛び込むタイプではない。
 自分に東城要討伐を遂行させるため、凜々花を人質にしていることにも気付いていた。
 わざわざそれを匂わせるような発言はしなかったが、さすがに察する。
『だけどまあ、俺と凜々花ちゃんのことを助けてくれたのは確かだし、それに、さっき提示された条件自体は悪くない。せいぜい利用されてやるさ』
 ツボミからは、東城要を殺すことに成功したなら、東城の持つ表紙と能力説明ページは持って行っていいと言われている。
 さらに、東城要との戦いで負傷した場合は、最上環奈の『超自然治癒(ネオヒーリング)』により完全に治療すると。
 あくまでも口約束だが、ツボミにしてみれば自分たちの存在を認識しておりかつ強力な能力を持つ東城要は、差し迫った脅威であり、それを自分はリスクを冒さずして排除してもらえるというのなら万々歳なのだろう。
 自分たちでは動かず、表紙を多く集めた生徒を討つというスタンスなのもあり、『今は』表紙は要らない、ということでもあるはずだ。
 藍実は浮かない表情のまま、こうも言った。
『東城を倒せたら、またここに戻ってきてください。私も時々様子を見に来ますから、そのときにまた『通行禁止』を解除します』
『ああ、わかった。――心配してくれてありがとう。そのお礼になるかは分からないけど、俺からも一つ忠告しとくけど――若駒さんは、もし表紙の枚数が足りなくなったなら――きっと躊躇無く君と環奈ちゃんを殺すぜ』
 生徒葬会から生きて帰ることができるのは、三人。
 今後、日付が変わるたびにあるという『議長』の放送以外では、生徒葬会の進行具合を知ることができない以上、『抜け駆け』をされてしまう可能性はある。
 そうなった場合、三人で行動しているツボミたちは、全員での生還ができない。
 そうした局面が訪れたとき――若駒ツボミは、共に行動している仲間であるところの藍実と環奈を、迷い無く切り捨てることができるだろう。
 ツボミとは出会ってからそう経っていないが、彼女の瞳の奥からは、そのような冷徹さが窺えた。
『……。もちろん、そうなることも織り込み済みです。私も、自衛の手段は考えています』
『――そうか。要らない心配だったな』
『いえ……ありがとうございます』
 藍実とは、そのような会話を交わして別れ。
 いったん『通行禁止』が解除された階段を登って、陽日輝は二階に足を踏み入れたのだった。
「……こっちは通行止めか」
 東城の本拠地は三階だと聞いていたので、そのまま二階は素通りするつもりだったが、二階と三階の間の踊り場辺りには、倉庫から出してきたのだろうか、机や椅子だけではなく、古い型式のテレビやコンピュータ、プロジェクターやプリンターといった機械類が山積みにされ、かなり本格的なバリケードが構築されていた。
 『夜明光(サンライズ)』により強行突破することも不可能ではないが、それよりは反対側の階段から三階に向かったほうが賢明だろう。
 わざわざ相手に存在を知らせるようなことをする必要はない。
 陽日輝は、日光は差し込んでいるものの、電気が点いていないので少し陰を感じる廊下を、足音を立てないよう気を付けながら歩き始めた。
 こうして凜々花と離れて行動するのも、久し振りに感じる。
 実際には、凜々花と行動を共にしていたのは昨夜から今朝にかけての短い時間なのだが、その間に幾度となく修羅場を潜り抜けているため、実際の時間以上のものを感じていた。
 凜々花がいなければ自分は死んでいたし、自分がいなければ凜々花は死んでいた。
 しかし今回は、その凜々花がいない――自分一人で切り抜けなければならない。
 そのためには、どう立ち回るべきか――
「――マジかよ……」
 陽日輝は、思案しながら廊下を五メートルばかり進んだところで、そう呟きながら立ち止まった。
 ――三階へと続く奥の階段から、一人の生徒が下りてきたからだ。
 学校指定のブレザーのボタンをすべて開けている、金髪の男子生徒。
 ツボミから聞かされていた情報によると、東城要ではなく、その取り巻きの一人である伊東(いとう)という三年生だ。
 見た目に違わぬ素行の悪い生徒で、生徒葬会以前から、停学処分を受けたりとあまり良い評判はなかったそうだ。
 その伊東は、「ああん?」と怪訝そうに眼を剥いて、それから、「オマエ、一階にいる連中か?」と聞いてきた。
「……だとしたらどうするんだ?」
 陽日輝は答えながらも、伊東以外の生徒がいないか気配を探る。
 恐らく東城も、一階にいるツボミたちをいつまでも放置するつもりはないのだろう――時々二階に人を行かせて、一階に降りれるかどうか試しているに違いない。自分はちょうどその巡回のタイミングにかちあってしまったというわけだ。
「オマエ一年か二年だろ。口の利き方がなってねぇぞ」
「東城要は三階にいるのか?」
「……チッ……答えろやカス」
 伊東は廊下に唾を吐き捨て、それから、ニチャア、という擬音が聞こえてきそうなほど、下卑た笑みを浮かべていた。
「まあいいわ。ぶっ殺してやるよ――要の野郎、気に入った女は独占しやがるからよ、オレもストレス溜まってんだわ」
 東城の陰口を叩く伊東の声には、その言葉とは裏腹に恐れの色が滲んでいる。
 東城のことを疎ましく思いながらも、逆らえないのだろう。
 それほどの『能力』が、東城にはあるのか。それとも、生徒葬会以前からのパワーバランスなのか。
 いずれにせよ――コイツをどうにかしないと、先には進めない。
「死ねやッ! 『大波強波(ビッグウェーブ)』!」
 伊東が、そう声を張り上げた直後だ。
ゴゴゴゴゴォ……という、地の底から響くような轟音が聞こえたのは。
 しかし、その音の正体を探る必要はなかった。
 ――すぐに目の当たりにすることになったからだ。
 伊東の足元から突如として溢れ出し、廊下の床一面に広がった水流を。
「なっ――……!?」
「ヒィヤッハァ! 溺れちまえェッ!」
 伊東が狂喜する声は、こちらに向かって凄まじい勢いで流れてくる水の音によってかき消される。
 水深は、せいぜい自分の膝下くらいまでだろう。
 しかし、それだけあれば成人男性でも身動きが取れなくなるのだということを、陽日輝は防災の知識として知っていたし、現にそうなっている。
 それに、水流の勢いが強すぎる――必死に踏ん張っていないとすぐにでも倒れてしまいそうだ。
 そして一度転んでしまったなら、二度と起き上がることはできないだろう。
 そうなれば、待っているのは溺死という末路だ。
「う、ぐっ……!」
「しぶてェなァ! とっとと死ねや!」
 陽日輝に、伊東のその煽りに応える余裕はなかった。
 『夜明光』なら少量の水を蒸発させるくらいのことはできるが、とめどなく溢れ出す水流を、さながらモーセの十戒のように割って進めるほどの効果はない。
 なら、すぐ横の教室にでも逃げるか?
 いや――無理やり動いたりしたらそれこそ足元を掬われかねない。
 ――こんなとき、凜々花がいれば、と陽日輝は思ってしまっていた。
 凜々花の『一枚入魂(オーバードライブスロー)』なら、この状況でも伊東に対して攻撃を行うことができるし、それに、そのような能力的な相性の問題を抜きにしても、二人一緒なら、切り抜けられるような気がするのだ。
 今までが、そうだったように。
「くっ……うおあっ!」
 陽日輝は、絶え間なく襲い来る水流によってついに足を取られた。
 その瞬間、流れは獰猛に陽日輝を後方へと、そして水底へと運ぼうとする。
 半ば本能的に顔を上げようとしても、流れに揉まれて上下左右も不確かになった。
 それでも陽日輝は闇雲に手を伸ばし、どうにか、廊下の端に設置されていた消火器を掴むことで、平衡感覚を取り戻すと共に、水から顔を出すことができた。
 今時珍しい、大型の泡消火器だ。
 それもかなりしっかりと固定されていたおかげで、この水流にも耐えている。
 それでも、顎を意識して上に向けていないと鼻や口に水が入るような、予断を許さない状態ではあったが、伊東自身もこの水流のおかげでこちらに接近してこれないというのが、陽日輝にとって幸いだった。
 とはいえ、伊東はこちらが溺れ死ぬのを待てばいいだけだ。
 藍実の『通行禁止』により、この水は一階にまで流れ込むことはないだろうが、このままでは二階が水没してしまう――と、考えたところで、陽日輝は気付いた。
 先ほどから、水位がまったく変わっていない。
 これほどの量の水を、『通行禁止』で一階に水が流出しない状態で使い続けていれば、すでに廊下の真ん中くらいまで水位が上がっていてもおかしくないはずなのに。
「…………っ」
 陽日輝は、両手で消火器を抱えるようにしてしっかりと掴まりながら、後ろを振り向く。
 水流は廊下の突き当りの壁にぶつかったところで、次々に消滅していた。
 どうやらこの『大波強波』という能力によって生み出された水流は、射程距離がある、あるいは壁にぶつかったら消える、というような仕組みになっているようだ。
 とはいえ、だからといって状況は好転しない。
 このままでは自分の手が消火器から離れるか、あるいは消火器の固定が外れて消火器ごと流されるか、二つに一つだろう。
 どうにかこの状況を切り抜ける方法を考えなければ――
 陽日輝はそう考えていたが、しかし。
 水流の轟音にも負けない大声で伊東が叫んできた言葉により、その認識があまりにも甘かったことを思い知らされた。
「いいザマだなァ! このままオマエが沈むのを待つのも面白えけどよ、こういうのはどうだァ?」
「ッ!」
 顎まで水に浸かりながら、陽日輝が見たものは。
 近くの教室から持ってきたのだろう、伊東の傍らに置かれた、机や椅子だった。
「そらそらァ! プレゼントだぜ、ありがたく受け取れやァ! ヒャハァ!」
 伊東が声高らかに、椅子や机を引っ掴んでは水面へと投げ込んでいく。
 それらは一瞬沈んだ後で浮かび上がり、勢いに乗ってこちらへと流されてくる。
「ち、畜生――!」
 潜ってもこのままでも、机や椅子の直撃は避けられない。
 『夜明光』で迎撃するとしても、その場合、片手を離すことになる。
 いずれにしても、自分は水流に呑み込まれてしまうだろう。
 そして先ほど振り返ったときに、もうこの消火器のような掴めそうなものは後方にはないことを確認している――壁まで流され、そこでなすすべもなく溺死するだけだ。
 陽日輝はそれでも、迫り来る机や椅子を睨み付けながら、この状況を打破する術を模索し続けていた。
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