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第二十六話 三階

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【8日目:昼 北第一校舎三階 廊下】

『この北第一校舎の二階と三階には、ある男が『王国』を作っている。力で他の生徒をねじ伏せて、使役しているんだ』
 若駒ツボミがそう言っていたのを思い返しながら、暁陽日輝は三階へと足を進めた。その傍らには、つい先ほど出会ったばかりの銀髪灰眼の少女・四葉クロエがいる。
 彼女がいなければ、二階での伊東との戦いに勝てていたかどうかは分からないし、これから始まる戦いのことを考えれば、彼女の協力はありがたい。
 しかし、心を許しすぎるわけにはいかない相手なのは確かだ。
「――この教室だ」
 陽日輝は、ツボミから聞いていた教室の前で立ち止まり、クロエを見やる。
 クロエは「I got it」と呟いた後で、肩をすくめて「分かりましたわ」と言い直した。
「……それくらいなら分かるよ」
「それは失礼。日本の方は英語が全然ダメな方が多い印象ですので。一応授業でも習っているはずですのにね」
 クロエは、これから決して楽ではない戦いが始まるというのに、随分と余裕げだ。伊東との戦いのときにも思っていたが、肝が据わっている。
 それは人種の違い――というわけでも、ないだろう。
 陽日輝は、「準備はいいか?」と小声で確認した。
 クロエは「You bet!!」と不敵に笑って返す。
 ……あんなことを言った矢先なので言えないが、正直何て言っているのか分からなかった。まあ、文脈と表情から察するに「分かった」とか「もちろん」とかそういう意味なのだろう、きっと。
 陽日輝は、罠が仕掛けられていないか警戒しながら、廊下と教室とを隔てる横開きのドアに手をかけ――そのまま、一思いに開いていた。
 すぐさま教室に踏み込み、全体を見渡し――そして、絶句した。
「――あぁ? 誰だお前。洋輔(ようすけ)の奴、しくじりやがったか」
 ドスの効いた低い声は、陽日輝の頭の上から降ってきている。
 ……何の変哲もない普通教室であるはずのその部屋は、まさに『王国』に作り替えられていた。
 その『王国』の象徴たるものがあるのが、教室の中央だ。
 いくつもの机と椅子が、ロープによって互いに結び付けられた上で積み上げられ、ピラミッドのような形状になっている。
 その頂点、天井に近いほどの高さに、ツボミから聞いていた外見的特徴に一致する男子生徒――東城要はいた。
 ブレザーの袖に手を通さず羽織っているその姿が、やけに様になっている――不良として、そして支配者として、過ごしてきた時間の長さを感じる。
 赤い肌シャツがはち切れんばかりの胸板の厚さは、彼の恵まれた体格を一目で理解させてくれた。
 髪の毛は染めていないし、ピアスもしていない。
 しかし、そんな分かりやすい不良の記号がなくても、彼が暴力によってすべてを押し通してきた暴君であることは、その凶暴さと冷徹さとを併せ持つような、狡猾な肉食獣のような眼差しを見れば一瞬で理解できた。
 そして――その東城要からピラミッドの一段下には、二人の女子生徒がいた。
 ピラミッドから離れた場所にも二人、合計四人だ。
 彼女たちに共通するのは、怯え切った目と絶望し切った表情。
 そして、制服はおろか下着すら身に着けていない、一糸纏わぬ全裸であるということ。
 さらに陽日輝は、気付きたくないことにも気付いてしまう。
 その女子生徒たちの内、ピラミッドの上にいる二人の内の一人は、クラスメイトだった。星川芽衣(ほしかわ・めい)というテニス部所属の明るい子だ。
 芽衣の陽日輝を見る目には、知人に出会ったことに対する驚愕の色が混じっている――しかし、この『王国』で虐げられていた時間の長さゆえか、クラスメイトに裸体を見られたことを恥じらう素振りすらない。
 そんな感情が生じるほど、彼女の心に余裕が残されていないのだろう。
 それだけではない。
 芽衣とは別の、ピラミッドから離れている女子生徒の股からは、白濁としたモノが垂れ落ちている。粘り気のあるソレが何であるかは、考えたくもなかった。
「なんだよ――これ」
 口を突いて出たその言葉と共に、ふつふつと沸き上がるのは怒りだった。
 ――ツボミから、言葉では聞いていた。
 東城要という男が、この場所でどのようなことをしていたのか。
『元々素行の良い輩ではなかったが、この生徒葬会を利用して欲望の限りを尽くしている。男は手帳を集めるための労働力、女は奴の欲望の捌け口にされている』
『酷いなんてものじゃない。私は環奈から話を聞いて、奴を殺すため一度三階に行ったから、奴が根城にしている教室の中を見ている。――今も同じ建物で、あんな地獄が存在しているのだと思うと、身の毛もよだつ』
 ツボミの言っていたことは、比喩でも誇張でも何でもない。
 ここにあるのは間違いなく地獄。
 身の毛もよだつような、東城要という独裁者の『王国』だ。
「あぁ……若駒にでも頼まれたか? 俺を殺すのをよ。アイツかなりキレてたからなあ……まあ、どうでもいいわ。若駒のせいで舎弟どもは殺されるわ床が血で汚れるわで散々だったんだわ。だから殺し合いすんのも面倒臭え。その女置いて逃げるなら見逃してやるよ」
「ふざけ――!」
「ごあいにくさま。私、あなたのような女性を性欲の捌け口としか思っていないような男性はこちらから願い下げですの」
 怒りのあまりピラミッドに向かおうとした陽日輝の前に、クロエはバッと腕を伸ばして制止し、丁寧だが強い感情を滲ませた声音で言った。
 クロエの灰色の瞳が、チラリとこちらに向けられる。
 その目は『落ち着け』と訴えかけてきていた。
 ……胸の奥に渦巻く胸糞の悪い憤りは、爆発寸前でなんとか抑え込まれた。
 そうだ――考え無しに突っ込んで勝てる相手じゃない。
 外道極まりない所業を目の当たりにして、我を失いかけてしまった。
「そういう生意気な女を屈服させるのが一番楽しいんだよ。――なあお前、考え直せよ。若駒の言うことを聞く義理なんざねえだろ? 俺の舎弟になればお前もオイシイ思いができるんだぜ? コイツらみたいに」
 東城は、ピラミッドの下、ニヤニヤと笑う二人の男子生徒を顎で示した。
 伊東と同じ、東城の取り巻きだろう。
 東城の下で手帳を集める労働力として使役される代わりに、東城の『おこぼれ』を貰っている連中。
 暴力によって従わされている面はあるのだろうが、それでも、彼らに対しても陽日輝は怒りを感じずにはいられなかった。
「……確かにあんたのことは若駒さんから聞いたよ。だけど、若駒さんに頼まれたからだけじゃない。この教室を見て心の底から思ったよ――あんたを絶対に許さないって」
 陽日輝はそう言い放ち、今度は冷静に、その足を進めていた。
 ツボミから聞いた東城要の能力は、その手に冷気を纏い操るというもの。
 掠っただけで重度の凍傷になるような威力だ、まともに食らえば死ぬだろう。
 しかしそれは、相手にとっても同じこと。
 こちらが『夜明光(サンライズ)』という、東城と対を成すような能力を持っていることは知られていない――なら、勝負は一瞬で決まる。
 いかに東城の一撃を食らわず、こちらの一撃を食らわせるか。
 そしてそのためには、自分の能力を見せるわけにはいかない。
 東城に致命的な一撃を食らわせる、その瞬間までは。
「――クロエちゃん、そっちの二人、頼めるか?」
「ええ、お任せくださいませ」
 クロエが答え、取り巻き二人が下卑た声を上げた。
「おいおい、要サンはテメーが敵うような相手じゃねえぞー?」
「いいじゃねえか、俺らも男相手より女相手のほうが楽しいしよ」
 陽日輝はそいつらの言葉を無視し、ピラミッドの麓で東城を睨み上げた。
 ……星川芽衣が、唇を噛んでいるのが見える。
 そこには、もしかしたら助かるかもしれないなんて期待は込められていない――彼女のどうしようもない諦念を感じる。
 それほどまでに東城の力は絶対的で、そして芽衣たちは、東城によってその尊厳を、踏み躙られてきたのだろう。
 同じ境遇に遭い、ツボミによって助け出されたというあの女子生徒――最上環奈の怯え切った様子を思い出す。
 ――こんなこと、許されていいはずがない。
 義憤に駆られていた陽日輝に、東城が初めて笑みを見せた。
 舌なめずりが似合いそうな、獣の笑みだ。
「お前、名前は?」
「……暁陽日輝」
「暁か。いいツラしてんな。ガタイも悪くねえ。まあまあ喧嘩慣れもしてそうだ。そこのアホ二人しか舎弟が残ってねえし、今からでも頭下げりゃ許してやるぜ?」
「俺はそいつらとは違う。お前がどれだけ強かろうが、俺はお前に尻尾振って生き永らえるくらいなら――死んでもお前をぶっ殺してやるさ」
 むろん、本当に死ぬつもりはないし、死ぬわけにもいかないが。
 それくらいの気持ちで立ち向かわなければならない相手なのは確かだ。
 こうして相対して理解した、この男は強い。
 しかし、圧倒的に強いがゆえの油断や慢心が少なからずあるはずだ。
 そこに一瞬、一瞬だけでも付け込むことができれば――
「暁……お前、死んでもコロスって奴のツラじゃねえな。分かるんだよ、俺には。お前の目には希望があるからな。俺との腕っぷしの差、埋めれるくらいの『能力』があるんだろ」
「……それはどうかな」
 内心の焦りを押し隠しつつ、陽日輝は答えた。
 なんだよ――油断もしてくれないのかよ――
 さすがは、百戦錬磨の不良といったところだろうか。
 しかし、だからといってやることは変わらない。
 自分に出来るのは、『夜明光』の一撃をなんとかして叩き込むことのみ……!
「暁。お前の『能力』がどんなモンかは知らねえが、俺の『能力』はどうせ若駒に聞いてんだろうから教えてやる。『氷牙(アイスファング)』だ――両手の指に冷気を纏う能力。言っとくが、ヒンヤリ程度じゃ済まねえぞ」
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