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第八十一話 両断

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【9日目:夕方 屋外中央ブロック】

 暁陽日輝は、自分の右斜め前に立つ若駒ツボミの背中を視界の端に捉えたまま、思考を巡らせる。
 ツボミが根城にしている北第一校舎は、東城一派が所有していた物資を手に入れられたこともあり、衣食住に困らない最高レベルの(あくまでも生徒葬会において、だが)環境を保っていたはずだ。
 またツボミは、自身に手傷を負わせた東城要との戦いを避け、偶然の来訪者である自分を利用している――あれだけ強力な能力を持っていながら、彼女の生存戦略は極めて慎重だ。
 そのツボミが、安全な拠点を離れて、激戦が繰り広げられているこの中央ブロックを訪れたということは――彼女に絶対の自信があってのことだろう。
 ……だとしたら、いずれは敵対することになる立場として、手放しに喜ぶことはできないが、少なくとも、今この状況においては。
 凛と立つ彼女の背中が、頼もしく見えた。
「若駒ぁ、聞いてるぜー? お前、要に殺されかけて逃げたんだろぉ?」
 恩田綜が、わざと舌を巻いて馬鹿にしたように言う。
 それに対しツボミは、右手に持ったレイピアで恩田を指し、答えた。
「東城の数いる取り巻きの一人に過ぎないお前の言葉は響かないな、恩田」
「抜かせ! その取り巻きの一人にぶっ殺されるのがテメーだぜ、若駒!」
 恩田がそう言って、こちらに向けてかざした掌を、ツボミのほうにスライドさせた。
「若駒ツボミ、『止まれ』」
「! ――なるほど、確かに動けない」
 陽日輝は、なんとか動こうと全身に力を入れ続けていた反動で前につんのめり、ツボミの背中に軽くぶつかってしまう。
 しかしそれでも、ツボミの身体はびくともしない。
 『停止命令(ストップオーダー)』の対象が自分からツボミに移されたからだ。
「あ――すいません」
「謝られるようなことはされていない。……どうする? 暁。今の私は指一本も動かせない。私を殺すなら、今しかないかもしれないぞ?」
「……。ここであなたを殺したら、俺はまた恩田に動きを止められて今度こそ殺されますよ。それが分からないほど馬鹿じゃないです」
「ふふ、そうだな。あなたは私を殺すわけにはいかない。――そういえば、安藤は元気にしているか?」
 恩田に身体の自由を奪われ、周囲では怒号と悲鳴が飛び交っている状況だというのに、ツボミは落ち着き払った声音でそんなことを訊ねてくる。
 ――その態度が、恩田は気に入らなかったのだろう。
 力任せに腕を振り上げ、『暴火垂葬(バーニングレイン)』の準備態勢に入りながら叫び散らした。
「余裕ぶっこいてんじゃねえぞ、若駒ァッ!」
「やれやれ、ゆっくり雑談もさせてくれやしない。まあこの状況だ、大方安藤との合流を急いでいるところなのだろうな。――先の放送、あなたも一枚噛んでいるんだろう?」
「……どうしてそう思うんですか?」
「そんなもの、女の勘に決まっているだろう?」
 ツボミが珍しく、冗談めいたことを言った。
 ――しかし、身動きの取れないこの状況で、どうしてそんな余裕が出るのか。
 ツボミの『斬次元(ディメンション・アムピュテイション)』は、星川芽衣のときも、先ほど火の玉を切断したときもそうだが、ある程度の距離の近さが無いと使えない、中距離戦仕様の能力であると陽日輝は見ている。
 講堂の屋上に立つ恩田に対しては距離が遠すぎるのでは――いや。
 ……自分は、たまたま『対象との距離が遠くない』状況において、ツボミが能力を使用したのを見たことがあるだけに過ぎない。
 射程距離がそう広くないというのは自分の思い込みなのではないだろうか?
 だとしたら、この勝負――すでに決している。
「死ね若駒! そのお綺麗な顔をドロドロにしてやんよ!」
「――やはり先人の言葉は的確だな。弱い犬ほど良く吠える――恩田。お前が吠えている間に、『演算』は済んでいる」
「はあ? 何を言――」
 恩田の台詞は、途中で止まる。
 当然だ。
 恩田の身体は、頭頂部から股間にかけて縦一線に切り裂かれたのだから。
 切り裂かれて離れ離れになった左半身と右半身、それぞれの目が、恐慌に見開かれ、切断面からぶちまけられて足元に落ちていく臓物を捉えている。
 真っ二つにされた舌では悲鳴を上げることさえ叶わず、恩田の左半身と右半身はほぼ同じタイミングで倒れ込み、そのうち右半身は講堂の下へと落下していった。
「この距離なら大丈夫だとタカを括っていたかもしれないが、『斬次元』に関しては距離など問題にならない。――動けるようになったあたり、奴は死んだと見ていいな。あの状況で生きていたら驚きだが」
 ツボミはそう言いながら、レイピアを腰に提げた鞘へと戻した。
「…………っ」
 一瞬、やはりツボミを殺しておくべきだったのではないか、なんて考えが脳裏をよぎってしまうほどに、ツボミの『斬次元』は圧倒的だった。
 彼女の言葉を信じるなら、距離があると能力の発動までに時間を要するようだが、それにしても、発動させられてしまえばイコールで死を意味すると言っても過言ではない。
 ――そんな危惧や懸念が表情に出てしまったのかもしれない。
 ツボミは肩を竦め、「そう警戒するな、暁」と言った。
「言っただろう? 私はあなたにはまだ期待していると。あなたをここで殺すつもりはないよ――そのつもりなら、そもそも見殺しにしている」
「……ええ、分かってますよ。……どういった思惑にせよ、助けていただけたことには感謝します」
「礼には及ばないさ。それより、急いでいるのだろう? この状況だ、安藤も安藤で誰かと戦っているかもしれない」
「ええ――その通りです。……恥を承知でお願いしますが、そちらにも協力していただけないですか?」
 ツボミが自分を利用するというのなら、こちらもツボミを利用するのみだ。
 犬飼切也、恩田綜との連戦で、少なからず体力を消耗しているのも事実。
 凜々花と千紗が戦っている相手が、能力をコピーできる八井田寧々である以上、今のコンディションの自分一人では心もとない――ツボミが同行してくれるのなら、とても心強い。
「礼には及ばないと言ったが、それはいささか厚かましいな――とはいえ、みすみすあなたに死なれたのでは、恩田から助けた甲斐もないな」
 ツボミは、値踏みをするようにこちらを見据えながら言う。
 ……この人にとって自分は、利用価値があるから利用しているだけの存在だ。
 自分に利用価値が無くなったと判断すれば、躊躇無く切り捨てるだろう。
 しかしそれは今じゃない――生徒葬会はまだ続いていて、それ以前にこの『楽園』にはまだまだ戦力が残っている。
 だから、協力してくれるだろうとは踏んでいたが、案の定だ。
 ――しかし。
 陽日輝の、そしてツボミの思惑すらも超えた事態が、直後、発生した。
「ツボミぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
 甲高い、しかしそこに熱した鉄のような強く深い怒りを滲ませた声が、騒音だらけのこの空間の中でさえ、空気を割るようにして鮮明に響いてきた。
 ツボミと陽日輝が声の方向に目を向ける――直後。
「邪魔!」
「がっ……!?」
 声の主が、蹴りを放ったのが見えたかと思うと、陽日輝の鳩尾に鋭く重たい衝撃が加わり、自然と開かれた口から唾液が飛び散った。
背中まで突き抜けるような衝撃に、足の裏が地面から浮いてしまう。
 ――吹っ飛ばされ、地面に背中から落ちて転がることになるまでの一秒足らずの時間に、陽日輝は目の前の光景を見、自身に起きた現象についても理解していった。
 声の主は、空手部の主将でもある立花百花であること。
 彼女が何も無い場所に蹴りを出したように見えた直後に、自分が吹っ飛ばされたこと。
 そして、彼女は自分を蹴り飛ばした(?)勢いそのままに、ツボミめがけて突貫していっているということ。
「みすみす殺されに来たか、百花――!」
「アンタは、アンタだけは殺さなきゃ――繚に合わせる顔が無いのよ!」
 ツボミはレイピアを抜刀しながら、こちらを横目で一瞥して叫ぶ。
「立てるか? 立てなくてもどうにかして立つんだ――百花とは訳ありでね。すまないが先に行ってくれ! 百花は、私でも容易く倒せる相手ではないからな――!」
「倒せないわよ! アンタの『能力』は、散々見せられてもう見切ってるんだから!」
 何が何だか分からない――しかし、百花がツボミを殺そうとしていることは確かだ。
 そしてツボミの言う通り、あの立花百花が相手では、ツボミも恩田を一蹴したようにはいかないだろう。
 この鳩尾の痛みが物語っている――直接触れずに打撃を加えることができる、といった類の『能力』なのだろうが、急所を的確に打ち抜かれたこともあり、体感的には東城に勝るとも劣らない威力だった。
 打撃の重さは東城のほうが上だが、打撃の鋭さは百花のほうが上だ。
 生まれ持った身体能力やフィジカルに任せた打撃ではなく、確かな技術に裏打ちされた正確無比な一撃。
 現に、ツボミに言われてなんとか立ち上がりはしたものの、まだ全力で走れるほどには回復していない。
 それでも――百花とツボミの事情は分からないが、ここはツボミに任せて退くしかないだろう。
 百花のあの能力に対して自分は不利だし、それに何よりこれ以上、凜々花と千紗を待たせておくわけにはいかない。
「行け、暁!」
「はい、ここは任せました……!」
 鳩尾を押さえながら、陽日輝はよろめきそうになりながら駆け出す。
 ツボミが応戦しているおかげで、後ろから追撃を受けることはなかった。
 ――陽日輝は知らない。
 自分が北第一校舎において星川芽衣の一件で駆け回っているとき、ツボミが立花姉弟と対峙し、陽日輝とも交友があった、弟の繚を殺害していることを。
 凜々花と千紗に危機が迫っているという焦りから、百花の言った『ツボミを殺さなければ繚に合わせる顔が無い』という言葉が意味するところを考える余裕もなかったので、無理もない話だが。
 ――そして陽日輝は、生徒葬会の中においてこの先も、最後までその事実を知ることはない。
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