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第1話『家出衝動』

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 親父が「最強になれ」と言ってくるので、俺は耐え難かった。


 俺の親父は空手家だった。
 修行が始まったのは、たしか四歳のころだ。
 家には道場があり、幼い俺は『ヤワ』なガキの手足が血まみれになるまでひたすら砂袋を殴り、蹴り続けさせられた。苦行は朝から日暮れまで休みなく続いた。
 正拳突きという呼び名を嫌悪するようになったのは、手足を庇って砂袋を打つ力を弱めると、親父の正拳が俺の身体のどこかで爆ぜるからだ。
「強くなるためには必要なことだ」
 いつか親父がそう言ったとき、俺は道場の床の上にはいつくばって、朝食べた納豆飯と胃液と血の混合物に顔をうずめていた。
 それから「腰を入れろ」と親父は言う。拳は腕の筋肉だけでなく、腰の回転によって下半身の筋肉と連動し打ち出される。絶え間なく炸裂し続ける激痛で俺は呼吸すら怪しかったが、親父の言う『腰』の位置は完璧に理解できた。爆弾はそこに打ち込まれたからだ。
 でも、本当に重要で、俺の拳に力を与えるものは腰の回転なんかではなかった。
 己の考え押し付けるためだけのクソったれの暴力に、親父は『正しさ』なんて名前をつけている。
 それが俺には許せなかった。腹の底から怒りが沸いた。
 怒りは直接的に正拳の威力を高めることはなかったが、痛みを無視して次の拳を打ち出す動機にはなった。
 そのうち修行の日々にも慣れて、心と拳の表面は硬くなり、血を流す回数は減っていった。俺は親父の望み通り強くなりつつあったのだ。五歳になるころには、己の人生に付きまとう理不尽を認識し、受け入れるられるようになっていたと思う。
 もちろん現状に屈したわけではない。俺には怒りがあった。奪われた人間性を取り戻す必要があった。全てを解決する方法は一つしかない。
 俺は親父を殺さなくてはならなかった。


 親父との組手が始まったのは十歳からだった。
 俺はありったけの殺意を親父にぶつけたが、結果は誰の期待通りにもならなかった。つまり俺の拳で親父の骨が砕けたり肉が破裂したりすることはなく、逆に俺の骨が砕けたり肉が破裂したりした。
 怪我が酷いときは、しばらく組手は休みになった。
 

 療養中は修行を休むことができるので怪我をするのは好きだったし、反面そんな自分は嫌いだった。自己防衛と自己嫌悪の間で自我が引きちぎれそうになった俺は、ひたすら親父への憎しみを高めることで理性を保つしかなかった。いつしか怪我をすることも減っていったが、心の成長が肉体には伴うことはなかった。あいかわらず、俺は倒壊しかけた橋を支える一本のワイヤーだったのだ。
 怒りに任せて全てを壊す衝動に駆られることもあったが、親父がいる限りその全ての中に破壊できないものが確実に存在することを俺は諦観していた。その事実はこんなにもやせ我慢している俺を侮辱しているように思えてならず、俺の心臓の中に可燃性の毒ガスを充満させて、結果として些細な火種が全てを台無しにした。

「今時、空手家なんてダセェんだよ。昭和かよ」

 中学のときのクラスメイトの言葉だった。ヘラヘラしながら、今まで俺がしてきた苦痛の一片すら想像できないやつがそんなことを言ったので、俺はキレるしかなかった。
 教師たちが止めに入るころには、相手の顔の輪郭が変わるくらいに殴っていた。その晩、家に帰った俺は親父にその三倍ぐらい醜くボコボコにされた。
「なぜあんなことをした」
 親父は鉄のように硬い拳を容赦なく振り下ろし、そう言って俺を叱った。
 それはこっちの台詞だった。
 なぜこんな仕打ちをするのか。他人に空手を使うなという親父の言いつけを、俺は今までずっと守っていたのだ。でもそんなことにはもう何の意味もなくなってしまった。我慢する必要はなかった。
 俺をこんなのにしたのは親父だ。
 気付いたときには、納屋からハンマー持ってきて親父の後頭部に振り下ろしていた。
 俺は親父を殺せさなくてはならなかった。

 それからしばらくして、俺は家出をすることにした。二度と帰るつもりはなかった。

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