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第8話『休養衝動』

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 医務室のベッドに寝かされて、一眠りしたら知らない場所に移されていた。
 どこかのちゃんとした病院の病室のようだった。壁の日めくりカレンダーを見ると、やはりあれから三日が経過していた。問題なのは体を革のベルトでベッドに固定されていることだった。最悪の事態を覚悟したが、手足の指先の感覚はあり動かすことはできた。
「どういうことだ、コラ」
 目が覚めてから金髪が来るまで半日も待たされたので、俺はキレていた。おまけに腹ペコだった。
「てめぇこそふざけんじゃねぇぞ。毎回あんなやり方で続くと思ってんのか? 十勝どろこかすぐ死ぬぞ」
「うるせぇ、寿司食わせろ」
「とにかく、次は半年しっかり休め。さもなきゃ試合は組まねぇぞ」
「やだよ。すぐやらせろ」
 金髪は頭を抱えていた。やけにイライラしていやがる。死んでも構わないというつもりで試合に出したくせに、今さら俺の身体を心配し始めたといことは、やつの事情が変わったということだった。考えられるのは、二試合目の結果を見て組の偉いやつが俺に興味を持ったという線だ。つまり唾をつけるレベルではなく、俺が組のお抱えファイターになることがついに現実味を帯び始めたのだ。金髪はその世話係で、俺が勝手につぶれないように管理する責任がある。態度からして、その仕事には金髪個人の組の中での進退がかかっているのかもしれない。これは利用できる。
「次は負けるぞ」
 金髪が言った。説得のつもりだろうが、俺はそういう次元では考えてはいない。腹の底で燃える反骨心に従って答えた。
「負けるかよ、次も勝つさ」
「勝ってもボロボロだろうが。いつか負けるし、うちはそんな自殺野郎に金なんて出さねぇ」
「勝つってんだろ、ハゲ」
 金髪は舌打ちをして、病院だというのにタバコを吸い始めた。
「俺にもよこせ、ハゲ」
 金髪は無視した。もちろん俺はタバコなんて吸いたいと思っていなかったし、適当に喧嘩腰で話しながら思考を巡らしていた。認めるのは癪だったが、金髪の言うことには一理ある。前回のカンフー野郎との戦いも、俺はあいつの投げ技には対応できていなかったから、コンクリートの床をもっと有効に使われていたら負けは濃厚だった。俺が組技を使えるか分からないこともやつを警戒させたが、ここから先は同じ手は使えない。一戦目、二戦目とフィジカル的な差がない相手に当たったのも運が良かっただけだ。ダメージ無視で相手のテクニックを潰すという俺の戦法は、体格差が大きいと通用しなくなる。フィジカルとテクニックの両方で俺を大きく上回り、なおかつ堅実なやつと当たれば、現状では俺の勝ち目は薄いだろう。もっと別の武器が必要だ。つまり俺もフィジカルとテクニックを磨く必要がある。切れる手札の枚数を増やすのだ。 
 強くなるイメージは親父だった。クソったれ。技術の応用はできるだろうが、空手以外を一から組み立てる時間はない。結局、俺は親父の思い通りになっている。正気を保つには、目の前の目標に殺意を注ぎ込むしかなかった。
「……仕方ねぇな、分かったよ。出前寿司で手打ってやる。特上な。あれだ、一人前じゃなくて、ファミリー向けのでかい皿のやつだぞ。あとこのベルト外せ」
「舐めてんのか、クソガキ」
「ああ、じゃあいいよ。もうあそこじゃ戦えねぇなら、どっかそこらへんのヤクザっぽい事務所とかに殴り込みでもかけるわ。ええっと、何事務所だったっけ、前もらった名刺に書いてあったろ。そこの鉄砲玉だってわめき散らしてやるから、まぁ、よその組だったら戦争だろーし、同じ組でもあんたはけじめだろ」
「……てめぇ、いつかぶっ殺すからなぁ」
 金髪はそう吐き捨てて帰っていった。


 手下が特上寿司を持ってきたのは、それから一時間ほどしてからだ。
出前にしては時間がかかりすぎだったが、まぁ許してやることにした。半分ぐらい食ったところで、今度はヤブ医者が来た。手には袋に入れたデリバリー寿司の皿がある。
「タイミング悪ぃよ。見舞いならメロンにしろよ、メロン」
「えぇ、いや、俺悪くねぇだろ。お前のほうがなんでもう寿司食ってんだよ」
「しかもおっさんの並じゃん。しけてんな」
「うるせぇ、じゃあやらねぇぞ」
 ヤブ医者が特上寿司のほうをつまもうとしたので阻止すると、自分の持ってきた並寿司を恨めしそうにつまみ始めた。早くしないと俺の分がなくなってしまうので、俺は食うスピードを上げた。
「まぁ、ちょうど良いんじゃねぇのか。骨と刺し傷はともかく、膝と肩はじっくり直さねぇと成長期の関節の怪我は怖いぜ」
 俺が半年間、闘技場で戦えなくなったことを聞くとヤブ医者はそう言って笑った。余計なお世話だった。
「半年は長すぎだ。一か月でいい」
「ははっ、相変わらずだなぁ。どういう育て方したらお前みたいになんだ? 言えたことじゃねぇけど、イカれてるぜ」
「おっさん、どっか戦える場所知らねぇか? あそこ以外で」
「おいおい、そんなの教えてキノにどやされるのは御免だぜ。俺を巻き込むんじゃねぇよ」
「ふぅん、じゃああんだな、戦える場所」
「あぁ、クソ。しまった。俺は何も言わねぇからな。別なやつに聞けよ。全部そいつから聞いたことにしろ。俺は無関係だからな」
「いいけど、それと交換な」
 ヤブ医者の食いかけの並寿司を指さすと、呆れた顔をされた。
「どんだけがめついんだよ。お前、犬か何かか?」
「さっさと寄越せよ。血が足りてねぇんだ。寿司じゃいくら食っても足りねぇんだよ。今度、焼肉連れてけよ」 
「……もしかして、これからずっと俺にたかるつもりか?」
「俺のおかげで儲かってんだろうが。当り前だろ」
「おい、勘弁してくれよ」
 ヤブ医者の皿を踏んだくると、かっぱ巻きと玉子巻き以外はほとんど残っていなかった。食う順番が小学生レベルだ。俺は使ってなかったワサビの袋を開けた。
「玉子に醤油とワサビはあわねぇだろ」
「おっさんの味覚がガキなだけさ」
「そういう問題じゃねぇと思うが」
 たっぷりワサビと醤油のついた玉子巻きを丸ごと口の中に放り込むと、鼻の奥がツンとした。病室のドアが開いたのはそのときだった。金髪の下っ端か、看護師か誰かかと思ったが違った。
 筋肉質なチビ。
 トシ。
 サポーターで固定された右肩がうずくよりも前に、俺はヤブ医者の頭を踏み台にして、やつに飛び掛かっていた。むこうも即座にガードを上げる。反応が早い。
 放った飛び蹴りは、肘でガードされていた。反動で俺は後方へと飛ぶ。病室の床に着地したとき、すでにやつは俺の目と鼻の先に迫っていた。着地直後の隙を狙われた。計算通りだ。
 俺は租借した玉子巻きを口から噴き出した。
 目潰しはもろに喰らわせた。ワサビが入っていれば御の字。視界を失った相手はとっさに頭部を守る。耐えて掴むつもりだ。その手には乗らない。狙うならガードされていない胴体から下半身だ。足は閉じられていたので金的は無理だった。俺は鳩尾に前蹴りを打ち込む。つま先で、抉るように。
 蹴りが入ったタイミングに合わせ、やつはバックステップで衝撃を逃がしていた。だが苦し紛れだ。手ごたえはあった。俺は再び距離をつめる。
 次の瞬間、やつが胴に組みついていた。
 蹴られた鳩尾をかばい上体が下がったと思ったら、その動きが高速タックルに化けていた。まったく反応できなかった。固いクラッチが一瞬緩んだと思ったら、今度はいつの間にかバックをとられている。
 天地がひっくり返って、後頭部に強い衝撃。
 ジャーマン・スープレックスだった。
 俺はすぐさま立ち上がろうとするが、景色がぼやけ手足に力は入らない。仰向けの俺を、やつが見下ろしていた。俺は唾を吐きかけてやろうとしたが、それは重力に負けて俺の顔の上に降ってくる。
「何なんや、お前は」
 前に俺を負かしたとき同じように、トシはそう言った。
8

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