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22:Beautiful World-07

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「ピナちゃん…」

呼ばれた雛が振り返ると、ルミナが真っ青な顔で立っていた。
さっきまで、二人で他愛のない話をしていた。これからくる夏休みで行きたい場所、進路のこと、沢口の今日の寝癖のこと。
ルミナは落ち込んでいる雛を元気付けようと、いろんな話題を振り、そして笑っていた。雛は、ルミナの心遣いに気付いてなお、気分が晴れずにいた。
彼女がいじらしいと思えば思うほど、雛は自分を卑下したくなってしまう。そして、素直ではない自分がさらに嫌になる。ルミナが嫌いなわけではない。どこかでルミナより優れていたいと思う自分が嫌いなだけだ。
モニタの中の白い空間では、歌花とセス、そして沢口が青いコードと同じ方向に移動している。
雛がふと目を遣ると、いつのまにか沢口は歌花とセスから少し遅れていた。
沢口は歌花を呼び、いくつか言葉を交わす。歌花はすげなく沢口の頼みを却下する。雛は、歌花の情緒に改良の余地を見出だし、頭を振る、そして―――歌花が突然、言ったことば。



『コウは、生きてない』



ルミナはその言葉に青ざめていた。言葉の意味からしてみれば、それは当然のことだろう。だが雛は、歌花の言葉を半ば聞き流していた。
よく知る幼なじみの沢口が、『死んで』いるわけがない。雛には事実への自信があった。また、自分が作った『未完成』の歌花の言葉の信憑性を疑っていた。
雛は半信半疑ですらなかった。半分も信じてはいなかった。

モニタの中では、棒立ちになっている沢口がいる。
雛には、モニタの、小さくて判別できない彼の顔を見ずとも、彼がルミナ同様歌花の言葉を信じたことがわかった。
彼には、ここに生きている自信がない。雛が信じていても。沢口自身が信じていなければ意味がない。

―――コウ。

モニタに向かって強く祈る。彼に届かないことはわかっていたが、祈らずにはいられなかった。
その気持ちをなんと表現すればいいのだろう?聡明な彼女も、それは知らなかった。
モニタでは会話が続いている―――。



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「コウが生きてないとは…どういうことだ」

セスの声は落ち着いていた。
彼は頭から歌花の話を信じなかったわけではなく、ただ冷静だった。突如訪れるハプニングにも、静かに対処できるだけの自信と経験を持っていた。
そして何より、現実世界に沢口は存在する。生活している。『生きていない』わけがない。

だが、なんの根拠もなく不可解なことをいうわけもないだろう。作成者はあの雛なのだ。
だから、セスは歌花の言葉には何か別の意味があるのだろうと思った。それはもしかしたら、沢口の不可解な体質の謎を解く鍵かもしれない。

『…セスとコウの『生きてる』はちがう』

歌花は考えながら、たどたどしく言葉を紡ぐ。

『雛とコウの『生きてる』はちがう』
「………」

紡がれた言葉は、繋がり、意味を成す。

『雛とセス、ほかのひとたちの…』
「ちょ!待って…」

歌花の言葉を遮ったのは沢口だった。

「…心の準備が…できてねえ…」

歌花は不思議そうな顔をしていたが、言葉の続きは言わなかった。
止めたところで、続きを想像することは容易だった。雛とセス、ほかのひとたちの『生きてる』はおなじ―――なのだろう。
それでも。
自分が『生きていない』と言われても、沢口には死んだ覚えがなかった。
そして現にここにいる自分、現実に存在し生活している自分を思うと、『生きていない』といわれても納得がいかない。

―――だが。
沢口がドールと話ができないのは、『生きていない』からではないのか?
短絡的な思考かもしれないが、プログラムにバグがあると言われるよりずっと、そっちのほうが説得力があった。
『生きていない』という言葉の意味より、ずっと。

『…コウは、』

歌花は何かを言いかけ、そのまま顔をばっと上げた。
ただならぬ様子を感じとったセスが、「どうした?」と問う。慣れていないはずのセスの問い掛けにも動じず、歌花は呟いた。

『あのこが』

ばっと踵を返し、歌花は駆け出した。
沢口は茫然自失の体で、それに反応することができない。セスは沢口と歌花の背中とを見比べて躊躇したあと、仮想キーボードとコンソールを呼び出して表示させ、キーボードでシャティの名を打ち込む。
無駄な挙動ひとつなく叩かれたコントロールに応じるように、空間にぽっかりと穴が開き、中からシャティが姿を現した。だいぶ距離を離していた少女の背を指差し、セスは命じる。

「あのこを追ってくれ、シャティ」
『了解、マスター』

いつものようにひらりと白衣をたなびかせ、シャティは歌花の後を追った。
歌花はそれを感知したかのようにセスたちの前から姿を消した。空間を移動したのだろう。歌花のデータIDを瞬時に掴んでいたシャティは、そのIDの移動先を追って消えた。

白い空間には沢口とセスだけが残された。



―――――――――――



「ピナちゃん」

再び雛を呼んだルミナは、もう青い顔をしてはいなかった。

「わたし、コーちゃんのとこ、行ってくる」
「ルミナ」

驚いた雛の視線を受けたルミナは、ごめんね、と言って悲しい顔をした。

「間に合わないかもしれないけど、行きたいの!」
「………」

ルミナは成績が決していいほうではない。沢口ほど壊滅的ではないが、成績上位の雛には到底及ばない。
お嬢様である雛は、家事全般も並以上にこなした。運動系では不得手もあったが、基本的に雛のほうがルミナよりも能力は上だった。
だが、雛にはできないことを、ルミナは簡単にやってのける。

それは、素直に笑うこと、悲しむこと、人を好きになること。

雛がどこかでルミナに感じていた劣等感、それが―――これだ。
パズルの一片がパチンと嵌まるように、雛はそのときに悟った。
―――どんな難しい数式が解けたって。

生活に満たされたと思うためには、感情が必要だ。第三者から見られるための自分の価値など、自分が幸せだと思いこめる意思にくらべれば軽いのではないか―――?

思惟を巡らせている雛を他所に、ルミナはもう一度、ごめんね!と言うとくるりと背を向けて走り出した。
雛は咄嗟に、待って!と呼び止める。
だが、こちらを向いたルミナに何と言っていいかわからず、一瞬口ごもる。
―――早く行かせないと。
そう思った雛はこう言った。


「車、出すから」


本当にいいたいのは多分、そんなことではなかった。



----------



「なあ、おれ、生きてねえのかな」

歌花が消えてから、どこか遠いところを見ている沢口から発せられた問いは、二度目だった。
一度目に尋ねられたときに、セスは何も言うことができなかった。なんというべきなのか、判断がつかなかったから。
今度は応える。

「信じるな」
「でもよ」
「コウ!」

死んでる人間がどうして―――
セスはそう言いかけてことばを止めた。沢口はそんな言葉が聞きたいわけではないだろう。慰めや気休めに価値があるような事柄ではない。

『待って、歌花!』

高速で空間を移動する金髪の少女の背に、紫の髪をした女性が叫ぶ。
歌花のデータの解析を追いながら行っていたシャティは、彼女が追う影が歌花によく似たものであり、またまがまがしいまでに黒い気配を放っていることに気付いていた。途中まで、その黒い気配など一切感じなかったが、ある地点を境に、意図せずに感じとれるまでになっていた。
離れているのに感じる、振幅の大きすぎる『感情』の波。
前を走る少女の、振幅の殆どない気配とは似ても似つかないようにも思われるが、基本構造が一致していることは『感情』の端々からわかる。

『待って!迂闊に近寄るのは危ないわ!』

歌花はシャティの声など聞こえないかのように一心に走っている。
そのときふと、シャティの情報に、外部からアクセスが試みられた。ファイアウォールが弾いてしまったそれは、もう一度シャティにアクセスしてきた。
雛だ。
一度めのアクセスでそれを感知したシャティは、指先で自分へ緑色のコードを描き、ファイアウォールに穴を開け雛のアクセスを受け入れた。

『―――シャティ!』
『雛さん、どうしたの』

雛の声は心なしか沈んでいて、シャティはそれを問おうかどうか迷ったが、止めておいた。直接アクセスという非常手段を試みてきたということは、聞くまでもなく火急の用件なのだ。

『シャティ、あのこも、あのこが追い掛けてるこも、未完成なの…止めるのに多少強引な手を使っても構わないから…!』

いつも淡々としているはずの、雛の声は震えていた。
そう、前を走る少女ドール、歌花の情緒は、雛のものによく似ている。

『わかったわ。大丈夫だから。雛さん、だから』


―――もう泣かないで。


シャティは自分に肉体がないことをとても『悲しく』思った。優秀な作り手によって造られた彼女の心は、プログラミングされたとおりに軋む。
彼女のモデルがかつて、その心というものを抱えていたように。

手があれば髪を撫でてあげられるのに。
腕があれば抱きしめてあげられるのに。
『弟』が久しく欲しがっていた、大切なともだち。

涙が枯れ果ててしまったのか、雛は鼻をぐすぐすと鳴らすだけだった。



――――――――――



「結論のなかみは、ぶっちゃけもうどうでもいいんだよ」
「………」

「おれはただ、この10年近くも悩んできたことへの結論が欲しいんだよ」
「…コウ」

お前にわかるか?
みんなが当たり前にこなすことが、おれにとっては魔法みてーに不思議なことなんだ。
ここを直せ、あそこが悪い、いやそこだ…いっぱいいろんなことを頑張ってきたけど、結局何にも変わらなかった。
医者にまで行ったけど、いたって健康ですって言われて終了。
でも、おれのドールはおれの言葉なんて聞こえやしないし、おれの姿も見えやしないんだ。
何でだよ!
セス、おれシャティと喋ってたろ?
キュアだっておれに笑ってくれる!
キャベツも茶碗もセロテープも壱も歌花もキリエもおれのことばわかるのに、どうして、どうして―――

箍が外れたように喚きつづけていた沢口の眦から、一筋、雛が枯らしたものが伝って落ちた。

「…コウ」

セスの呼びかけに、沢口は自分が落としたものに気付き、両手で乱暴に拭い去った。
沢口は喚きつかれたのか、黙って俯いてしまう。

一、二分ほど経ったろうか。
セスがかける言葉を探していると、沢口はやがて顔を上げた。

「―――……」

顔を上げた沢口は、吹っ切れた顔をしていた。



「そうか、おれ死んでるのにここにいるのか。よく考えたらすげえじゃん」

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