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27:Lumina-02

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天気がいいから、とルミナに促され、沢口とルミナは病院の中庭に場所を移していた。
中庭は総合病院のものだけあり広く、点々と人がいる。
明るい表情の人、浮かない顔の人―――それぞれの思いを抱えながら、各々過ごしているようだった。
必ずしも暗い感情だけがこもる場所ではないが、残念ながら明るい表情だけが溢れる場所でもない。
沢口とルミナは空いているベンチを見つけて腰掛け、しばし黙って中庭の光景を見つめていた。
日差しが差し込む空間は、温かいが、どこか涼しさを感じさせる。

「調子、どうだ?」

沈黙を破ったのは沢口だった。左手の、とは付け加えられなかった。ルミナは沢口の躊躇いを気にした風でもなく、「元気だよ!」と即座に返す。
ルミナの気分は天気と同様晴れているようだった。若干、沢口の来訪にプラスの意味での動揺があったくらいだ。
左手がもたらす現実の重みは、まだルミナを支配してはいなかった。
暗い顔をしつづけて相手をするのもどうかと感じた沢口は、いつもの調子を心掛けて喋った。
昨日セスが寝坊したこと、カレーに当たったこと、雛とユキノが休んだこと。妹の茜に胃腸の弱さを笑われたこと、あまつさえ母親にまで笑われたこと、自分もおかしくなってきて笑っていたら、またお腹がいたくなったこと―――。
ルミナはいつものように相槌を打ち、笑顔を見せ、二人は、時間を忘れて喋り、そして笑い続けた。

そのうち、沢口は、ルミナの笑顔に時折陰りが覗くことに気付いてしまった。
だが、どうやってそれに触れていいかわからず、沢口は笑顔を作って顔に貼り付けることしかできない。そうこうしているうちに雲が出てきて、日差しが奪われる。
一度くしゃみをしたルミナに、沢口は中に戻ろうと告げた。
立ち上がる直前、ルミナはまた一瞬暗い顔をする。
やや体勢を崩しつつ立ち上がった彼女は、沢口の視線に気がつくと、「大丈夫、大丈夫」と繰り返す。
それが嘘だとしても―――どうすべきなのか、沢口にはわからなかった。



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坂崎真澄は、カーテンを引いた薄暗い部屋で、淡々と端末を操作していた。
端末には、左右、そして右斜め後ろにモニタが接続されている。真澄は、自身が組んだ愛用のPCで、先日起こった事件の映像を解析していた。
何よりも衝撃的だったのは、ドールが人間を乗っ取ってしまったという事実。
左側のモニタには、ドールに体を乗っ取られて憎悪に満ちた表情を向けている少女が映っている。
金髪に赤いワンピースのドール、キリエが、真澄の右斜め後ろのモニタに広げられたウィンドウから、怖々とした様子で覗き込んでいた。

「キリちゃんはどう思うよ、これ」

自分が作ったドールではないからか、それとも性格的なものなのか、真澄はキリエを「キリちゃん」と呼ぶ。
呼ばれたキリエは細い指先を顎に当て、少し考える仕草を見せた。

『正直……ドールとしては信じられません』
「だーよねー」

おれも信じられないしねえ、と真澄は続ける。そして、キリエの言葉から、『ドールとしては』という言葉を拾いあげ、そうだよねえ、じゃないと困るよねえ…と一人で続けていた。
理論上、できない話ではない。が、簡単にできるものでもない。

―――従妹の組んだドールの劣化コピーであるあの少女は、一体どこが焼き切れていたのか。真澄はそれを調べていた。
倫理プログラムを故意に行わないことで、人はいくらでもドールによる脅威にさらされてしまうことくらい、前々からわかっていたことだ。それでいて、ドールが人に対して危害を与えた事例がさほどないのは、ドールのコア部分を作成する際に、「ストッパー」と呼ばれるものを作成しなければならないためだ。

ストッパーとは、ドールの様々な挙動を制御するための基本プログラムである。
電脳世界での身体の構成、力、感情、そして、ドールの起動と停止。

ストッパーを持たないドールは存在しない。持たないということはありえない。
まず、ドールとして起動ができないからだ。
ドールとして起動するためには、『一時停止を終了』させる必要がある。だからドールは、ふるまいとしての『ストップ』を必ず持っている。
『ストップ』の引数は指示されていない。『ストップ』とは、何事にたいしても働く、ドールの基本動作だ。
このように、ドールの内部構造は論理的―――というよりも、どこか言葉遊び的な部分がある。
『人間ではない』
『生物ではない』
『体温がない』……
いろいろな条件を否定して、ドールは構成されている。
よって、何か定義を間違えたときに、もしかしたらドールの倫理が破壊され、人を傷つけることをためらわなくなるのかもしれない。

しかし、あの怜悧な従妹が故意であれミスであれ、そのようなことをするだろうか?真実は、本人に聞いてみないとわからないが―――。
もしかすると、円条グループに渡った時点で、歌花には何らかの改造が加えられていた可能性も高い。
あのドール研究所にいる連中の頭は、ある意味、イカレていると言えるほどに切れる。

今の段階で、真澄に推測できることはひとつ。
歌花―――彼女は、『ドール』ではなかったのかもしれない。



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『マスター』

穏やかな女性の声が静寂を叩く。
『高校生』がひとり暮らしをするにはやや広い、2LDKの一室。
煌々と光を放つPC。その前に、操作する者はない。

やわらかな、それでいて不安げな電子音が、もう一度部屋の主を呼ぶ。

『マスター?』

返事はない。
部屋の主は同じ部屋の、PCからすこし離れたベッドの上に仰向けになり、天井をぼうっと見つめていた。
休日の昼間の住宅街は、近くの住民があまりいないようで、ひたすらに静かだ。子どもが遠くで遊ぶ声すらしない。
考え事をしている、部屋の主の碧の双眸には何も映らない。
映像は脳まで届かず、様々なものを認識していない。

『……』

女性の声は主を呼ぶのを諦めたのか、軽く息を吐く音を立てた。
ドールである彼女には、呼吸は必要ない。言葉の代わりの嘆息。それさえ、今の主には届かなかった。



時間を少し、遡る。

「―――雛から、少し、話を聞いていました。セシル・アシュレイ―――あなたのことを」
「…………」
「きっかけは少し残念なものでしたが―――あなたに会えたことは、わたしにとってはプラスでした」

昨日のこと。雛の母、弓から呼び出されたセスは、円条邸の弓の執務室に通されていた。
真っ直ぐそこに通されてしまったセスは、学校を休んだはずの雛の姿を見ることはなかった。
そして、席についてすぐに茶が出され、弓が話を始めてしまった。

今日の午後はオフだという弓は、それでもしっかりと薄手のベージュのジャケットを着込み、微塵の隙も見せていない。彼女が『母』たる存在だとは、セスもあまり思えずにいた。
ただ、『雛の母』という点は、どこか納得する部分もあった。感情の起伏のなさ、色素の薄さ、貌のつくり。雛の将来は、彼女だろうか。
否。沢口がそばにいる限り、それはきっとありえない。
―――彼が傍にいる限りは。
弓の貌を見て、将来の雛を想像していたセスは、弓の話の続きに現実に引き戻される。

「あなたのお父様、デイヴィド・アシュレイ博士―――行方不明のかの天才を、我々は探しています」
「…………」

予想通りの話だった。
デイヴィド・アシュレイ―――電子工学の権威たる、セスの父親だ。
11年前、セスの妹、姉、母親を奪ったあの凄惨な事故の後、彼は行方不明となった。事件が収束するのに長い長い時間がかかったが、その間、正確な父の行方は、一度としてわからなかった。

「残念ですが……父の所在は私も存じません」

セスは表情を硬くして、吐き出すように呟いたが、弓はそれに驚いたふうでもなく、セスの返答に頷いていた。

「各国の諜報部隊も彼の消息はつかめていません。あなたが知らないのも無理ないことです」
「各国、ですか……」

マスメディアの心ない推論記事がセスの脳裏を過ぎる。母、姉、妹を奪い、そして様々な人に多大な影響を与えたあの事故の原因が、父の研究にあるのではないのか、と。
そのためか、さまざまな人間が父を探しているようだった。
父個人を糾弾するため、研究を悪用するため、事故原因を究明するため―――。

どれも、セスには興味のない話だった。否、考えたくない話だった。
しかし、彼の子息という理由で、セスは執拗に父について訊ねられ、あることないことを言われ続けてきた。それにそろそろ飽いてきているセスは、父について訊ねられると、らしからぬ素っ気ない返事をしてしまうのだった。
顔を逸らしたセスに、弓は静かに続ける。

「―――あなたもご存じのとおり、彼の行方には、様々な説が飛び交っています。……でも、どれも眉唾」
「…………」
「これは、わたしの推測でしかありませんが」
「?」

セスが顔をあげると、弓の真剣な視線とぶつかった。

「……デイヴィド博士の、居場所は―――……」



---


病室に戻った沢口とルミナは、先ほどまで笑いあいながらしゃべっていたのがうそのように、ギクシャクとしてしまっていた。
どちらも気分を害したわけではなかったのだが、お互いがお互いにあまり踏み入れたことがない分、相手がどこかいつもと違う反応をしてきたときに、どうしていいのかわからなかった。

―――今日は、今日こそはちゃんと踏み入れなきゃなんねー。
沢口はそう思っていた。
これから、ずっと、ルミナの助けになることなら、なんでもしよう。
その覚悟を、昨日決めたはずだった。しかし、なかなか話を持っていくことができない。

『ルミが困った時は、俺にできることなら何でもする』

セリフまで決めてきたはずだった。ちなみにポーズまで考えた。
右手の人差し指を立てて彼女を指し、親指を立てて自分を指す。
鏡の前で昨日三回くらい練習した。

だが、いつこのセリフを言えばいいのかわからない。全然そんな空気ではない。
何も核心に触れてもいないのに、なぜだか空気が重くなってきた。
現実は、偶然を運んではくれない。きっかけは自分で掴むしかないようだ。

これほど空気が重くなり、沢口が言葉を紡ぐのを躊躇うようになってきたのは、ルミナの表情が曇る回数が増えてきたからだ。
時間が経つにつれ、思いつめた表情のルミナが、何かを言おうとする回数が増えてきた。
沢口はそれを聞かなければ聞かなければと思いつつ、ルミナが何か言いたげな様子を察知すると、彼女を遮ってしょうもない話を振ってしまうのだった。

覚悟は、決めた―――はずだ。
しかし、ルミナの口から辛いという言葉が出ることを、沢口はどこかで恐れていた。
だが、用意してきたセリフを言うためには、ルミナから話を進めてもらわなければならないことも知っていた。
彼女が望んでいなければ、沢口の意気込みなど無用の長物だからだ。

日が、先ほどよりもだいぶ落ちた。
思ったよりも長く、一緒にいる。時間が経つのはそれほど遅くないようだった。

ルミナが時計を見遣る。
そして、口を開く―――今度こそ。沢口は歯を食いしばり、来るべき衝撃に備えた―――



「あのね、コーちゃん」



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「今さら、探してどうなるって言うんだ」

再び、セスの自室。

ベッドの上にいたセスは、いつの間にか目を閉じてしまい、そのまま眠ってしまったらしい。
目を覚まし、天井を見上げて思い出したのは、昨日の弓の言葉と、昨日感じた瞬間的な憤怒の感情。それに対しての独り言をつぶやいて、セスは体を起こした。

事故から11年。セスは、18歳という年齢の割に合わない、数えきれないほどの様々な出来事に遭遇した。
『同級生』たちよりは老成していたものの、それでもまだ幼かったセスは、一週間絶望して、一日やや立ち直って、次の日また絶望の淵に立たされるようなこともままあった。

父の存在を、いつかセスを助けてくれることを、期待していなかったといえばウソになる。
しかし、一日、一日と過ぎて行くたびに、期待よりも諦念のほうが勝り、日に日にセスは父との邂逅を諦めるようになっていた。
やがて、誰かに父のことを言及されるたびに、セスの中になにか負の感情が募り、セスらしくもなく相手に激しく言い返すことさえあった。
日本に来てから、その感情は久しく忘れていた―――はずだった。

意外なところで思い出した―――いや、電子工学の方面で高い業績を上げている円条グループにゆかりのある人間、雛に関わったその日から、いつかはこの日が来ると感じていたはずだったが―――その感情は、再びセスを支配している。
深く、重く、暗い、マイナスの感情。

本当は気づいていた。
セスは、本当はあのとき、父に助けてもらいたかった。
絶望の淵で、誰かに大丈夫だと言ってもらいたかった。誰かにと言っても、もうセスには妹も姉も母もなかったから、父に言ってもらいたかった。
セスにとっての父親は、天才などという言葉では片づけられないほどの存在だった。

父さんならきっと、何とかしてくれる。
それを信じていたかった。だが、現実の傷痕は深く、父への尊敬は時間が経つにつれ薄れた。
否、とても尊敬していたからこそ、許せなかったのかもしれない。

父に助けてもらうこと。それが、叶わないと気付いた日から、セスの望みは変わった。
父に助けてもらうことから、自分が父に成り替わる存在になることへ。
自分が父と同じ技術を身につけることへ。

いつか父のいる高みにまで登っていくために、セスはひたすらに勉強を重ねた。
―――だが。

その背中は、まだまだ果てなく遠い。
それがまた、セスを苛立たせてしまうのだった。



----------



「……実はね、わたし……。……明日には退院、できるの」
「…………」

目の前がぱっと明るくなる。
尤も、事態は何ら好転していない。
突然世界が明るくなったのは、沢口がいつの間にかぎゅっと目を閉じてしまっていたのを、開いたからだ。
沢口が現実世界を直視すると、目の前には見慣れたチームメイトのルミナがいた。
ルミナも、目を閉じていた。沢口が衝撃に備えていたように、ルミナも衝撃に備えているようだった。

呆けた体で、沢口は、もう一度ルミナの言葉を脳内で咀嚼する。

『明日』、『退院できる』。
―――悪いことじゃない。

それを、どうしてルミナはこんな強張った顔をして告げたのだろう?
沢口はまだ、ルミナの心の内を、何も理解していないようだった。

ルミナは恐る恐る、といった様子で目を開き、沢口の様子を窺っている。
何も言わない沢口を怒っているものととらえたのか、ルミナは慌てて言葉を継ぎ足しだした。

「ほんとにゴメンね!」

お見舞い、
せっかく来てもらったのに、
明日、
退院なの、
言うの、
今頃で―――

ルミナは途切れ途切れに言葉を繋いでいく。ゆっくりと沢口はそれを拾っている。
ゴメンと言われる覚えが、沢口にはない。
沢口は今、戸惑った表情を浮かべている。そして、ルミナはその表情を誤解している。

お互いの浅い部分で踏みとどまっていた彼らには、お互いの心を推し量る材料が足りない。
それを、ルミナは我慢できなくなったのか、ひとつひとつ、自分の心を言葉にしていく。


「…………言ったら、来てくれないかもって、思ったの」

言われて初めて、沢口は少し納得していた。
明日退院する人間への見舞。
意味のないことではない。沢口には十二分に理由があった。
ルミナが入院する羽目になったのは、間違いなく自分の責任なのだから。
しかし、ルミナにとっては、沢口の見舞は、沢口の徒労に繋がっているように感じたのだろう。
―――沢口は、まだ呆けている。
そのうちに、左手のことでは泣かなかったルミナの双眸に、涙が溜まっていった。

「……ゴメンね、コーちゃん……」

零れるのに音を立てそうなほど大きなひと雫が、ルミナの頬を伝った瞬間、沢口は、ああ、今だ、と何となく思った。
そして、考える間もなく実行していた。

「謝るな!」
「…………っ」

あんなに躊躇っていたのに、口を開けば言葉は出てきた。
緊張しすぎて何かが麻痺したのかもしれない。

「…………ルミが困った時は、俺にできることなら何でもする!!だからもう泣くな!」


練習通り、ポーズまでつけた。
ダサいことこの上なかったが、ルミナは笑わなかった。


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