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07:Closed City-01

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時計を見た。
―――18:26。
この空間に入ってからもうすぐ30分になる。

前には壁。
右も、左も、後ろも壁。だいたい1メートル四方ほどの広さだろうか。
上を見上げると30センチほど上方に天井。
足が着いている床。
すべて、無機質な灰色だ。

―――とても狭い。
―――閉所恐怖症じゃなくてよかった。
しかし、こうして絶え間なく考え事をしているのは、怖いからだ。

壁はあるが、空気は循環している。
正確には、空気はあると脳に言い聞かせている。
生きている身体はここにはなく、意識だけが別の世界にリンクしている。だが、意識が「死」を捉えてしまうと、精神が死んでしまう。
だから、目を閉じて、空気の循環を想像している。
―――大丈夫、死なない。

今、意識だけの存在であるにも関わらず、この世界には「現実」とほぼ等しい制約がかかっている。
重力もあれば、物理的な接触判定もある。
現実より早く走れるわけでもないし、空を飛べることもない。
よって、今彼には、四方の壁をどうすることもできない。

―――ドールがいれば。
沢口は左手の携帯端末を見た。端末のデータには、たくさんの作りかけのドールがいる。
しかし、彼の言うことを聞いてくれるドールはひとつもなかった。
掌に収まるサイズの端末を握りしめる。
アンテナ表示に圏外、と無情を示して、端末は沈黙していた。


―――くっそ、こんな色気のないとこで何分青春の一ページを過ごさせるんだっつの!
―――セクシーおねえちゃんがいっぱいのところだったら何分でもいてやるっていうのによー
20分強立ちっぱなしで救出を待っていた沢口だったが、ここで諦めて狭い空間に腰を下ろした。座った分上方の空間が広がって、すこし落ち着いた。
時間がもったいないからとりあえず寝よう、座った瞬間そう決めた彼は、瞼を下ろした。



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沢口が四方壁の空間に閉じ込められる約1時間前。沢口、雛、セス、ルミナの4人は空屋に向かっていた。
セスが仕入れてきた『仮想空間』のデバッグを手伝い、報酬を得るためだ。
電子工学の世界では割と名前の知れた存在であるセスは、どこからともなく「仕事」を見つけてきては、改修作業等を行っていた。
沢口たちは勉強(と報酬)のために、セスの「仕事」を手伝っている。守秘義務も一応守っている。

「今日はどんななの?セス君」

長い黒髪を結い上げたルミナは、好奇心に満ちた声と顔でセスに訊く。いつも彼女は楽しそうだ。

「某政令指定都市のモデル都市空間と聞いてる。市民にホンモノの都市に似せたこの空間を開放することで、電車や車を使用させずに二酸化炭素を減らす試み―と解説されたが、どうなんだろうな」
「…どうせ仮想空間なら自分とこの都市じゃなくてもっとリゾートとかのがいいんじゃねえの」

沢口の呟きに、雛が苦笑した。

「どんなでも一緒だよ。最初は珍しがって人が集まるけど…最後は飽きられて人が来なくなる」
「どんどん新しい『世界』が出てきては~消えてくよね」

「この前行った『世海ヒルズ』はかわいそうなくらい人がいなかったよ」とルミナは肩を竦めた。

「電気自動車が流行しているこのご時勢で、二酸化炭素がどうこうとは予算消費のための下手な言い訳だと思うが…。だが、我々はその市の予算の一部を報酬から貰うわけだから文句は言うまい」
「下手な言い訳っていうのは文句じゃないんですかセシル君」

沢口の静かなツッコミに、セスはにこりと笑んでみせる。
セスは緑に近い青の双眸を細め、わざと抑揚を強めて死刑宣告を下した。

「報酬が要らないようだね沢口君」
「いります!いりますセシル先生!ゴメンごめんなさい申し訳なし!!」
「セシル先生、沢口君の分の報酬は円条さんとわたしが貰いまーす」
「先生、沢口君は置いていきましょう」

セスと沢口の先生と生徒ごっこに便乗したルミナに、雛も挙手して従った。

「ちょ、ちょ、待てって!」

一昔前の『カリスマ』の物まねみたいなセリフを吐きながら、沢口は彼を置いて歩き出していた三人の後を追った。

今回の「仕事」はその都市のデバッグだった。
モデル都市はほぼ完成してはいるのだが、時折不可解なエラーでシステムダウンを起こすのだそうだ。
末端のデバッガーたちでは手に負えない規模まで膨れ上がったバグの除去をセスに依頼した。

セスが「仕事場」としても使用する空屋は、空間貸し屋、の略である。ちなみに正式な読みは「そらや」である。
ただし「あきや」や「くうや」等、複数の呼び名が流通していて、どれが正しいというのも無意味のようである。
話はずれたが、空屋では先日の沢口の起動実験のときのように空の空間を広げることもできれば、データを読み込んで、色々な情報を組み込んだ空間を広げることもできる。
完全に社外秘のデータの空間を広げることになるのだが、沢口たちの使っている空屋は雛の親戚が営んでいて、若干の融通が利くのと、セスが何重にも構成したセキュリティエリアの内部でデバッグを行うため、情報が流出したことは今のところなかった。

「ちーす」
「……………らっしゃい」

今日の空屋の店番は、雛の従兄だった。
顎の下ほどまで伸びた金髪は、根元が10センチほど黒い。久しく髪を切っていないのだろう。
光に弱い目を室内ででもサングラスで隠している彼は、あからさまに接客業のなりではない。
彼は普段は店の裏側でネットワークの調整を行ったり、プログラムを組んで過ごしているのである。
普段は彼の妹が接客をしているのだが、彼女がいない日は兄のほうが接客をしている。
言うまでもないが、彼が店番の日は売り上げが悪い。

「真澄ちゃん、今日の入りはどう?」
「うん、まあ、見ての通り」

金髪グラサン男、真澄がモニタをくるりと回して沢口たちに示す。
使用中の部屋を示す赤、空き部屋を示す青の割合は、圧倒的に青が多かった。赤い色は数えるほどしかない。

「…こちらとしては好都合なわけだが」
「はいはい毎度毎度。とっとと行け。しかしアクセスログ操作するの大変なのわかれよ坊主どもにお嬢さんら」

面倒くさそうに真澄は手を振り、最奥の部屋の紙媒体のバーコードキーをセスに渡した。
それからすぐに真澄は背を向ける。もう一台あるモニタの操作に取り掛かった彼の接客はここで終了だ。
接客は適当だが、ともすれば不正アクセスもやりかねないセスたちの行動履歴を削除している、影の功労者は彼だった。
とはいえ大きな仕事の報酬が出たときは、彼にもおこぼれが行く。
面倒くさそうなのは彼の性格によるものであり、本当に鬱陶しがっているわけではないのだった。
沢口たちはそれを知っているので、特に萎縮したりはしない。

「いつも通り、1時間で済ませるから。よろしくね、真澄ちゃん」

従妹の言葉に、真澄は背を向けたまま軽く手を挙げた…ように見えた。

バーコードキーでドアを開けたセスは、用済みのキー用紙を丸めてダストボックスに放る。
部屋に置かれた椅子に沢口、雛、ルミナが掛けたことを確認したセスは、部屋の入り口付近にあるコンソールパネルにセキュリティエリアを構成するコードを打ち込みだした。
その指先は軽く、キーボードを静かに鳴らしている。沢口たち三人は、セスの邪魔をしないよう静かにしていた。
セスがコードを打ち終わりコントロールを押下すると、第一層めのセキュリティエリアが広がった。
瞬間、彼らの意識は別の空間にアクセスした。

一瞬の暗闇が明けると、制服姿だった彼らは各々設定した衣服を身に着けていた。
セキュリティエリアが正常に構成されたことを確認したセスは、自分の携帯端末を取り出すと、シャティを呼び出した。

「シャティ、第三層の構成頼む」
『了解。パラメータ正常値確認。環境構築開始します』

シャティが言葉を発すると、コードが文字となり、空中に流れ出した。
ものすごい速さで紡がれるその声はすでに言葉ではなくなっていて、人間からは音として認識するのが精一杯だった。
セスは携帯を仕舞うと、第二層のコードをコンソールパネルに打ち込み出す。セスの打ちこみが終わって2秒後、シャティのエリア構成コマンドも終わり、三重のセキュリティエリアが構成された。

「行くぞ」

依頼主から預かったパスを打ち込み、コントロールを押下する直前、セスは沢口たちに声を掛けた。
各々が頷いたのを確認したセスは、コントロールを中指で弾いた。


多量のデータが瞬時に読み込まれ、空間を構成していく。
そして、空間に酔わないよう目を閉じていた沢口が目を開くと、そこは―――
―――四方壁だらけの部屋だった。



「アァー!?」



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突然の事態に、沢口が素っ頓狂な声を上げてから、そろそろ35分が経過する。
うとうとしかかっていた沢口は、振動で目を覚ました。
携帯のバイブレータかと思ったが、そんな生易しいものではなかった。

揺れていたのは地面だった。それは振動ではなく、震動だった。

「ちょ」

続きは、驚きのあまり叫ぶことはできなかった。
震動がひどくなった次の瞬間、沢口の上方にあった天井が崩れ落ちてきたからだ。

―――死ぬかよ!

わかっていても、重力に従って天井が落ちてくるその様はとてもリアルで、沢口はぎゅっと目を瞑り、身を固めて衝撃に備えた。
転ぶ直前のように、一瞬がとても長く感じられた。


遠くで、誰かが呼んでいる気がした。


7

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