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 山道を抜けてシーズンの過ぎた別荘地に入っても、猪狩が携帯端末で地図を確認する時以外、車は止まらずに走り続けた。土産や飲食店の多い一角を抜けてしばらくは木々の隙間に様々な形の別荘が見えていたが、それもすっかり数を減らしていくほどの山奥だ。通販や携帯電話などがある現代でも、これ程生活圏から離れてしまえば別荘としても使いにくく、人間社会から隔絶されてしまうようで使われにくかろう。それでも時折、別荘が建っているのだから、それを好む人間が当然いるという話になるが。
「そう言えば、シロの時にカミサマがしてくれたって言う、ミニカミサマみてぇなのはいねぇのか」
 ミニカミサマ、という猪狩の言葉に思わず吹き出しかけた鱗道であったが、咳払いでなんとか誤魔化し鎮めきった。蛇神は鱗道の周囲の出来事を全てではないにしろ聞いている場合がある。敬意を感じない呼び方に笑ったのが聞かれてしまえば、機嫌を損なうかも知れなかった。蛇神の嫉妬を買い、機嫌を損なうようなことは二度と御免だ。
 咳を整え、呼吸を整え、鱗道は猪狩に返答した。結論から言えば、いない、と。
「分身は俺が蛇神の領地から外れたところに、蛇神からの頼みで出向いたから寄越された助力だ。この辺は――まぁ、彼方の世界に明確な線引きがあるわけじゃないが、蛇神の領地の端になって、他の一柱や柱不在の地との境になるらしい。そんな境界に下手に分身を出せば、いらんいざこざを招きかねんそうだ」
「縄張り争いってのがカミサマにもあるってのは、なんだか幻滅する話だな」
「詳しくは知らんし、はっきりと聞いたわけじゃないが、他の一柱とは基本的に不干渉らしいからな。まぁ、領地ってもんを作ってるって事はそういうことなんだろう。それに、分身を寄越すってのはそれなりに準備が必要らしくてな、すぐに寄越せるもんでもないってことだ」
 猪狩の車がかなり減速し始めた。時折、窓から顔を出して周囲を確認する。目印らしい物など見当たらないが、目的地は近いのだろう。他に建物もなく、つい先程からは携帯端末の電波も届かなくなっている。
「領地の端だし、代理仕事からも外れてる。今回は俺がお前の話に乗っているだけだしな、助力を願うわけにはいかんだろ」
「じゃぁ、まさかお前、今回は変なモンの声が聞けるってだけか?」
 人を引っ張り出した張本人のあまりの言い草に、鱗道は運転席に座り直した猪狩を睨んだ。丁度、猪狩は鱗道側を確認しようとしていたらしく、視線がぶつかったような気がしたが猪狩の態度は変わらなかった。とは言っても偏光グラス越しだ。本当に表情が変わっていないかは分からない。
「俺の中に巣穴があるのは変わらん。一応、話は通したしな。大っぴらな助力は願えんが、端とは言え領地内か近辺だ。降ろすことは出来るし、何かあればいつも通りに勤めて問題はないとさ」
 ハンドルが大きく切られ、車が横道に入り始めて激しく揺れた。今まで走ってきた道とは違って路面が荒れている。滅多に車が通ることがないのだろう。
「話は通したって、お前はからカミサマにコンタクト取れるもんなのか」
「巣穴がある、って言っただろ。普段からある程度は俺の身の回りのことを聞いてるんだ。俺が気がかりになってるのを察したらしく、夢に出てきた」
「そいつはお熱いことで」
 道は途中から私有地に変わったようだ。明らかに路面ではない場所を車は大きく揺れながら進む。今までとは違う揺れ方にシロが頭をぶつける音が何度か上がってから、今度は完全に車が止められた。車の正面には黒い塗装が剥がれだしている鉄の門扉が、大きな南京錠と鎖をぶら下げているのが見える。その先に、廃墟――猪狩の言う屋敷があるらしい。ただ、ここからは生い茂る木々があって建物らしい影も形も見えなかった。
「そうか。お前の中に巣穴があるってぇと、お前の腹を掻っ捌けばカミサマがにょろりと顔を出したりすんのかね」
「そんなことは知らん。物騒なことを言うなよ」
 猪狩の言い方があまりに軽く、そのまま試してみようなどと言い出しかねないと思ってしまい、鱗道は思わず腹を押さえた。猪狩は鱗道の言葉に短くも大きく笑いながら、シートベルトを外してダッシュボードから古い鍵の束を取り出した。開けてくる、と門扉にかけられた南京錠を指して車を降りていく。
 猪狩が車を降りて腹を庇う手を離した後、鱗道は暫く耳を澄ませた。廃墟はまだ離れているようだし、彼方の世界が絡んだ話と決まったわけではないが、猪狩がわざわざ鱗道を連れてきたのだから可能性は高いはずだ。しかし、特に何かが聞こえたり、感じたりということはない。
「シロ。お前はなんか聞こえたりしてるか?」
 車が完全に停止した途端に窓から頭を出していたシロの耳が細かく動いている。何かを聞き取っていることは確かであるが、生憎、鱗道が望んでいた音ではなかった。
『車がくるよ。途中から来てたけど、今度はちゃんと近付いて来てる』
 ひゃんひゃんと語ったシロが頭を引っ込め、後部座席から後方の窓に顔を寄せた。鱗道もまた、窓から顔を出す。確かに、鱗道の耳には僅かであるが車のエンジン音が近付いて来ていた。はっきりと聞き取れる頃には門扉に通じる荒れた道を揺さぶられながら走る車の姿も見えている。乗っているのは一人、であるようだ。
 門扉の鎖と鍵を外し、車が通れるように開けてきた猪狩が戻ってきて、窓から運転席に鍵の束を放った。
「親戚だ。俺にこの物件を譲った叔父貴だよ――マズったな」
 親しみの他に若干の苦さが滲んでいる猪狩の声が意外だった。マズったというのはどんな意味か尋ねようと鱗道が口を開きかけたが、
「晃!」
 と、後続車から明朗で張りのある声が投げられた。猪狩が車を離れて呼ばれるままに後続車へと向かって行く。鱗道は少し迷いはしたものの、車から降りて後続車へと向かうことにした。シロには窓から頭を出しても良いが、中に残っているようにと言い聞かせて。
 運転席から体を乗り出し、近付いた猪狩と談笑していたのは六十過ぎの壮年であった。その顔立ちは確かに猪狩と似ているが、叔父と言うには年齢が離れて見える。壮年の男が老けていると言うより、猪狩が若く見えるからだ。顔立ちは猪狩に似ているものの、あくまで年齢相応の人物である。
「お前ならなんとかしそうだ、ってことで賭けが始まってな。晃、お前、劣勢だぞ」
「叔父貴は俺に賭けたんでしょうね。やれることはやるつもりですから、その時は少しくらい俺にも還元してくださいよ」
 聞こえてきた会話の内容に、やはり猪狩の一族なのだとしみじみと思うところがある。猪狩の父親も些細な出来事を賭けの対象にすることを好んでいた。猪狩も父親ほどではないが些細な出来事に乗じて些細な報酬を賭けるのを楽しんでいる時があった。リターンを望むと言うより、少しのリスクならば楽しんでしまおうとする性分なのだろう。
「――晃、こちらさんは?」
 鱗道の姿を見付けた叔父が目を細めた。向けられる視線に既視感を覚えながら、鱗道は無言のまま頭を下げる。猪狩が外した偏光グラスで鱗道を示しながら、
「幼馴染みの鱗道ですよ。俺が、時々話していた」
「あー……そうか。いや、失礼。貴方の髪色ばっかりを見ていたもんでね、もっと年嵩のいった人だと」
 いや、と鱗道は曖昧に言葉を濁す。灰色の髪に関しては、必ず触れられる話題である。鱗道の父親も生まれつき灰色で、周囲から言われないように黒く染めていたが、鱗道は髪を染めたことは一度もなかった。染めるのを忘れた時が億劫であるし、最初にこのやり取りを済ませてしまえば二度、三度と繰り返されることは滅多になかったのも理由である。学校生活は少し難儀であったが、地元から繰り上がれば証人が多くいて助けられた。ただ、ここに来るまでの車中で過敏な受け取り方をしたように、慣れていても全く平気になるというものではなかったようだが。
「止めてくれよ、叔父貴。失礼だぜ。俺が頼んで来て貰ってんのに」
 非難の意図を含みつつも猪狩の口調が少し崩れ、鱗道にとっては聞き慣れた物に近付いている。少し畏まった話し方をしていたものの、叔父との関係は良好に間違いないのだろう。と、なればますます「マズった」という言葉の意味が分からないところであったが、
「晃、身内じゃないもんをあの廃墟に入れる気なのか」
 叔父は顔をしかめて猪狩に鋭い視線を向けた。猪狩の表情が明らかに硬くなり、ああ、と明瞭でない言語を吐き出す。だが、叔父は猪狩に間を与えなかった。
「あの廃墟が妙なことはお前も分かってるだろ? 他人を連れて行くのは賛同できないぞ。何かあったらどうするんだ」
「分かってます。ですが、叔父貴、コイツは」
「質屋なんです」
 マズった――と、猪狩が言ったのは第三者を連れて来たことを知られたことに対してだったのだろう。それを察した鱗道は、大きくはないがはっきりと聞き取れるように言葉を挟んだ。
「猪狩から話は聞いています。なんとかするつもりでいるらしいんで……どうせ結果が決まっているなら、引き取る予定の品を早めに見たいと無理を言って……見たら直ぐに帰ります」
 少し間延びをするような言い方をしたのは、猪狩が体勢を立て直す時間稼ぎのつもりであった。それと、思い付くままであっても余計すぎる一言を言わないように気を払っていたのもある。猪狩の驚いた顔は横目に見えたが、鱗道から猪狩を見るようなことはしなかった。猪狩ならば、立て直す時間さえ作ってやれば鱗道の言葉を上手く扱うことなど造作もないはずだ。
「――そういうことです。コイツはちょっと変わった質屋でね。妙な品にも詳しいし、取り扱った経験がある。あそこにあるのは訳あり品ばかりになりそうじゃないですか。それでコイツに頼んでるんですが、見極めるのに時間がかかるからなんて言われりゃぁ……見せるくらいは構わないでしょう?」
 実際、猪狩は鱗道の言葉に話を合わせた。呪物や付喪神関連であれば取り扱った経験もあるし、猪狩より詳しいことも嘘ではない。廃墟に起こっていることを見極めるのに時間がかかるだろう事も真実だ。鱗道が言わなかったことを上手く補足し、事実を交えて並べ立てた猪狩の言葉は信憑性が高かろう。が、叔父は最初に鱗道を見た時と同じように目を細めて、鱗道だけを見上げた。
「屋号はなんと?」
 この質問は二人の話の真偽を確認するためのものだと、鱗道はすぐに理解した。それが出来たのは二度にわたって向けられた視線の既視感を思い出せたからだ。猪狩が物事を見定めようとしている時の――一番物事に注意と関心を寄せ、疑惑を持ってみている時の目であると。
 一度は飲み込んでおきながらも最初から全てを信じることをしない猪狩が質問や反応から真偽を見定めるように、この叔父も「鱗道が質屋である」ということを受け入れつつも疑っている。少しでも間を置くか不自然に濁せば疑いは深められ、更に質問を重ねられればメッキは見る間に剥がされていくだろう。
「鱗道堂です」
 故に、回答は脳を通さず口に任せた。車内で駄菓子屋の話が出た後に少しばかり考えていた店の名前候補である。猪狩が腕を組み、右手で口元を隠すのが見えていた。横に立つ鱗道には笑っている口元が隠せていないが、叔父が急に猪狩に視線を向けても笑っていることには気が付かないだろう。じっと鱗道を見ていた叔父であったが、
「そうかい。まぁ、そういうことなら――気を付けてくれよ、鱗道堂さん。あらかた元の場所に戻せば済む話だが、あんまり中の物に手を触れないように。晃、何かあったらお前が責任を取るんだぞ。分かってるな」
 猪狩に向けられた最後の言葉は酷く重く、はっきりと凄みを利かせて放たれた。猪狩は言葉を真っ正面から受け取り、真剣な面持ちで、
「ええ、分かってますよ、叔父貴」
 もとよりそのつもりである、と言わんばかりの言葉であった。実際にそうであったからこそすぐに放てた返答だったのだろう。猪狩の言葉に頷くと、それじゃぁと叔父は体を運転席に沈めた。二人が車から離れると、車はすぐに動き出す。運転は手慣れた物で、道路とは呼べない道も危なげなくエンジン音は遠ざかっていく。
 車の姿がすっかり見えなくなる頃には耐えきれなくなった猪狩が大きく肩を震わせた。最早、笑い声も漏れ聞こえている鱗道はようやく猪狩を明確に睨み付ける。腹を折った猪狩から振られる手には謝罪と感謝の意図が読み取れるが、
「お前……鱗道堂はねぇだろ……古くせぇにも程があるぜ」
「咄嗟だったんだ、構うなよ」
 言葉にはそのどちらも滲んでいない。不機嫌そうな鱗道に、背筋を伸ばした猪狩が一息吐いてから背中を叩いた。
「構うなってのは無理な話だが、まぁ、あれだ、助かったぜ。流石の叔父貴も今日中に名簿を漁ったりは出来ねぇだろ」
 名簿? と鱗道は猪狩の顔を見返す。猪狩は非常に楽しげで機嫌が良さそうに肩を竦めた。
「質屋ってのは金貸しもするだろ? 特殊な仕事だからな、警察に届け出が必要で名簿管理されてるもんなんだよ。叔父貴も元警官で――あっちは普通に定年退職だが、伝手から調べようと思ったら出来ねぇことはねぇ、って訳だ。ま、大っぴらには無理だけどよ」
「元警官?」
 その言葉に鱗道は顔を強張らせた。元警官、と猪狩はやはり楽しげに言葉を繰り返してみせる。
「お前がつらつらと返事をしたもんだから、叔父貴も半信半疑より信じる側に傾いてやがった。お前も必要だと割り切っちまうと嘘をつくのに抵抗がねぇ男だからな。まったく、質の悪い野郎だぜ」
「……別に騙そうと思ったわけじゃない。その場しのぎが出来れば良いと思ってだな」
「俺に言い訳を並べても無駄だぜ、グレイ。ま、質屋だって嘘ついたぐらいじゃ大事にならねぇよ。それに、叔父貴も言ってただろ。責任は俺が取るし、取らされるさ」
 猪狩が革のジャケットから車のキーを取り出して高く放り上げた。車に戻るように促しているのだろう。鱗道は浅く溜め息をついて、猪狩の車へと足を向けた。待つのに飽きたのか、シロが窓から上半身を殆ど出している。
「事が無事に済めばいいがな。お前の親戚の口ぶりからして一筋縄でいきそうもない」
「おいおい、俺がお前を引っ張り回して、単純に事が済んだことがあったか?」
 大きな手で車のキーで遊びながら車へ向かう誇らしげな猪狩を、鱗道は冷ややかな視線で見やった。
「胸を張るな。単純に済みそうなことも、お前が全部引っ掻き回して台無しにするんだ」
 多少込めていた非難も、言葉に出していく内に諦めへと変わって鱗道の肩を落とす。猪狩は違いねぇ、と大きく笑った。車についた鱗道はシロの身体を窓から後部座席に押し込みながら、
「……駄目かね、鱗道堂」
 と、一人呟く。猪狩は古くさいと言ったが、その古くささ――古風さが少し気に入っていたのだ。しかし、駄菓子屋にしては確かに厳つい屋号かもしれない。と、車のルーフが猪狩の拳を受けて大きく揺れた。ドアを開こうと俯いている背中が小刻みに震えている。独り言が聞こえていたのだろう。鱗道は黙って助手席に乗り込んだ。
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