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 門扉を抜けた車が走っていた時間はものの数分であった。群生する木々を抜けたことでようやく屋敷が姿を現す。二階建てにタイル張りの施された、いわゆる洋館と呼ばれる建物だ。確かに長く人は住んで居らず、窓のいくつかは内側から板で塞がれ、外装の殆どは様々な蔓植物が飲み込むように覆っている。ただ、廃墟という言葉からイメージするには形もしっかりと残っていて、猪狩が屋敷と言い直したのも頷ける外観であった。
 車が止められたのは、中央に大きな二枚扉を構えた玄関前から少し離れた位置だ。方角は東にあたる、と車を降りた猪狩が言う。
「雰囲気はあるだろ? さて、中に入る前にまずは外側から鱗道堂さんに見聞して貰おうじゃねぇか」
「……話が通じる奴がいたら、お前にけしかけてやろうか」
 バックドアからカメラバックのような四角い鞄を取り出した猪狩が、鱗道の言葉に勘弁してくれと笑った。そう言えば猪狩は情報業――ジャーナリストみたいなものをやっている、と言っていたことを思い出す。
「これから取材でもするみたいだな」
 鱗道が後部座席の扉を開けてやると、飛び出したシロはひとしきり体を伸ばした。そして直ぐに鼻や耳を忙しなく動かしながら車の周囲をゆっくりと回る。
「今日はカメラを持ってきちゃいねぇがな」
 猪狩は鞄から銀色で真っ直ぐな円柱形の頑丈そうな懐中電灯を取り出して手慣れた仕草で回して見せた。アクション映画でよく見る銃の回転芸めいた動きは、映画でやっていたのを真似て覚えたと言いながら。
「コイツは非常用だ。もう電気は通ってねぇが、照明分を賄うように叔父貴がガソリン式の小型発電機を持ち込んでる。ある程度のモンなら持ち込むことは出来るし、俺達が持ち込んだもんは持ち出せる。あくまで、この屋敷が無人になる前後にあったもんが外に出せねぇもん、ってことらしい」
 車の周囲を回り終えたシロが鱗道の足下に戻ってきた。紺碧の目も耳も真っ直ぐ屋敷を向いているものの、現時点で何かが聞こえたり、感じたり、見えたりということはないようだ。
「まずは外を一周するんだと。気になることがあったら教えてくれ」
 ヒャン! と威勢の良い返事と同時に『うん!』と張り切った強めの返事が鱗道の頭に響く。数ヶ月で日常の範囲であれば慣れてきたが、まだ強めの勢いには仰け反ってしまう。
「お前にシロは元気が良すぎるみてぇだな」
 歩き始めたシロの後ろを、ゆっくりと追い始めた猪狩が肩を震わせて笑った。鱗道はああ、と短く同意する。
「しばらくは散歩に付き合うのすらしんどかった」
「いい運動になるじゃねぇか。そうやって日に当てて貰って、シロに健康にされちまえ」
 年がら年中、仕事に趣味にと外を飛び回る男に下手な反論は禁物である。鱗道は何も言わず、屋敷を見ながら歩き出した。東側一階の窓は殆ど板で塞がれている。二階は一階よりも多くの窓が並んでいるが、格子が細かいからか板も貼られていないようだ。窓の間隔からして部屋が並んでいるのではなく、廊下が続いているのだろう。窓が残っていることは見えるが東側の大半は蔓植物に覆われていて、貼られているタイルも屋根に近い一部分を除いてはっきりと見ることは出来ない。
 屋敷を右手に曲がった先、南の壁も殆どは蔓植物に覆われているが、壁全体の三分の一は占めていそうな程の大きなステンドグラスには植物も手出しが出来ないようだ。曲線と直線を重ねて多様な幾何学模様が描かれた寒色を中心としたステンドグラスは、風雨にさらされ汚れている場所もあるが割れている箇所はない。ヒビが入っている様子もなく、屋内から見ればさぞ荘厳であるだろう。
「南側には二階へ上がるでかい階段があってな、ステンドグラスはその階段に填められてるもんだ。見栄えは良いが――どうも趣味じゃねぇんだよな」
 無精ヒゲのある顎をがりがりと掻きながら、猪狩はステンドグラスを見て目を細めている。
「確かに、ステンドグラスなんて繊細なもんはお前の趣味じゃないだろうな」
「言ってくれるじゃねぇか」
 鱗道の言葉を受けて笑う猪狩が、ステンドグラスの前から再び歩み始めた。シロは時折屋敷の方に顔を向けて立ち止まるが、その他に反応も言葉もない。素早く猪狩を追い抜いて西側へと先に曲がっていった。鱗道は最後尾をゆっくりと歩いている。少しばかり異質を感じるような気もするが、気のせいとも言える範疇でしかない。断言できるような感覚はなかった。
 屋敷の西側に回るとようやく蔓植物の勢いが削がれて、屋敷に貼られた鱗状のタイルがはっきりと露わになった。一枚一枚の風合いの違いは当初の物か年月経過がもたらした結果かは分からないが、丁寧に貼られているらしく脱落している物はない。東側との違いは蔓植物の勢いだけではなく、一階部分の窓にもある。殆どが採光か換気用と思われる小さな窓だけだ。居住部屋らしいものはなさそうである。北側の端には屋敷の外観や大きさに反してひっそりとした木の扉があった。勝手口だろうか。それにしては、屋敷に向かう道の反対側では不便な気もするのだが。
 二階部分は東側同様、格子の細かい窓が並んでいる。南側に階段があり、東西に廊下が並んでいるとしたら、二階部分にも部屋は少ないだろう。と、すると。
「猪狩。ここには誰が住んでたんだ」
 屋敷の大きさに対して居住スペースは広くなさそうだ。シロは既に西壁の角を回っていて、猪狩も勝手口を過ぎて角に差し掛かっている。歩を緩めた猪狩は、鱗道の問いに長い髪を掻いた。
「男が一人。俺の爺さんの兄弟で……兄だったか、弟だったか」
 はっきりとしない猪狩の言葉を聞きながら、鱗道も遅れて角を曲がり――その足を、慌てて止めた。角を曲がってすぐに立ち止まっていた猪狩に危うくぶつかるところであったのだ。
「急に止まるな」
 猪狩を避けて追い抜きながら、鱗道の視線は上がっていった。自然に、ではあるが無意識に、ではない。壁伝いで非常に見えにくいが、鱗道の視線を誘導するものがあったのだ。それが何か、と確認するために壁から距離を取ろうと数歩下がる。
「……おかしい」
 その足を止めたのは、猪狩の声に軽妙さが無かった為だ。見れば、偏光グラス越しでも分かる程の重く険しい表情をしている。底の分厚い頑丈な登山靴が力強く歩み寄った先には、窓の前で立ち止まっているシロと側に転がっている踏み台があった。踏み台は外に放置されていたと見えて、雨に濡れたり汚れたりで黒ずんでいる。猪狩はその踏み台に足を乗せ、じっと見下ろし続けていた。
「その踏み台がどうかしたのか」
 鱗道には何の変哲もない踏み台だ。シロが見ているのも踏み台そのものではない。踏み台の同線上にある屋敷の窓である。
「この辺りはダイニングとキッチンになってる。詳しくは中で話すが――俺が中に入った時、出られなくなってな。そこの窓をこれでぶち破って出たんだ」
 猪狩は踏み台に足を置いたまま、横の窓――シロが顔を向けている窓を指差した。確かに、その窓は割れた痕跡がある。地面には草葉に埋もれて見えにくいが窓ガラスの破片が散乱しているようであるし、窓ガラスは歪に割れていて、格子は大きくひしゃげている。だが、格子は不格好だがひしゃげているだけだ。猪狩の大きな体が通れるほどの隙間などない。
「……本当にこの窓か?」
「踏み台が落ちてるだろ。間違いねぇよ」
 猪狩は険しい表情のまま窓へ近付き、ひしゃげた格子の一部に手をかけた。力を入れた様子はなく、多少手首を捻った程度で格子の一部は音を立ててあっさりと壊れてしまった。
「えらく脆いな。スカスカじゃねぇか。破片を集めて無理矢理形だけ作ったみてぇだ」
 手中の破片を指で弾き、軽い音を確認してから投げ捨てる。その折、鱗道が小難しい表情のまま両腕を組んで立っているのに気が付いたらしく、猪狩はようやく表情を緩めた。しかし、当然であるが鱗道の懸念が拭われるはずがない。
「……本当にここに入るのか?」
「今更怖じ気づいてくれるなよ。それに、俺が今ここにいるってのが、最悪の場合でも窓から出られる証拠になるだろ」
 窓から室内の様子は窺えなかった。日中とは言え北側である。中に差し込む光もない。鱗道は猪狩に返事をしないまま、先ほど視線が誘導された場所を見上げた。
 北側二階に窓は三ヶ所ある。一番東寄りは一階東側の窓の大半と同じように板が打ち付けられた一般的な四角形の窓があり、少し離れた中央近くには半円と組み合わせた洋風の窓がある。またそこから少し離れた窓はステンドグラスの嵌め殺しとなっていた。南側の大きな物と比べてしまえば見劣りはするが、暖色が多く使われ植物や小鳥と言った図形が鳥籠のような木枠に収まっている。
 今度は、鱗道の視線を追った猪狩が尋ねる番となった。
「あのステンドグラスと隣の窓があるあたりは書斎って話だ。あの窓がどうかしたか?」
「……何かに見られた。そんな気がしたんだ。シロ、ちょっと来てくれ」
 シロは猪狩が壊したという窓が気になっているようで前足をかけていたが、鱗道に呼ばれると素直に足下に寄った。近寄ってすぐに、先程の鱗道同様に引かれるように顔を上げてステンドグラスを見上げた。耳が細かく動いていて、何かを感じ、聞いていることは確かだ。
「なんだと思う?」
『遠くてわかんない。けど、なんか動いたと思う』
 シロの言葉は消極的な響きが強い。はっきりと聞き取れず、窓もステンドグラスになって見えていないのもあるだろう。だが、消極的になっているのは困惑も強いからだと続く言葉が言外に語った。
『このお家を回って、ずっと何かが気になる。だけど、よく分かんない。お家の中にあるものだとか、遠いからだとかじゃなくて……けど、ちょっとだけ、ずうっと気になるの』
 すぴすぴと鼻に抜ける声が語る語彙の足らない言葉であるが、シロが言わんとすることは鱗道にも分かりつつあった。全く同じとは断言できないものの、似たような感覚を鱗道は北側に回ってから感じ始めていたからだ。分かりにくい原因が屋敷の中に籠もっているからか、本当に弱いものがいるだけだからか定かではないが、一度意識すると微弱ながらも確かに分かる。この屋敷には彼方の世界に関係する何かがいる、と。
「密談は終わったか?」
 鱗道がシロに質問をしないのを見定めた猪狩が近付いて来た。
「シロは何かが動いた気がするそうだ。が、俺もシロもここからじゃはっきりと分からん」
 鱗道はシロの頭に手を伸ばしながら猪狩を見た。偏光グラス越しでは猪狩の目を見ることは叶わないが、鱗道の警戒心を隠さない表情を見た口元は少なくとも笑っていない。
「猪狩。この屋敷には彼方の世界の何かが棲んでる。それは断言できるが、棲んでるもんが何かまでは分からん。それで、改めて聞くが――俺にどうしろと言うんだ」
 鱗道の言葉を受けて、猪狩が偏光グラスを外して髪を掻き上げた。切れ上がった目は笑っていない。
「俺は、この屋敷の問題を片付けてぇのさ」
 険しいままの表情が、普段の軽妙さを感じさせない語調で低く言葉を落としていく。
「この屋敷が妙なことになってる原因がカミサマ沙汰かどうかも分からねぇ。が、まずはその辺りをお前に調べて貰いてぇんだ。結果、カミサマの力でどうにかなる問題だったら、この屋敷の原因をぶっ壊して欲しい。巻き込んで悪いが、俺にも目的ってもんがある。当然、報酬も払うさ。ガキの頃に引っ張り回したのとは訳が違うからな」
 言いながら、薄らとであるが猪狩の口元に笑みが浮かぶ。年齢を考えれば相応の苦い笑い方は、普段の猪狩からは見ることの出来ないものだ。偏光グラスをシャツの胸元に差し込みながら、猪狩は鱗道の目を真っ直ぐに見た。はっきりと目があったのは、この屋敷に到着して以降――否、移動中の車内から考えてもこの日、初めてのことである。
「手を貸してくれ、グレイ。俺と、屋敷の主で行方不明になったスバル爺さんの為に」
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