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 ドアノブに触れて、乾いた湿度を感じないか確認しながら回した。ドアノブは何の抵抗もなく回り、扉は簡単に開いていく。だが、少し開いてからは擦れて耳障りな音を立て始めた。床に散乱している細かい物を引っ掛けているようだ。
 部屋の中は窓もなく照明もついていないために真っ暗であった。ふっと鱗道の肩を掠めた鴉が室内に飛び込んでいく。羽音は町中のカラスが立てる物とは全く違う、非常に力強く重たいものであった。
「アンタ、飛べるのか」
 両手に掴んでいた重さを考えると驚異的な出来事だ。暗い室内に鴉の羽音が響き、隙間にジジッと電球のフィラメントが焼ける音が立つ。天井からぶら下がる白熱電球のスイッチを、嘴を用いて器用に捻って灯りを点けた鴉は真下の埃が薄く積もった艶やかな台の上に着地した。
『ええ。鳥は空飛ぶ物だ、と昴は言っていました。故に飛行が可能なように機構が組まれています。生き物ではないために疲労もなく長時間長距離の移動が可能であり、暗闇でも微弱であれ光源さえあれば視覚情報を得ることが出来ます。やはりガラスが散乱していますね。客人とシロはその場で少しお待ちください』
 言うや否や、鴉は再び舞い上がって棚のガラス戸を嘴で器用に開け、中を物色し始めた。鱗道は明るくなった室内に視線を向ける。
「ああ、そうさせて貰う……これは、酷いな」
 床には多くのガラス片が散らばっていた。少量ではない。それこそわざと大型のガラス製品を割って散らかしたのではないかという程、部屋中にばらまかれている。作業用の鉄板敷きの靴か、頑丈で底の分厚い登山靴でもなければ歩くこともままならないだろう。箒などで掃除しながら進むことは出来るだろうがあまりに範囲が広すぎる。
 部屋の内装や雰囲気は、剥製部屋と似ている部分がある。部屋の中央に作業台があり、多くの棚や道具は壁際に設置されていた。書斎の広さを考えると二階で部屋として割り当てられている面積の三分の一より少し狭いくらいはある筈だが、棚や道具が並んだ部屋に窓もないことで圧迫感と閉塞感を強く感じる。ましてや、並んでいる道具も鱗道には見慣れない物ばかりだ。
 学生時代の理科室でしか見たことがないようなフラスコなどのガラス器具や実験器具の数々。大きさ違いや形違いが取りそろえられていて、そのどれもが埃を被っていたりくすんでいたりする。器具の隙間や棚には茶色の瓶が入り込んでいたり並べられたりするが、貼られているラベルは遠目でなくとも読めそうにない筆記体で書かれていた。そして部屋の一角には山積みになっているカラスの生首――
『ご安心を。そちらは実際の死体ではなく、私同様に昴が作った贋作のパーツです』
 後ずさった鱗道の足音を聞いたか、後ずさった鱗道にぶつかったシロの小さな悲鳴を聞いたか、一度作業台に戻ってきた鴉が鱗道の視線の先にあった山を見て淡々と言う。確かに、よくよく見れば中途半端な形しかない物や金属の枠組みが剥き出しの物が混ざっていて本物のカラスではないことは分かるのだが。
「そういう問題じゃないんだよなぁ」
 この屋敷は何かと心臓に悪い、と鱗道は思わず眉間を押さえた。ばさりと羽音が立ち、鴉は再び探し物に戻っていく。棚という棚を嘴で開け、引き出しは器用に足で持ち手を掴んで重い体を利用して引っ張っている。
「……そう言えば、今、アンタは……昴が作った贋作、と言ったな」
『ええ。そうです。私を持った貴方も分かったでしょうが、この器は主に金属で構成されており、カラスの生態部品は使われておりません。金属と鉱石、ガラス繊維などで構成されたこの鴉は、昴が作り上げた贋作の器なのです――ああ、ありました』
 一つの引き出しの中に、鴉が頭を突っ込んでいく。奥に入り込んでいる物を取ろうとしているのか、ばさばさと羽音が大きく上がり続けていた。
「器、って妙な言い方をするな……その重たい鴉自体がアンタじゃないのか?」
『ええ。この鴉に密封されているものが私であり、昴が作り出した意思存在です。私を密封することが出来れば、器の形は選びません。その点もまた、私が生き物ではない要素の一つでもありましょう』
 引き出しから頭を抜いた鴉の嘴には、一つのガラス瓶が咥えられていた。作業台に戻ってきた鴉は台の中央にガラス瓶を置いて、ラベルを鱗道の方に向けようと位置を整えている。向けられたところで小さなラベルの文字はやはり読めないのだが、鱗道は顔を上げて鴉を見た。
「作ったとか、意思存在とかは全く分からんが……アンタは随分と、生き物云々、ってのを気にしてるんだな」
 それは、鴉が独り言を言っている時から頻発する言葉だ。生き物は出来る、自分は生き物ではない、生き物の失敗作――などと、大半は鴉自身を否定する意味合いで使われている。ラベルの向きに納得がいったのか、鴉は鱗道に真っ直ぐ顔を向け、
『貴方が私を何かと問うた時に答えたように私は、神も同種生物も介さず無より湧き出て器を選ばぬ生き物となるべく作られた存在です。しかし結論として昴は私を失敗作と判断しました。私が昴と意思疎通できる術を持たず、語る手段を持っていなかったことも要因ではありますが、私が失敗作である全ての要素を指摘していませんでした。故に私は生き物とは何か、私と生き物とはどのような相違点があるのか、その相違点は改善可能か不可能か等、己が作られた目的を達成すべく思案と思考を繰り返していました。今の所、私が生き物であるという要素は何処にも見つかっていません』
 一切の抵抗を受けずに流れ落ちる水のように、言葉は多少の隙間と緩急を作られながら語られる。鴉が小難しい言葉を並べ立てて語っている間、鱗道は全く動かない鴉を静かに観察していた。確かに呼吸をしていないようで語りの最中にそれらしい動きは一度もなく、滑らかすぎて予備動作や些細なブレもない挙動も生き物ではないという鴉の言葉を補強している。
「要は、昴はアンタとお喋りが出来なかったから失敗作って言ったのか……確かに、意思疎通は重要だとは思うが……」
 ただ、それにしては――生き物でないにしては、余計な仕草が時折見られた。僅かであるが首を振るような仕草や、落ち着かないように尾羽を持ち上がるような動作、聞き取りやすさを考えただけにしては少しばかり感情的にも聞こえる緩急は演説家のようで生き物臭さに溢れている。
「アンタの言葉が聞こえるように、俺は少し特殊な人間でな。アンタだけじゃなく、シロみたいな変わった犬や、付喪神や幽霊、呪いや土着神なんていう色々な奴と縁があって関わってきた」
 証拠、確証、相違点――頭でっかちな言葉を多用する鴉には、鱗道の言葉など大きな意味も説得力も持つまい。だが、鴉は鱗道とシロが最初の会話相手であると言っていた。ずっと一人で問答をしていたのならば、鴉を否定する昴の言葉や価値観しか知らないのであれば、
「そんな俺からしたら、意思を持って動いているだけで充分だ。アンタも立派な生き物だよ」
 意味や根拠もない第三者の言葉も少しは一石を投じる役を果たすことは出来るだろうと思っての言葉だった。
『死んでるにおいもしないもんね!』
 きゃんきゃんとはしゃぐようなシロの鳴き声と言葉に鱗道は肩を竦めた。鱗道には分からない死んでいる臭いの有無は、シロにとっての生き物か否かの要素なのだろう。が、それも立派な意見の一つである。鴉はじっと動かないまま、鱗道とシロを見据えた。
『……失礼いたしました。私の話など必要ない事項です。貴方が求めている情報に関してお話をすべきでしょう』
 鴉の言葉は肯定も享受も示さない。その反応は当然であろうと思っていた鱗道が少し驚いた表情をしたのを、鱗道やシロから顔をそらした鴉は知ることがない。鴉の言葉が――言葉を奏でる音が少しばかり、明らかに跳ねていたのだ。それだけではなく、鴉は鱗道達から顔を逸らしたのである。向けた先は持ってきたガラス瓶でもなく、何もない部屋の一角であった。それが不愉快さに起因しているのか、戸惑い故に発露した行動か、もっと単純に照れという感情に由来したものかは分からない。
『どうぞ、客人。こちらの小瓶をご覧ください』
 だが、鱗道の基準で言えばこの鴉は、間違いなく生き物になる。そんなことを考えながら、鱗道は鴉の誘導に従ってガラス瓶に視線をやった。ガラス瓶にはガラス製の蓋がされ、中ではねっとりとした銀色の液体が入っている。
「それは……水銀、か? にしては……変な気がするが」
 昔の温度計に入っていた水銀と見た目はよく似ているが、油膜が張っているような七色の光沢と妙な粘性が鱗道が知るものとは大きく違う。鴉は頷くような仕草を見せてから、足で器用に小瓶を倒した。
『主原料はそうだと聞いていますが、それ以外にも多くの素材を含ませ、溶かし込んだそうです。昴はこれを液体金属と呼び、これに意思を作り出したものを意思存在、と呼びました』
 小瓶を片足で押さえ込み、嘴が瓶の蓋を外す。とろりと流れ出した液体金属は作業台の上で半球めいた形を取って揺れていた。やたらに艶やかな作業台だと思っていたが、撥水加工がされているのだろう。
「意思存在って、確か……アンタがそう呼ばれてたっていう」
『その通りです。この実験室にて意思存在の作成に成功した昴は大量に液体金属を増やし、意思存在に与えました。そうして作られた意思存在は大型の水槽を満たすほどに増やされました』
「ちょ、ちょっと待ってくれ……頭が追いつかない」
 鱗道は手を振りながら、室内に目を配った。話の内容もそうだが、ガラス瓶より液体金属が取り出されてから、この部屋に乾いた湿度の感覚が増したのだ。シロは床をじっと睨んだまま動かない。壁の中にいて剥製を落としたり、扉を閉めたりしたものが、近くまで来ている筈である。
 しかし、鴉は気が付いていないようであった。変わらず、淡々と言葉を並べていく。
『理解される必要はありません、客人。私も全てを正確かつ詳細に把握しているわけではありません。ただ、屋敷の主、猪狩昴はこの部屋で海を隔てた異国も既に形もない亡国も問わず、科学や化学、魔術や秘術など神秘と呼ばれるあらゆる学問と技術になんの区別も付けずに混ぜ合わせてそれをオカルトと呼び、液体金属に意思を作り出し、人工的な疑似生命、意思存在を作り出すことに成功したのです』
 小瓶から取り出され、揺れる半球の液体金属を、鴉の嘴が押し出して作業台の上を滑らせた。七色の光沢が白熱球の明かりを受けてきらきらと輝き、
『昴は別途、カラスを模した贋作の器を作り、カラスの器に意思存在を注入していきました。器の制作は困難を極め、注入された意思存在は僅かな隙間から漏れ落ち、また素材が合わずに染み出したりと失敗が続く中、ようやく私がこの鴉に密封されたのです』
 音もなく作業台の上を緩やかなスピードで走り、
『昴の目的は、生き物を作ることでした。意思あるいは魂と呼べるものがあれば無機物であっても動き出し、それは生き物と呼べるのではないかと。ですが、先程から申し上げているとおり、私は生き物と呼ぶにはほど遠い失敗作となりました』
 やがて、作業台の端に到着すればあえなく落下していく。
『昴は己の試みが失敗したことを悟り、意思存在で満たしていた水槽や道具のいくつかを破壊しました。床に溢れた意思存在は贋作の鴉に密封されている私を残し、全て床からこの屋敷に染み込んで――』
 床に落下した直後、液体金属は大きく膨れ上がったように見えた。そこに乾いた湿度を感じさせるものが集中している。床から同じような――否、全く同じ七色の光沢を持つ水銀のような液体金属が手を伸ばすように床に落とされた分に触れて、掴み、
『――ああ、本当に、いたの、ですね』
 床に引きずり込むように溶けていった。乾いた湿度が実験室から離れていく。やはり、固まっていなければ鱗道には追うことも出来ない。シロも一度唸りはしたが、すぐに頭をあちこちへと振った。見失ったと言うよりも、分散してしまったと考えるべきだろう。
「今のが」
『そのようです。私も初めて目にし――残っていることを知りました』
 鴉に嘘を言っている様子はない。嘘をつくメリットもなく、むしろ目の当たりにした出来事を鱗道以上に強い衝撃を持って受け止めている気配すらあった。乾いた湿度に気が付いていないことや、可能性の提示は出来ても確証はないと言っていたことを考えると、
『昴が作り出した神秘学――オカルティズムの産物、意思存在。私以外の部分です。私を鴉と呼ぶのであれば、あちらは屋敷と呼ぶべきでしょう』
 屋敷に、自分と同じ意思存在が染み込んでいたことを、今の今まで鴉は本当に知らなかったのだろう。
「そうか……液体金属が入ってるから、シロはアンタから水音がすると言ったのか。そしてアンタがその鴉を動かしてるみたいに、屋敷に染み込んだ方は扉を閉めたり、破片を集めて修復したり、扉や窓を開かなくしたり――屋敷を動かしてるってことか」
『ええ、そうでしょう。私が主に金属と鉱石で構成されたこの贋作から零れ出ないように、染み込むことが出来る限度はありますが』
 ああ、と鱗道は小さく声を上げた。壊されたダイニングの窓は木枠は修復されていてもガラスは割れたままであった。床から手を伸ばすように液体金属を取り込んだことを考えると染み出せても、作業台に上ってこなかったのは撥水加工は貫通できず、またガラスや鉱石、金属類などには自在に出来ないのだろう。ドアノブが動くことすらなかったのは、中の仕組みを液体金属自身で満たして固めていたのかもしれない。
 これで、猪狩が言っていた本題――昴の趣味であるオカルトが屋敷の奇妙な出来事に結びついた。扉や窓の言うことが聞かなくなる、という現象の原因は屋敷に染みた意思存在の仕業で間違いないだろう。だが、と鱗道は低く唸った。
 様々な素材を溶かし込んだ液体金属、というのは完全に人間の技術である。では、そこに作り出された意思はというと、分類としては彼方の世界の存在になる筈だ。鴉の言葉が鱗道の頭に響いていることから間違いない。だが、これ程明確な意思と確かな知性を持ちながら、近付かなければ気が付けないような彼方の世界の住人を鱗道は知らないのだ。確かに、切っ掛けさえあれば世界は容易に境界を越えてしまう。意思存在とやらは人間の技術であるオカルトが混ざりすぎたことで、彼方の世界の力を持たないまま意思だけを有していると考えればいいのだろう。
 だがそれは、蛇神の力が通じる範囲となるのだろうか。蛇神の力は万能ではない。彼方の世界が全く関わっていなければ無力に等しい場合の方が多いし、関わっていたとしても深度によって与えられる影響力も変わってくる。意思存在の意思にしろ、意思を有した液体金属という存在にしろ、蛇神の力が通じるかは見当もつかなかった。原因を突き止めたということで一度立ち止まるべき段階であろう。
 もっとも、個人的に気になることは非常に多い。扉や窓を自在に動かすことで屋敷を閉ざせるのはいいとして、何故、物を持ち出させないようにしているのかという動機面。また、猪狩は他に昴が行方不明になった理由も趣味のオカルト絡みと考えているようだが、その繋がりは見えてきていない。さらに原因について調べて欲しいと言いながら、壊して欲しいと「物体として存在する原因」に気が付いていたかのように言っていたことも気になっている。猪狩は何か隠していることがあるのではないだろうか。屋敷が猪狩を攻撃するような行動に出ている理由もそこにあるのでは――
「そうだ、猪狩……!」
 怒濤の情報量に失念していた人物を思い出し、鱗道は踵を返して書斎から廊下へ飛び出した。扉は問題なく開き、手摺りから身を乗り出して一階の剥製部屋を覗き込む。扉が開いた形跡はなく、分厚い部屋の構造は音を漏らす様子もなかった。この時、先程の実験室が剥製部屋の真上にあることに気が付いたが、だからと言って部屋が直接通じているわけでも――
 ない、と言うのであれば、何故、猪狩はやたらと分厚い頑丈そう登山な靴を履いていたのだろう。単なるアウトドア趣味の靴だと思っていたが、屋敷内の探索ならばあれ程頑丈な靴を履く必要はないし、何も聞いていなかった鱗道は普通のスニーカーである。靴について事前に伝えられたことはなかった。
 猪狩は数ヶ月前に下見として屋敷に来ている。昴のオカルト趣味を疑っている様子が無いことから、猪狩は何らかの形でオカルト趣味の真偽をある程度は確認済みである筈だ。例えば――下見に来た時にガラスが散乱した実験室を見たとしたら。その時に、頑丈な靴を履いてくるべきだと思ったのではないか。そうなると、書斎を通っていないにも関わらず、どこから実験室へ入ったのか。
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