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 話をしている間に、宝物庫の前に辿り着いた。多くの部屋と同じく意匠の少ないシンプルな扉に、真鍮製とおぼしきドアノブがついている。一度、剥製部屋の方を振り返ったが、流石に猪狩の声もここまでは届かない。時々シロが一回もしくは二回扉を引っ掻いている様子は見えている。
 宝物庫と呼ばれるほどの部屋であるのに、扉に鍵穴は見当たらない。そのことを不思議がっていると察したかのようにクロが嘴を開いた。
『貴方方は宝物庫と呼びますが、元々は単なる倉庫でした。人里離れすぎて盗人も来ませんでしたから、ただの置き場であれば良かったそうです』
「そうです、っていうのは?」
『昴は今の貴方のように私を肩に乗せて、時折屋敷の中を歩き回りました。その時に昴から聞いたのです。現に、購入以降一部を除いて殆どここにしまい込んだまま使われることなく、私を乗せて来ても眺めるばかりでした』
 成る程、通りで――と、鱗道が思ったのは、クロが人の肩に乗り慣れていることに関してだ。重たい体であるが、背中の方にも体重を分散させているようで多少の時間ならば痛むこともなさそうである。
『昴は私に話しかけながら歩いていました。いくらか心内を語ることもありましたが、最後は失敗作のお前に言っても無駄だろう――と、締めくくっては黙ってしまった』
 クロの言葉や声は、最初に鱗道が耳にした時よりも滑らかに抑揚も豊かに変わってきていた。誰にも聞き取られることのない言葉を、自分の中だけで反芻していたクロは長い年月の中で感情や抑揚を錆び付かせていたのだろう。鱗道やシロの会話を聞いて覚えただけというには流暢である。かつて、昴に語られる中でクロが学んだことを発揮していると考える方が自然であろう。
 失敗作だ、生き物ではない、そんなことをクロに言いながら、昴はクロを屋敷内の散歩に連れ出して多くを語り、文字を教えてもいたらしい。一人暮らしをしている中ではどうしても増えがちな独り言のような物だったとしても、冷静で無駄を嫌うといったクロの語りとはやはりズレている。人間であるから当然とも言えるのだろうが、昴がクロや意思存在を失敗作だと断じたように、クロは昴の人間的な側面を理解できない、もしくは理想を反映しすぎて拒絶しているように思えた。
 とは言え、鱗道に出来ることは何もない。クロのことも昴のことも、鱗道の勝手な推測であるし、当時も知らず当人も知らない鱗道が証拠や根拠もなくクロに何かを言ったところでクロは受け入れないだろう。それに今は、優先すべき事がある。
 宝物庫のドアノブに触れ、乾いた湿度がないことを確認してドアノブを捻った。扉は開いたが室内は真っ暗である。ここの灯りは付けられっぱなしにされていなかったようだ。
『左手を肩ほどの高さに上げてください。その辺りに室内灯のスイッチがあります』
 クロに言われるまま壁を漁るとスイッチに手が触れ、スイッチを入れたことで照明がつくと階段下の低い天井の部屋は一気に煌びやかになる。部屋の照明が強いからではない。南側の大階段の真下に位置した丁字形の部屋。人一人が通れるほどのスペースを残して壁という壁を棚やキャビネットが埋めている。その棚の中身を占める大半の物が、天井が低い故に近い照明を強く反射しているのだ。
 宝石を纏ったアクセサリー、時計や陶器類がずらりと棚の中に並んでいる。色付きガラスのランプシェードや小物入れと言った物はキャビネットに並べられ、部屋の隅には被せられた布から僅かにキャンバスを覗かせている絵画。屋敷に来た人々が手を触れた形跡がある物も多いが、殆どが理路整然と並べられ大なり小なり埃を被っている。さながら、酷く小さな宝飾店やアンティークショップのようであった。
『私が作られる前の話ですが、昴は作った剥製が売れる度に貴金属などに変えてここに溜めていたそうです。ここから使用したのは僅かな量――私が含まれていた意思存在を作る際の資金や、一部を私の機構に用いたと聞いています』
「これ全部、貯蓄ってことか」
 確かに、猪狩の言葉や屋敷を歩いた限りでも昴が金に困っていた様子はない。それにしてもこの量は圧巻だ。現状、金に困っていない鱗道ですら、この部屋は魅力的に映る。わかりにくい骨董や芸術品ばかりならばこれ程の困惑はしないだろう。しかし、素人でも分かるような宝飾品が大半であることが目に毒とも言えた。
『どうでしょうか。剥製は手塩にかけた我が子のようなもの、だそうです』
 丁字の交差点に立って周囲を呆然と見渡す鱗道の左肩から、一律で揺るがない、この部屋そのものが語っているかのような硬質な声が響き出す。
『我が子同然の剥製を売った金を、生活に浪費する気にはならないと言っていましたから』
 金属、鉱石。素材は目の前に並ぶ宝飾品と共通している贋作の声に悲しみにが滲んでいるような気がした。売られていった剥製、頼まれて売った昴、日の目を見ない宝飾品達――クロの悲しみの原因を知る術はなかった。聞くことすら憚られるほどの複雑な悲しみであったのだ。
 クロの紡ぐ悲しみが浮ついた鱗道の心を落ち着かせた。目をくらませるなよ、という猪狩の言葉を思い出す。確かにまばゆい程目に毒である部屋だがここに整然と並び続けていた以上、これらも屋敷から持ち出せないのだろう。宝物庫の扉を振り返ってみる。はっきりと閉めた記憶はないが、扉はぴったりと閉じていた。屋敷に染み込んだ意思存在は昴の物を守ろうと、全てを屋敷に抱え込んでいるかのようにも思える。ただ、それだけでは腑に落ちないことが多いのだが。
 ふと、妙な言葉だったな、と猪狩に言われた言葉を振り返った。鱗道がこの部屋に驚くとは思っても、宝飾品に目がくらんで目的を忘れたり、不用意に手を触れたりすると思われたならば心外だ。
 いや、違う、と鱗道は首を振った。この屋敷に関係した話をする時、猪狩は酷く遠回りをしてきた。鱗道に不用意に情報を教えないためだ。無知なまま調べることを示唆しているからだ。猪狩がこの屋敷に関して言うことは、まだ真っ正直に受け取るべきではない。何か、別の意図があると考えるべきだ。
 丁字の右奥に視線をやってから、左側へ頭ごと動かしていく。薄暗くなりがちな奥の壁から、煌びやかな棚を視線は渡り、肩に乗った鴉越しに稀薄な人影を見付けた。酷く明るい部屋の中で、あらゆる照明と宝飾品の反射に追い詰められている影を一身に集めた、陰惨さの権化とも呼べそうな程に薄暗い人影――昴、と口に出しかけて、言葉を飲み込んだ。この人影を、クロは見ることが出来ないからだ。
 少しウェーブがかって乱れた髪に、目がくぼんで痩せた顔。身丈には合っているローブですら、二回りはサイズ違いに見える細い体つき。神経質を凝縮したような細い指がランプシェードと花瓶の隙間を指差していた。鱗道は黙ったまま、そちらへ近付いていく。稀薄な人影は当然、ぶつかることもない。鱗道が通れば霞のように消えてしまうだろう。それでも躊躇いなく歩んだのは霞として消える直前でも、左肩のクロと重なる可能性があったからだ。それに意味などないのだろうが――万が一、ということもあり得るかと思った。願った、のかもしれない。
 稀薄な人影は霞のように消えてしまった。声などもなく、居たことすら曖昧なほどにあっさりと。左肩のクロと霞のように消えゆく人影が一瞬でも交わったかも分からない。人影が立っていた場所で足を止めて、一度目を閉じた後にランプシェードと花瓶の隙間を覗き込んだ。小さな南京錠で鍵をかけるような仕組みの、金庫と呼ぶには大袈裟な金属箱だ。鍵をかける唯一の手段である小さな南京錠であるが、壊された状態で箱の側に並べられている。
「なぁ、クロ。コレが何か知ってるか?」
『手持ちの金庫、でしょうか。ここには昴と共に多く出入りをしましたが、そんなものがあったことは知りませんでした』
 鱗道が隙間から引っ張り出した金属箱に、クロは首を傾げるような仕草を見せた。隅や一部にサビが浮いているものの、埃は少しも積もっていない。壊された南京錠からも、最近、誰かがこれを開けたことが窺える。心当たりは一人だけしかいない。猪狩は、コレを見付けるように示唆していたのだろう。
 金属で作られた箱であるが酷く軽かった。中には何も入っていないのではないかと思われた程だが、開けてみれば中には一通の封筒が入っている。金庫の中に入っていたからか変色も殆どなく、汚れと言えば封蝋が施された形跡があるくらいだ。その蝋自体は箱の中にも入っていない。裏面の隅には、直線的な文字で――
「猪狩昴の書き置きか」
 ――猪狩昴、と署名があった。左肩に鋭く痛みが湧いたのは一瞬である。クロが足に力を入れ、前のめりに鱗道が手に持った封筒へ顔を近付けた。クロから明確な言葉はないが、鱗道は封筒を開き中身を取り出した。数枚の、丁寧に折られた便箋を開けば署名同様に直線的で――しかし、病のせいか力が入っておらず、時に大きく震える文字が整然と並んでいる。

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