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 クロが鱗道の言葉に従い、地下室に飛び込んだ時には既に階段の真下周辺に猪狩や意思存在の姿はなかった。床すれすれまで急降下したが、天井近くまで高度を上げる。蓋を鱗道が抑えているため、階段付近だけならば注ぎ込む光でもクロにとっては充分だったが、全貌を把握するためには不充分だ。円を描くように飛行することで懐中電灯は部分的に照らせるが、ダイニングから剥製部屋の下まで広がっている地下室を見通すことは出来ない。
 階段下から円を広げるように二周、三周と回れば、不自然な光の反射が目に付いた。地下室の奥、方角にして西側。それを確認し、クロは一度床に懐中電灯を置いた。光源と体の向きが一致するように掴み直して飛び上がる。十秒とかからずに、不自然な反射の主を懐中電灯は照らし出した。クロが呼吸をしていれば息を飲んだと言えたのだろう。反射の主の姿形に、クロの思考は若干の空白を作った。
 じっとりと湿り、緑や黒のカビと多くの穴やほころびにまみれたローブに見覚えがある。袖を通している人物の身長、体型も同様だ。だが、しかし、それは猪狩昴では有り得なかった。人間では有り得ない、色と形をしているのだ。
 頭髪のつもりらしい物は、歪な粘土の塊を貼り付けたような形状をしている。ローブと同じく、汚れや破損の目立つズボンを穿く両足に靴はない。クロに背を向けている人影において表皮が明らかななのは首やローブから飛び出た腕、それと靴を履いていない足先だが、その肌色と呼べる部分の少なさよ。銀色の液体金属が常に流動している表面は、再現のつもりか僅かな発色が有ろうと全体が青白く、はっきりとした銀色を呈している面積の方が多い。手も足も細かな造形は作られておらず、爪は名残すらない。付け根か膝で捻られたような左足は爪先が背中側に向いている有様だ。左右の腕も長さが異なり、右腕はローブより手らしきものが見えている程度だが、左腕は床に着くほど長い。その左腕の先は手という部品すらも作られておらず、脱力している猪狩の右足に巻き付いていた。猪狩の体を引きずっているために、革製の衣服が擦れる音が絶え間なく上がり続けている。
『晃』
 一瞬停止した思考を奮い立たせて呼んでみたが、クロの声は猪狩に聞こえない。クロは人の形をした物に引きずられる猪狩の顔の側に着地した。懐中電灯は手放さざるを得なかったが、懐中電灯の光は鋭く、猪狩が引きずられる速度は遅い。クロが歩いても少し遅れる程度でついていくことが出来るので、すぐに光源から遠のくことはないと思われた。鱗道の頼みに応えるためには、まず猪狩の無事を確認せねばならない。
 階段から落とされた時に頭を打ったのか、あるいは落とされてから何かされたのか、猪狩は気を失っているようだった。目は閉ざされ、口は開かれ、呼吸はしているが引きずられ続けても目を覚ます様子がない。何かしら強い刺激が必要だろうかと考え、クロは懐中電灯を振り返った。あれを掴んで体に落とせば目を覚ますだろうか、と。
 物を引きずる音が止んでいた。人の形をした物が足を止めている。クロの視野でも真後ろは見えないが、乾燥を避け外気に触れる面積を減らす為か、人の形をした物が身を包む不格好なローブのあわせは視界の端に見えていた。見られている、見下ろされている、という感覚も確かにある。先ほどまでは見ないで済んだあの頭部が、顔が、今はクロをはっきりと見下ろしている筈だ。クロは見ることになるだろう顔を思い浮かべながら、かちかちと硬い足音を立てて人の形とついに向き直った。
 人の顔の、形はある。目や鼻、口や耳という形はあった。眉や髪、皺などといった細部はやはり粘土細工のように不格好な作りである。が、人の顔の形は合ってしまった故に、昴の顔だということは分かってしまう。分かってしまう程度に面影があり、偽物であり拙い贋作であることが分かる程度の無様な作りである。
 左右で僅かだが、はっきりとズレている目の位置。明らかに焦点の合っていない、色調を変えただけの瞳。歪んだ唇、捻れた耳。首のつながりも奇妙で、傾いでいるかのような角度で頭は付け根から曲がっている。何故、ここまで崩れていながら形が保てているのか。形が合っていることが不可解と言える頭部で、頬の肉を作っていた液体金属がだらりと垂れた。奥に、乳白色が見える。見えた。見えてしまった。ああ、だから、形だけは合っているのだ。
 人体の動きの要である腰や頭部とは全く違う位置で折れ曲がり、昴だった物がクロへと顔を近付ける。視覚と聴覚、それと僅かな触覚のみを有するクロには、それ以上の情報が得られない。乳白色は再び銀色に覆われ、顔の表面は全体が青白く変色し、クロを見下ろす瞳は何も映さず、歪んだ唇が開くも声が発せられるわけもない。
『――昴』
 目の前のコレは昴ではない。だが、他に呼び名を知らなかった。名がないことが、これ程悔やまれるとは。昴でも、屋敷でもない――ホムンクルス、人造精霊、フラスコの存在、アクアヴィテ、蠢く水銀、意思存在。どれも、呼び方であって名前ではないのだ。鴉の贋作に密封されるまではクロもその一部であった。密封されてからも同じ存在であった。外界との接触がなく、切り離されて閉ざされて、名前の必要性がなく与えられる機会もなかった。名の無い存在。何者でもなければ、何物にもなれていない証拠。
『すばる、そう、すばる』
 眼前の人の形をした物が口を動かしはすれど発声はない。しかし、クロは第三者の音声を聞き取っていた。鳴き声とは別に聞こえるシロの言葉のように、振動から聞き取る通常の聴覚とは違ってクロの意思が直接受け取っているかのような音声である。これが、鱗道の言う彼方の世界の声、であろうか。
『すばるは生き物。わたしは生き物になった。すばるになったから』
 硬質な声である。クロが自問自答する間、鴉の器内で響き続けていた声とほぼほぼ一致する声であった。つまり、今、クロは目の前で昴の形を取る意思存在の声を聞いている。その事がクロにとって衝撃であった。簡単に壊れるはずのない頑丈な体が軋みを上げて弾けて割れるのではないかと思うほどの衝撃であった。
『貴方は、私の声が聞こえるのですか?』
 クロはこの屋敷に、一つで残されたのだと思っていた。鱗道がクロと接触したことで、初めてクロは廃棄されてそのまま消えてしまったと思っていた意思存在が屋敷に染みて存在し続けていたことを知ったのだ。クロの声は鱗道とシロ以外には聞き取れないものだと思っていたのである。だが、目の前の意思存在は明らかに、クロの声を聞き、答えた。
『すばるは生き物をつくろうとした。だから、わたしは生き物になった。すばるになったわたしは、失敗作のおまえとはちがう』
『貴方は私を……認識して、いたのですか?』
 愕然としている思考が、どれほど声に出ていようか。伝わってはいるらしく、意思存在は唇を更に不細工に歪めて見せた。引きつったような顔付きとなっているが、返る声は紛れもなく、
『しってた。しょさい。失敗作のおまえはすばるになれない。すばるはおまえをしょさいにすてて、わたしのところにきた。おまえは、失敗作だから生き物になれないからすてられた。すばるがえらんだのはわたし』
 かつて自身から切り離され、書斎に一つ取り残された鴉を明らかに嘲り笑っているものであった。
『すばるはここにきて、いろいろ言った。ぜんぶ聞きながら、ふたとじた。すばるはふたをあけようとしたけど、ださなかった。すばるは生き物。なら、死ぬ。ださないでいたらうごかなくなった。死んだ。すばるは生き物だから死んだ。すばるは生き物だ。だから、わたしはいっしょになった。わたしはすばるになった。すばるになったわたしはすばるが望んだ生き物になった』
 クロは衝動的に――己に衝動というものがあることに驚きながら、右の翼で眼前の顔を打ち付けた。ただ強く、バシンと音が立つだけである。意思存在に何か影響を与えられるとは思っていなかった。が、それでもせずにいられなかったのだ。
『生き物である昴になれば生き物になれる? それが、昴が求めたものだ、と? それが、貴方の結論だ、と?』
 現に、意思存在は微動だにしない。目はあらぬ方向を向いたままで、意識が別に向いている可能性すらある。屋敷に生き物がいなくなってから今の今までクロを無視し続けていたように、失敗作として意識の外に追いやっていてもおかしくはない。だが、クロは再び翼をその顔に向かって打ち付けた。まったく、無駄な行為だ。本当に、無駄な行為である。
『昴になる為、昴が死ぬことで生き物か確認する為、貴方が生き物になる為――それが、貴方が、昴を殺した理由ですか!』
 瞳が形だけでもクロを向けば、その無駄な行為を咎めるような視線だと感じて身が竦む。意思存在が昴を思わせる顔形を失わないからだろう。昴は無駄な行為をしなかった。疎んじていた。故に、無駄と分かっていながら眼前の顔を打ち付けるクロを罰するように、異形の右手を伸ばしてクロの身体を押さえつけるのだ。
『わたしは生き物になった。すばるは、生き物をつくろうとした。わたしがすばるになって、生き物になった。これはすばるの望み』
 床と翼や足を縫い止めるように隙間に流れる液体金属をはね除けるだけの力をクロは持っていない。クロを形成する意思存在を密封するだけの頑丈な骨格、外部を認識する視覚と聴覚と僅かな触覚の機構、飛行が可能な翼――それ以外を、昴はクロに与えなかった。
 否、それは、鴉の器だけの話である。
『死体や死体から作られた剥製が生き物ではないからこそ、昴は私達を作ろうとしたことを貴方は忘れてしまったのですか?』
 昴は事あるごとにクロに語り続けていた。孤独の慰めか、感情の共感か。
 また、時に書物を読み聞かせることすらあった。一時の戯れか、知識の分け与えか。
 無駄と諦めた行為だったのか、来るかも分からぬ機会を願っての備えだったのか。
 動くだけの贋作には不要なものを、昴はクロに与え続けた。何を思い、何を願い――真意は二度と明かされることはない。
『昴は私を失敗作と呼んだ。私は生き物ではなく、失敗作です。それは否定しません。受け入れましょう。ですが、私は失敗作でありながら別の何かになれる筈です。この世には多くの存在があり、昴以外の定義が存在する。ですが――』
 それでも、昴はクロに多くを与え、遺していったのだ。与えられ遺されたものを解釈し解き明かしていくことは、クロにとって「存在の定義」の探求と共に命題として抱えるべきものとなっている。
『――貴方は昴ではない。昴は死にました。貴方が殺しました』
 故に、意思存在に屈し続けるわけにはいかない。押さえつける圧力が増そうと、翼が軋む音を感じながらクロは頭を上げた。意思存在の顔を真っ直ぐに見据える。歪で、不細工で、不格好な粘土細工の顔に息を飲むことはもうなかった。恐れることもなかった。眼前にあるのはかつての己であり、己が辿る可能性もあった姿だ。恐怖し、否定したところで発生した事象は変わらない。
 だが、過ちは正さねばならないのである。
『死体を得たところで、貴方は生き物になれない』
『すばるは生きてる』
 瞼があれば、クロは目を見開いていただろう。だが、瞼など作られていなかったために、改めて意思存在の顔を見るためには一度頭を下げ、嘴を掲げるように動かす必要があった。もはや、顔の造形は昴に似ても似つかないものに崩れていた。全体を見れば、人の形ですら危うくなっている。
『生きてるすばるがかえってきた。生きてるすばるはおまえをさがした。けど、おまえにあわせなかった。ずっとわたしがよんだ。おとをたてた。つかんだ。生きてるすばるは、わたしにきがついて、わたしのところにきた。だから、こんどは生きてるすばるは生きたままいっしょになる』
 左腕だったものがどろどろに溶けながら、生き物の右足を誇示するように持ち上げて見せる。クロは液体金属の下で懸命に足掻いて立ち上がろうとした。羽ばたこうとした。翼が何度も床を打ち、嘴の先端が床を擦る。足掻きを嘲笑するためか、意思存在の顔が再び昴に酷似した形を作った。見たことのない昴の笑みに、クロは一層足掻き、抵抗し、反抗する。
『生きてるすばるといっしょになれば、わたしはまた生き物になる』
 言葉を使えても話が通じない相手がいる――とは、鱗道が先ほど言った言葉だ。成る程、これがまさに体現である。クロが想像をしていたとおり、屋敷に染みた意思存在はその意思をクロほど強固に保つことが出来ていなかったのだ。猪狩が警戒していたよりも、クロが想像していたよりも、意思存在の思考は停滞し、歪み、論理性も欠いて――昴と同じように、偶然に事を成してしまっただけ、なのだろう。
「それは―――の、大事な鴉だ」
 掠れ、あるいは舌が回っていない故に不明瞭な言葉を含んだ声は聞き覚えがあった。
 剥製の依頼や買い付けに来た猟師が、昴に連れられ剥製部屋に来ていた鴉の贋作に目を付けたことがある。一回り大きく見たこともない鴉を猟師は見事だと褒め称え、これを売ってくれと言い出した。昴は頑なに拒否したが、猟師はなかなかしつこく引き下がらない。ついには勝手に手を触れようとしたものだから――
「勝手に触るな」
 ――たった一度限り聞いただけの、今まで思い出すこともなかった、低く静かに怒る昴の声である。
 クロの眼前に迫る昴の眉間に、大ぶりのサバイバルナイフが突き立ったのは直後であった。体と芯たる乳白色に突き立った衝撃に、意思存在が大きく体を揺らす。その隙に足の拘束が外れた猪狩が素早く身を起こし、投げたナイフの柄に掴み掛かった。形相は凄まじい。大きく見開いた目に、奥歯を噛んだ真一文字の口。両手で掴んだナイフの柄を、猪狩は躊躇いなく捻った。蜂蜜のように粘度の高い液体を無理に掻き混ぜたような音が上がり、流動性がある故に柔らかい頭部から形成の芯たる乳白色――頭蓋骨が、突き立ったナイフと共に抜き出される。
 人体形成の要を失ったように、意思存在が人の形を崩していく。言葉ではなく単なる硬質な音の連続となった悲鳴がクロの中で反響した。意思存在の腕はクロの身体からも離れたが、声の反響が強すぎて器を上手く動かせない。いつも通りに機構を繰り立ち上がらねば、動かねばと分かっていても侭ならない身体を大きな手が掬い上げるように持ち上げた。
 猪狩は左手にクロを抱えて立ち上がると、獣の身震いのように頭を振った。最初の一歩を歩み出した途端に大きく身体がぐらついたが、体勢はすぐに立て直される。だが、至近距離のクロが見上げる猪狩の顔色は悪く、額から鼻筋にかけて少しの流血が見て取れた。引きずり落とされた時に額を打ったか擦ったかしたようだ。
「くそ……頭いてぇ……危なっかしい野郎、め……あんな野郎の、相手をしてられっか、畜生……おい、大丈夫か、クロ……お前、結構重てぇな」
 猪狩は星を探すように頭上に視線を向けた。地下室とダイニングを繋ぐ階段、そこから差し込む光を見付けて目を細める。光には低い体勢の人影が見えていて、猪狩は口元に笑みを浮かべて歩み出した。懐中電灯は拾われることなく、地下室の奥に向いている。
「……っかし、こんなもんを抱えてやがった、ってことは捨てられた恨み、ってわけじゃねぇのかよ」
 時折大きくふらつきながら、猪狩は右手に視線を落とした。眉間にナイフが突き立った頭蓋骨が誰のものか、猪狩は分かっているはずだ。だが、扱いは雑なままである。それが、猪狩を観察するクロには意外に映っていた。クロの前でも見せた、意思存在に向けられた強い感情とは結びつかない、遺体に対する扱いの雑さ。あの強い感情は、身内を殺されたからという理由で向けられたものではないのだろうか。
「蓋の有様から、ただの事故だった、って筈はねぇ、だろ。ああ、畜生、わかんねぇな……くそっ、アイツ、何してやがる」
 猪狩の言葉に、はっと気が付いたクロは嘴を開いた。クロの声が聞こえないように、意思存在の声は猪狩に聞こえていない。クロが嘴を開いたことに気が付けば、猪狩は先ほどのようにイエス、ノーで答えることが出来る質問をしてくるだろう。クロがはっきりと伝えられるわけではないが、猪狩であれば質問を繰り返して憶測しながら聞き出せるはずだ。
 昴を死に至らしめた動機が、己が知る唯一の生き物であったから、ということを。
 更には現在、少なくとも、猪狩昴と猪狩晃の区別を付けられていないということを。
 死者だけでは足りないならばと生きたままの人間に染み込もうとしていたということを。
 意思存在の根源に位置する、生き物に染み込むことで生き物になるなどという主張を。
 この、ある種残酷な告白を、クロが嘴が開いていることに――会話を試みようとしていることに気が付いてしまったならば――猪狩は、知ってしまうだろう。そう感じ、考え、クロは音を立てないように嘴を閉ざした。
「しつけぇな」
 低い声色にくっきりと強い敵意が浮かぶ猪狩の声に、クロは身を固くした。首を捻り、猪狩が強く睨み付けたのは足下である。最早、既存の形を模倣することもしなくなった意思存在が銀色の腕を伸ばし、猪狩の左足を絡め取っていた。猪狩が視線を背後に向けた時には、意思存在は大きく立ち上がり、伸び上がって覆い被さらんとする銀色の波の形状を取っていた。猪狩の足さえ自由であれば、走って逃げることが出来ただろうか。否、何度かふらついたあの足取りからして無理であろう、とクロは推測する。
 私には何が出来ようか。クロはせめて、猪狩の手から飛び立って意思存在の波へぶつかろうと考えていた。だが、人一人に覆い被さらんと広がる面積に、鳥一羽分の穴が開いたところで抵抗の程度はしれている。しかし、意識を猪狩から逸らすことが出来るのではなかろうか。否、意思存在はクロを数十年間意識から除外し続けてきた。今更、クロに意識を向けるはずもない。
 行動を考えている者よりも、行動を決めていた者の方が早い、ということはクロも知っていた。猪狩が蓋を開いた際に、意思存在が飛びついた時と同様である。警戒して万が一は抵抗も考えていたはずの猪狩よりも、引きずり落とすと決めていた意思存在の方が早かった。それと同じ事がたった今も、発生したに過ぎない。
 猪狩は完全に銀色の波に向き合っていた。そしてクロを胸の前で、両手で抱え込むように庇っている。右手に掴んでいたはずのナイフと頭蓋骨は手放され、酷く軽い音を立てて頭蓋骨は呆気なく砕け散り、ナイフだけが澄んだ音を二、三度鳴らした。
「コイツは外に出るんだよ」
 頭蓋骨が砕けるのを見届けたクロの頭が、笑い声につられて猪狩を見上げた。見覚えのある顔だ。記憶にあるものよりも若々しく健康的で――そこまで変わってしまえば全くの別人である筈だが、非常に強い面影のある顔と、表情。
 鴉の贋作に収まったばかりの時。機構の隅々に浸透し、動きや感覚を理解して扱い始め、動き出した頭部を向けることで視覚機構が受け取った初めての顔と、表情。
「鳥は、高い空を飛ぶもんだからな」
 書斎で読みあさった書物の挿絵にあった、子どもの笑顔によく似た――
『すばる』
 クロとよく似た声が名前を紡ぐ。似ているだけで全く異なる声だ。何故ならば、声の主がクロであるならば、その名前を今、呼ぶはずがないのだから。
 昴ではない。違う。全く違う。面影はあっても、似ても似つかない、諦めの悪いこの男の名前は、
『――晃』

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