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我が○○高校オカルト研究部には代々伝わる秘物がある。こう言うとおどろおどろしい雰囲気が醸し出されてしまうが、それは1912年にイタリアで発見された未解読文書でも、地獄の門を開く正二十面体の置物でもない。
高校の屋上の扉を開く鍵だ。

貴重な三年間の青春をオカルト研究に捧げようとする男子は、往々にして教室に居場所がない。僕も例に漏れず、独りぼっちで冷えた弁当を噛み締める毎日だった。
そんな日陰系男子に受け継がれてきた唯一のユートピアは、皮肉にも太陽に一番近い場所。
立ち入り禁止の三角コーンを跨げば、ペンキの剥がれた扉。錆びたドアノブは触れるのも嫌だけど、勇気を持って握れば僕だけの異世界が目の前に。
そう、学校の屋上という場所は身近に存在する異世界だ。存在は知っているのに、決して踏み入れられない世界。

だから足を踏み入れた瞬間に誰かを見つけて驚いた。自分の部屋に誰かがいるような感覚だった。
緊張で固まった体は進むことも戻ることもできないまま。

その人は女性だった。
僕と同じ○○高校の制服を着ている。でも下半身はスカートで。つまり女性ではなく、女子である。
その女子は僕の存在に気付いていないらしく、ただただ空の一点を見つめ続けていた。

踏み出した右足をそっと戻す。古ぼけた扉が騒ぎ立てないようにそっと閉める。
なんて、何も見ていないフリをして引き下がるのが普通の反応なのだろう。しかし、曲がりなりにも僕はオカルト研究部。夜なら恐怖も倍増するけれど、今は生気が溢れる昼休み。燦々と降り注ぐ光。テレビの司会者だってサングラスをかけている。

「あの、何してるんですか?」

その女子は、まるで最初から僕と二人で屋上にいたかのように返事をしてくれた。視線は空に向けたまま。
抑揚のない、落ち着いた声色でした。

「来るから」

「来るから?」
僕としては、とりあえずコミュニケーションが取れて安心した。
「来るから」という言葉を「あんまり騒ぐと教師が来るから静かにしろ」という意味だと捉えた僕は、扉を締めて女子の元に近付いた。

「あ、あの、貴方のお名前は? 僕は佐藤大輔です」

「ラー子」

それが偽名なのか本名なのかは僕にとってはどうでもいいことだった。

ラー子さんの返事は上を向いたままだったけれど、人の目を見て話すのは苦手な僕だから助かった部分もあった。

「ラー子さん、何を見てるんですか?」

ラー子さんは自身の視線の先を指差してくれた。
僕もラー子さんの隣に並んで空を見上げたかったけれど、思わず目を瞑ってしまう。
それは人間ならば確実に拒絶してしまう強い光。

その細長い人差し指はこうこうと煌めく火輪、つまり太陽に向かって伸びていた。
ラー子さんは肉眼で太陽を見つめていたのであった。

太陽(sun)というのは銀河系にある恒星の一つである。直径は約1400000キロで地球の約109倍、表面温度は5500℃。
肉眼で観察するとその熱さ及び降り注ぐ紫外線や赤外線で網膜が焼かれ、最悪の場合失明してしまう。

そんな正論もラー子さんの前では意味を持たないただの文字列になるのだった。

「眩しくないんですか?
あー、なんか変な感じ。僕は目がチカチカしてます」

ラー子さんは見れば分かるだろと言わんばかりに太陽を直視している。
そして僕にこう言った。

「水ちょうだい」

ラー子さんの輪郭を汗が伝っていた。足元はまばらにコンクリートの色が濃くなっていた。

多量の発汗が生じるのは当然のことで、何故なら今は夏だった。

教室では明日から始まる夏休みの計画に盛り上がっている。
言うまでもなく僕を誘ってくれるクラスメイトなんて存在しない。待ちの姿勢じゃなくて自分から声をかけろなんて説教をして気持ちよくなろうとする大人が貴方だったら此処でさようなら。
僕はアウェイな雰囲気にいたたまれなくなって、屋上に逃げてきたのだった。

とにかく、真夏の日中に屋上に立っていれば喉が乾くのも自然の摂理なのだ。
いや、太陽を肉眼で見つめられる時点でラー子さんはその摂理から外れた存在なのかもしれないけれど、とにかく喉は乾くらしい。

「無いなら買ってきて」

「は、はい」

自己分析するに、素直に言うことを聞いてしまうのがナメられる原因なんだろう。宿題見せて、消しゴム貸して、パン買ってきて、掃除代わって。
あぁ、嫌なことを思い出してきた。

そんなつい一週間前の過去を置き去りにするがごとく足を止めずに体育館横の自販機に向かい水を買って屋上までかけ上がった。
いやー良い運動になったなんて軽口を叩けないほど疲れたのは日々の不摂生な生活の賜物である。自分が飲むための水も買えば良かった。

力を振り絞って重い扉を開ける。相変わらずラー子さんは上を向いたままで。

「私に飲ませて」

「飲ませて……?」

ラー子さんは口を開くと、そこをちょいちょいと指差した。
顔の下半分に付いているピンク色の穴に水を注げということか。

早くも結露して水滴を纏うペットボトルの蓋を開けて、そっと飲み口を近付ける。不思議とラー子さんの言うことを聞くのは嫌な気持ちにならなかったんです。

ペットボトルを傾けながら、ラー子さんの顔をまじまじと見つめてしまった。
陶器のような真っ白い肌。大きな瞳。黒いショートカットはキューティクルが輝いていて、ほんのりシャンプーの香りが鼻腔をくすぐった。
ラー子さんの喉はポンプの様にゴクゴク動いて水分を全身に取り込んでいる。その喉の動きにすら目を奪われてしまう少しキモい僕だった。

「ゲホッ、ゲホゲホッ!!」

しまった。ラー子さんに見とれていてペースを考えていなかった。マーライオンのように水を吹き出したラー子さんのうずくまる背中を僕なんかが擦っていいのか悩んでいる間に、ラー子さんは呼吸の乱れを整えた。
腕で口元を一度拭うと、何事も無かったかのように、やはり上を見上げた。

「夏休み、暇?」

「え! 暇ですけど」

「じゃあ明日からも来て」

この夏休み、僕は肉眼で太陽を見続けるラー子さんの身辺の世話をすることになった。
それはオカルト研究部としては手放しで喜べる16日間であって、その中には僕ごときが普通に生活を続けていたら決して手が届かなかったであろう青春のような1日もあったりして、
とにかく僕史上最大の冒険なのだった。
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