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【1:消防】いじめられる日々

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「じゃーん」

教室の中から勢いよく飛び出してきた一人の女の子が、
友人の藤田裕也と談笑していた僕に向かって、着替えたばかりの体操服をたくし上げる。
控えめながらも自己主張をし始めたその子の胸の膨らみを覆い隠すものは何もなく、
それはストレートに僕の視界の中に入ってきた。

大池栄子
小学校のころは大体女の子の方が成長が早いというが
そういわれるとおり、彼女の身長は既に他の男子の誰よりも高かった。

「?」

悪戯っぽく僕たちの反応を見ていた栄子だったが
何の反応も示さない僕たちをみて、しばらくすると不機嫌そうに教室の中へと戻っていった。

「なんだったんだ一体?」
「さぁ?」

勢いよく閉められた教室のドアをみながら裕也と顔を見合わせる。
異性に対する興味なんてものは全くといっていい程なく、夕方のアニメとゲームにしか興味の無かったその頃の僕にとって、彼女の胸の膨らみはなんの高揚感も残すものではなかった。
「男子、もう入ってもいいぞー」
再び開いたドアから今度は担任が声をかける。
女子が体操服に着替え終わるまで廊下で待たされていた男子たちが教室の中へと戻っていく。

女=何を考えているかわからない生き物

今にして思えば僕の頭の中にこんな方程式が出来上がったのは多分これが最初だった。



「きりーつ」「れーい」
終業のチャイムを聞き終えてから日直が号令をかける。
「達也ぁ、今日お前んち遊びに行っていいか?」
裕也がランドセルを背負いながらこちらに歩いてくる。
昨年の春に上の方から越してきた裕也はやっぱり地元の同級生とは違う雰囲気を身にまとっていた。
地元訛りない裕也の言葉はテレビの中で交わされる標準語と同じで、転向してきた初日の自己紹介の時点で、クラスの女子の半分はコイツのファンになった。
勉強も出来て運動神経もいい裕也が何故、僕なんかと一緒にいるのか理解に苦しんだが、優等生の友達がいるってのもまんざらではなかった。

いつもならそのまま一緒に家まで帰るところだが今日はそうもいかない。
そう。きょうは水曜日。夕方からお気に入りのアニメがある日だ。
「今日はちょっと…」
視線を合わせないようにしながら教科書を片付ける。
「そうか…わかった。じゃぁ明日な」
そういうと裕也は格別残念な素振りをみせるわけでもなく足早に教室を出て行った。

そんな裕也を追うように、全部の荷物を片付けてから教室を出ようとした時だった。
「待てよ達也」
後から不意に声をかけられる。いつ聞いても嫌な声だ。
恐る恐る声のした方を振り向くとやっぱりアイツが居た。

剛田豪
クラスのガキ大将だ。
そういえば大池栄子と付き合ってるって噂だ。
その横には腰ぎんちゃくの滑川もいる。

「お前、栄子の胸見たんだってな?」

無理やり連れて行かれた体育館の裏で、豪が僕の胸倉を掴みながらそう言った。
「いや、あれは大池さんが勝手に…」
自慢じゃないが大池栄子の胸なんかには全くもって興味がないし、
それよりもこの後始まるアニメの方が大事な僕にとっては迷惑この上ないいいがかりだ。
「見たのは間違いなんだろう!」
豪の声が一段と凄みを増す。
「それは…」
そうだけど、と言いかけた僕の鳩尾に豪の膝が入る。

ッ!

声にならない嗚咽を残して僕はその場に崩れ落ちた。背中の筆箱がガシャガシャと踊る。
「今度見やがったらこんなもんじゃ済まないからな!!」
痛みで動けない僕の傍らに座り込んでこう言った豪は、今度はランドセルのホックに手をかけはじめた。
止めてよと必死に叫ぶ声も虚しく、滑川も手伝って中身が全て外に放り出される。

大笑いしながらその場を去っていく二人が完全に見えなくなってから、僕は泣きながらランドセルの中身を拾い始めた。
ひととおりの荷物をしまってから、今度は倒れこんだ拍子についた土を払いのける。
袖についた土が、涙を拭くたびに目の中に入ってくる。


吉田達也
そう、僕は典型的ないじめられっ子だった。
そんな中、裕也だけはいつもと変わらず僕に接してくれた。

学校にいるときはもちろんのこと、
登下校の間も常に僕の傍らにいて話しかけ、他のクラスメイトから僕を守ってくれていた。

でも、そんな彼の優しさも気遣いもなんの意味も持たないほどに
豪を中心にした僕へのいじめはエスカレートする一方だった。

あの日を境に
ただ傍観者からいじめる側へと変貌した多くのクラスメイト。
耳を澄まさなくとも聞こえてくる侮蔑の声。
「汚い」「気持ち悪い」「厭らしい」

目を離せば当たり前のように消えてなくなる文房具。
教科書がなくて途方にくれる僕に担任はこう言った。
「なんだ吉田。また教科書忘れたのか?」
「いや…あの…」
本当のことを言おうとするたび僕に注がれる無数の視線。

 ――本当のことを言えば何をされるかわからない

そんな怖さだけが心を支配していた。

そんな毎日が続く中、
極限を迎えていた僕に追い討ちをかける出来事が起こった。


いつものように憂鬱な時間をすごし家に帰ってみると、
パートに出ているはずの母が奥の部屋で肩を震わせていた。

泣いているのかそれとも怒っているのか、

はっきりとはわからなかったが
「ただいま」と恐る恐る声をかけた僕のほうを振り向いて独り言ともなく母はこう呟いた。

「裕也君のお母さんから会社に電話があってね…」
「?」
「もうウチの子と遊ばせないでくださいって…」

理由は簡単なものだった。
担任から毎日のように注意され、
学校の成績も芳しくない僕を、大事な息子の友人としては認めなくないらしい。

勿論、裕也自身がそんなことを言うはずもないが、
他のクラスメイトの母親から人づてにそんな風な話を聞いたらしかった。

「裕也と一緒に居られない?」
クラスの中で唯一の味方だった彼との関係がなくなれば、
僕にとっての学校生活は地獄以外のなにものでもない。
その日の晩はほとんど眠れなかった。

翌朝、学校に行く途中
いつものように裕也が声をかけてきた。
あの日以来、裕也はいつも通学路の途中にある酒屋の前で僕を待ってくれている。
「おはようっ達也」
「うん…おはよう…」
「なんかウチの母さんがつまんないこと言ったらしいけど気にするなよ?」
「あ…うん…」
そう答えるのが精一杯だった。

実際、裕也の態度はいつもと変わらなかったし
これ以降、彼の母親がなにかを言ってくることはなかった。
でも、僕の心の中に芽生えた不安はいつまでたっても消えることはなかった。

 ――裕也が離れていってしまうかも知れない
 ――そしたら僕はどうなってしまうんだろう



それから程なくして僕は登校拒否になる。
春には中学校への入学を控えた、2学期の終わり頃のことだった。
3, 2

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