トップに戻る

<< 前 次 >>

第十六話「ロング・トール・サリー」

単ページ   最大化   

 高校へ入ってから、黒野楓は孤立した。
 もともと集団で行動することが苦手で、中学では図書室で休み時間を潰していた彼女は、新しい人間関係を構築することを放棄し学校へ行かなくなった。
 やがて、自分は無駄な存在であると彼女は思い始めた。ならば行動もすべて無為なのではないか。そんな疑惑すら浮上しつつあった。

 六月。駅前の交差点を、彼女は一人、幽霊のように歩いていた。
 他人と会話しなくなってどのくらい経過したのか数えながら、絶対に自分のことなど目に入っていないであろう人々の間をすり抜けていた。
 そのとき、頭上から何かの羽ばたきが、かすかに聞こえた。
 ――鳥?
 交差点の真ん中で立ち尽くしたまま頭上を見た。
 ビルに囲まれた狭く青い空だけがあった。

 それから、学校のグラウンド、裏路地、川原、その他の場所で何度かその「なにか」を感じたころ、彼女はネットでこんな噂を耳にした。
 「天使」。それがこの街にいる、と。
 ――あれが天使? 羽ばたく音は聞こえるけど姿は見えないあれが。
「天使は、気に入った音楽を奏でる者の願いを叶えてくれる」
 願い。
 自分の願いは何だろう?
 仲間が欲しいのだろうか。
「……それは面倒」
 そう。面倒くさくない仲間が欲しかった。


「ここ、座っていい?」
 食堂でいつものようにカレーを咀嚼していたガクショクに話しかけるものがいた。
 学校内に知り合いなどいない彼にとって驚くべき事態だ。顔を上げると、魂狐のギプスと銀だった。
「あれ? 何で君らがいるの? ……あ、そうか」
「そ。今日は大学見学会。俺たち一応受験生なんだ」
 確かに、登校してくるときバスが数台止まっていた。制服の高校生も数人見かけていた。
 じゃらりとウォレットチェーンを鳴らして銀が座る。ギプスも隣に腰掛けた。
「でも君たち、高三の夏にバンドやってて大丈夫?」
「なんとかなるわ」「そうそう」二人には特に懸念はないようだ。
「そう。ところで、前から気になってたんだけど」ガクショクが聞く。「なんでギプスって呼ばれてるの?」
「それはね、俺たち、中学の文化祭にユニット組んで出たんだけど」銀が彼女を指しながら説明し始めた。「そのときコイツヒデー目にあっててね。天中殺っつうの? 目にできものできるし体育の、鉄棒だったかな?」
「そう。鉄棒の時間」
「それで腕、骨折しちゃってて、ギプスに眼帯って格好でライブ本番迎えてさ、ギプス付けてた手でキーボードを半ばヤケクソでガンガン叩きまくって観客ドン引き。でも一番前で拍手してくれた奇特な、もとい、ありがたいヤツがいてさー。そいつ仮装行列のために狐の面つけてたからビックリしたけど。それがキツネ。テラは、aoと一緒にやってたのをキツネが無理やり引っ張ってきたわけ」
「ふーん」
「ところでそのカレー、おいしい?」
「あんまりおいしくない」無造作にガクショクは答える。
「そうか……じゃあ注文するのはやめとこ……」
「私、そばにして正解ね。じゃあちょっともらってくるわ」そう言ってギプスが食券を渡しに行った。
「いってらっしゃい。……で、エンジェルス・エッグの話になるんだけど」にわかに深刻な顔になって銀が話し出す。「ハイオクとかから聞いたかもしれないけど、最近マークの数がじゃんじゃん増えてるんだ。この大学に来るときもいくつも見かけたよ。それに、ファンが活動をいろいろ始めてるみたいなんだ。これ見てくれ」
 一枚のチラシをテーブルの上に載せる。そこには荒い印刷でマークとともにこう書いてあった。
「サマー・フューネラル開催――八月三十一日――天使降臨」
 ゲームかなにかの宣伝かとガクショクは思った。
「これは?」
「なんかのイベントらしいんだ。でも場所も書いてない。ヤツらにしか分からないんだろうけどね。一見さんお断りって感じかな。なんかやらかすんじゃないの? あと、あいつら、クロノを狙ってるらしいけど」
「みたい。だからクロノはグレッチの家にずっと泊まってるよ」
「あのお姉さんと一緒か、じゃあ安心だ。あ、ギプス、それいくらだっけ?」そばを持って戻ってきたギプスに銀が聞いた。
「二百五十円」
「具がしょぼいなあ。よし、俺はカレーに挑戦するよ」
「グッドラック」そう言いながらギプスはそばを食べ始めた。入れ替わりで銀がカレーを頼みに行く。
「実はね、うちの学校にも『エンジェルス・エッグ』のファンがかなりいるみたいなのよ」ギプスが銀と同様、深刻な顔で言う。
「そうなの?」
「予想以上に若者の間に浸透しているみたいね」ギプスは音を立てないように、巧みにそばを食べている。「小耳に挟んだだけだけどね、エンジェルス・エッグはボーカルが一番人気みたい。なんでもすごい美形で、しかもほとんど幻の存在らしいわ――エンジェルス・エッグ自体めったに活動しないらしいから――でも顔よりも、その『声』がすごいらしいの」
「すごいって?」
「これは本当に、都市伝説レベルなのだけど」食べる手を休めてギプスが言った。「その歌を聴いたら、感動で泣いたり失神したりは当たり前で、何日も高揚感が続くらしいわ。しかも、体の具合がよくなった
とか、悩みが解決したとか、そういううさんくさい話も聞いたわ。極めつけは、その『声』は常習性があって、一回聞いたらそれなしじゃ生きられないって噂」
「……そこまで行くと、音楽を越えてるね」
「そうなのよ。眉唾だけどね」
 そこで銀がカレーを持って帰ってきた。
「さてどんなもんかな……」一口、スプーンですくって口に入れ、「うわ……」
「どうなのよ?」
「すごく煮詰まっててドロドロ……たまんないよ」
「それが持ち味とも言えるよ。でも初心者にはおすすめできない……あれ、それは?」ガクショクが、銀の持ってきたトレイに乗っている紙片に気づいた。
「何だこれ? 気づかなかったけど……」
 見ると例の、ハートに片翼がついたマークが描かれていた。
「これは!」
「エンジェルス・エッグ!?」
 慌てて三人があたりを見回すと、食堂の入り口に、背の高い人物が佇んでいて、こちらをじっと見ていた。
「あいつ!」
 その人物は食堂を出て行く。三人も立ち上がり急いで彼女を追いかけた。
 廊下は不気味に静まり返っている。見学の生徒たちはどこかへ移動したのだろうか。
 相手が階段を下りていくのが見えた。在校生であるガクショクも立ち入った事のない場所だ。
 続いて階段を下り、廊下を抜けると、外へ出た。建物の隙間にある、日の当たらない場所だった。空調の設備と思われる機械が並び低い音を立てている。
「あいつはどこへ行ったんだろ?」
「……誰かいるわ」ギプスが指差した先に、座っている人物が見えた。影になって顔はよく見えない。
 ゆっくりと近づいていくと、それは見覚えのある顔だった。
「あれ、ミナミじゃん」銀が呼ぶと彼は無言でこちらを見た。確かに、ヨダカの寡黙なドラマーminamiだった。
「ミナミもここの生徒だったんだ?」ガクショクがそう聞くと、やはり無言で頷く。
「こんなところで何をしてるのよ?」
「時間潰してるんでしょ? 知り合いもいないと時間空いたときすごく暇なんだ。俺はそういうときサボって家に帰ってるけど。それより、ここに怪しい人来なかった?」
「怪しい人というのは」別の声がした。「あたしのこと?」
 先ほどの人物が背後に立っていた。ベースを背負っている。黒いエナメルの上着に、錠前のネックレス。脱色した髪を一部ピンクに染めた、鋭い目の女性だった。身長はやはり、かなり高めで、ブーツで底上げされている分を差し引いても百七十後半はくだらない。
「そう。あなたのことよ。あなた、エンジェルス・エッグの関係者ね」
「そうだよ。あたしはエンジェル・エッグのベーシスト『レイ』……今日はあいさつに来ただけ」彼女はぶっきらぼうにそう言った。「何か質問があれば答えるけど?」
「エンジェルス・エッグって結局、何?」
 銀がそう聞くとレイが即答した。「サイケデリック・ロックバンド」
「あなたたちのファンがいろいろ騒動を起こしているわ、それはどうしてくれるの?」
「あたしたちはそれを扇動した覚えはないわ。彼らが勝手にやっているだけ。あたしたちに影響されてやったなんて彼らが言うなら、それはただの言い訳。自分で判断できないガキじゃないはず」
「じゃあクロノを狙っているのは?」
「狙っている? 違う。あたしたちは彼女を勧誘したいだけ。彼女は一つの特別な力を持っているから。それを『ゼル』が求めているだけ」
「ゼル?」
「うちのボーカル。今度のイベントでこの街の音楽は一変するわ。この夏の終わりに……そのためにクロノの力を借りたいの」
「『サマー・フューネラル』か」銀が言った。
「そう。今この街にいる若者たちがどういう状態かあなたたちは知っている?」
「ダメ人間ばっかり」ガクショクが即答する。
「その通り。でも問題はそこじゃない」レイは気だるげに言う。「彼らには色がないの。すぐに他のものに染まってしまう……自分なんかない。だから……」
「だからあなたたちが彼らを支配しようというのでしょう?」ギプスがそう言うと、レイはいささかいらだった顔になった。
「そうじゃない。……まあその説明はまたの機会に……。今回は本当、ただ顔を見せに来ただけ。ガクショク、銀、ギプス、そしてそこのヴィジュアル系の……何ていったか忘れたけど……またいずれ……」
 そう言ってレイが立ち去ろうとすると、
「待てよ」
 minamiが言いながら立ち上がった。初めて彼の声を聞いてガクショクたちは驚いた。しかも彼は立腹しているようである。
「ヴィジュアル系、つったか?」
「そうじゃないの? あなたたちメイクしているでしょう」レイがそう言うとminamiは「違う。オレたちは『ハードロックバンド』だ」
「どっちでもいいじゃん……」銀がそう言うが、
「ダメだ。オレはヴィジュアル系と言われるのがイヤなんだ」
「だったらどうするの? 相手してあげようか……」レイはベースを取り出し、構えた。
「スティングレイか……。テラが欲しがってたな」
「やめときなよミナミ、身長で勝てないし」ガクショクがたしなめるが彼は、
「関係ねえ……」
 そうつぶやいてレイへ向かって走っていく。
 間合いに入った次の瞬間、ベースが振り下ろされた。二人の髪が風圧で跳ね上がる。
 先日屋上でグレッチが放った一撃をも上回る素早さだ。やはりレイの長い手足がそれを可能にしているのだ。
 だがminamiも負けてはいなかった。
「こいつ……」
 いつの間に取り出したのか、スティックで、上段から振り下ろされたベースを受け止めていた。
「思い出した。YODAKAのドラマー、minamiだったな。ヴィジュアルだけの男ではないということか」
「だからヴィジュアル系っつうなって言ってんだろ!」
「悪かったよ……ハードロッカー。今日のところはこれで失礼する。それから……今頃、クロノのところにもうちのメンバーが『挨拶』に行っているはずだからな」
「何だって!」
 レイはそのまま走り去ってしまった。クロノはグレッチの家にいるはずだが――


 ノックの音がした。
 パンクロックが流れる部屋の中で、テレビをぼんやりと見ていたクロノは、その音に気づいてドアに向かった。スコープを覗くと、狐の面が大きく映っている。
「誰だ、クロノ?」ソファの上に横たわり、酒を飲んでいたグレッチが聞いた。
「キツネだよ」
「あいつか……いや……ちょっと待て」グレッチの表情が固まった。「キツネはここを知らないはずだ。それに、そいつの顔は見えてるのか? それとも狐の面だけか? 面だけなら……キツネとは限らないぞ」
 ノックの音は、なおも続いていた。


16

涼 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る