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「隣の心」

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 授業参観に行く。小学一年生の息子の方の。五時間目の授業だったので、昼休みの終わりの方に学校についた。教室を覗くと、息子は自分の机で自由帳に一生懸命何かを描いていた。隣の席には仲良しのカナちゃんがいて、熱心に本を読んでいた。

 二人は幼稚園も違うのに、入学当初からすぐに仲良くなった。家の前の公園で遊んでいる時に、偶然出会ったのがきっかけだった。思えばその少し前、完全に初対面の女の子と息子は楽しく遊んだ。一緒にブリンバンバンダンスを踊っていた。その記憶があったために、初めて遊ぶカナちゃんともあっという間に仲良くなれたのだと思う。入学式が誕生日だったというカナちゃんは大人びた子で、運動神経のよくない息子を鍛え上げるように引っ張っていく様子もあった。下校班が同じだから、いつも一緒に並んで帰ってきた。

 私が学生時代に異性と話した会話の総量を、息子は小学校入学一週間で既に超えていた。

 いや、三日ぐらいで超えていた。

 紙に書いた課題を黒板に貼りに行く際も、示し合わせたわけでもないのに二人同時に提出しに行った。授業の最後は先日亡くなった谷川俊太郎の詩「とっきっき」をクラス全員で読み上げるものだった。朗読場所の立ち位置には、二人ばらばらで向かっていったのに、気付けば二人で並んでいた。

 終わりの会終了時まで待っていると、隣のクラスの同じ下校班の子も加えて、三人で放課後の預かり教室まで走っていった。カナちゃんが私に気付いて手を振ってくれたが、カナちゃんに促されるまで、息子は完全に私をスルーしていた。

 そして帰宅時間に、玄関先で待っていると、相変わらず二人並んで帰ってくる光景に出会える(作者は身体を壊して現在主夫)。そのシーンで私は何日分もの栄養を貯える。

 ではそれらを踏まえて、私自身の記憶の改ざんを始めよう。


 幼稚園、小学校六年間と、ずっと同じクラスだった女の子がいた。名前は「ガダ」と言った。帰る方向も同じで、二人並んで歩くことが当たり前だと思っていた。彼女は戦車でもないし、アホウドリでもサイボーグでもない、人間の女の子だった。恋だの愛だのといった感情を理解するよりもずっと前から二人でいた。

「デルゲルちゃんがね、好きな子ができたんだって」
 ある日そんなことをガダは言い出した。デルゲルとは同じクラスの子で、両親ともに怪人で、右腕はタコの触手のようになっている子だった。
「ザンダ?」
 同じ怪人であるスタイリッシュな男子の名前が浮かんだ。
「ザンダはセル子ちゃんと付き合ってるよ」
「嘘!」
 極小細胞の集合体であるセル子はどのような外見にも姿を変えることができる。他人の精神にも干渉して「その人が最も美しいと思える人物」になれるのだ。

 いつからだろう、セル子の姿が、ガダに見えるようになったのは。ガダの見かけはどこにでもいる普通の女の子であり、いわゆる美形の枠ではなかった。しかしつまりスタイリッシュな怪人と、私から見ればガダにしか見えないセル子が、一緒に登下校をしたり、おやつを食べたり、手を繋いだりしている、ということか。

 私の心には、なぜか何の罪もないザンダへの憎しみが湧いてきた。ガダにはセル子がどんな姿に見えているのだろうか。私は勇気を出して聞いてみようかと考えた。軽いノリで、「そういえばさあ」なんて感じで。
「そういえばさあ、隣の惑星が消滅するんだってね」
 全然違う話題を出してしまった。
「地球のニュース、君でも知ってるんだ」
「うちの祖先があの星出身だから」
「消滅っていうか自滅って聞いたよ。お父さんが『何もかもが悪い方向に向かってしまった星は、自分たちの力で内部から崩壊するようにできている』とかなんとか」
「よく分からないね」
「分かっていることの方が少ないんだから」

 隣といっても、交流が絶たれて何世紀にもなる星のことだ。その星の消滅が直接私たちの人生に関わるものでもない。母校が取り壊されるくらいの感覚だと、誰かが言っていた。
「私、みんなとは違う中学に行くんだ」
 唐突なガダの台詞に私は理解が追いつかず、頭の中で地球が何回も爆発するイメージが湧いてしまう。
「私って体育とか図工は全然だめだけど、勉強だけは得意でしょ? 通常のカリキュラムをこなす必要はもうないから、飛び級で大学に進もう、だって」
 常にテストで満点を取っていることは知っていたし、独自の論文を書いて発表していることも聞いていた。でもそれらの内容が高度過ぎて、私には理解できなかった。
 ずっとこれからも隣で歩けるものだと思っていた。どうしてそう思っていたのだろう。これまで当たり前だったことが、これからもいつまでも続くだなんて、どうして考えていたのだろう。
「今から、勉強するよ、セル子は、ガダに見えるんだ、一緒に歩いていたいし、地球だって、消滅するんだよ」
 言いたいことを全部繋げて支離滅裂な言葉になってしまったが、それでも私はガダに何もかもを打ち明けてしまいたかった。
 ガダの白い頬が赤くなっていく。赤い頬から小さな恒星が生まれ、プチコスモスが形成され、すぐに消滅する。ガダ特有の発星現象、見るのは幼稚園の頃以来かもしれない。

「さらっと学位取って帰ってくるから。その時はまた一緒に歩こうよ」
 でもガダは遠い国の大学で様々な学位を取得し、彼女の研究を元にこの星の人類は飛躍的に発展することになる。彼女はいつまで経っても戻ってはこなかった。平凡なままの私は、隣に誰もいない生活に慣れてしまっていた。正直に書くと、一度セル子にアタックして振られた。

 ガダが共同研究者の一人と結婚したという報せを映像で観た際に、私は彼女の記憶を上書きすることを拒否した。そこにいるのは立派に成長した見知らぬ女性に見えた。私の隣で歩いていたあの時の彼女は、私の思い出の中にしかいない。

 彼女の発明の一つでもある、記憶の中の映像を具現化する装置で、私自身にしか認識できないあの頃の彼女を浮かび上がらせる。どこへ行くにも彼女を連れて歩き、他の誰にも見えない彼女に優しく語りかける。私にしか見えないプチコスモスがいくつも発生しては消えていく。誰もが地球消滅の映像に見入っている中で私だけは、頬を赤らめた彼女が残した小さな星々の弾ける様に見惚れていた。

(了)
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※挿し絵、TOP画像、サムネイル、全ての画像はAIによる生成物です。
 あとがき

 仲の良い異性と自然に過ごしている息子の姿を見て、そんな青春を過ごしたことのなかった私は、いや、自分もそんな青春過ごしてたっすよ、みたいな話を書こうとしました。でもなぜか怪人やらセル子やらが出てくる話になりました。この作品集の場合、いつもなら先に何かのパロディ的なタイトルを考えてから書き始めているのですが、今回は先に本編を書き上げました。いつも隣にいる人でも、その本心を理解できているわけではない、ということで「隣の心」にしてみました。分かりにくいですが「隣のトトロ」のもじりです。

 おかしい。自分にも一緒に下校する女友だちがいて、その子といい感じになった青春ストーリーを書こうとしていたはずなのに。アホウドリやサイボーグのくだりは、前作「恋愛小説集」の中で、アホウドリやサイボーグが出てきたことを踏まえてのものです。
https://neetsha.jp/inside/comic.php?id=25281
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