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第一話

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 第一話

 裏路地に設けられた深い溝には、憎悪と諦念とが混ざり合った汚泥が流れていた。
「既に起動実験は秒読み段階に入っています──」
 無線機が耳元でそう唸るのを聞きながら、真貴成は街一番の安宿へと入って行った。彼女を出迎える絨毯は原色が判らぬ程に擦り切れ、狭い屋内を満たす粗末な家具は、点滅を止めない丸電球によって照らされていた。
「神奈川も私の好みじゃないな……」
 冷めた声、全身を包む黒衣。流線型の外套は鎧のように垂れ、頭巾の陰に隠れた鋭い眼球が動いた。真貴成は歩きながら袖まで延びた配線を手繰り、幾つも用意されている開閉器の中から一つを選び出して押し込むと、左右の腰帯に二つに割ったような形で吊るされている鍵盤を叩き、
「桜、座標を確認しろ。対象までの誘導を求む」
 桜と呼ばれた通信士は一瞬の間を置いてから、向こう側で操作卓を弄る雑音交じりで、
「今、警報を切りました。目標は五階の中央右手前の部屋です。停電は必要ですか? 指示を」
「否定的だ。だが、昇降機の電源は落としてくれ」
「了解、引き続き援護します」と桜。
「強行突入を開始する」
 真貴成は階段を上った。教えられた通りの道順を行くと、護衛風の屈強な男が二人、一室の前に立っていて、
「黒井様は御就寝だ。通行証か、面会の約束はあるのか?」
「丁度、良かった」
 真貴成は懐から十二番口径の連発式散弾銃を取り出すと、胴の前で構え身体全体で照準をし、目の前の男の額に狙いをつけると引き金を絞った。発砲音が響くと同時に多針弾頭弾によって彼の頭蓋骨が空になり、脳漿が飛び散った。それによって廊下が赤く染まる前に、真貴成は素早く片足を前方に投げ出し、頭を床に着く寸前まで下げ、体勢を横に捻って丸まるように構え、力抜けた人形の如く崩れ落ちる遺体を盾にして、遊底を銃に被せた片腕で前後させながら、二発目、三発目を放った。薬莢が床に転がる頃には、拳銃を取り出そうとしてた奥の男も肉の塊と化した。
 立ち上がってからそれらを無慈悲に踏み越えて、真貴成は扉の横に立つと、大口径小銃弾に匹敵する破壊力を持つ一粒弾を新たに装填し、錠前を粉砕した。再び壁に背を向けて入り口横に位置取り、後ろ足で戸を馬のように蹴り上げて開くと、一瞬だけ顔を出して索敵し、上着裏の小嚢に収めていた手榴弾を投げ入れた。
 地響きのような爆音。
 四散しても尚、悲鳴が響き、それが破片によって人体を裂かれたたのにも係わらず絶命出来なかった哀れな男のものであることは明白だったから、先程見つけた人数から単純な引き算をするとして、残りは目標を除いて三人、と真貴成は考えた。
 成る程、お前ら大した腕じゃないようだな。
 真貴成は露出が最低限度になるよう注意しながら、入り口から身を乗り出すと、長椅子の裏に隠れている男を像として捉え、息をするように撃った。室内へ入ると、隣の部屋へと続き、そこでは縁側への戸が開いていた。夕焼けの逆光が目を射す。真貴成は嘲った。隠れても無駄だ、私には見えているからな。真貴成は机に備え付けられていた鏡を割ると、硝子片を投げ、反射を見逃さずに、彼らの位置に検討を付けた。散弾銃をその場に放棄し、自動式拳銃を鞘から抜くと、正面の窓を三度の発砲で叩き割り、椅子を踏み台にして縁側へと跳び出した。そのままの勢いでは虚空へ落ちるという寸前で手摺に掴まり、身を返して反転すると、縁側で伏せていた二人の男達に猛烈な銃撃を浴びせ、両者を絶命させた。暗澹とした分厚い雲が、圧迫感を与えるように、夕焼けを閉ざした。
「軽業師」と桜が呟いた。
「彼方のような人を、そう表現するそうです」
 真貴成は室内に舞い戻って、拳銃収めると、散弾銃を拾い上げ、片手で鍵盤を叩き、
「集音器に反応がない。目標は?」
 事前の調査と、今現在、実際に探した限りでは、ここにこれ以上の部屋はなく、使われた形跡のない洗面所も蛻の殻だった。
「参ったな」と桜は言い、「情報が漏れていました。衛星を監視されていたのかもしれません。出遅れたようです。非常階段から地下駐車場へ向かっています」
「何をするつもりだ?」
「恐らく、その建物の正面入り口前、国道に面した北東出口から乗用車で逃走を図ると予想されます。対象が射程圏外離脱まで、予測時間六十秒」
「充分だ」
 真貴成は再び縁側に出ると、散弾銃を懐に戻し、雨樋を両足で挟んで、伝うように降りた。次に、網目のような電線に飛び移り、その場で回転をして勢いをつけると、隣の建物の看板に一瞬だけ手を掛け、今度は勢いを殺しながら落ちて、下の階の手摺にも一瞬だけ足を掛け、更に落ちた。張られていた屋台の天幕に包み込まれると、そのまま滑り台のように端から放り出され、一階の裏口横に停まっていた放置車両の前方硝子を突き破り、着地した。驚くべきことは彼女が全くの無傷であることだが、疎らな人影は目を向けようともしなかった。それが当然なのは、この街では人の投身自殺など珍しくもないからだった。
「残り、三十秒。急いで!」と桜。
 空白も束の間、立ち上がって駆け出し、正面玄関を目指した。丁度、その最中に目当ての車が滑り来たので──此方は運転席側だ──散弾銃を構えると、
「その型は防弾です」と桜。
 だが、横切るように置かれた植木鉢が邪魔で車輪を狙うことは難しい。真貴成は排莢して、排莢口から榴弾実包を入れて、撃った。乗用車の扉側面に命中し、成形炸薬弾として、そこを金属の高速噴流が突き破った。真貴成は更に同じ方法で手中の実包を装填すると、二発。やはり、同じ方法で三発、四発──。
 車はそのまま対向車線を突っ切り、大型貨物車に激突され、盛大に転がった。水風船のように跳ねながら、摩擦熱で赤熱した挙句、容赦なく信号機に激突し、爆発炎上した。松明のように、燃え上がる。やがて、それに車載されていた札束が雨のように振り始め、人々が集っていた。
「本隊より緊急入電」
 桜が突然、不快そうに言った。
「物は押さえた、とのこと。此方は囮だったようです」
「骨折り損か……」
「自警団装甲車両到着まで約二分。回転翼機にて回収します。屋上に向かい、待機してください」
「了解」
 真貴成は非常階段で、黒煙を上げる残骸を眺め、
「何の意味がある……」と呟いた。
 日が完全に沈み、辺りが暗くなっていた。

 真貴成は二十九歳。都心部で活動する中では最も悪辣な一人であり、腕の立つ掃除屋であり、現代の自由騎士だった。経済基盤の崩壊による政府権力弱体化の恩恵を受けた数少ない個人で、堕落的かつ非生産的な日々を過ごしては、細々と生計を立てていた。生きるのなんて馬鹿らしいし、全てに等しく価値がない。命を軽んずることにかけては誰よりも長け、右に出るものがいない。そう思うようになって随分と久しい。だが、未だに夢を見ることがある。暖かな家庭と自分の両腕に抱かれ、穏やかに眠る赤ん坊。人を傷つけることもなく、人に傷つけることもなく、平和な日常を繰り返し、年を重ねていく。しかし、それが決して現実になることはないと判っていたし、決して満たされぬ憧憬の念が自分の中で徐々に大きくなって、精神を蝕み始めているのを感じていた。
 目を離した時間は僅か数分。その間に、自分の息子は何処かへ消えてしまった。何故だか一面に釘が撒かれていて、森のように有刺鉄線が張り巡らされている。何処かから泣き声がするから、裸足のままで血塗れになるのも構わずに駆け出すけれど、決して主に追いつくことはない。精根尽き果てた頃に、誰かが囁きかけてくる。これは罰だ、と。そのせいで、お前の可愛い子供は、変態の玩具か、家具か、食事になった、と。
 絶叫しても、声が出ない。

「糞……」
 真貴成が悪夢を見た日は、決まって目覚まし時計が壊れる。今日も、床に転がったそれは、既に正しい時間を示すことはなく、存在意義を失っていた。下着も布団も、寝汗で酷く汚れていて、言い様のない吐き気が、洗面所で撒き散らされた。錆の臭いのする水道水で顔を洗うと、自分の頬に涙が伝っていたことに気付いた。
「糞……」
 起こされる予定のない写真立てが、埃を被っている。真貴成はそれに一瞥すると、冷蔵庫を埋め尽くす固形型非常食を一本取り出し、牛乳で流し込んだ。
 窓を開けると、光化学煙霧が入り込んで来るので、絶対に明けない。だから、浄化機能付の換気扇は回した。
 いつもと何も変わらない朝。次にやることは、同業者の動向を探ったり、仕事の斡旋を相棒──桜という実際には会ったこともない電賊──から受けたり、装備を整えたり……。
 着信件数一。
 それを除いては、何も変わらなかった。
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