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act.10「煌」

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 ここじゃないどこかにいる貴方へ。
 私はここにいます。
 貴方がいないここにいます。
 あなたとは決して混じることのないここにいます。
 貴方にとても会いたい。会いたい。
 けれどもあなたが求めているのは私じゃないのでしょう。
 ここにいる私でもなければ、どこかにいる貴方のそこにいる誰かでもないのでしょう。
 私は分かっています。
 一方的で、今後伝わることのない想いだということは知っています。
 でも、貴方が頼ってくれたから。
 ここにはいれなくなった貴方が頼ってくれたから。
 私はここにいます。

Act.10「煌」
   ―山下由佳―

 ひたすらに走る。奔る。
 地を踏み、蹴り、腕を振って前へと掻き出す。そんな行為を続けて一体どれくらいの距離を走ったのだろうか。時計を見る余裕もないので今どれだけの時間が過ぎ去って行ったのかも分からない。
 ただ目の前に見える“それ”だけが今の状況をハッキリと映し出していた。
――この街で最も高い建造物……。
 そのタワー状の建物は多分この街で最も高く、そして全てを見降ろすことのできる場所だった。東京タワー……とまではいかないが。
 そんな最も高い場所から状況を把握して、即座に能力を発動させる。瞬間的……とまではいかないのだが、それでも十分に適切な作業といえるのではないだろうか。
 ただ、それを向こうだって予測しないわけがない。残りのメンバーはもう残っていないし、更に非力な人物のみ。いやそれか首謀者二人(周囲の考えでは二人がいる可能性が考えにくいという話だったが)の筈だ。やろうと思えば難なく行える作業であるだろう。
「インフェルノさん……御陵のお父さん……」
 私は不意に彼らの言葉を口にしてみた。得も言えぬ不安が心に小さな種を埋め込む。
 彼らは多分私達よりも不利な状況にいるはずだ。戦闘に長けた……という言い方としてはあれだが、そういった出来事に立ち会っている人物が二人とも集中的に囮としての役目を選んだ。驟雨という女性だって仮にもあの組織に在籍していたメンバーの一人だ。
 その三人をその役目に着かせるという行為自体が、どういうことか私だっておぼろげながらも理解している。
“それだけ絶望的”だということだ。
「由佳、貴方今考えてはいけないことを考えていない?」
 有紀から発せられた言葉を聞いてはっとする。前を見ると顔を膨らませる有紀とにやにやと意地の悪そうな笑みを浮かべた爆弾魔の姿、そしてそんな私達の会話に全く介入しようという様子を見せない背中があった。
「大丈夫。そんなこと考えてないよ」
「そう? ならばいいのだけれど」
 彼女は疑いに充ち溢れた視線で私を一度見て、そして小さく何かを呟くように動かしてから再び前を向いてしまった。私はそんな彼女の姿を見て、何故かとても切ない感情がゆるりと生まれ、そしてその感情はずるりと身体中を這いまわっていた。
 私がしたいことと彼女のしたいことは多分違う。
 私は彼の役に立ちたいだけで、彼女は彼の許へ行きたいだけなのだ。
 その思考のすれ違いを今更指摘しようとも彼女はけして頷きはしないだろうし、私が何を言ったところで彼女は現実を理解しようとはしないだろう。いや、こちらの世界が幻想であると彼女の瞳には映っている可能性すらある。
 彼女の漆黒に染まった瞳が映していたものは、深淵へと誘うかの如く深きものであり、触れてしまえばそのまま呑みこまれてしまうのではないか、彼女の感覚を無意識のうちに共感し、感じ取り、そして掻き毟ってしまうのではないかと思うほどの重さだった。
 これは“瞳”を共有する私だからこそ嗅ぎとれるといったものではないし、多分周囲もそれには気づいている筈だ。彼女の姉と関係を持っていた、今先頭を走る彼なら尚更だ。
この感覚をも彼は背負おうとしているのではないのだろうか。
 ふと、そんな思考が頭の隅を突くが私は首を振り、そしてその考えを想いの片隅へと消し去った。
 今はそんなことを考えていられるほど悠長ではないのだと、自分に無理やり言い聞かせて……。

   ―――――

 それはとても遠くて、とても近いように感じられた。
 多分私にとってこの景色は、多分終着点であり、そして始まりなのだと思う。
「さあ、行こうか」
 越戸要はそう言うと錆びついた取っ手をぎしりと握りしめ、押す。
 暗がりに光が差し込み、それは周囲を照らし出し、そこにあった“暗がり”という名の深淵を取り払い、その世界を無機質なものへと変えた。私はその光景を静かに見つめ、そして一度だけ呟く。
――行きましょう。と……。
 それに呼応するように三人は頷くと無機質へと姿を変えた室内へと足を踏み入れる。

 刹那だった。

 轟音が耳を劈くとともに髪がはらりと揺れた。

 それが銃声だと分かったのはその轟音の主が越戸要の背に赤い花を咲かせた後であった。

「――越戸さんっ」
 あまりにもゆらりと倒れる彼の姿に私は一瞬見惚れる。そんな横で水島有紀は叫び、爆弾魔は後方へと視線をめぐらしそしてありったけの殺意を放つ。
 私は遅れて振り返り、そしてじっとその姿を凝視した。
「このまま行かせることなんて……するかよ」
 笹島は青ざめた表情と震える腕をそのままに、ぶっきらぼうに私達へと言葉を吐き捨て更に硝煙の昇る拳銃をこちらへと向ける。
「最後の足掻き……ですか?」
「あと数十分時間を稼ぐだけで事は起こるんだ。それまでの間じっとしていてもらえないかな?」
 次々と吐き出される言葉の波は穏やかであるが、それでもその表情とぴりりとトゲのある空気からは“焦り”の三文字しか感じられなかった。
 多分、彼は一押しするだけで瓦解すると感じるくらいに、とても弱弱しかった。
「断罪者の影に隠れてた貴方がまさか自ら出向くとはね」
「……戦略家だってたまには前線に出るものさ」
 たまには、という言葉を聞いて爆弾魔はくすりとあのいつものイタズラな笑みを浮かべた。
「何故戦略を立てて勝利に導くべき者が前線に立つんだい?」
「黙れ。今は“俺”の方が有利だということを忘れるな」
 彼は撃鉄に指をかけ、私達を順々に狙っていく。
「早死にするか、玉の効力で死ぬか。好きな方を選べ」
 彼に果たして選択させる程の力はあったのだろうか。

 答えは否なのだ。

「――この程度、か……」
 ゆっくりと、彼は立ちあがり、そしてじいと笹島を見つめる。その眼光に思わず笹島はたじろぐが、それでも手にしてそれの銃口はけして話さず、震えつつも越戸を見つめていた。
「動くな」
 越戸は静かにその銃口に視線を向けた後に一歩、右足を前へと出した。
「動くなと言っている」
「撃てばいい」
 果たして彼をここで殺してもいいのだろうか。何が彼を立たせているのかは分からない。確かに彼の衣服には赤い染みがじわりと広がりつつあるし、その箇所は明らかに常人ではどうしようもない筈の怪我だ。立っていること等できるわけがない。
 だが、彼は今こうして現に立ちあがり、そしてその傷を負わせたはずの男を見据えている。
「越戸、さん……?」
 私は思わず声をかけてみる。
 すると彼はこちらを見て一度だけ笑った。それはとても柔らかくて、暖かさを感じる笑みで、今この状況でできるような笑顔ではけしてなかった。
「笹島、あんたにこれ以上邪魔する勇気、あるの?」
 震える笹島に無警戒のまま爆弾魔は歩み寄るとその肩に腕を乗せ、耳元で呟く。
 それはとても効果的だったようで、彼は拳銃を地面に落とすと膝をついてうなだれ、そして地面に視線を向けぶつぶつと何かを呟きながらそれっきりこちらを見ることはなくなってしまった。
「……さて、行こうか」
 越戸はそう言うとにこりを笑い、一番に扉の中へと入っていく。それに続くように有紀、爆弾魔、そして私が扉へと向かう。
「――僕一人だって……」
 不意に聞こえた声に一瞬意識を向けつつも、振り返りはせずにそのまま扉を私は閉めた。

 中にはところどころ錆びの入った鉄製の階段が上へと続いていた。付近の壁は非常灯が埋め込まれており、暗闇の中でもはっきりと足元を見れるよう工夫がされていた。停電時には流石にこれも消えるのではないかというふとした疑問が浮かんだが、気のせいということにでもしておこう。
「さて、申し訳ないんだが――」
 その呟きの後は聞けなかった。
 なぜならば、そこで彼は階段の手すりに寄りかかるようなカタチで倒れ、そして乱れた呼吸のまま赤に染まる衣服をその手で抑え始める。
「越戸、さん?」
「意外とはったりも効くものだね。だが少々無理をしたようだ」
 はは、と彼は苦笑し、申し訳ないが身体を支えてもらえないかと私に言う。とにかく止血をと上着を脱いで彼の傷口に充てようとするのだが、彼は断固としてそれを受け入れる様子はなかった。
 止血はいらない、と。どうせ死ぬのだから、上まで保てればいい。
 彼はそれだけ言うと私に体重を任せた。

 はっきり言って、とても女一人で支えられる重さではなかった。

いや、もしかしたら、それは彼の重さだけではなかったのかもしれない。彼に預けられたそれらが、全て一つの重さになっているとしたならば――
 そんなことを考えた時、私は身体のバランスを崩してよろける。
 彼の抱えた重さに耐えられなかった。そんな感覚が、私の脳裏をするりと抜けていった。
「大丈夫?」
 でも、その重さを片側から有紀が支えてくれたおかげで、私は倒れずに、押しつぶされずに済み、体勢を立て直すことができたのだった。
 私では支えきれないほどの重さを、彼は一体どれだけの時間支え続けていたのだろうか。多分どこかで投げ出したくなることだってあったはずなのだ。逃げ出したくて、視界を手で覆ったことだってあるかもしれない。
 けれども彼は、それでもこの役割を全うし続けた。“約束”という名の最も軽いようで最も重いそれを抱えて彼はここまで来たのだ。
「……頑張ったんですね」
 思わず、声が出た。それは果たして、何に対してのねぎらいであったのだろうか。
 彼はそれを聞いて、何も言わずにまた微笑んだ。汗ばみ、土気色した顔をこちらに向けながら、それでも笑った。
「待ってる人が、いるからね。君にもいるんじゃないのかい?」
「私は……」
 私は顔を上げた。不意に有紀と目が合い、そしてああそうだった、と自己を納得させた。
「待ってる人はいないです。けれども……」
 私が好きだった人はもういないし、彼が待ってる人が私ではないことも知っている。そして、私がそちらへ行くことを望んでいないこともちゃんと分かっている。
「……おかえりって言ってもらうって約束が、あるんです」
 あの言葉をウソにしない為に、その為に私はいるのだ。

「だから、私はちゃんと生きて、帰ろうと思ってます」

 彼はそうか、と笑った。
私が求めた貴方へ。
君は望まず彼方へ。
想いを伝えておくことはできていたのでしょうか。
私のような存在を貴方は受け入れてくれた。
受け入れがたいと言いながら、貴方は歩み寄ってくれた。
ここにはいない貴方に会いたい。
私はこの先混じることがあるのでしょうか?
私はこの平行線のどこかでそれを折り曲げ、混じりたい。
それを貴方は許してくれるでしょうか。
貴方は待っていてくれているでしょうか。
私はあなたが全てだと言ったら、貴方はどう思うでしょうか。
喜ぶでしょうか。
戸惑うでしょうか。
私はここにいつまでもいないと思います。
だから、言います。
貴方のいるどこでもないどこかで……。

   act.10-2「煌」
   ―水島由紀―

 目に見えてはっきりと分かっていた。その銃弾は激しい殺意をもって彼に死を呟き続けていることくらい。
 だが、彼はそれでも立ちあがり、笹島を気押し、そして凛とした姿のまま彼は扉へと手をかけた。
 その行動の全てが、これから死にに行く為の者のとる行動だとはとても思えなかった。死を覚悟している者はここまで目を輝かせ、はっきりとした決意の基に動けるものであろうか。いや、彼以外そんな人物はいるわけはない。
 かくいう私もそのくちであるが、彼のように明るくふるまうことは愚か、何かをやりとげようという意思も微かなものだ。これが“彼”による頼みでなければとっくに自らに終止符を打っている。
 彼が死んで、暫くしてから気づいたことだ。
 私の中で復讐という名の扉は完全に閉じ、感情は冷めてしまっていた。一種の飽きにも近いその心情を私は酷く嫌悪し、嘔吐した。今までの目的よりも、気づけば私はたった一人の男の存在に目を向けていたのだ。
 しかも、それに気付いたのが彼がこの世界から退場した後だというのがまた滑稽な話だ。
 それから、私は一つの決意を持つことにした。この薄れゆく復讐というなの炎を繋ぎとめる為の必死に立てた決意。
――全てを終わらせて、彼に恥ずかしくない顔で会うこと。
 その為に生きようと思ったのだ。だから私はここにいるし、この先もこの出来事と前向きにぶつかるつもりなのだ。総ては彼の為で、彼という存在を利用でもしなければ私の薄れゆく目的も、彼の最期の依頼にも打ち込める気がしないから。
「大分限界だな……」
 扉を入ったところで、ふと彼は呟くと、そのまま手摺にもたれかかる。思わず抑えるも女一人の力ではどうしようもないほど彼は重かった。
 彼の重み、いや単なる体重だ。彼が背負ってきたものを私が感じる必要なんてないのだ。私は首を振ると由佳と共に彼を支え、立たせる。
「すまないね」
 そんなことを呟き微笑む彼を見ながら、私はじっと心の中で疑問を反芻させる。
 何故彼はここまで無償の愛を人間にささげられるのだろうかと。彼の背負っているものは多分私のそれよりもはるかに大きくて、遥かに重い。こんなちっぽけな人間という器の中にどうしてここまで重いものが入るのであろうか。私はひたすらに疑問に思う。
 ふと隣から、生きて帰ると答えた少女がいた。山下由佳だ。
彼女は本当に生きて帰ろうという決意の基、ここにいるのだろう。彼女の瞳からは陽はけして消えていないし、そしてこの状況でも尚燦然と輝いている。
 階段を上る音が響く中、私はその音に耳を委ね、そして上を見上げる。無骨な階段はそう長くは続いておらず、あと数ブロック分の階段を登ればすぐに目的の場所へとたどり着くだろう。彼を担いで登ったとしても大体数十分といったところだ。彼らが丁度装置を作動させる時間くらいではないだろうか。だとしたら大分頃合いだ。良いタイミングで彼を送り届けることができる。
 私は不意に浮かんだ微笑みに自分で驚きながら、それを見てにこりと笑みを浮かべた由佳を一度だけ見た。
 彼女は残るべき存在で、多分彼女もそう思い、そして同時に私の決意にも気が付いていると思った。
 この瞳を共有している存在なのだ。そのくらいは感じとってくれるだろう。
 それでも止めないのは、彼女もそれが最善だと思ってくれているからなのだと思う。彼の基へ行くのは私であるべきなのだと、彼女なりに納得してくれているのだろう。
「由佳……」
 それでも心配だったのだ。私は思わず言葉を吐き出す。
 だが、それを彼女は口に指をあてて制止した。
「分かってるから」
 その一言を残し、少しさびしげな表情を浮かべていた。
「有紀さん、君が考えていることは大体予測がついているよ」
 そして、それに乗っかるようなカタチで、越戸が喋り出す。
「それについて僕らは誰も止める権利はない。君が決めた決意を打ち砕くだけの理由もない」
 けれども、と彼は付け加える。
「君という存在を覚えている人間は少なくとも悲しむということを、覚えておくことだ。人間というのは生命を授かってから“一人”というワードでは括れないようになる。君一人の命であったことは一度もないんだ」
「……あなただって、投げ出そうとしている」
 つい反論をしたくなった。まるで子供のような問いかけをしたことに私は直ぐに恥じ、そして赤くなった顔を見られないように下を向く。
 だが彼は笑みを含んだ軽快な口調で返答する。
「僕のはまあ、その一人じゃなくなった命の延長線と考えればいい。一人じゃないからこそ、やりとげなくてはならないこともあるんだよ」
「――よくわからないです」
 分からなくてよろしい。彼は教師の口調でそう言った。
「君が行く道だ。誰も批難はしないさ」
 私は一度だけ頷くと、それきり口を閉ざす。彼らもそれに呼応するように無言となり、最期に残ったのは金属製の段を上っていくカツンという無骨な音だけであった。
 カツン、カツン、カツン……。
 軽快な音と共にゆっくりと一段一段を確認し、上がっていく。響く音が反響してなんだかまるで一周の音楽のようだ。こんな音でもれっきとした音なのだ。何故誰もこういう音を利用して音楽を作らないのだろうかと不意に思ってみる。
 そんなくだらないことを考えながら、それでも歩みは止めない。
 あと五段――
 あと四段――
 三段――
 あと三段登れば目的の屋上である。既に冷たい風が吹き込み、外界の音が響いている。なのに、越戸要は突然立ち止まった。あまりに唐突な出来事であった為に私と由佳はつんのめり、危うく彼から手を離すところであった。
「突然どうしたの?」
 その疑問は次の瞬間に見事に打ち砕かれた。
「やぁ、みなさんお揃いのようで」
 私は一瞬、頭が真っ白になった。だが、その違和感とそして彼の最期に送られてきた記憶を辿り、瞬時にその空白に充ちた感情は怒りへと姿形を変えた。
「杉原……修也……」
「やあ、水島さん、山下さん、越戸要クン。御機嫌よう」
 落下防止用のフェンスと階段以外は何もない簡素なその世界で、彼はにやりと不敵な笑みを浮かべていた。そして続いて後方の存在にも声をかける。
「そちら側に着いたんだね。爆弾魔ちゃん」
 さりげなく身を隠していたつもりのようであったが、既に存在を知られていると知ると彼女は何の抵抗もなく現れ、そしていつものイタズラな笑みを浮かべた。
「ええ、あなたに興味感じなくなっちゃったのよ」
「そうか、残念だな。君はなかなか素敵な女性だったから僕としてはキープしておきたかったんだが」
「残念、私は可愛い女の子にしか興味ないのよ」
 そう言うと爆弾魔は由佳に背後から抱きつき、頬にキスをする。これだけ張りつめられた緊張が支配する世界でも、爆弾魔はやはり爆弾魔であった。また突然抱きつかれた由佳も多少顔が赤くなり、動揺はしているようであった。
 杉原修也、いや“彼”はポケットに突っこんだままの手を抜き出すと、ぎらりと鈍く光るそのナイフの切っ先を私達へと向ける。
「中々に楽しめたよ。いや本当にさ。最高のゲームだった」
「……ゲーム?」越戸はそう呟く。
 ナイフを手元でくるくると弄びながら彼はゆらりとフェンスに寄りかかる。がしゃりとくすんだ音がして、フェンスが撓る。
「人生が暇だったんだよ。だからこうやって事を起こした」
 そしらのお二人さんはきっと知っていたのだろう。と彼は私と由佳に向けて言葉を放つ。ああそうだとも。この瞳が戻ってきた時に総てを知ることができた。だがそれを周囲に伝えると行ったことは全くしていなかった。
「貴方のその暇潰して、人が死んでるのに」
 由佳が呟く。その拳は、きつく握り締められていた。
「ああ、だが所詮は他人の命。君らだってそうだろう? 最終的には一人なんだよ。自分の命が可愛くなるものなんだよ」
「……それで、君は何をしに来たんだい?」
 越戸はそう問いかける。すると彼はまたも不敵な笑みを浮かべ、そしてひょうひょうとした姿勢で私達の前まで歩み寄るとナイフを越戸の首筋に充てる。
「君が何をするのかを見たくてたまらないんだよ」
 最初、私は彼が何を言っているのかよく分からなかった。それはここにいる四人全員同じだったように感じる。
「止めるつもりじゃないの?」
「止める? ああその方向でも面白いかもしれないな」
 首筋に充てられたナイフを彼は壁に向けて投げた。それは鈍色の線を描き、そして地面と平行なまま壁に突き刺さる。びいいん、と振動音が静寂の中を駆け抜ける。
「だが僕は先程も言ったように『この世界を~』とかそういうつもりで動いているんだじゃないんだよ。水島さんは本気でそのつもりみたいだけどね」
「……別にこの計画をぶち壊しても、構わないってわけか?」
「言ったろう? 暇つぶし何だよ。どう転んでも面白く感じられる最高のゲームさ」
 僕が死なない限りはね。と彼は付け加えた。
「さあ見せてくれよ。君が何をするのかをさ」
 そういうと彼は数メートル程離れ、遠くのフェンスに寄りかかり、それっきり動かなくなってしまった。
 彼の言っていることを信じてもよいのだろうか。いや、信じることなど出来るわけはない。
 だが、今はそんなことで迷っている暇はない。彼の気が変わる前にさっさと事を起こす必要があるのだ。
「越戸さん」
「ああ、分かっているよ」
 彼はそう言うと残り三段を登り切り、そして外の景色を見下ろす。
「こんなに人というのは沢山いるものなんだな……」
「でも、もうすぐほぼ全員死ぬわよ」
 爆弾魔がイタズラに笑う。彼はそれに対しても慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「なら、僕が止めるだけさ」
 そう言うと彼は一人でよろめきつつも、この屋上の中心へと歩き、そしてそこで一度立ち止まる。
 不意にそこで、階段を駆け上がってくる誰かの足音が響いた。
「越戸!!」
 それが笹島だと気付いた時、既に銃口は彼を捕えていた。

 一瞬、時間が止まった。
67, 66

  


こうしてここにいるのがとても不思議だ。
貴方と交わしたそれは叶っただろうか。
けれども、貴方のところへは行けないと思うのです。
それだけのことはしてきたのだから。
それだけのことを手にしたのだから。
だから、貴方は行ってください。
僕を待つ必要はないのです。
ここではないところにいる貴方がいるように。
そのまたここではないどこかに僕は行くのです。
だから、ここでさよならです。
忘れる必要はありません。
そこに“いた”ことだけは覚えていてください。
どうか、覚えていてください。
そして、進んでください。
僕も進みます。
いくつもある平行線のどこかにいるいことを忘れずに。
さよなら。

   act.10-3「煌」
   ―越戸要―

 その時、その場所で、その瞬間、世界は歩みを止め、視界はゆるりと目の前の事象だけを捉えて離さない。ガチリと撃鉄の落ちる音、銃口から吐き出された弾丸と硝煙、ただまっすぐに僕へと向かってくるソレがコマ送りでこちらへと向かってくる。
 多分これを避けることは不可能だということくらい分かっていた。ならばこれさえも受け入れようと思った。
 だが覚悟がいつも結果に結びつくとは限らない。
 突然横っ腹に走る衝撃によって私の身体は左へとよろけ、そしてそのよろけによって弾道から私の身体は見事に外れた。
 だが、それはつまり私に体当たりを喰らわせた人物が代わりに弾道へと飛び込んだだけであって、突然過ぎて思考の停止した状態の私はその光景を眺めていることしかできなかった。
――彼女、山下由佳の腹部に赤い花が咲く光景を。
「由佳!」
 水島有紀は叫び、倒れこむ山下由佳を受け止める。
「……」
 そんな光景を見て、私はぼんやりと考える。そういえばあの時も、彼女は私を見を呈してまでかばってくれたなと。私はいつだって誰かの犠牲の上に成り立っているようなどうしようもない存在のような気がした。ちっぽけで、ちっぽけで、とてもちっぽけで――
 私はゆっくりと立ち上がり、硝煙の上がる銃口をこちらに向ける笹島をじっと静かに見据え、そして――
「君はしてはいけないことをしてしまった」
 私は彼目指して、ゆっくりと歩みを始める。
 彼はやけに驚いた調子で、それでも両手でがっちりと構えた拳銃から更に一発、弾丸が射出され、それはばすんと私の太腿の肉を割って突き抜けて行った。
 激痛。
 だがしかし、それでも私は歩き続ける。私は何を勘違いしているのだ。いつもと同じ調子でやればいいだけではないか。何故逃げようとしたのか。
 額。
 左胸。
 首。
 目。
 次々と発砲音が放たれ、そして消えて行く。次々と私の身体には穴ができていくが、それでも足を止めることはおろか、意識を失うという感覚も存在しない。
 これだけ集められた命の呪縛は、目的も達成しないまま命を散らすことを良しとしないようだ。余分なまでに集められた命の塊は有限であるし、それが何時尽きるのかは分からないが、それでも一つだけ確かなものがあった。
 彼の弾薬の数では私は死ねない。
「く、来るな……来るな化物!!」
 化物か、と私は呟いて笑う。そういえばここにくるまでの間、私は死神のような存在として君臨していた。それだけ恐れられ、痛みもなく死ねる者は縋りつく。そんな光景が広がっていたはずなのに、今は何故か人を救うべき側として存在している。
 そんな自分がとてもおかしかった。
 ゴールは同じであれ、私のしてきた行動は全て間違いによって出来上がっていた。それも彼女との約束と言うだけの自己満足に満ちた目的で……。
 ああそれでも周囲を見渡してみれば私は意外と普通なのかもしれない。
 死んだ男の最期の頼み一つでこの地獄へと自ら足を踏み入れた少女がそこに。
 家族の仇を討つためだけに姉の名を騙った少女がそこに。
 ただ賭けに負けたからという理由でこちら側に着いた女がそこに。
 暇を潰せればよかったというこの一連の事件の首謀者がそこに。
 なんだ、意外と世界は自己の為に動いているじゃないか。そしてそれが結果的に人を救うことになるのならば、私はそれで――
 とうとう笹島に手の届く範囲までやってきた。
 彼は恐怖に目を震わせ、弾丸の残っていない拳銃をひたすらにカチリ、カチリと引き金を引き続けていた。
「タスケテタスケテオネガイシマスタスケテクダサイタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテモウシマセンタスケテタスケテタスケテタスケテオネガイシマスタスケテクダサイタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテモウシマセンタスケテタスケテタスケテタスケテオネガイシマスタスケテクダサイタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテモウシマセンタスケテタスケテタスケテタスケテオネガイシマスタスケテクダサイタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテモウシマセンタスケテタスケテタスケテタスケテオネガイシマスタスケテクダサイタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテモウシマセンタスケテタスケテタスケテタスケテオネガイシマスタスケテクダサイタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテモウシマセンタスケテタスケ――」
 そこで、彼の言葉は止まった。否、私が止めた。
 腹部に感じる痛みはやけに久しかった。約束が全て済んで以来命は全く吸っていなかった。最後が彼と言うのはなんだか不愉快だと思ったが、全て解放してしまうのだ。今更何の問題もないだろう。
「さて、そろそろ時間かな」
 そう言って振り返る。杉原修也はにやりと微笑んだ後に一度だけ頷いた。
水島有紀は山下を抱きかかえ必死に声をかけている。ああ、そういえばそちらも片づけなくてはいけなかったな。と私は一度だけ息を深く吐いた。
「山下さん?」
「越戸さん……生きてるんですね」
 彼女は土気色になっていく顔色のまま微笑んだ。元々可憐な少女であったが、今この時が最も素晴らしい姿だと思った。
「私――」
「大丈夫、君は“帰る”べき人物だ。死ぬことなんてさせないよ」
 そうして私は触れた。
彼女の傷のある腹部に、ゆっくりと両手を添えるように。
 いつか考えたことがあった。命を吸うことができるのならば、それを分け与えることもできる筈だと。根拠のないものであったが、もしこうなる前に試すことができたのなら、もっと別の道があったのかもしれない。
 本当の意味で、人を救える道が。
 けれどそれは最早夢で終わってしまっている。もうそんなことに縋りつくことをする必要はないのだ。なぜならば、彼女が“待っている”のだから……。
「さあ、君はお帰り……」
 血の染みだけ残ったそこから手を離し、私は微笑んだ。彼女の約束は守られるべきものなのだ。ここで消える役目ではない。
「さて、杉原修也」
「あと五分で始まる」
 彼は唇をかみしめ、好奇心に充ち溢れた表情で私を見ていた。
 彼もまた、自己満足で出来た存在であり、そして私達とはそのベクトルが違っていただけなのだろうと思った。
「有紀ちゃん」
「……お姉ちゃんをよろしくお願いします」
 私の言わんとしていたことを彼女は先に言った。少し悲しそうな表情のままソッポを向いている。けれどもそれが彼女にとって最大の感謝なのだと私は感じた。感じただけで、彼女はそう思っていないかもしれない。けれどもそれでいいだろう。私がそう感じたのだから。
「君も元気で」
 私は彼女の行く末について大体予測がついていたが、それももういいだろう。なぜなら、私はもう退場するのだから。これ以上考えることは野暮に近い行為だ。
 そして、五分。

   ―――――

 不意に、先程の黒い玉が震え始めた気がした。俺は玉を取り出して覗き込んで見る。周囲を見回してみると、周りで玉を貰った者たちも俺と同様の行動をしている。
「……光って……る……?」
 その光を見た瞬間、身体が突然重くなり始める。いや、というよりも身体全体の力を削り取られているような感覚。それが全身を包み込んでいた。そして削り取られて行く感覚がだんだんと、俺に向けて「死」というイメージを連想させていく。
 この玉が命を吸い取っているとでもいうのだろうか。
 思わず膝をつき、地面にうつ伏せになって倒れる。その時に玉を取り落としたがそれでもこの感覚が消える気配はない。つまり、周囲に行きわたっているこの状況によって、一つでは小さな効果が全体に広がるような仕掛けになっていたのかもしれない。
「山下……」
 薄れて行く意識の中で俺はひたすらに彼女の姿を思い浮かべる。
 死んでしまうということに対する恐怖よりも、あの約束を果たせないかもしれないということのほうが、俺にはとても恐ろしく、そして哀しく感じた。
 彼女の帰りを待ちたいが、それもできそうにない。
 心の中で俺は静かに彼女へ謝罪の言葉を唱え続けていた。

   ―――――

「始まった始まった」
 杉原修也は面白おかしそうにはいつくばっていく人々をのぞき見ては手を叩く。
「――そろそろいいかい?」
「ああ、これ以上になるとこちらにも被害が来るからね。痛みのない死程残酷な殺され方はないというのが僕の持論だからね」
 そう言うと彼はフェンスにもたれかかり、ポケットに手を突っ込んだ。
「君の最期の姿、そしてこの地獄絵図をどうやって基に戻すのか楽しみだなぁ」
 不愉快な笑みから目を逸らし、私は上着を脱ぎ捨てた。
「山下さん、有紀ちゃん、そして爆弾魔……」
 僕は彼女たちへと視線を向けずに、背中で言葉を放つ。
「有難う」
 さよなら、という言葉は言えなかった。それを言ってしまったら、何故だか私までここに残りたくなってしまいそうで、命が惜しくなってしまいそうだったから。
 私は先程の命を流し込む感覚を思い出しながら静かに息を吸い込んだ。
 目を瞑り、全ての黒い玉を通じて生命が循環する感覚を連想する。
 とても温かいものが、僕の身体の内からゆっくりと抜け出始めた。それはとても心地よくて、とても切ない感覚であった。今まで共にしてきた者達が今、やっと外へと羽ばたき始めた。

 世界を拒み、悲しみ私を頼ってくれた生徒たちが今、羽ばたいていく。

   ―――――

 ぱちり、と目が開く。
 先程の死を連想する程の脱力感はいつの間にか消えていた。
 俺は起き上がってから周囲を再び見回してみる。どこもかしこも同じ姿勢で周りを見渡している者たちばかりだ。この光景を見ていると、脱力感を感じていたのが俺一人だけではないということを確信させてくれた。
「ねぇ、あの光……」
 不意にどこかから聞こえたその声と示された指先に俺も視線を添わせる。
「綺麗……」

 その光景はとても不思議なものだった。ビルの頂上で、目がくらみそうな、それでも見ていると温かくなる光が一つ、大人一人位の大きさで輝いているのだ。
「あれは……なんだ?」
 俺は疑問に思いつつ、それでもあの光がとても危険なものとは思えずにいた。
 刹那、目から熱い何かがこぼれおちた。
「――涙?」
 ぼろりぼろりとこぼれおちる涙に首をかしげ、そして唐突にそれを理解し、もう一度光を見上げる。
――あれは、命の煌めきだ。と……。

   ―――――

 とても眠かった。時間が経つにつれて意識は薄れて行くし、あの安息感も消えて行き、寒さと虚無感が次第に私という世界を支配して行く。
 唐突に現れたその恐怖に私は震えつつ、それでも出て行く“者”達を見送り続けた。
 私と言う存在がこの目に見える世界へと溶けて馴染んでいく感覚が、何故だか怖くて、哀しくて、嬉しくて、切なかった。
 ああもう私という存在がこの世界から切り離されるのだろう。
 長いようで短かったが、後悔も未練も何一つなく終われる。素敵じゃないかと思った。
――要さん。
 不意に聞こえたその慣れない呼び方に私は思わず笑ってしまった。
――お疲れ様。
 と“彼女”は微笑み、そして私を抱きしめた。ああ、そうだこの感触を待っていたんだ。これを感じる為に私は頑張ったのだ。そうやって自己の満足に自分を浸していく。
――とても疲れたでしょう?
「ああ、とても疲れたよ」
――少し眠ると良いわ。私が見ていてあげるから。
「……ありがとう」
 そうしたら僕は眠らせてもらうよ。そう言うと彼女は一度微笑み、私の頬にキスをすると目を閉じ、静かに私を抱きとめた。
 次第にあふれる涙を拭きとることもせず、私は静かに目を瞑った。

――おやすみなさい。

 そうして、私は水島沙希を抱き返してやるのだった。
 光が止んだ時、越戸要の姿は跡形もなく消失した。まるで、今までこの世界に越戸要という存在がいなかったかのようにぷつりと糸が切れてしまった。
「素晴らしい物を見れた」
 彼は涙を流しながら、拍手を続ける。それがなんの涙であるのか、私には皆目見当もつかなかった。
 終わったのだ。全てが。
 もうこの一連の出来事で誰かが無残に殺されることはなくなるのだと、私は理解し、そして涙を流した。
「さて、そうしたらこちらも全ての締めを行おうじゃないか」
 そういうと彼は微笑み、そして手を差し伸べた。
「アジトへご案内しますよ。お嬢さん方」
 彼の暇つぶしもまた満足感を得、全てがどうでもよくなったのだということがよくわかった。
 それゆえに興味がなくなったのだろう。
 この世界に。

   act.10「煌」
   ―エピローグ―

 それから数日して、街は元に戻った。
 初めの頃は「突然倒れ始めた人々の謎」と各メディアで大きなニュースとなったが、これに関連する死人が誰ひとりとして出なかったことで大した事件にはならなかった。一つ疑問があるとすれば、街外れでの変死体だ。
 焼死体が三つとただの死体が一つ見つかった。これがこの事件と何か関係性があるのかは分からないが、多分今後その人物が判明したとして、それが大きく取り上げられることはない気がした。
 俺はそれからあの黒い玉を持ち続けていた。意識が回復してから再びそれを見ると、黒い玉はひび割れてあの球面は真っ二つとなり、あられもない姿となっていた。まるで何か入らないもをを詰め込まれたかのように空洞ができあがっていた。
 ともかくこれにかかわる必要性はなさそうだと思いつつ、俺はそれをポケットに突っ込んだ。
 とと同時に、俺の目の前に一台の黒い車が止まった。
 暫く身構えていたが、開いたドアを見つめ、そうしてから一度だけ微笑んだ。

「おかえり」

act.10 END
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