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8:ABAЯA

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 徹夜三日目だ。
 すぐ隣になにかいる気がして見るけど、もういなくなってる。その繰り返し。体温調整がうまくいっていないんだろうか、やけに寒い。
 だけど、なかなか面白い。体がふわふわして、意識が頭からちょっと離れた場所にある気がする。起きていてこういう状況になるというのは初めてだ。夢の中なら変なものはいくらでも見るんだけど。
 何か吸入すればもっとすごいことになるんだろうけど、素面でこういう境地に達しているというのがすごい。ナチュラルトリップ。
 目の下にミチコとおそろいの隈ができた。眼球真っ赤。風呂に入っていないのでやや臭う。まあ誰にも会わないんだから気にする必要はない。
 こうやって朝や夜を意識せずに生きていると、自分の人生が、たんなる平地に見える。寝て起きるというサイクルで得た段差はすべて平らにならされ、もはや太陽と月など、延々追いかけっこを続けるだけのネズミとネコに見えてきた。
 で、ある日気づいた。音楽活動をやってない。
 バンドはどうなったんだろうか。よく分からない。
 だけど何も言ってこないところを見るとあんまり活動してなさそうだ。結構だ。人生においてすべては流転する。当然のことだ。バンドが休止しようが万事OK。
 なので別のバンドに入ろうかと思い始めた。
 そうだ。ミチコと春日井のバンドに入ろう。
 どういう音楽性だったか思い浮かべようとしても、頭の中で再生されるのはマリリン・マンソンの「ポストヒューマン」だけだった。まあジャンルはどうでもいいや。このままだと死にそうだから何かしようって思っただけだから。
 さて決意したのはいいが、ミチコがいるであろう公園まで行くのさえおっくうだ。脳がジャムになって流れ出てきてるんじゃないか? デッドフィッシュは僕の妄想の一部。そいつを焼きまくったから脳細胞が溶解したのかもしれない。いいさ、知ったことか。くそったれ。ああ、世界ってやつは結局僕向けにはできてないんだなあ、と僕はジェニーのボディを抱きながら思った。
 気が付いたら寝ていた。
 何十時間寝ただろうか。分からない。予定もないし今日が何曜日か知ったところでどうにもならないから大丈夫。
 体が臭かったので風呂に入る。
 鏡で全裸の自分を見て、実に細いと驚愕する。本当に内臓が入っているのか? 寝てる間に誰かが、アバラのみならずすべての骨と臓物を盗み去ったんじゃないか。きっと、来戸だな。夢の中でぶん殴ったのを根に持っているんだ。あいつはずっとやられたことを覚えているからな。
 上がって、臭くてしかたない服を着る。一ヶ月は絶対に洗ってない。
 臭いを消すにはどうすればいいか? そうだ、焼肉だ。あの煙の臭いを体に刷り込めば消える。ナイスアイデア。しかし焼肉屋に行く金などない。
 じゃあどうすりゃいいか? 簡単だ。肉を用意すりゃいい。肉を焼けば、焼肉だ。焼こう。
 というわけでミチコ、春日井、ワタヌキを呼んだ。来戸とベーシストはなんとなく呼ばなかった。ていうかあの二人できてるだろ。幸せにやってくれ。

「……で、僕はミチコと春日井のバンド――なんだっけ名前?」
「ストロベリー・アライアンス」
「そいつに入る。前のはやめる。ストロベリーの結成式やるから肉食おう」
「肉ね……」
「各自肉持参で」

 とりあえず僕が持ってきたのは家にあったミンチ。スーパーで特売のやつ。賞味期限がちょっと怪しいけど。春日井は豚足を持ってきた。ミチコは牛タン。ワタヌキはレバー。
 各自が集めた肉を、ワタヌキの家で焼いた。絶対に取れないであろうコゲがびっしりこびりついた鉄板の上で。
「これは、黒ミサって感じ」とミチコが言った。「豚の足、豚の肝臓、牛の舌。悪魔来るよ」
「悪魔って言えば前に、うちのメンバーの誰かが悪魔呼ぶ夢を見た」
「呼び出して、どうしたの?」
「殺された」
「ふーん……とにかく食べましょうよぉ」
 春日井はミンチをかき集め食べ始める。
 僕はそれより煙を浴びることを念頭に置いていたので肉はどうでもいい。
 ミチコとワタヌキはあまり食いたくなさそうだった。
 なので結局春日井がほとんど全部食べた。

 食い終わった僕らは怪談をすることにした。
 誰から言い始めたのだろう? 分からないがおのおのが知る、一番怖い話をすることに。
 子供の頃、近所に「森」があって、その中の廃屋に殺人鬼が住んでるという噂があった。近くの団地に指が落ちていた。
 幽霊は出てこなかった。それよりももっと生々しいなにかが出てくる話を各自がした。
 僕はデッドフィッシュの話をする。
「腐った魚のバケモノが夢に出て来る。うざいから焼き殺すんだ」
 ワタヌキは、それはぜひ見たいもんだと言い、春日井は、「くとぅるふねぇ、それ」とよく分からないホラー小説の話をした。
 眠くなったので僕らはワタヌキの部屋で寝た。



 夢の中で、誰もいない町に僕はいた。
 都市の真ん中なのに、波の音がする。
「ちょっと大事な話をするよ?」
 ジェニーがそう言う。
「焼き殺して、その死体がどこへ行くか知ってる?」
「デッドフィッシュか?」僕はそんなこと考えたことはなかったので、しばし黙り込んだ。「さあ。起きたときにするくしゃみとかゲロと一緒に出て行くんじゃないか?」
「違うよ。どんどん溜まっていくだけだよ。海に」
「海?」
「私たちは海の中にいる。殺せば殺すほど、海は汚くなる。腐っていく」
 白かった空に、インクを染み込ませたような黒点が現れた。
「ふうん」
「まだやるの?」
「やるよ。腐っても別に、いいんだよ。汚くてもかまわないしどこに何が溜まろうが別にいい。臭くてもいいし。それよりジェニー」
「なに」
「抱きしめてもいいか」
「……許可を求める必要あるの?」
 ないかもしれない。でもあえて、言った。
 次第に空も地面も、黒く濁っていく。
 グルグル世界が回ってて、僕たちはその中心にいる。
 それだけは、確信しているんだ。



  で、ジェニーの警告をシカトしデッドフィッシュを殺しまくったら、妙なことになってきた。
 ミチコが夢の間隙に何度も登場する。
 帰れと怒鳴ると消えるのだが実に寂しそうな顔だし、次回出てきたとき、なぜかボロボロになっている。
 顔には殴られたみたいな傷が付いてたり、刃物で切った傷ができてたりする。
 それから、ルーシーの残骸を見かけた。
 人間の姿の彼が、手足を変な風に捻じ曲げて鼻血を出しながら、「煙草持ってない……?」と聞く。
 僕のポケットにはチェリーがあった。口に加えさせ、火をつけてやる。
「どうしたんだ?」
「ミチコにぶっ壊された……ああ……太陽がざわめいてるな……」
 血にまみれた彼の少女のような顔は、僕ではなく天空に向けられている。
 僕も見上げると、蒼ざめた太陽があった。
「分かるかい……あんた、まずいよ……俺はしばらく寝るけど、死にたくなかったら、アレ、ぶっ壊すべきだぜ……」
「アレって?」
 はっ、と息を吸い込むようにルーシーは笑った。
「……前に俺は仲良くしろだなんて……言ってしまったけど…………。アレはやばい……」
 口もとに灰がこぼれる。
 ルーシーは皮肉な笑顔を浮かべて言う。
「あんたのジェニーは、毒入りギターだぜ……?」
 次の瞬間、彼は炎に包まれた。
 緑色の炎だった。
「うはあ……。こう来るか……。じゃ、おやすみ。俺は広い広いママレード・スカイをひとっ飛びしてくる……さよなら」
 ルーシーを焼いたのは、ミチコだった。手には僕のと似たライターを持ってる。
「いいの? ルーシーを燃やしてしまって」
 僕がそう聞くと、彼女は口の端を吊り上げてぎこちなく笑った。
「いいの。もうすぐ私、死ぬから」
「死ぬのか」
 ミチコは目から血を流していた。


 起きると、肉の匂いがした。僕はワタヌキの部屋に泊まったことを思い出す。
 そして、ミチコと春日井がいないことに気づいた。
「……」
 ミチコが夢の中で「死ぬ」と言ったことを僕は覚えていた。
 なんだか気持ちが悪い夢だった。
 いつもの悪夢と何か違っていた気がする。なんだか、怪物じゃない、目に見えない何かに追いかけられたような……。そしてきっと追いつかれた。
 傍らには、抜き身のジェニーが横たわっている。
「おはよう」
 言いながら春日井が部屋に入ってきた。
「うわ、肉臭いわねぇ……」と顔をしかめる。
「どこ行ってたの?」
「帰ろうとしたら地下鉄が止まってたのよぉ……」
「そうなんだ」
「人身事故だって」
「ふうん」
「ぐちゃぐちゃよねぇ、多分……現場見てなくて良かったわぁ……」
「だろうね……きっと。ひどいことに……自殺かな……?」

 ……。
 おっとこれは。
 ストロベリーアライアンス、早くも二人になってしまったか。



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