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見つからない、離れない 17

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 だらだらと緩やかに続く上り坂を、流子は自転車を引きながら歩く。
吐く息が白い。
学校を目指し歩く、男子高校生たちが目に入る。
相変わらず流子より寒さに強そうな装備をしている。
流子は男子生徒の指定制服に、いっその事海パンが採用されればいいのに、と思った。
海パンで震えながら登校する同級生を思い浮かべて、流子は少しだけ楽しくなる。

 学校の駐輪場に自転車を置き、鍵をかける。これでようやく、大手を振って歩けるようになる。
黒い毛糸の手袋は、とても暖かい。こんなに暖かいものを持っていながら、他人の手を羨ましく思うなんて、本当に馬鹿馬鹿しい話だ。
もし、どうしても我慢ならないほど他人が羨ましくなった時、自分ならどうするだろう。
きっと、寝てしまうのに違いない。夢の中だろうが現実だろうが、価値は大して変わらない。
どちらも、いつかは覚めてしまう時がくるのだ。

 駐輪場から歩いて自分の教室の前につくまで、流子に話しかける者は居なかった。
はっきり言ってありがたい。
何故か朝というのは、世の中の殆どのものが疎ましく思えてしょうがない。
寒い日は特にそれが顕著だ。誰かに話しかけられても、不機嫌な調子でしか返答できないだろう。
しかし今なら奇跡的に、まともな対応が出来る可能性が1%くらいはあるかもしれない、と流子はぼんやりと考える。

 扉を開き、教室の中に入る。
教室と廊下の境界線を越えると、周りの気温が変化したのを感じる。
今日は、その瞬間があまり幸せに感じられなかった。
きっと、手袋から放出される幸せにより、緩和されたのだろう。
窓際最後尾の自分の席に腰を落ち着け、背もたれに体重をかけると、まるで一仕事終えた後のような気分になる。
実際に、学校についてしまえば後は暖かい教室内で教師による子守唄を聞き、昼飯を食べ、帰るだけだ。
社会を生き抜く上での苦痛は、起床してからの一時間に集中している、と考える人間もけして珍しくないのではないか、と流子は思う。

 携帯をいじるでもなく、お喋りをするでもなくボーっと窓の外を眺めていると、自分の席の方向へ歩いてくる人物に気がつく。
「やぁ、流子」
優奈が、疲れたような顔をしながら挨拶の真似事をしてくる。
うん、と軽く頷いて返すと、優奈は流子の机に座った。
まるでプログラムされているかのように、座った。

「アパートの方は、どうなったの?」
流子は聞いてみる。
今日の朝刊に、相馬香が逮捕されたと言う記事が出ていた。
罪状は、死体遺棄及び死体損壊及び、殺人。
「アパート自体はどうにもなってないけどね、今のところ・・・」
優奈は真顔で言った。
「なんだかごちゃごちゃしてて、まだちゃんと決まってないみたい。さすがにこのまま追い出されはしないと思う。と言うか、しないで欲しい」

 優奈が、黒い毛糸の手袋を見つける。
「あ、手袋買ったんだ?」
「いや、貰った」
「誰に?」

「優奈には教えられないような人」
流子は、この世で唯一正しいであろう返答をする。
チャイムがなる。立ち歩いていた生徒達が自分の席に着き始める。
「あ、お母さんに編んでもらったとか?もう、恥ずかしがっちゃって」
良く分からない事を言うと、優奈は机から降りて、廊下側の自分の席へとすいすい歩いていった。

 クラスの担当教師がいつものように教壇側の扉から教室に入ってきた。
プログラム通りの挨拶をし、統一を守るためだけのホームルームを始める。
退屈すぎるほどの、平和で日常的な毎日が、また続いていくように思える。
それは、そのように思えるだけなのかもしれない。
流子は、手袋の親指のあたりの糸がほんの少しだけほつれているのに気付く。
もしこのほつれが無かったら、あのアパートの管理人の娘は人なんか殺さなかったのかもしれない、と夢のような事を思いつき、流子は小さなため息をついた。

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