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第十六話『始まりから過程へ:本堂恵』

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 止むことを知らない雨と風が、激しく俺の体に打ち付ける。ごうごうと全身を襲う水と風を感じつつも、手にぶら下げている傘を使う気にはなれず。今朝、靴だけが濡れたことをあんなに気にしていたのが馬鹿らしく思えるくらいに濡れていて。それでも、俺は考えることが怖すぎて。そんなどうでもいいと思える周りのことを頭の中で再生して、考える余地が無くなるように必死になっていた。すれ違う人に変な目で見られようとも、ゆっくりと歩き続けて。
 自分の家に着く頃には体が冷え切っていた。しかし、タオルを用意するのも着替えるのも面倒で、靴を脱いだ瞬間玄関にへたり込む。いつの間にか、視界の端で影をちらつかせている“女”がいることに気付き、無駄だとわかっていても語りかける。
「全部、説明してくれよ……わかんねえよ、全部……」
 予想通り、答えが返ってくることはなかった。


『始まりから過程へ:本堂恵』


 けたましく鳴り続ける電子音が耳を刺激しだした頃、俺は目を覚ました。そう、朝だ。
 いつの間に着替えていたのだろうか、自分の格好を見れば妙に現実味のある寝間着を着ていた。ついでに、玄関で力尽きたと思っていたのに自分の部屋の布団に入っている。……あやふやな記憶に戸惑いつつも、昨日のことを整理する。えらく健康的な時間に就寝した所為なのかは分からないが、昨日よりかは冷静に頭が回るようだ。もし昨日のことが夢じゃないとすれば、俺は真剣に考えなければならない。もちろんわからないことが多すぎるので、答えに行き着くことはないだろうが。
 布団から出て、寝間着を脱ぎながら、混乱しないようゆっくりと“整理”する。飽くまで客観的に、取り乱していた自分を見るように、単純に起こった事のみを順番に入れ替えていく。“始まり”や“終わり”などは有耶無耶なものだ、この際は無視しよう。……第一に、あの女は説明したと言っていた。だが、それが“いつ”だったか武田智和は覚えていない。憶測の域を出ないが、多分、その説明が事の始まりだったのだろう。女の言っていたことが全て嘘だという可能性もあるため、この前提を元に考えを進めるのは得策ではない。
 しばらくは外食で済ませていた所為だろう、冷蔵庫にはペットボトルに入ったお茶以外、調味料しか入っていなかった。仕方がないので、今日の朝食は登校しながら考えるとする。――次に、佐藤が消えた。言葉通り、実際に手にとって見ていたのだから間違いは無い。球状の光が噴出されている部位から、徐々に“かすむ”ように消えていった。重さもそれにしたがって徐々に減っていったので、一瞬で消すようなもの――手品の類――では不可能だろう。つまり、佐藤が消えてしまったことは事実だ。さらに状況を整理すると、教室で佐藤が武田智和に話しかけてきた時刻が授業が終わったほぼ同時刻。それから武田智和が部室の扉を開けるまで、およそ十五分から二十分弱。その間に佐藤と女が接触、何かをしたと推測できる。今思えば、佐藤は他の部員は既に集まっていると言っていた。そして、あの女の言っていた通りなら内藤も“ぐる”だということ。これらから考えられるのは、全て佐藤を消すために仕組まれていた、ということだ。目的は不明。
 家の鍵を手にして玄関へ向かう。……念入りに整理すべきは女が居なくなる周辺。武田智和は既に混乱していて、状況を把握出来ていなかった。内藤の件まではハッキリと覚えているが、その後の女が言っていた言葉の内容を記憶していない。
 ……ちらちらと鬱陶しく影を見せる視界の住人を目で追うも、まるで眼球に付いたゴミのように中心に捉えることが出来ない。手で触れられるものならば今すぐにでも問いただすところなのだが、まるで雲を掴むよう。近くに“真実”があるというのに、手を出せない。そんなもどかしさを感じながら、俺は生温い空気が漂う外へと足を踏み出した。
 ――そういえば、本堂や他のみんなは佐藤が消えたことを知っているのだろうか。相も変わらず夏らしく日差しが降り注ぐ中、以前本堂や佐藤と待ち合わせていたT字路に差し掛かるところで、そんなことを思う。もちろんあの場に居合わせていたのは女を除き、俺だけだ。知っているとは思えない。しかし、佐藤が言っていたように“既に集まっていた”のなら、何かあったとしても不思議ではない。さすがに本堂までが佐藤を消すことに加担するとは思えないからな。……T字路で立ち止まりながら、すぐにでも本堂が来ないかと思ってしまう。なんせ情報が少なすぎるんだ。知って俺に何が出来るかはわからないが、俺にあの女の影が見えている以上、また接触する機会はあるだろう。その時に何が起こっているのかを把握しているだけでも、心の持ちようが変わってくるはずだ。
 待てども待てども本堂が来る様子はない。近くの公園に設けられた時計を見れば、七時半を回っていた。……先に行ったのかもしれない。そう思った瞬間心に焦りが生まれ、無意識に駆け足で学校に向かっていた。
 …………少し息を切らしながら校門に辿り着く頃には、八時前。遅刻しないように走って登校している生徒がちらほらと見える。見知った顔は……いない。結局、わからないことがわかっただけだと、俺は意気消沈しながら下駄箱へ向かう。こんな時、もう少しマシな俺だったら今も隣を走っていく生徒に話しかけて、佐藤のことを聞けたんだろうか。一年前のことが無ければ、佐藤は消えなくて済んだのだろうか。たられば、自分自身に無意味な問いかけをしながら、昇降口に向かう。
「あ、武田クン。おはよー、今日は遅刻ギリギリね」
 階段に足をかけようとした時、背後から三島が挨拶をしてきた。やっと見知った顔がいたことに喜び、俺は挨拶を無視して三島に問いかける。
「三島、昨日佐藤が――」
「そうそう、昨日のことね。武田クンってば来なくて、みんなずっと待ってたんだからね? 開始二日目にして部長が幽霊部員だなんて、笑えないわよ」
「は?」
 俺の問いかけを遮って三島から放たれた言葉は、俺の疑問を解消するものではなく、逆に増やすものだった。若干冷静を欠きながら、俺は再度問いかける。
「いや待て、言っていることがわからない。それに部長は佐藤だろ? 俺が部長とか、それこそ笑えない冗談だ」
「……武田クン、いくら昨日サボった理由を言うにしても、亡くなった人をそんな風に使うのはダメだと思う。わたし、先に行くから」
「ちょ」
 ちょっと待て――と言い終わる前に、三島は素早く階段を昇っていってしまった。……おかしい、何かがおかしいとしか思えない。立ち尽くしていた俺の頭上で、ホームルームの開始となるチャイムが鳴る。それでも俺は動く気にはなれず、三島が言っていたことを頭の中でゆっくりと整理していた。
 ……佐藤が亡くなっている。いや、間違ったことではない。死の定義について語る気はさらさら無いが、消えたということは死んだも同然だろう。……そう無理矢理にこじつけたとしても、三島は過去形で話していた。ありえない。さらに、俺が部長という発言。……まるで佐藤の死が随分と前にあったような、そんな物言いだった。いくら佐藤を消したあの女でも、そんなタイムパラドックスじみたことが出来るとは到底思えない。 
 いや、ありえないという考えも通用しないのかもしれない。でなければ、この状況に説明が付かない。
「これもお前が絡んでるのかよ」
 “影”に語りかけるも、朝に続いて反応はない。それもそうだろう、昨日の昨日まで何の干渉もしてこなかったのだから。言うなれば傍観者と言ったところか。……くそ。まるで俺が場違いだと言わんばかりの現状に、段々と嫌気が差してくる。……もう全部諦めて“以前”のように過ごしてはどうだろうか。机に突っ伏して、妄想するだけでいい、あの日のようにすればここまで悩むこともない、と。考えている中でちらつくその問いかけは、非常に魅力的で。確かに俺がどうこうしたところで、“こんなこと”をしでかすような相手では全て無駄だろう。全てを知ったところで、俺にメリットがあるかと言えばそうでもない。俺が“頑張る”理由だった佐藤も亡くなったことにされているんだ、全て、今更だ。
 ――だが、それでも、と。同時に諦めることを否定している自分が居ることに気付く。“一年前”はそこで諦めたから、全て人の所為にしてのうのうと過ごしていたから、“こんな”になったのではないのか、と。理由以前に、今はそうじゃないと自分で思っていても、友達“だった”佐藤のために何かをすることは無駄なのか、と。
 相反する気持ちが交差する中で、俺はふと、内藤のことを思い出す。あの女が言っていた通りなら、内藤は何かを知っているはずだ。今までは無視していたが、内藤の存在も考えるべきだろう。もしこの状況をあの女が作り出したと仮定して、女自らに不可思議だと称された内藤が、この影響を受けているのだろうか。女が無視を決め込む以上、唯一の情報源は内藤だ。可能性は低いにしろ、得るものはあるはずだ。……諦めかけている気持ちに、手が届く範囲にある情報源を提示することで、なんとか抑える。
 正直な話、何も知らないまま以前のように過ごすのは無理だ。俺にとっては昨日のことでも、他の奴は過去形にしている。今の俺には、佐藤を過去形にすることなんて出来ない。寿命で死んだのならまだしも、目の前で消えたんだ。淡い希望を持ったっていいはずだ。
 思うが早く、俺の足は屋上へ向かっていた。さっきも思った通り、今の状況で他のみんなと普通に接するのは無理だ。昼休憩まで、屋上で過ごそう。……視界に影を感じながら、階段を昇り続けた。



 七回目のチャイムが鳴る。俺の気持ちも知らないで、遠くに入道雲を携える空はこれでもかと晴天の様子。空を割るように伸びる一筋の飛行機雲は、既に横に広がり。そんな空から目を離して、屋上の出入り口へと向かう。校内では生徒たちが慌しく昼食の準備をしているはずだ。……さて、教室に行こう。
 気持ち早めに足を動かして、階段を下りる。授業中とは真逆の空気をまとっている校内を歩きながら、見当違いのイライラを生徒たちに向ける。……本当に俺しか知らなかったらどうすればいいのだろうか。依然として不安を放出し続けている自分に喝を入れて、俺は自分のクラス、その扉を開いた。見渡せば、既に机を寄せ合って昼食を食べている生徒たちが目に付く。案の定そんな奴らには無視されているので、俺も特に気にせず教室に入る。
「おっおっ、武田君は社長出勤かお? もうお昼なのにその余裕ぶりはさすがだお」
 俺が探す間もなく、席を立った内藤が自分から話しかけてきた。手間が省けたと、時間を無駄にすることがなく少しほっとして、内藤に向き直る。
「内藤さ、少し話があるんだけど。ここじゃアレだから、屋上に来てくれないか」
「……おっおっ、わかったお。愛の告白だけは勘弁だお」
 少しの間の後に、内藤は“先に行っててくれお”と了承してくれた。……まさか、内藤まで“いつも通り”ということはないよな? 予想外に普段と一緒の反応をされて少し戸惑ってしまうも、俺は言われた通り、先に屋上へ向かうことにした。
 これで何も得るものがなかったら、その時こそ、俺は諦めてしまうだろう。内藤にすがり付く思いで“どうか情報を”と願いながら、さっき来た道を戻る。



 内藤を待つこと、既に十分ほど。既に霧散してしまっている飛行機雲があった場所を名残惜しく見つめながら、俺は最悪の状況を想像していた。それというのも、今日という日がこのまま過ぎ去り、何事もなかったように明日が来てしまうということ。もし内藤がこのまま現れなかったら、俺は完全に状況を理解する糸口を失ってしまったことになる。来ない、イコール何も話す気は無い、ということだからな。……こうして冷静に立ち回っていられるのも、内藤という希望があるからこそだ。内藤というヒントが無ければ、とっくに俺は家に引きこもっていたことだろう。
 時間が妙に遅く感じる。最近感じることの多い遅さ。こんな時間の流れは今後一生、感じたくはないな。……と、フェンスにもたれかかって空を見上げていた頃、屋上の扉が開いた。出てきた人物は、待たせすぎだ。
「遅くなってごめんお。お昼ご飯を食べてたんだお」
「それならそうと先に断っておけよ……」
 相手が普段通りな所為だろう、掴み掛かる勢いで問いただそうと思っていたにも関わらず、妙に気落ちしてしまう。気持ちが安らぐ……と言ったら聞こえはいいが、はぐらかされている様で癪だ。
「いきなりでなんだが、内藤、昨日のことは覚えているか」
 相も変わらず全容を完全に視認出来ない内藤に向かい、俺は“問いかけ”を始めた。いつも通りじゃない俺の空気を感じ取ったのか、内藤は少し困った表情――もちろん笑ったままだが――で応える。
「昨日、かお? 昨日は普通に帰ったお。僕が帰宅部なのは武田君も知ってるはずだお」
「何もせず、誰とも話さず、帰ったのか?」
「な、なんだお。別に誰とも話さずに帰ったっていいはずだお。怒られる筋合いは無いお」
 何かを責められている感じがしたのだろう、内藤は口調を少し荒げて言い切る。……引っ掛かった。この受け応えで、俺は内藤が白を切っていると確信に至る。それと同時に、内藤が“知っている”という事実に安堵した。
 つまり、内藤が帰宅部だというは昨日、放課後に話した時点で初めて俺は知った。だというのに、内藤は昨日誰とも話していないと嘘を付いた。……三島と同じで、そのようなことが“以前”あったとしたのならお手上げだが、あえてその考えは切り捨てる。今は内藤を揺さぶることだけに集中しよう。
「それはおかしいな。俺は昨日の放課後、初めてお前が帰宅部だってことを知ったはずなんだが」
「……そ、そうだったかお。武田君は“知らない”かもしれないけど、確かに前に僕は言ってたんだお」
 内藤に明らかな動揺が見える。加えて、“ぼろ”が出始めた。……そう、知らないという表現はおかしい。“覚えていない”ならばともかく、“知らない”というのは俺の現状を知っているからこそ、初めて出る言葉だ。つまり、内藤はこの現状を把握しているということ。
「さっきからなんなんだお。僕が昨日何をしていようと、武田君には関係ないはずだお。もう帰りたいお」
「待てよ。お前からは聞かなければいけないんだ、昨日、裁縫部であったことと、“今起こっている”ことをな」
「な、何を言って――」
「さっき、“知らない”という表現をしたよな。それはつまり、この状況を把握しているということじゃないのか?」
 逃げられてはまずい。手を出すのはあまり好きじゃないが……俺から視線を離しているのを好機と見て、左手で内藤の服――学ランかセーラーか判別できない――を掴み、残った右手で襟だと思われる部分を掴む。そのまま、右手を捻りながら、力を入れる。
「飽くまでしらばっくれるつもりなら、聞くぞ。……お前、男なのか? それとも女か? 今来ている服はなんだ? 答えろよ」
「武田……君……くるしい、お……」
 いくら俺が運動嫌いで非力とは言っても、服を巻き込みながら首の根元を締め上げられれば、それなりの苦しさを感じるだろう。苦しいと、“いつも通り”の笑顔を浮かべたままで言う内藤を無言で見つめながら、返答を待つ。
「もう、止めて欲しいお……言うから、離して、欲しいお……」
「信用できないな。何について、話すんだ?」
「昨日あった、ことと……今起こってること、だお……」
 納得のいく答えが出たので、右手の力を緩める。話された瞬間、内藤は後ずさり、苦しそうに咳き込む。……良心が痛まないわけじゃない。ただ、優先順位が入れ替わっただけ。いくら内藤が俺に優しく接してくれていたとしても、話が違うんだ。
 締め上げすぎて赤くなっている右手を握り締めながら、内藤が話し始めるのを待つ。
「ごめん、お」
 先ず内藤の口から出た言葉は、謝罪だった。今さっきまで優先順位だと心の内でぬかしていたにも関わらず、罪悪感が生まれる。
「本当は、僕から武田君にネットに関しての情報を与えるのは禁止されてるんだお……けど、武田君がどうしてもと言うなら、話すお……」
「いいから、話せよ」
「……昨日、僕は“管理者”から佐藤君の消去が完了するまでの間、武田君の足止めをするように言われていたんだお。けど、僕のミスで七分間しか足止め出来なかったんだお」
 いつもと違い、淡々とした口調で内藤が話し続けている。あまりの温度差に違和感を覚えたが、その内容を聞き漏らさないよう、耳を済ます。
「その所為で武田君は“管理者”と接触しちゃって、僕は怒られたんだお……」
 そう言って一旦、間が置かれる。
 さっきから度々出ている“管理者”というのは、あの女のことだろうか。……なんにせよ、まだまだ情報が少なすぎる。核心に迫るため、俺は質問を変えた。
「今起こっていることは後でいい。それよりも、お前“等”は何者なんだ。何の目的で、佐藤を消した」
「それは、その」
「いいから答えろ。あまり焦らすな」
 歯切りの悪い内藤に、段々とイライラを募らせる。口調が荒くなってしまったが、それこそ内藤との関係なんて今更だ。少なくとも、俺はもう内藤の評価を上げることは無いだろう。
 ゆっくりと、時間が流れる。これで話すと思ったのだが、依然、内藤は口をつぐんだまま話そうとしない。またいつ何が起こるかわからない恐怖で、焦りが生まれる。
「おい、いい加減に」
「これは、話せないお……話したら、この一週間が無駄になっちゃうお……」
「一週間?」
「今起こっていることを説明するだけで、許して欲しいお……僕も消去されるのは怖いんだお……」
 内藤が自分の体を抱くように手を回し、震えながらアスファルトに膝を付く。……無理に聞き出すのは駄目なようだ。後もう少しで知ることが出来たはずなのに、と、心の中で舌打ちしながら、“それでいい”と内藤を促す。内藤は膝を付いたまま、話し始める。
「昨日の内に佐藤君のデータを書き換えて、“再構成”したんだお……ちょうど、武田君が家に着いてしばらく経った後だお……」
「待て、言っている意味がよくわからない。具体的に、俺がわかるように説明を――」
 ――ふと、視界の端に“あの女”が映る。しゃべることを中断してしまうくらいに、ハッキリと。内藤の背後、フェンスの上に立つように、そいつはいた。いつものこと、もう慣れたはず。なのに、次の瞬間、女がフェンスから“降りた”。そのままゆっくりと、こちらに近付いてくる。俺が何も言えないまま、女は内藤のすぐ後ろまでくると、ぽん、と、内藤の背後から肩に手を置いた。
「ひぐっ」
「……内藤、ご苦労だった。審議の結果、君をこの計画から外すことになった。そう怯えることは無い、消しはせんさ」
 そう言って、内藤が“消えた”。昨日の、佐藤の様にではなく、一瞬で。少し混乱したが、昨日の今日だ。動悸が激しくなるのを感じながらも、悠々と姿を現した女に近づく。
「おい」
「……武田智和が知る知らないに関わらず、過程は続くと言ったはず。“いつも通り”に過ごしていればいいだけのこと」
「一人で完結してんじゃねえよ。お前は何が目的なんだ、何が起こっている」
「私に答える権利は与えられていない。だというのに、内藤はまた余計なことを……」
 やれやれと言った風に、女は首を左右に振る。俺が何もわからず、必死になって情報を集めようとしているのに、コイツの余裕ぶりはなんだ。挑発されているとしか思えない。
 だが、昨日のように殴りかかっても無駄だろう。昂ぶる気持ちを抑えて、冷静に問いかけの内容を練る。……何故かはわからないが、コイツはすぐに消えようとはしていない。つまり、何らかの情報を提供してくれるかもしれないということ。単なる希望的観測に過ぎないが、“もしかして”ということもある。時間はかけられない、焦りを感じながらも、俺はゆっくりと口を開く。
「一つだけ、いいか」
「どうぞ」
「さっきまでの質問は撤回する。代わりに、昨日言っていた、“最初の説明”とやらを答えてくれ。お前が言った通りなら、最初に言っているはずだ。権利もクソも無いだろう」
 女は黙ったまま、制止している。……内藤もそうだったが、コイツも現実感が無い。ここは屋上、少し強めの風も吹く。だが、その髪一本に至るまで影響を受けていない。つまり、“なびいて”いないんだ。……今朝思ったとおり、ありえないという考えは捨てたほうがいいようだ。とにかくコイツが言う事を聞き逃さないように、知識として得なければいけない。
「いいだろう。答えよう」
 少しの沈黙――俺にとっては考える余地が生まれてありがたい――が流れた後、女は肯定の言葉を口にした。安堵すると共に、耳を研ぎ澄ませる。
「そこまで構えなくてもいいさ。説明と言っても、至って簡単なもの。武田智和には、佐藤啓太・本堂恵・三島早紀・杉林心の四人と日々を過ごしてもらう。さらに、彼等の“葛藤”と向き合い、それを“解決”する、と。これだけの話だ」
「……その説明をしたのは、いつなんだ」
「今から一週間前、つまりは武田智和が事故にあった日の夜だ」
 冷静を欠くな。今は言われた内容を整理することだけに集中しろ。……詰まるところ、俺は誰かの掌の上で踊っていたと、そういうことらしい。俺自身説明を覚えていないのに、佐藤について頑張ってしまったんだ。それこそ道化じゃないか。……言われてみれば、微かに記憶がある。事故に遭って、目が覚める前に。夢だと思っていたあれが女の言う事故にあった日の夜なんだとしたら、説明がつく。
 知りたかった部分、“目的”については少しわかった気がする。つまり、俺に何かをさせようと。佐藤のように“頑張れ”と、そういうことなんだろう。……そしてこれは憶測だが、何かの基準で“解決”されたと判断されたら、その“解決”した奴は消されてしまう。
「武田智和も答えに行き着いているだろうが、“解決”した者は消去される。……武田智和が良しとするかは知らないが、全員を解決した暁には、私に全てを説明する義務が発生する。私達の求める“結果”は、武田智和自身の力で全てを解決するということ。……私から言えることは以上で終わりだ」
 俺が次の質問を言い出す前に、目の前の女は内藤と同じように消えてしまった。同時に、胸糞悪くなる。……誰も居ない屋上。消えてしまった内藤に何を思うでもなし、俺は空を仰いだままアスファルトに倒れこむ。……空だけが、いつもと変わらない青と白。今も飛行機が、消えてしまった飛行機雲をなぞるように、新たな白い線を描いている。
 十分すぎた。予想以上に多く語られた情報は、十分すぎるほどに俺を納得させた。だが、喜ぶことはない。依然何も解決していないだけではなく、無機質な声で新たな問題を聞かされたのだから。……“全員を解決できたら、全部説明する”。それはつまり、俺に情報とみんなを天秤にかけろと言っているようなものだ。いくら俺だって、人一人を何かと比べるなんてことは、出来ない。だからと言って何もしなければ、何もわからないまま、俺はこのまま狂ってしまった場所で過ごさなければならなくなる。それも、俺には無理だ。
 俺にこの現実を突きつけるように、昼休憩の終わりを告げるチャイムが鳴る。屋上にいるからだろう、遠くで鳴っているように聞こえるそれは、今の俺と現実の距離を表しているようで。……ずっと気を張っていた所為か、急に眠気が俺を襲う。このまま戻ったって、何の役にも立たない授業があるだけ。そう思うと、俺は自然と目を瞑り、眠りに落ちていった。






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