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第十八話『俺が男の子な理由(わけ):本堂恵』

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 人間の最大の武器は“慣れ”であると、俺は思う。それと同時に、最大の敵もまた“慣れ”であると。
 この数日で俺は様々な非現実を目の当たりにしてきた。見た瞬間はもちろん驚き、恐怖し、混乱する。でも、時間という味方か敵かわからないモノが“慣れ”を誘発し、考える余地を与えてくれている。それを良しとするか悪しとするかは別として、何も出来ずにいるよりは、よく考え、動き回るほうが気分的にも楽に感じる。気休めと言えばそこまで、“慣れ”を味方と思うか敵と思うかで、この先の行動は二元化されるだろう。
 最初は“慣れ”を敵とみなして思考を停止させていた。……ああ、考えはしていた。だけど、それは先の展開をより良くする為ではなく、混乱ゆえの混濁した状況整理のみ。……全てから目を逸らすのならそれでいいと、俺は思う。どちらにしたって、俺に害があるわけではない。勝手に身近にいる奴が消えていくだけ。現実に作用していた多少の齟齬に目をつぶれば、今まで通り過ごすことだって出来たはずだ。……それでもその選択をしなかったのは、断じて正義感ではないと自分自身に先ず言い訳をしておく。元々主人公気質に憧れはせど、それをやるとなれば話は別、甘い部分を享受したいだけの俺にとって、“みんなを助けるために俺はやる”なんてことはありえないのだから。じゃあ、なんで“先に進もう”と思ったのか。それは至極単純であり、同時に、俺にとっては複雑であり。
 ――“せっかく俺が頑張ったのに”、これだけの理由なんだ。佐藤のために時間をすり減らして、なんとか思い出を作ってやりたいと、思えば人生で初めて他人の為に必死になっていた。だというのに、不条理にも程がある、一日経たずに佐藤は消えてしまった。よくよく考えれば、怒らないほうがどうかしている。言うなれば佐藤が消えたという悲しみ、混乱、恐怖よりも、怒りが勝ったんだと、今になってそんな結論に至った。


『俺が男の子な理由(わけ):本堂恵』


 時間を無駄にしないように、結論を先に思い描くように、“あの女”が言っていたことを頭の中で繰り返しながら、とにかく最善の答えを思案する。
 カーテンの隙間からはいつの間にか朝日が漏れていて、寝ずに考えていた俺にかなりの刺激を与えていた。それでもそれを避けようとはせずに、徹夜明けの脳に喝を入れようとカーテンを思いっきり開け、同時に夏らしい、鋭く熱い日差しがいい具合に頭をスッキリとさせる。
 結局、昨日は考えに考え、寝る余裕が無かった。それというのもあの女が提示した“助かる可能性”、これがあったからこそなんだが。……勉強やゲームですら徹夜だけはしたことがなかったというのに、まさかこんなことで徹夜してしまうとは。それを考えると、俺という奴は至極真っ当過ぎる生活をしていたんだな、と、あまり若者らしくない生活をしていた自分に苦笑してしまう。徹夜明けだからだろう、どんな形であれ笑える余裕があるというのはいいことだ。
 昨日はシャワーを浴びずにそのまま自室に篭っていたため、今更制服を脱ぎ捨て、浴室に向かい、冷水を頭からぶっかける。朝の日差しとはまた別の刺激が全身を襲い、眠気が遠ざかってゆく。……いや、これはダメだな。普通に寒い。自分でもハイテンションになっていることを自覚しながら、赤い蛇口を回す。しばらく経つと熱めのお湯が流れ始めて、戻ってきた眠気とともに体を温めていく。
 一晩考えた結果、まずは本堂を“解決”することにした。他の二人はどうあれ、本堂の葛藤とやらは誰が見てもわかるだろう。つまりは“男”であること。少なからずはアイツと話をしていたが、いわゆるホモセクシュアルを享受しているわけではなく、自分が男であることを嫌悪している節があった。佐藤を好きであることと、自分が男であること。……世間一般的に考えて、同性を好きになるのはタブーだ。同時に、どちらかが解消されれば全て事無し、ということでもある。これも普通に考えて、男であることを止められない以上、佐藤への恋愛感情を無くすしかない。しかし、あいつはそれが出来なかった。まあ、だからこその“葛藤”ってやつなんだろうけど。
 冷水と熱湯、両方の蛇口を捻り、脱衣室へ。用意していたバスタオルで乱暴に頭を拭きながら、今朝からの行動を考える。やはり一分一秒を無駄に出来ない以上、朝から本堂と接触する必要がある。つまりアイツの家に行くってことなんだが、その家、本堂寺と言えばここらでも知られた場所だ。ここら辺の人の場合、初詣なんかはあそこに行くしな。なので、行き先が分からないなんてしょうもないミスをすることはない。……ただ、問題は昨日のアレだ。あの俺の失言が無ければ、本堂の家に行ったところで嫌な顔をされるだけで済んだだろう。最大の難関は最初に話を取り合ってくれるか、ってところなんだよなあ。
 乾き切っていない体で廊下を歩いていると、晩飯を抜いていた所為か、ひどく腹が鳴る。何か摘めるものはとバスタオルを肩にかけながら冷蔵庫を覗くが、そう、何も無かったんだ。……で、この前は途中で何かを買っていこうと思ったわけで、結局買わなかったわけで、その日も前の晩は晩飯を食ってなかったわけで。……つまりは一日一食でも俺は生きていけるわけだな、さすがだ。
 ……変に自分を励ました所為か、もっと腹が減った気がする。今日は買っていこう。
「げ」
 脱ぎ捨ててあった制服を着て、鞄を持ち、さあ、“始まり”だ――と、自分の中で少し盛り上がるものを感じていた時、ふと財布の中身を見れば、小銭しか入っていなかった。数字にして、百二十二円。幸先悪いにも程があるというか、幸先以前に、今日のご飯が危険《あぶない》……。
 本堂は無理だとしても、三島辺りなら貸してくれるだろう。じゃなきゃ困る。……気を取り直して玄関の扉を開け、蒸し暑い空気を胸いっぱいに吸い込む。そんな空気で肺が満たされた瞬間、ああ、夏だと。当たり前のことを思う。同時に、こんなしょっぱい風情を感じることが出来るだけってのは悲しすぎるな、と。……本当はあったかもしれない、もうすぐ迎える夏休みでの出来事を想像して、勝手に切ない気分になってしまう。……まあ、行こうか。



 俺の家と学校、そして本堂寺を点とし、線で結ぶと、それはもう綺麗な三角形になる。つまりは遠回りになるのだが、徹夜明けのハイテンションを駆使して、とにかく歩く。途中で通り過ぎた商店街、そこの中心に設けられた時計は六時四十五分をさしていた。だというのに、時間はまだまだ余裕があるとわかりつつも俺は気持ち早めに足を動かしてしまう。俺が出来ることは限られているわけで、もしかしたら今この瞬間にも、想像も出来ないような非現実が起こっているのかもしれない。そう思うと、焦燥感ばかりが募る。
 思えば数回しか使った覚えの無い待ち合わせ場所。右に曲がればそのまま学校へ、真っ直ぐ進めば本堂寺へ。そんなT字路の中心で、ずっと昔に思える登校風景に思いを馳せる。……なんだかんだで、楽しかったんだよな。
 少し上り坂になっている道を歩く。暑い所為か汗が出る。シャワーを浴びた意味がなくなると一人文句をもらしていると、不意に電柱が目に止まる。どこにでもある普通の電柱には変わりないのだが、そこに貼り付けられた広告に“本堂寺”の文字があったことで、歩を止めてしまう。どうやら後どれくらいの距離があるのかを示すものらしいのだが、よく見るとUターンの記号が書かれている。その隣に500mという数字。……通り過ぎていたと理解するまでに数秒かかり、足の疲労を感じるまでに数瞬。
 この前は下を向いて歩いたほうがいいだなんて思っていたが、なんてことはない、少し上も見ていたほうがいいのだと、これまた一人納得して坂を下り始めた。
 さすがに年に一回足を運ぶ程度では細かい道は覚えていなかったようで。文字通り紆余曲折を経て、俺の目の前には大きな木製の門を構える寺があった。少し右に視線をやれば、大きな文字で“本堂寺”。この時間でも門は開いているようで、境内の中がよく見える。……そういえば、寺に住んでいる人はどこに寝泊まりしているんだ、と、訪ねようにもどこに行けばいいのか分かっていないことに気付く。まさか本殿で寝るわけではなし、離れでもあるのだろうか。
 それらしい建物を探していると、ちょうど正面からでは見えなかった本殿の脇に、人が立っていた。紅白の服、巫女姿、遠目でよく見えないが掃除をしているらしい。ちょうどいい、本堂の学友だと言えば場所を教えてくれるだろうと、俺は駆け寄って声をかけた。
「すみません、俺、本堂君の学友なのですが、その、本堂君は今どこら辺にいるんでしょうか?」
 その人の家でこんなことを聞くのも少々馬鹿な感じがするけど、本当にわからないので仕方が無い。俺の声に反応して、背を向けていた巫女さんが持っていた箒の動きを止めてこちらに振り返った。
「……げ」
「な、なぜ武田がここにいるんだッ!」
 黒髪のショートカット。背が高めで、それらから察するに綺麗な人なのかと思いきや、俺の目の前には本堂が立っていた。わけがわからないまま、俺はあからさまな否定の一字を口から漏らし、硬直してしまう。
 これも“あの女”がやったことなのか……?
「くそ、何の用だ。俺はまだ貴様を許したわけではないんだぞ。だというのに、こんな所まで来て、こんな姿まで見られてしまって……」
「なんか、ごめん」
 それしか言いようが無かった。
 目の前にいる俺をどうにかしようにも出来ない理由があるのか、本当に何も出来ないのか。きょろきょろと周りを見たり、掃除を再開したり、止まったり、一目見ただけで挙動不審だとわかる行動を、明らかに巫女装束を身にまとう本堂は一瞬の内にやってのけた。同時に、“普通”の本堂なんだな、と、複雑な気持ちで納得してしまう。
 確かにコイツは自分の落ち度を許さないようにしている節があるからな。そういった、根本的な部分は変わっていないのだと確信する。喜んでいいのかは別として、だけど。
「とりあえず落ち着けよ。別に、今更お前が女装をしていたからって驚かない」
「……いや、違う、それは違うと言わせてくれ。これは断じて俺の趣味道楽というわけではないんだ」
「じゃあなんだよ……」
 性同一性障害まではいかなくとも、男を好きになる時点で、女になりたいという願望を持っていることは予測出来ていた。面食らったことは確かだけど、本堂なのだと冷静に確認すれば、別におかしいことじゃあない。むしろ納得できる。
 だが、俺のそんな反応が気に入らないようで、本堂は挙動不審な行動を止め、今度は言い訳にしか聞こえないことを次々と言い出し始めた。やっぱり時系列が変わっても、ここら辺は変わらないものなんだと、さっきからしょうもない確認ばかり出来ている気がして、溜め息が漏れる。俺は早速面倒になり、本堂の言葉を右から左へ聞き流しながら寺の風景を見渡す。
「だからっ、違うんだ、これは親父が――」
「親父?」
 本堂が次の言い訳を喋ろうとしていた時、その背後から和服で身を包んだ年配の男性が近づいてきた。本堂は俺に話すことで夢中になっていて気付いていないようだが……今話そうとしていた親父さんか?
 その男性が本堂の背後に立つと、未だに気付いていない本堂と俺を交互に見て、口を開いた。
「“けい”、その子は誰だね?」
「……お、や、父さん?」
 歳を感じさせる野太い声が聞こえ、その瞬間、本堂の体がぴくりと反応する。ゆっくりと振り向き、そのまま応える本堂。……今、聞き間違いではなければ、本堂のことを“けい”って呼ばなかったか。俺の記憶が間違っていなければ、本堂の名前は“さとし”だ。だというのに、本堂は普通に返事をしている。……なんでだ。
「ふふ、けいも“色気づく”年頃なのだな。構わんよ、会話の邪魔をして済まなかったな」
「いえ、気にしなくてもいいです、父さん……」
 何やら一人満足したようで本堂の親父は笑いながら、住居なんだろう、本殿と比べれば少し小さめの家に戻っていった。……続いて、隣から溜め息が聞こえる。見れば本堂が心身疲労したような顔つきで俯いていた。
「なあ、お前って“けい”だったっけ。名前」
 第一に疑問に思ったことを、率直に聞く。本堂はまたも溜め息をつき、顔を上げ、俺に向き直る。
「いや、違う。俺は昔も今も“さとし”だ。それは変わらない」
「じゃあなんで親父さんは」
「ああ、くそ。わかった、面倒だから後で話す! そこで待っていろ!」
 そう言って、本堂は親父さんが戻っていった方とは別の方向へ走っていってしまった。何も聞けなかったけど、後で話すといったからにはアイツのことだ、口約束でも破りはしないだろう。
 多分学校に行くための準備に戻ったのだと、一人納得して待つことにした。



 じーじーと、朝っぱらからセミが鳴いている。この町は特に自然があるというわけでもないので、アブラゼミしか鳴いていない。つまり、とても耳障りな音が絶え間なく耳に飛び込んでくるというわけなのだが。
 しばらく境内で待ち、息を切らしながらやってきた本堂。そのままゆったりとした坂を下りながら、二人で学校に向かっている。のだが、“後で話す”と言ったはずなのに、本堂は未だに口を開こうとしない。俺がどう話しかけても無視を決め込むので、結局お互い沈黙しながら歩いている。だからこそ、いつもは気にならないセミの鳴き声なんかも耳につくわけで。
「なあ、いい加減話してくれよ。昨日のことなら謝るからさ」
「……」
「いや、本当に反省してるって。今日からは頑張って部長をやるからさ。だから許してくれよ。俺は早くさっきのことを聞きたいんだよ」
「黙れ」
「わかった」
 黙れと言われたからには仕方が無い。コイツに限ってはゴリ押しの会話術で何とかなるものではないと、身を以って経験しているからな。もう青春熱血パンチは食らいたくない。“以前”の本堂とは違う本堂だと分かっている以上、さらに癪に感じるだろうというのは食らわなくても分かる。
 ……そう、やっぱり、まだ俺はみんなを普通の目で見れない。結局“同じ”なのか“違う”のか、その辺りも何度か話す機会があったのだから、あの女に聞いておけばよかったな、と。視界の端にある影を見る。少し遠くに焦点を合わせると、ああ、もう商店街に着いてしまった。T字路をとっくに通り過ぎて、今は商店街の中心。時計を見れば七時十分。……思っていたよりも時間はかかってなかったみたいだな。
 未だに語ろうとしない本堂に、段々と苛立ちを覚える。どうせ話したくないことなら、学校に着く前に話してしまったほうがいいだろうに。
「あのさ」
「黙れ」
「やだ。これも気になってて、もやもやして、それでいて凄く否定したいことがあるんだけどさ、さっき親父さん、俺を見てからお前に“色気づいた”とか言ってたよな。あれなに」
「……断固否定する」
 黙れと言われたが、俺にもゆずれないものはある。偶然にもどうやら、この辺りの話題には食いついてくれるらしく、しめしめと、俺は会話を続ける。
「俺も否定というか拒否したいさ。その、まさかとは思うが親父公認のホモなんじゃないだろうな、お前」
「違う。それは無い。ホモと言うな。ただ親父は……ああ、姉さんと俺を重ねているんだよ。それだけだ」
「姉弟がいたのか」
 本堂が纏っていた空気が緩む。下を向いていた顔を上げて、本堂はおもむろに空を見上げた。つられて俺も見てみれば、何度目にしたかわからない、一筋の飛行機雲。こんな時間からも飛んでるんだなあ。……本堂の方を見れば、何やら俺には見せたことの無い穏やかな表情。いや、別に見せて欲しいなんてことは思っていないのだが、初めて見る表情なので、少し驚いた。
 俺がじーっと見ていることに気付いたんだろう、少しの沈黙を置いて、本堂が口を開く。
「別にそこまで大層な話ではない。俺には三つ上の姉さんがいて、ずっと前に病気で死んだ、それだけだ」
「……それが親父さんの言動と、どこに関係があるんだ」
「これも単純だ。親父は姉が死んだ時に軽く病んでしまい、元々背格好が似ていた俺に姉さんを重ねるようになってしまったんだ」
 ……単純じゃあないな。
「その、すまん。俺としたら、もっと軽い理由だと思っていた。人の良さそうな親父さんだったし。話しづらいことだろ、それ」
「全部聞いてから謝るな阿呆めが。俺は特に気にしているわけではないからな、それこそ、謝られても困る」
 思えば本堂のことなんて知らないし、知ろうとも思っていなかった。聞いたとしても大したことは無いだろうと高を括っていたが、さすがに死ぬ死なないの話が飛び出すとは思わず、つい謝ってしまった。……まいったな、あんまりこいつらには感情移入したくないのに。
 俺が人には言えない難しいことを考えている傍で、本堂は人を小馬鹿にするような笑みを軽く浮かべ、正面を向く。気付けば目の前には学校があって、なるほど、本堂君としては普段どおりのふてぶてしい空気で学校に行きたいわけか。コイツの切り替えのよさは見習いたいところがあるな。
「じゃあ俺も気にしない。気にしないついでに昨日は無神経なことを言って悪かった。許してくれ」
「それは許さん」
 ……結構、いい感じに会話が出来たと思ったんだがな。俺としては“好青年”を演じていたはずなのに、予想に反して、本堂はあまりいい反応を返してくれなかった。何故なのか分からないまま、俺は本堂の後に続く形で校門を跨いだ。



「許してくれよ。頼むよ。今日から頑張るから。ほんとお願い。じゃなきゃ進めれないだろうが」
「さっきからわけのわからないことを言いおってからに、俺は許さんと言ったら許さんのだ」
 昇降口を通り下駄箱へ、そのまま階段に向かい、昇り。その間にも、俺は必死になって本堂に許しを請うていた。そりゃあ、せっかく本堂の家庭事情という収穫があったというのに、肝心の学校で上手く会話が出来なかったら元も子もないだろう。“助かる可能性”という、言わば餌ともとれる物を目の前にかざされている手前、必死にもなるさ。
 しかし、さすがの俺もイライラしてくる。俺自身の考えが足りない所為もあるのだが、如何せん本堂の奴はガードが硬い。まるで言うことを聞かない駄々っ子を相手にしているような感覚に陥ってしまい、つい、
「このホモ野郎が、そんなだから佐藤に告白出来ないまま悶々としてるしかなかったんだよ」
 と、本堂にとってはタブーである佐藤の名前を出してしまった。加えて暴言だったこともあり、俺はいつかの拳が飛んでくることを覚悟する。……が、いつまで経っても拳はおろか俺をなじる言葉も聞こえず、反射的に顔を庇っていた腕を下ろす。
「……なんだよ、なんとか言えよ」
 廊下を歩いていた俺たち。急に立ち止まった俺と本堂を見て、怪訝な視線を向ける生徒もいる。本堂は別に怒った表情を浮かべるわけでもなく、口を開いた。
「確かに、その点はそうかもしれん。まさかあんな形で一生機会を逃すとは思っていなかったからな。何も言い返せんさ」
「ごめん」
「ふん、お前が口に出さずとも“そう”思っていることくらい承知だ。俺自身が一番後悔していることだしな。……だが、言うなら謝るな」
「ごめん」
 本堂は怒ったのか、駆け足で教室に向かっていってしまった。
 ……どうにも、ダメだ。歩くことを億劫に感じた俺は、立ち止まったまま廊下の壁によしかかる。……なんでかはわからないが、本堂を目の前にすると口が悪くなっている気がする。いや、気のせいじゃあないな。犬猿の仲とでも言えばいいのか、とにかくアイツを見ると毒を吐きたくなって仕方が無い。確かに俺の、この反応は正しいといっても過言じゃないさ。そりゃあ四度も殴られれば、人の一人や二人くらい嫌いになる。だが、この状況でそんな悠長なことを言っている場合じゃないのは、他でもない、俺自身がよくわかっていることじゃないか。
 くそたれめ。なんで俺が本堂のために何かを“解決”してやらなきゃいかんのか。それを思うだけで頭にくる。
「おやおや、どうやら恋人に逃げられちゃったみたいね、武田クン」
 返事をするのも面倒だ。
「あれ? なに? シカト? 本当にわたしを無視しちゃってもいいの? さっきの切ない感じの場面、カメラに収めてあるわよ」
「ごめん。おはよう」
「よろしい」
 勘弁してくれよ……ただでさえ徹夜で考えていたことがほとんど実行出来なかったというのに、朝っぱらからこんな“ゆすり”をされたら堪らない。
 こんな状況になって何度目かの溜め息――もう数えるのも面倒だ――を漏らす俺の隣には、にやにやと如何にも性格が捻くれた笑いを浮かべる三島が立っていた。本当にカメラを首にぶら下げているんだ、謝るしかないだろう。
「それにしてもアンタ達って、本当に仲が良いんだが悪いんだか」
「どう考えても悪いだろう」
 突然とんでもないことを言い出す三島に、自分でも驚くような速さでつっこむ。
「……いや、だって、ねえ。仲が良くないんだとしたら、普通は自分の人にはあまり言えない秘密を話すことなんてないでしょ?」
「まあ、そう言われればそうだけど。でも俺としたら成り行きで聞いちゃった感があるんだが」
「別にどっちでもいいんだけどね。“あれ”から本堂君、ずっと塞ぎ込んでたもんだから、あんな風に二人で言い争ってる姿でも、わたしは見れて嬉しいよ」
 メガネの位置を直しながら、少し照れくさそうに笑う三島。……“あれ”というのは、ここで言う佐藤の死んだことなんだろう。確かに佐藤が死んで、本堂が悲しまないはずがない。俺が……まあ、“迷い込んだ”という表現でもいいだろう。俺がここに迷い込んだ初日、つまりは昨日の本堂と話す限りでは嫌な感じにいつも通りだったために、そこまで考えが至らなかった。……俺自身が“別物”として捉えきれていないから、喧嘩っぱやくなっているとも言えるわけか。……色々と踏まえた上で、アイツと話をしなきゃいけないな。
 俺が考え込んで沈黙した所為だろう、気付けば、三島が居心地悪そうにもじもじと体を動かしていた。そういえば照れくさい事を言ってから何も返していなかった。俺がそれをやられたらと思うと、俺まで恥ずかしくなってきたので、慌てて三島に喋りかける。
「その、うん。わかった。本堂の元気が出るように俺も頑張る」
「え? なんで武田君が、え、なんで?」
「なんとなく」
「……武田クン、昨日から思ってたけど、“らしく”ないわね。わたしの知ってる武田クンは、もうちょっと根暗で何でも面倒くさがるんだけど」
 さっきまでの普通な目とは違い、新聞部“らしい”目で顔を覗き込まれる。ちょっと動揺したが、よくよく考えてみれば、いくら三島が杉林さんの詳細データを即日入手できるほどの手腕を持っていたとしても、今の俺を取り巻く状況を察せるとは思えない。……少し、身近な人に話してしまいたい欲もある。でも、そういった“イレギュラー”に対してあの女がどう出るかがわかっていないため、そう簡単に話すわけにはいかない。
 三島は何も得るものが無かったんだろう、密着に近い形の体勢から少し距離を置き、手をあごに添えて考える素振りを見せる。
「言っておくが、俺には何もやましいことは無いぞ」
「いいえ、人には他人に言えない秘密を一つや五つは抱えているものよ……!」
 そう言った瞬間、三島のメガネが光る。どんなステキ機能だ。
「ただまあ、見る限り武田クンの秘密なんて言っても高が知れてるし、今日は詮索しないでおくわ。それに、そろそろ授業が始まるしね」
「え? あ、本当だ」
 廊下の天井に設けられた時計の針は、既に授業開始の数十秒前をさしていた。俺も急がねばと三島のほうを見れば、もう姿は無い。速い。……なんか悔しかったので、ゆっくりと歩いて向かうことにした。
 ……なんせ、今日の昼休み。その時にどうするか、具体的なことを考えよう。――視界の端に潜む影を睨む。まるで動かない影に安心と少しばかりの恐怖を感じながら、俺は人気の無い廊下を歩き、教室へ向かった。





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